日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【10年2月28日】
朝、雨である。「歩き」は中止して、本格的な2度寝。テレビをつけっぱなしにしていたので、N響のコンサートの演奏で目を覚ます。7時前であった。
朝食をとりながら、NHK「俳壇」を見る。主宰選の12句は、なんとなくどこか既視感のある作品が多かった。
番組中、荻原井泉水の紹介がなされていたが、そこで触れられた氏の作句観が、定型にも季語にもこだわらす、1句1句の句が内在するリズムを大切にした句作りの重視というものだった。それは、孫引きになるけれど、夏石氏の「季語にこだわらない。定型にしばられるのではなく、一句一句独特のリズムを句の中で追究する。」(「高知新聞」。ブログBan,
yaの愛読者で毎日チェックしているので、現在連載中の新聞エッセイからの引用なのか、と思う。だから、引用部分はまさに今現在の考えなのだろうと思うが)という考え方と、ずいぶん共通点のあるものではないかと思う。荻原氏は自由律俳句の代表作家の一人であり、その人の弁と「ハイク」推進のトップランナーの言の類似は、25日の書き込みでも少し触れたが、その方向のもたらす結果の一致という事態を招くおそれが無くはないと思われる。
テレビを消し、音楽をかけて、しばらくネット。『週刊俳句』では、「ゼロ年代俳人」(なかなか格好良い呼び名である。これが正式名称として俳壇史に位置づけられたら面白いのだけれど)の若手俳人の記念すべき第一回の句会の報告が掲載されてあった。作、講評ともに割と面白かったけれど、ただ斬新な1句、清新な評語という点では、少々物足りなかったような……。そんな中で、関悦司や外山一機、相子智恵などは、作・論ともに面白かった。
天気が良くなってきたので、留守の間にということで、甥の布団などをベランダ干し。晴れたり曇ったりが、昼前まで続き、そのまま干し続ける。
音楽を聴きながら、昨日「歩き」の帰りに立ち寄った古書肆で買った、「毎日オークション 絵画・版画・彫刻」を見る。作品のカラー写真とオークション予想価格が載っていて、面白い。現代作家の作品とその予想価格など見て、驚いたり、感心したりする。実際にオークションに参加することはないけれど、有名な作家のリソグラフなら、意外と高くはない値段であったりすることを知る。甥が使っている部屋の壁に、ムンクのリソグラフが1枚あるのだが、ある古書肆で見つけて、発作的に買ってしまったことなど、思い出したりした。値段は中途半端に高くなかったので、眉唾な一枚ではあるけれど。
昼食。ごはん、味噌汁、冷や奴に卵と納豆という、大豆蛋白だらけの(買い物にでるのが面倒くさく、冷蔵庫にあるもので済ましたわけなのだが)食事であった。


【10年2月27日】
金曜日。一日本格的な雨降りであった。これも、春の兆しのひとつであろう。
職場に、夏の人間ドックの結果と、数値的にはそこには表れない点についてメモしたものを提出。事務長に驚かれる。まあ、ともかく日々好日状態で暮らしているので、良いのではないかと思う。
授業とは別に、統計資料作りで、消耗する。一年の総決算でもある。
夕方、「ベルレク」の練習へ。職場から、市内へ直行。食事時間との兼ね合いがあるので、駅ビルの食堂で、早めに蕎麦の夕食。その分、練習が遅くまで参加出来る。
今日は、パート練習も、全体練習も、「怒りの日」中心であった。「ベルレク」の中でも、何度か繰り返される迫力は一番の曲なのだが、ボリュームという点も含めて、なかなか大変な一曲。そういえば、団員募集は、若干延長されたようだ。目標団員数まで(260人ということらしいが、それは無理だろう)まだ達していないようだ。今日の参加者も、こころなしか、先週より少ないような気もするし。
9時に練習を早めに切り上げて退出。夜に入っても、雨は本降り状態を保っている。電車の空席を探して座ると、やがて両側に座った退勤直後の会社員らしき人達が、おもむろに発泡酒を飲み始める。あろうことか、一人はつまみまで食べている。匂いに辟易する。
10時前、帰宅。スケートは銀メダルだったらしい。本当は凄いことなのだろうが、事前にマスコミがやたらと金メダル、金メダルと煽り続けたせいで、『なんだ。駄目だったのか。』という妙な受け止め方になっている自分に気づく。競技を楽しみたいとコメントする選手達の気持ちが、分からなくはない。
土曜日、、5時前起床。天気の具合を確かめ、「歩き」に出る。雨が降った場合を考え、遠出は避ける。近隣をぐるりと1時間ほど歩いて、帰宅。東の空が明るく、青空の気配が見える。にもかかわらず、ぽつりぽつりとどこからか、小雨が落ちて来ている。
ご飯の朝食。味噌汁と文字通りの野菜炒め。タンパク質にやや欠けるか。味噌汁は、煮干しで出汁を取り始めてから、その美味しさに、パック入簡易調味料は全く使わなくなった。出汁をとったあとの煮干しで蛋白・カルシウムの補充とする。
洗濯。半日いただけの甥の洗濯物の多さに驚く。
青空が見えるので、ベランダに干す。その後、コーヒーを飲みつつ一休み。バーンスタイン指揮・ロンドン交響楽団の「ヴェルディ レクイエム」を聴く。全体にややテンポが遅いような……。


