日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
09.10「日々録」 09.11「日々録」 09.12「日々録」 10.1「日々録」 10.2「日々録」

【10年4月29日】
『1Q84』読了。大団円、という言う事には、ならなかったという印象。いくつもの伏線が残されたまま、book3は、一応の完了をみた、というところか。ただ、もしbook4が出るとしたら、どんな展開になることか、興味津々ではある。出ないかもしれないけれど。
明け方3時過ぎに、電話。3度ほどコール音が鳴り、子機を取り上げると、すでに切れていた。間違い電話だったのだろうが、お陰で目が覚めてしまった。しばらくテレビを点けて見ていると、突然雷鳴が鳴り響き、やがて激しく雨が降り出した模様だ。雨音を聞きながら、音声を落としたテレビを見ているうちに寝入ってしまう。
6時過ぎ、かなり強く雨が降り続いている。天気予報では、天気は回復するということなので、この雨もやがて止むことだろう。ベランダから見下ろす工事現場は、剥き出しの泥地のあちらこちらに大きな水溜まりが出来ている。寒々とした情景である。
8時には、雨が止み、雲が切れ始める。うっすらと青空も見える。
9時過ぎ、甥が起き出してくる。
10時、すっかり天気は回復する。遠くの稲荷山は、新緑のもこもこ感が、山全体に眺められるようになった。


【10年4月28日】
水曜日。企業訪問3社。午前、午後にわたるので、訪問の間の時間調整が結構大変。京都市内を南、北、東と移動する。
普段と違う神経を使うものだから、少々緊張もするのだが、しかし企業の方のお話を聞くことは、実は割と好きなので、極短時間の面談ではあるのだが、いくつも興味深いお話を聞くことが出来た。鋭いな、と感心する見解を示していただくこともあった。
勤務場所等の関係で、卒業生とは一人しか会うことは出来なかったけれど、出会えた子は元気いっぱいで、こちらが鼓舞されるような気持ちになったものだ。
それにしても、一日で京都を南・北・東と移動する中で、観光地としての京都の面目をこの目で確認出来た。桜の季節が終わり、天候も安定して、新緑の京都はなかなか魅力的なのだが、行く先々、平日にも関わらず、沢山の観光客、修学旅行の中学生の姿を目撃したものだ。特に、現在「長谷川等伯」の展覧会を開催している京都国立博物館とその周辺への人出は大変なものであった。ちなみに、「長谷川等伯」展への入場待ち時間は140分とのことで、最寄りの駅の路上にアルバイトが出て、待ち時間を知らせる看板を手に、閲覧時間をずらすように大声で宣伝していた。
夕食の買い物をして、帰宅。甥は、今日は遅いらしい。ブリ煮と茄子と豚肉と椎茸を合わせて煮たものを作る。純和風。一人で食べる。少々薄味であったか、と思う。
『1Q84』、ずっと読み続けてきたが、とうとう残りわずかとなる。名悪役と言って良い牛河には、意外な運命が待ち構えていた。それにしても、はたしてこの物語は今回のbook3で完結するのだろうか、と思い始める。それはともかく、発売3日で100万部を売り上げているとのこと、凄まじい勢いである。やがて、翻訳本が出来れば、世界中に配本されることになるのだろう。本当に、ノーベル文学賞を受賞するのではないか、村上春樹は、などと考える。
小池正博氏から『五七五定型』を贈っていただく。小池氏の「コラージュ『座談会』」は大変面白い。昭和39年の『俳句研究』掲載の俳句・短歌・川柳作家の座談会を再構成しながら、おのずと川柳に対する諸観点を紹介する。分かりやすくて、とても参考になる内容であった。