【10年2月25日】
結局、甥が帰って来たとき、こちらはぐっすり寝込んでいたらしく、帰って来たのにも気が付かなかった。練習が、ずいぶん遅くまで行われたようである。
朝は、5時起き。もちろん、甥はまだ眠っている。二人分の朝食を作り、さっさと食べ終えて、6時過ぎには家を出る。甥は、今日の11時過ぎの新幹線で帰郷する予定なので、一度も顔を合わせないままの帰京であった。
通勤の車中で、角川『俳句』3月号を少し読む。高柳克弘氏の「現代俳句の挑戦」」。今回のテーマはは、「世界の中の俳句」。「俳句」と「ハイク」の問題であった。夏石番矢氏を引き合いに出しつつ、季語・定型に縛られることなく、自己に内在するリズムを三行分かち書きの短詩形式で追究するという、「ハイク」に現在の「俳句」の行き詰まり打開の方向を見出そうとする同氏に対して、「ハイク」に「俳句」が解消される中で、それが「俳句」の自己解体に繋がる事を危惧し、「俳句」はあくまで自己の立地点を見失うことなく、「俳句」の可能性を追求するべきではないか、との問題提起を行っている。いわゆる「ハイク」を無季・自由律俳句の一変形と考えれば、無理に「俳句」と「ハイク」を対立的に捉える必要はなく、そのそれぞれ独自の方向性を尊重すれば良いように思われるのだが。さらにいえば、いわゆる「ハイク」自体が、すでに既存の無季・自由律の俳句が切り開いてきた地平を、言語的相違はあるにしても、どれほど新たに切り開いていく力をもちうるのか、と言う点で、早々疑問を感じなくもないのだけれど。一方の「俳句」世界においては、『新撰21』の新人達の俳句形式に対する(乗っかっているという点も含めて)多彩で、実はずいぶん真摯な取り組み姿勢が、既存の「俳句」の新たな展開へと繋がって行くことを期待してもいるのだが。たくさんある俳句総合誌のいずれかが、きちんと『新撰21』を取り上げてくれれば良いのだが。それも、変化の一つのきっかけになるかもしれないと思うのだけれど。そう言う点では、NHKの「俳句王国」の2週にわたる「若手特集」の取り組みは、時宜を得た良い企画だったと思う。
温かい一日だった。昨日は、3年生の登校日。3クラスから卒業文集の一言を頼まれて、少々手抜きだったけれど、同じ俳句を核にして、贈る言葉を書いた。明日が、最後の登校日で、卒業式の予行などが予定されている。週明けの月曜日が3月1日、卒業式の日である。今日も、頑張って文集を印刷したりしていたようだけれど、果たして間に合うのだろうか、と他事ながら気懸かりである。


【10年2月24日】
山口昭男氏主宰の『秋草』3月号を送っていただく。発刊第3号である。波多野爽波、田中裕明の系譜を継ぐ1誌である。主宰句「山茶花や水をころがる雨の粒」「凍鶴の水辺に風のきつつあり」「寒雀無用の水をつつきをり」。「秋草草紙」より数句。藤井紀子「音もなく夜の来てをり柿簾」、門園須美子「レノン忌の静かな雨に出合ひけり」、みなみ里奈「丈足らぬ袋に葱を入れにけり」。繊細な感覚、時にふと漂う滑稽味など面白いと思う。
朝、さほど寒くない。防寒着は着ていくけれど、毛糸の帽子はもう必要はないようだ。通勤電車が、宇治川を渡るとき、見事な川霧で雲の上を渡るような感覚になる。霧が、河川敷から、周囲の田野や宅地に低く広がっている情景は、ずいぶん幻想的である。
忙しい一日。授業、ガイダンス、放課後の激励会など。教材準備で1時間ほど残業して、退勤。目の前で、バスが走り去っていくのがくやしい。次のバスが停留所に到着したのは、定刻を20分近く遅れてであった。一体なにをやっているのだ、と思う。
夕食の惣菜を買って、帰宅。今日は、甥が一時帰京。夜遅くに到着するらしい。恐らく、こちらは眠りこけているのではないか。明日、演奏会の練習があるそうで、そのための帰京。その一日の為に、たいへんなことである。
オリンピック。カーリングは面白かったけれど、予選敗退。残念だった。全体としては、今ひとつぱっとしない結果ばかりのようだ。同じアジア地域の中で、中国や韓国に比べて、今ひとつ勢いに欠けるようだ。


【10年2月22日】
日曜日。鵜殿の葭焼を見に行く。地下鉄、阪急乗り継ぎで、上牧駅下車。駅頭で、偶然「百鳥」のOさん達一行に出会う。Oさん達も、葭焼見学吟行とのこと。句会への参加を誘われたけれど、知り合いとはいえ結社句会なので、さすがにそれは遠慮させていただく。駅より、ぶらぶら歩いて20分ほどで、淀川の堰堤に出る。堤上に出ると、その向こうに、広大な葭原が広がっており、そこが今日の葭焼の舞台となる鵜殿である。9時、時間通りに葭焼が始まる。手前と遙か向こうの下流一帯の葭に帯状に火が放たれ、炎と煙がが一気に立ち上がっていく。見事なものだ。堰堤上には、沢山の見物の人が並び、何人ものカメラマニアが、三脚を立て、カメラを炎と太い柱のように立ち上る黒煙に向けている。火勢の強まったところでは、気流が渦巻き、炎の竜巻がゴッと音を立てつつ、中空に向かって巻き上がっていく。その炎を受けて、煙がまさに昇り龍そのままに黒い蛇体となって数十メートルもの高さにくねり昇って行く。迫力に満ちた、見事としかいいようのない情景が眼前に広がる。
燃え広がっていく葭原に導かれるようにして、1キロほど先の葭焼の先端部分まで歩く。その辺りまで行くと、葭原の向こうに淀川の水面がきらめいて見える。手前の紅色の炎との対比が美しい。
観客の中に、点々と俳人らしき人の姿が見受けられる。駅であった「百鳥」以外にも、関西の俳句結社の人達が吟行に来ているように思われる。「里」の方たちも何人か来て居られるのだろうと思う。昔、句会に参加を許して頂いた「U」の方達の姿も見えないかと少し探して見たりもしたのだが、残念ながらその姿はなかった。
2時間余り、葭焼見学を堪能して、そのまま堤上を水無瀬の方まで歩くことにする。河川敷を利用した小さなゴルフコースがあり、そこは昔、知人達と何度も通ったところなのだ。今では全くゴルフをすることはないのだが、堤防上からゴルフコースとそこでプレイしている人達の姿を眺めながら、なんとも懐かしかった。小さなコースなので、全体のレイアウトとか、コースの状態なども不思議に今でも憶えているので、突っ立ったまま当時のことなどを思い出しながら、コースのあちらこちらをしばらく眺めわたす(昼のこの経験があったせいか、その夜、その知人達とゴルフに出かける夢を見てしまった。夢の中でのゴルフは、かなり惨憺たるものではあったが。しかし、楽しかった)。
本当は、そのままJR島本から京都駅まで帰って、午後、東寺の弘法市の露店を見物するつもりだったが、さすがに疲れてしまって、水無瀬駅で本場のインドカレーを食べて、阪急・地下鉄経由で帰宅。撮してきた写真を数枚、ブログの方にアップし、出来た20句余りの作をデータベースに打ち込む。その後は、自宅で『新古今和歌集』の続きをを読んで過ごす。
月曜日。朝は、やはりまだ寒い。宇治川河川敷は、今日も一面の降霜状態であった。川沿いというのは、霜が激しいのだろうか。宇治川の河面も、ゆらゆらと霧が揺らめき立っている。白衣の幽霊がふらつきさ迷っているような風情である。