【10年4月25日】
金曜日。午後、市内への出張。夕方まで。一旦、帰宅後、夜再び「ベル・レク」の練習で市内へ。今日は、最初から最後まで、フル参加。出席回数も、やっと7.5回となる。ほぼ、全曲をさらったことになる。今日は、最初からの通し。ただし、最後までは至らず、という状態であった。
土曜日。丹後の「すき句会」。先月は、満員で、指定席を取れないような状態であったが、今日は十分に余裕があった。ここ一月、年度当初の忙しさや、体調の悪さから、ほとんど句作が出来なかったので、句会へ持っていく作が全くのゼロという体たらくであった。とこかく、「橋立1号」車中で、宿題句「如月の望」1句と席題句を除く当季8句を準備しなければならない。「季寄せ」を横に置き、時折車外の風景に目と頭を休めながら、句作。福知山を過ぎ、宮福線に入る頃には、なんとか10数句作る(文字通り、作るであったが)。宮津で「タンゴディスカバリー」に乗り換え、丹後大宮駅へ。その間、車中では『1Q84』を読む。遅遅たる歩みと思いつつも、いつのまにかお話も半ばを過ぎ、色々な伏線も解かれ始めている。読みながら、次回の『鼎座』に書く短編のネタを思いつく。題名は「夕影町」ということも、思いつく。
大宮駅近くのいつもの食堂で昼食をとり、岩城先生のお宅へ向かう。途中、車で出かけようとされる先生の奥様と邂逅。短時間、お話をする。元気そうな様子なので安心する。
1時から句会が始まる。今回は、所用のため欠席者が多く、いつもより少人数の句会となる。席題は、「初蛙」。寒い日の続く丹後でも、ここ最近1、2週間で蛙の声を聞き始めたという。今回も面白い句が多かった。特に、Kさんの句には感心した。私の句も、岩城先生選が3句あり、ひさしぶりの複数選となった。窮すれば通ずということ(?)であろうか。
5時前に、句会終了。ビールで一休み。その後、Mさんからグアム・サイパン旅行のお土産をいただき、また岩城先生からは丹後の海産物を、Mさんからは手摘みの海苔をいただくというお土産一杯の帰京となる。感謝。
車中から見る快晴の夕景が美しい。発泡酒を飲みつつ、『1Q84』を読み、途中ちょっと居眠りしたりして8時前に京都着。3月のダイヤ改正で、帰着時間が少し早くなる。
日曜日。5時前、起床。5時から「歩き」に出かける。寒い。僅かに息が白く見える。1時間ほど歩いて帰宅。朝食。天気が良いので、洗濯。布団などをベランダに干す。
一休み。甥はまだ寝ている。
それにしても、普天間問題。一言で言えば、沖縄県民以外は、皆他人事としてしか考えていない、という事なのだろうか。徳之島のように、突然名前が出てきたら、それを拒否するという形での反射的反応はあるにしても。普天間問題の解決は、県外か国外への移設しかありえないのに、その方向に、一向に話が進まない。もし、国民が本当に沖縄からの基地の移設を臨み、マスコミがその意志をくみ取る事があれば、マスコミ自体が移設問題解決に向けてより積極的に、発言しても良いはずだ。国民の中に、この問題の解決に向けての意識が高まり、マスコミの中に、普天間移設に対するまともな問題意識があれば、積極的にキャンペーンをはるとかして、移設に向けての民意を高め、問題解決に向けて、側面から機運を盛り上げるということもありうるだろう。移設への民意が高まれば、アメリカも、もう少しまともに移設問題について日本政府と現実的に対応していくことだろう。ところが、現実には、普天間問題をネタに、連立政権に向けてネガティブキャンペーンめいた報道は繰り返されても、問題解決に向けての見解や提言など新聞・テレビ・ネットを含めてほぼどこにも見受けられないのではないか。多くの国民にとって、普天間移設問題が「他人事」であり、マスコミが「マスゴミ」と言われる所以だろうと思う。