【10年2月21日】
「ブログ版日々録」に、本日の鵜殿の葭焼の写真を数枚掲載しました。よろしければご覧下さい。indexのページ(表紙ページ)から、「ブログ版日々録」に飛ぶことが出来ます。


【10年2月20日】
金曜日、夕方。とりあえず、夏の合唱、ヴェルディ『レクイエム』の団員募集に申し込んでおくつもりで、京都市内へ。来週が募集締め切りのはず。合唱団の指導者のブログを見ると、すでに180人ほど団員が集まっているとのことで、順調に団員募集は進んでいるらしい。最初は、申し込みだけ済ませて帰るつもりだったけれど、1時間ほど練習に参加することにして、そのまま声だしの方に出る。曲は、まだ第1曲を練習中と言う段階だったけれど、ほとんどのメンバーが合唱経験者のようで、すでにかなり歌える状態であった。こちらも、「ヴェル・レク」は数年のブランクがあったけれど、歌い始めるとほぼ暗譜で歌えたので、一安心。指導内容が、前回以上に、曲のニュアンスを大切にして歌い上げるということに重点をおいておられるようだ。今回は、それが可能なメンバーが集まったのかもしれない。ヴェルディーの曲は、ダイナミックで繊細でとても美しく、ちゃんと歌うのは大変難しいけれど、しかし楽しい。中休みの時に退出する。今後の練習が楽しみである。
京都駅構内の回転寿司で遅い夕食。お世辞にも美味しいとは言えない店だけれど、手軽にちょっとの量が食べられるのが良い。以前来たときは、こじゃれた寿司が目の前をくるくる廻っていたのだが、今日来てみるとごく普通の回転寿司屋さん変わっていた。店の方針が変わったのだろうか。
帰宅後、夕食が遅かったので、すぐに横になる訳にもいかず、しばらくパソコンの前でネット。雑誌に面白いソフトが一つ掲載してあったのを、ダウンロードして使ってみる。セキュリティー関係のソフトだったけれど、これは便利である。パソコン内の各ソフトのセキュリティーの弱点を検索し、その対策まできちんと教えてくれるという、痒いところに手が届く逸品。「secunia」というところからダウンロード出来るフリーソフトであった。
土曜日。丘陵地帯の「歩き」。2時間半ほど歩く。途中、以前から気になっていた歌碑の場所を確かめ得た。濱田陽子という地元の歌人。40年間絶対安静で病臥しつつ同じく歌人として活動した夫の引野収を支えながら作歌を続けた人とのこと。歌碑の歌は「峠路はやすらぎに似て風吹けり石も草木もすべてかがやく」という作。ちなみに運動公園内に碑のおかれた夫引野収の歌は「永遠とおもへるながき時のなか樫立てり黄なる彩雲の涯」。光のモチーフが共通しているか、と思う。
帰宅後、朝食。その後、洗濯。良い天気なので、ベランダへ干す。朝は、ずいぶん冷え込んだのだけれど、すでに日差しはぽかぽかと暖かい。今日あたりが冬と春との切り替わりとなるらしい。
冬も本格的に終わりか、と思う。鴨川のゆりかもめも、そろそろ北へ帰る頃だろう。そういえば、明日は鵜殿の葦焼きが行われるらしい。2年ほど前に見学に行き、そのスケールの大きさに大変驚いた。明日は天気も良さそうだし、是非出かけてみようと思う。