【10年4月22日】
何となく風邪が抜けきれない。温かいような、寒いような日が続いているせいなのだろう。少々、鬱陶しい。
『1Q84』往復の車中での読書なので、一度に10ページ程しか読めない。少しずつ囓っている風にして読んでいる。面白い。特に、牛河という登場人物が面白い。埴谷雄高の『死霊』に出てきた首猛夫の邪悪さを思いつつも、牛河にどこかに純な所を感じてしまうのは、何故なのだろうか、と思う。
いつもの事ながら、年度当初というのは、本当に疲れる。変に高揚して、つい突っ走ってしまうせいなのだろうか、と思う。ともかく、息切れしないように注意しつつ、進まなければならない。風邪が、直り切らないのもそんなところに原因の一つがあるのだろうか。
いつのまにか、八重桜が散り始めている。ぼってりした花弁の塊から、一枚一枚花びらが散り落ちていく情景は、八重以上に華やいで見える。地面に散り敷かれたピンク色の花びらの上を歩くのは、なかなか良い気分である。
送っていただいた『MANO』を読む。川柳における「私性」の表現というもの。川柳が、言葉の文芸として自立していく過程のように見える。俵万智の短歌が、身辺の雑事や思いを詠っているように見せつつも、明らかに言葉の力によって構築された文芸としての自立した世界を歌い上げていった、その姿をふと思ったりもした。


【10年4月18日】
土曜日、午前中仕事で出勤。風邪のせいで、体調が今ひとつ。
午後、帰宅。薬を飲んで、ちょっと横になるつもりが、しっかり寝入ってしまう。夕方から、3月6日のクラス会の第2弾「プチ・同窓会」があったが、1時間ほど遅刻してしまう。
「プチ・同窓会」。前回、都合により参加出来なかった人が数名参加していて、全部で10名余りの会となった。
前回欠席した人の中に、体調を崩している子がいて、メールでやりとりをしてはいたのだが、その子も今回体調が良くて参加した。実際に顔を見て、思った以上に元気そうなので安心したりもしたものだ。
会の最後には、皆からの言葉が書かれたカードを納めた素敵な冊子をプレゼントされたりして、こちらがずいぶん励まされることにもなった。もうひたすら感謝感激である。
村上春樹『1Q84』book3を購入。さっそく読み始める。最初から、意外な展開があり、なかなか面白そうである。
日曜日。5時過ぎに「歩き」。風邪気がまだ抜けていないようで、今ひとつ。帰宅後、コンビニで買ってきたサンドイッチで朝食を済まし、風邪薬を飲んで、洗濯。あとは、ぼんやりと過ごす。今日は、一日家籠もりとなりそうである。。
普天間移設問題。移転先と名指しされている地域からは、強い反発・反対が起きているようだ。元々は、旧政権がだらだらと基地問題を先送りし、さらには利権絡みでの県内移転という解決にもならない愚策を打ち出し、それに対してマスコミも根本的な批判も提言もないままに進んできた揚げ句のことなので、このごたごた騒ぎも、現政権の読みと詰めの甘さがぼろぼろ露呈しているとはいえ、なんとも羞じらむような思いになる。それにしても、最近のマスコミ(「マスゴミ」という呼び方もあるようだけれど)の、やたら文句ばかりをつけたがる長屋の長老みたいな小児病的な姿勢にはうんざりするところがある。そういえば、某関西系のテレビ番組の某キャストは、感情的に煽るような文句を付けながら、ちゃっかり自分の出した本の宣伝をするという、呆れ果てた姿をテレビカメラの前で演じたりもしていた。関西風のイチビリではすまない、羽目の外し方だ(個人的には、割と好きなキャスターなので一層残念)。