【10年2月18日】
通勤途上。宇治川を渡る鉄橋から、対岸の河川敷一帯が霜で真っ白になっているのが、眺め渡せる。さらに、河川整備事業の一環なのか、川の流れに沿って茂っていた木々を根こそぎ伐り倒してしまい、川岸の風景が一層寒々としたものとなっている。ずいぶん乱暴なことをするものだと思う。
過日、市内に「歩き」に出た折り、間近に眺めた鴨川の中洲の開削事業も、環境に影響を与えない範囲でといいつつ、水鳥の餌場や休息地をずいぶん奪ってしまうことになっているのではないか、と思ってしまう。川の通りが良くなったせいか、水の流れが速まり、鴨たちが浮かぶ姿も心なしか、落ち着きないものになってしまったような気がしたものだったが。
ここ数日の体調不良状態は、どうにか脱出。通常の勤務状態に戻る。1時間ほど残業の後、退勤。2月半ばとはいえ、ずいぶん寒い。暗いバス停で、やって来ないバスを待つのはかなり辛い。
通勤の往復では、椹木野衣著『シュミレーショニズム』を読んでいる。現代芸術の理論と実作の紹介。これを読んでいると、たとえば若手俳人の句を説明する際に用いられている、既存俳句の成果の再構成的な手法などというのは、この考えの延長上にあるというか、俳句への応用ということなのか、と思ったりしたものだ。
自宅では、『新古今和歌集』と『古今和歌集』を交互に読んだり、白居易の詩などを間に挟んだりと、雑多な読書をしている。白居易は、情の部分で感動したりしている。面白い。


【10年2月17日】
先週から、体調が今ひとつであったが、月曜日、しんどくて早退、火曜は一日寝込み、水曜日の今日は、午前中の授業を済ませ、年休を取って退勤。月曜日、医者に行って、念の為インフルエンザの検査をしてもらったが、そちらは陰性で、感冒による発熱・体調不良ということのようだった。
月・火・水と冷蔵庫にあるものだけで食事を済ませていたので、少し食糧を買い込んで、帰宅。そのまま、夕方まで寝る。
微熱が取れて、だいぶん楽になる。


【10年2月14日】
日曜日。昨夜、丹後からの帰りの車中で飲んだ発泡酒が、思いの外効いていて、今朝も体が怠い。飲んだといっても、350ミリリットル2缶なので、たらふく飲んだわけではないのだが、体調がもともと今ひとつだったのかもしれない。
7時に起床して、朝食。パンの買い置きがなかったので、ご飯を炊いて食べる。目玉焼き、茹でたブロッコリ、納豆。天気は、夕方にかけて下り気味だそうだが、とりあえず洗濯をして、ベランダに干す。コーヒーを飲み、しばらくネットをして、その後、昼間で読書。寝室のベットの上に胡座をかいて『新古今和歌集』を読む。所々に鉛筆の印や、読みにくい字で俳句らしき物が書き付けられたりしたある。以前に秋の部辺りまで読んで、その後中断していたような気配である。ざっと読み流すようにしてどんどん読んでいく。細かい部分が分からないものもあるけれど、なかなか面白い。歌の配列の仕方などもあれこれ考えたりしながら読む。
昼。食欲がないので、蕎麦を茹でて、卵を浮かせて食べる。「出石そば」、と銘打ってあるけれど、味が全然違う。今ひとつ。
土曜日。丹後「すき句会」の日。朝の「橋立1号」は、蟹シーズンの終わりもちかいせいか、いつになく乗客が多い。車中でも、座っている席の後ろに団体さんが席を占めていて、賑やかであった。宮津市の背後の山も、大江山連峰も、そして丹後半島も、雪で真っ白であった。丹後半島奥のスイス村のスキー場は、まだ雪が1メートル近く残っているらしい。丹後大宮は、さすがに地面に雪は残っていなかったが、寒い。岩城先生は、金曜日のうちに奥様と車で来られたとのことで、その際、石油ストーブを車に積んで持ってこられたそうだ。おかげで、1時からの句会は快適に進行する。欠席投句を含め、今回は全会員の投句があり、C記用紙2枚が満杯状態となる。1枚について、70句がC記の上、コピーして配布されるので、全部で140句の句数となる。句会は、全句について、岩城先生の講評、会員の意見交換が行われるので、今回は時間的に厳しいものになった。宿題は、「年内立春」。席題は「名残の空」であった。ちなみに旧暦では、昨日が大晦日であった。岩城先生選は2句、予選句は3句という結果であった。
基本的に、有季定型・写生(もちろんべったり写生ではないが)の句を作っているのだが、もうちょっと何とかならないかな、と我ながら考えてしまう。
やや悪酔い気味で帰宅。甥は、昼のうちに帰省したので、しばらくは一人暮らしとなる。すぐに寝るつもりだったが、オリンピックの開会式をみているうちに、その見事な舞台と演出に見入ってしまう。
そう言えば、どこかの国では、選手の服装の乱れとかで、その選手と関係者について、この素晴らしい開会式への参加を禁止したりしたそうだが、「品格」を問題として、どこかの横綱を追放した何とか協会同様、所詮は蜥蜴の尻尾切りのようなものではないか、などと思ってしまう。