【10年4月14日】
『鼎座』12号について、打ち合わせ。今号は、都合により、「歌仙」はお休みをして、各自の作品中心の構成となる予定。俳句研究者のAさんに寄稿をお願いしてみて、了解いただけたら、それを掲載することも考えている。11号から少し間が開いてしまったけれど、6月中くらいには出したいと思う。
そう言えば、最近問題になっている、「あなたの作品を掲載しませんか」との勧誘詐欺。俳人協会のホームページなどでも警告を掲載しているようだけれど、私も2度ほど電話による勧誘を受けたことがある。どこで作品を知ったのか、具体的な作品を挙げながら、ぜひ掲載させてほしいと誘ってくるというものだ。実際には、新聞の広告面か何かの誌面に、たくさんの作品が網羅的に掲載されるらしい(これは、ネットで確認したことだったか)。一応、作品が載っているのは事実なので、詐欺とは言いにくいかも知れないけれど、きっと掲載料はびっくりするほど高額なものになるだろうな、とは思ったものだ。そう言えば、似たような勧誘が書簡で来たこともあった。協会関係の会員録や俳句年鑑の住所録などが悪用されているのだろう。
新学期が始まり、さすがに忙しい。神経も張り詰めているのだろう、帰りの電車の中で、ついうとうとしたりもしてしまう。背後の窓硝子にごつんと頭をぶつけて、はっと目を覚ますということもあって、恥ずかしい思いをする事もある。
帰宅すると、もう眠くてしかたない。夜、ろくに本も読めないのが残念だ。


【10年4月11日】
日曜日。4時過ぎに目を覚ます。もう少し眠ろうとしたが、もう眠れないので、テレビをつけてぼんやり見る。5時過ぎ、起床。天気は今ひとつだけれど、「歩き」に出る。しばらく
すると、小雨が降り出す。帰ろうかとも思うが、降ったり止んだりの状態なので、すぐに帰れるようにマンションの近隣をぐるりと歩く。
朝食は、昨夜の残りのすき焼き。甥も起き出してくる。今日は学校に練習に行く、という。食事を済ますと、出かけて行く。
洗濯を終え、掃除機をかけ、雨が小康状態のようなので、「歩き」の続きを兼ね、選挙の投票と買い物に行く。
知事選は、なんとも盛り上がりにかけたものだった。投票会場も、人の姿はちらほらという状態。さっさと投票を済ませ、近所をぐるりと歩いて、買い物へ。途中、「さくら祭」と銘打って、フリーマーケットを開いているところがあったので、ちょっと立ち寄って、見物。道路脇に、解体ショウ用の巨大マグロが1本、氷詰め状態で置いてあるのが、目を引いた。


【10年4月10日】
堤未果著『ルポ貧困大国アメリカU』を読む。帯の短文が「日本の近未来を暗示する」とある。ここ1週間は、通勤の往復はこの1冊だったけれど、読み進めながらなんともやりきれないような思いや憤りに近い感情を感じながらの読書となった。内容は、ぜひ一読していただきたいと思うけれど、教育、福祉、医療の人が幸福に安心して生きていくための社会的機能が軒並み崩壊を起こしているアメリカの「現状」が報告されてある。それが、どの程度、実態を反映しているものなのか、それがあまりに惨憺たる状態であるため、一歩も二歩も保留状態を置いて読んでいきたいような気持ちにすらなる。それにしても、最終章の監獄に留置された囚人達を、「第三国人」以上の安価な労働力として利用し、巨額の利益を上げる企業群の姿というのは、まさに現在のアメリカの一面を象徴的に表すものかもしれないと思う。
オバマの「チェンジ」も、民主党の「政権交代」も、ともに追い詰められ、怒りや失望・絶望の思いの中で、日米の国民が選択した現状打破の大きな一手であったと改めて思う。ただ、その結果は日米ともに、国民の思いとは一致しない方向に動いているようではあるけれど。
それにしても、日本はアメリカと少し距離を置いた方が良いと思う。アジアとの連携を強めようと、あるいは別の地域との関係を深めようと、それは幾つかの選択肢の一つになると思うけれど、いずれにしてもアメリカとの関係をもっと相対的なものにしたほうが良い。現在のように、政治・経済・そして未だに文化的側面においても、アメリカの強い影響力の下にいるかぎり、アメリカの現状が「日本の近未来」となる可能性は大きいと思う。場合によっては、アメリカ再生の「捨て石」として日本が利用される可能性は大きい(「郵政民営化」がその流れの一部であるように)。
それに小泉が進めたアメリカ流の新自由主義が、日本にはなじまないものであったことは、その結果、国民の生活を大きく破壊し、その揚げ句(小泉の広言通り)、自民党をぶっ壊すことにまで繋がっていった経過として、近年私たちが目の前にしてきた現実である。
普段は、この方面のことはあまり書かないのだけれど、ともかくやり切れない思いの中で、ちょっと書き付けた。それほど、『ルポ貧困大国アメリカU』は、衝撃的な内容であったと言えよう。
土曜日。5時起床。「歩き」に出る。外は、すっかり明るい。少々腹痛がある(毎朝のことではあるけれど)ので、1時間ほど近所を歩く。ソメイヨシノはもう終わりだ。次は、八重桜が咲き出す。そして、躑躅。そんな風に、季節は花によって繋がれていくようだ。
帰宅して、朝食。洗濯。7時過ぎに、甥が慌てて起きてくる。大学のセミナーがあったことを失念していたようだ。お茶漬けを「かっこんで」、急いで出て行く。まあ、なんとか間に合うだろう。1度目の洗濯を終え、ベランダに干しつつ、2度目の洗濯。良い天気なので、洗濯物はきれいに乾きそうだ。明日は、天気が下り坂になるそうなので、ともかく今日が洗濯のチャンスである。