【10年2月11日】
今日は、午後から雨になるとの天気予報なので、朝のうちに「歩き」に出かける。曇天。風が吹くと、肌寒さを感じはするけれど、寒いという程ではない。
今朝は、丘陵地コースの短縮ルートをとる。一気に平坦部まで登るコースで、距離的にはずいぶん短くなるけれど、住宅街の中の勾配のきつい道を歩くことになる。坂を登りきった所が小さな峠になっていて、ここのどこかに地元の歌人の歌碑があるとのことなのだが、見あたらない。
公園の周回コースから運動公園へ抜けて、サーカスに大テントや朝食中のキリンの姿などをしばらく見物する。もりもりと餌を食べているキリンの姿は、なかなか面白い。
まだ、雨は降り出さないので、しばらく洗濯物をベランダに干すことが出来そうだ。今日の「1万歩」は朝の歩きでクリアしたので、今日はこのあと、家籠もりして本を読むことになるだろう。甥は、いつになく早く起きてきて、昨夜の残りのビーフストロガノフを朝食にして、ご飯を済ますと部屋に引き上げていった。今日は、昼前から出かけるらしい。
静永健著『漢籍伝来』読了。中唐の詩人で、平安時代多くの人に愛読された白居易の『白氏文集』の、日本の文学と文人達に与えた影響を語ったもの。引用の詩も多く、特に晩年の作品は味わい深い。先日読んだ、能村登四郎の『天上華』の作品などを思い出したりした。
『新撰21』の「竟宴」の報告パンフレットができたらしい。当日の発言のまとめに、あらたに投稿された論評を併せたもの。出版元は邑書林。投じられた一石が新たな波紋をもたらせば、と思う。


【10年2月7日】
6時前、起床。パンと野菜、目玉焼きとウインナ、そしてコーヒーの朝食。10分で準備が出来る。簡便な朝食である。居間のカーテンを閉めっぱなしにしていたので、部屋干しの洗濯物越しにカーテンを引くと、そこには雪景色の家並みが見える。昨夜のうちに降雪があったのだ。それが、うっすらと春の雪景となっている。数年前にも、立春後の積雪で、御所から見る大文字が、雪で輝いていた景を思い出したりする。
今はまだ曇っているけれども、やがて雲が切れ、日が射せばこの景も幻のように消えてしまうことになる。
昨日は一日、雪が舞ったり、日が射したりを繰り返す日和だった。外出が煩わしく、一日家籠もりして本を読む。森杏太郎の詩集『瞑想』読了。大きな時間の流れ(そこには、第二次大戦の惨禍や自身の少年時代に対する回想・郷愁を含むが)を主題として、時に西洋を題材とし、時に方言による詩作を試みている。華麗で、哀感を感じさせる作品群であると感じる。故郷(といっても「ふるさと」という限定的な意味ではなく、存在の原点的なものであろう)喪失者の回帰願望を詠っているというような内容の解説が付されてあるが、なるほどと思う。
能村登四郎の第8句集『天上華』を読む。俳句は老人の文学との、言い古された言葉があるけれど、老人だから書ける、あるいは老人にしか書けない世界というものが確かにここにはあるように思う。とても感銘を受けた句集であった。『新撰21』で、若い人達の多彩な世界を楽しむ事も俳句の醍醐味の一つであろうが、俳句を一つの生き方として選び、生きてきた人の作品群は、こちらの存在の根のような部分に深くしみ込んでくる力を持つように思う。
夕方、試験を終えて、甥帰宅。そうとう疲れたようである。夕食はこちらが作る。豚ソテー、温野菜とサラダ、それに頂いた大根を煮たもの。
夜、吉本隆明『際限のない詩魂』を読み始める。