【10年4月6日】
日曜日。午後、「歩き」に出る。東寺まで行って、途中の「ブックオフ」で本を買って、それから帰ってこようと思う。近鉄東寺駅で下車。駅から3分の「ブックオフ」で美術展のカタログを2冊購入。これが、ずいぶん重い。
東寺まで行くと、偶然「がらくた市」をやっていた。ずいぶん沢山の店が出ていたので、あちらこちらの店を覗きながら、歩く。短冊や色紙を売っている店が数軒あったので、置かれたものを細かくチェックするが、めぼしいものは無し。
金堂や五重の塔は、鉄製の柵の中で、入場料が必要なので、外から枝垂れ桜や背後の塔などを遠目に見る。
買った本が意外と重い上に、ずいぶん暑くて、「歩き」は中止。そのまま、近鉄駅に引き返す。少々、疲れる。
夕食は、豚肉のソテーと野菜、それにミネストローフ。洋風の夕食であった。
月曜日。終日、教材作り。前々任校の卒業生が、わざわざ職場まで会いに来てくれる。同窓会後の連絡の中で、私の健康のことを知り、気遣ってくれたようだ。感謝。
火曜日。終日、教材作りやら、進路関係の段取りやら。校庭の桜が、時折風に吹かれて散っている。入学式までには、ほぼ散ってしまうのではないか、と気懸かりである。
夕方、駅まで歩く。途中の「ブックオフ」で、句集を1冊購入。泉田秋硯『梨の球形』。
川沿いの道を歩く。ここは、いまが桜満開の状態であった。