【10年2月6日】
5時過ぎ、起床。外はまだ暗いので、少し時間をおいて、6時前に「歩き」に出かける。今週も、丘陵地コース。5時台と6時台では、府道を走る車の量が明らかに違う。町が動き始めているのを感じながら歩く。丘陵への登りにかかる辺りから、急に雪が降り始める。細かい粒の雪である。濡れることはないので、気にしないでそのまま歩く。竹林を行くと、中空から雪が湧き出てくるようで、不思議な感覚になる。冷えが厳しくて、降った雪が融けぬまま地面に残る。みるみる辺り一面が白くなる。
丘陵頂上部の住宅地を通り抜け、谷筋の公園へ。いつもなら凍ることのない貯水池の水が、三分の一ほど薄く凍っているのがわかる。その上に、雪が白く残っている。
運動公園へ。サーカスの巨大テント全体に薄く雪が張り付き、その一部が筋を描いて滑り落ちて、下までは落ちず、テントの縁辺りに固まっている。キリンは今日も元気で、降雪の中、餌籠に顔を突っ込んで、もりもり食べている。
いつもの自販機の温かい缶コーヒーで一休み。目の前のテントとそれを囲むプレハブの建物を眺める。まだ朝が早いせいか、サーカス関係の人の姿は見えない。いつもなら、飼育係の人の姿があるのに、今日はそれも見えない。
雪が、細雪から牡丹雪に変わる。濡れる雪である。運動公園を出て、丘陵地帯を下り始める。雪が、激しくなる。
帰宅する。甥は、最後の試験があるので、すでに大学へ出かけている。コンビニの朝食を食べ、洗濯。雪が降ったり止んだりの状態なので、部屋干しにしようかとも思ったけれど、量が多いこともあり、ベランダ干しにする。風呂を洗い、掃除機をかけ、一段落。いつもの土曜日である。


【10年2月5日】
1年生、2クラスの授業。百人一首の歌留多取りで、一気に百首読み上げ。さすがに、のどと腹筋がが少々痛くなる。来週は、校内歌留多取り大会が予定されている。そこでも、読み上げを担当する。その時は、40分で50首だから、今日よりは大分楽であろう。歌留多取りは、大盛り上がり。隣のクラスにかなり迷惑をかけたかもしれない。
昨日、今日とずいぶん寒い。通勤途上、畝の形に氷が張り付いた野良の風景が、一層寒さを募らせる。もっとも、その風景を見るために、普段と違う道筋を歩いて通勤するこちらは、ずいぶん酔狂なのかもしれないけれど。
夜。夜中に眼を覚まし、しばらくは眠れない。テレビをつけて、ぼんやり眺めていたり、灯を消して、イヤホンで志ん生の落語を聞いたりと、色々やっているうちに、どうにか再び寝につくことが出来る。寝ているときの姿勢が悪いのか、眼を覚まして起き上がろうとするとき、腰の辺りがずいぶんと痛む。これは、あるいは手術をした腸の影響かもしれない、とも思い始める。腰痛の原因のひとつにはそんなこともあるらしいのだ。今日は、通勤途上まで、その影響が残って、片脚引きずり気味で歩いたせいか、いつもより10分近く余計に時間がかかってしまった(普通は、結構すたすた歩いて行くのであるが)。煩わしいことである。退勤時は、偶然帰る方がおられたので、その車に便乗させて頂く。助かる。
三浦展著『ファスト風土化する日本』を読む。「ファストフード」のもじりでもあろう。日本全土が、総郊外化する中で、地域性の基盤が根こそぎ失われたしまった状況を告発する内容。最初の、地方の郊外化にともなう犯罪事象の多発化の事例紹介がくどく、また象徴としての「ジャスコ」の話も、頷けるけれどすでにかなり一般常識化されたような内容であり、このまま読み続けるか、止めるか、微妙なところである。
昨夜は、上野一孝句集『李白』読了。「杉」の編集長など勤めた方の句集であった。やや古風で温厚な句柄。落ち着いた味わいの句集で、楽しく読み終えた。
その勢いで、森杏太郎の詩集『瞑想』を読み始めるが、久しぶりの詩集なので、ちょっと頭が混乱。そんな、ややこしい内容のものではなかったのだが。現代詩の言葉に少々当たったのかもしれない、と思う。


【10年2月3日】
昼過ぎに、ぱらぱらと雪が降る。青空が見えている中での降雪なので、風花のようなものか、と思う。太い雲の塊が、横長に空に浮かんでいるその合間に、きれいな青空がのぞいて見える。時折、雲間から射す日差しは、ずいぶん明るい。部室で仕事をしているときは、ブラインドを調整して、光が差し込まないようにしないと、眩しくて仕方がないほどだ。睡眠不足のせいもあるかもしれないが。。
夜中、ふと眼を覚まして、少し気懸かりな事などを考えているうちに、眼が冴えてきて、眠れなくなる。仕方なく、テレビを点けると、山岳風景を延々映し出しており、中に自分も歩いたことのある白馬や槍・穂などが出てきて、ついつい見てしまう。2時過ぎ、やはり眠ろうと思って、音量を絞った「第九」の録音をイヤホンで聴く。いつもなら、そのうちに眠り込んでしまうのに、今夜は結局最後まで聴いてしまう。ほぼ1時間が経過していた。
仕方なく、入院していたころからしばらくやっていたように、古今亭志ん生の落語を流しっぱなしで(もちろんイヤホンでだが)聴くことにする。声が聞こえるか、聞こえないかくらいのボリュームで聴いているうちに、幸いいつの間にか眠っていた。次に眼を覚ましたのは、4時過ぎで、起き出すにはまだ早いのでそのままぼっとしているうちに二度寝して、5時過ぎに起床。
夜の反動なのか、穏やかな気分で一日過ごす。そう言えば、朝の占いは「最良」であった。
定時、退勤。節分なので、夕食用の恵方巻きを買って帰る。ついでに、鰯のフライと、福豆も買う。スーパーには、特設コーナーが二カ所に渡って作られていて、数種類の恵方巻きが、数十本単位で置かれてある。その中で、1本750円もする本当に太い巻物を、甥の分とあわせて2本買う。
帰宅すると、既に甥は帰って来ていて、洗濯をしてくれている。試験が終わり、個人練習をのぞいて、時間的に余裕が出来たらしい。
豆まきを終えて、夕飯。まず、今年の恵方の西南西を向いて、二人で巻き寿司をかぶりつく。とにかく、本当に大きい。1本を食べきったら、満腹になってしまった。なんとも、幸せな気分である。


【10年2月1日】
2月に入った。朝から、雨である。水中にいるような湿った寒さである。
昨日は、「醍醐会」。『俳人青木月斗』の筆者、角光男さんをゲストに招き、前半は角さんのお話を聞き、後半は「醍醐会」の会員2名による質疑応答形式で話が深められる。『俳人青木月斗』は、主宰誌『あじろ』に200回以上にわたり、一度の休載もなく連載された月斗研究のエッセンスともいう部分をまとめた一著という。お話の中では、著作には触れられていないエピソードの紹介などもあり、職業俳人としての月斗の一面なども教えて頂き、また子規没後、毎年関西で行われた子規忌の際に飾られた子規の墓碑の拓本や、太閤忌の卒塔婆(裏に、月斗直筆の句が達筆で書かれてあった)、さらに経済的に困窮する河東碧梧桐に宛てられた月斗からの救援の書簡など、めったに見る事の出来ない資料なども眼前にして、大変面白い時間を過ごす。蕪村句の正統の継承者は月斗ではないかと言う意見や、関西という文化的土壌の中での月斗の有り方についてなど、示唆に富んだ意見なども出て、考えさせられた。
5時に、会は終了。雨の中を、三条方面へ移動。皆さんは、二次会に。私はそのまま帰宅する。
甥は、帰宅が遅くなると言うことなので、一人で夕食。その後、早めに就寝する。
とんでもないような大地震の夢を見る。頭を両腕で掴まれ、思い切り左右に揺すぶられるような揺れ方。夢とはいえ、本当に驚く。落下してくる天井を避け、何とか外に避難しおおせて、ほっとするのもつかの間、みるみる海が膨れあがって、津波が押し寄せるという、まるでスペクタクル映画のような夢であった。夢占いによると、地震の夢は変化の予兆らしい。2月に入って、3年生は自由登校期間に入る。このまま、3月1日の卒業式の日まで、週1回の登校日があるばかりだ。1学年が、すっぽり脱けると、学校全体がしんとした雰囲気になる時がある。4月まで、こんな日が続くことになる。