【10年4月4日】
土曜日、午後。夕食の買い物に出るついでに、「歩き」ノルマの足りない分を補充。疎水の一画に、桜並木のきれいなところがあるので、見物がてら、歩きに行く。並木と言っても、100メートルほどの間に、10本ほどの桜の古木が並んで咲いているのだが。枝が、撓むようにして疎水の上に突き出ており、一部は流れに触れるくらいにまでなっていて、それはそれで見所の一つになっている。出かけて見ると、思ったよりたくさんの人が桜見物に来ていた。車いすのご老人のグループの姿なども見えた。満開の木のしたをぶらぶら歩き、ついでに、帰路は沿道の割と有名な神社と桜で名高いお寺にも立ち寄って、京都の春を楽しんでから、いつもの大型小売店に夕食の買い物。
夕食は、はまちのカマと野菜と肉の煮付け。早めに作っておいて、その後は、夕方まで筒井の本を読む。概ね常識的な内容で、筒井らしい切り込みの面白さや独自の発想が見受けられない。少々期待はずれであった。途中で読みさす。
夜、甥の次年度の単位修得の確認で、2時間くらいああだこうだと話す。不明な所は、甥がメールで知人に確かめたりする。講義担当の教授ともメールで調整確認などしている。便利なものだな、と改めて思う。
日曜日。5時過ぎ、「歩き」に出かける。今日は、方向を変えて、鴨川の方に行ってみる。歩きながら、あちらこちらにぽつり、ぽつりとある桜の木の咲き様を楽しみながら歩く。鴨川は、水量が多いように思う。昨日歩いた疎水の水も多かった。連日降っていた雨の影響なのだろうか。鴨川河畔の下草が白っぽく見えるのは、霜が降りているからだ。そういえば、郷里では昨日は雪が降ったそうだ。四月の雪は珍しいと思う。
1万歩ほど歩いて、帰宅。とりあえず、本日分のノルマは達成。ここ数日不調だった腹の状態も、どうにかほぼ回復したようだ。
朝食。洗濯。掃除。一通り終えて、一休みした頃、甥が起き出してくる。今日は、単位登録と練習で、登校とのこと。


【10年4月3日】
5時、起床。「歩き」に出かける。朝がずいぶん早くなった。東の空はすでに白んでいる。ただ、天頂辺りに、半月がぽっかりと浮かんでいる。春の月にしては、白々と澄んで見える。1時間ほど歩く。疎水の端を歩いて行くと、水面から川霧が薄くゆらゆらと昇っている。堤のあちらこちらに、ぽつぽつと西洋アブラナの黄色い花の塊が見える。
卵がなくなっていたので、帰りに百円ショップで、買って帰る。野菜パックなども買う。小買い物には便利である。
帰宅後、朝食。甥はまだ寝ている。葡萄パンはわりと美味しかった。食事を終えて、洗濯。ベランダに干す。快晴で、洗濯物が良く乾きそうだ。
朝風呂に入る。半身浴。昨日買った筒井の本を読む。人々の「アホ」な行為の分析。心理学的な分析が行われている。筒井は、若い頃フロイトなどもしっかり読んでいたはずで、そんな知識の裏付けのある内容。
半身浴は、1時間くらい入らないと効果がないらしいけれど、30分で上がる。帰省して、ちょっと増えていた体重は、元に戻っていた。半身浴の効果というより、昨夜簡単に夕食を済ませたせいであろう。
京都の桜は、この土日辺りが見頃なのだろう。たしか、合唱団の有志で、今日「花見」に行くらしい。それにしても、今年の桜の花の色はなんとなく淡いような気がする。気のせいなのだろうが。


【10年4月2日】
四月に入った。昨日は、エイプリルフールの日であるにもかかわらず、結構正直に過ごした一日であった。洒落た嘘のひとつもついてみたいものだ。
朝から夕方まで、新学期の教材作り。こういうふうに時間が使えるのはありがたいことだ。
それにしても、ここ数日、腹の調子が今ひとつである。後遺症の軽いのが、しばらく続いているような状態。季節の移り変わりのせいだろうか、とも思う。
今日は、一日、会議から会議で、終わる。その会議の合間に、進路室の大掃除。展示コーナーの資料をすべて廃棄して、まっさら状態がらんどう状態となる。これはこれで、気分が良い。
夕方、合唱の練習へ。連続3回欠席してしまったので、ちょっと出席回数を稼いでおかないと、ステージに立てないという事になってしまう。
これも季節の変わり目のせいか、体調が今ひとつであったが、練習に参加し、唱っているうちに、次第に元気を取り戻す。唱うことは、健康維持に効果有りというけれど、確かにそういう効き目はありそうだと思う。
帰路、百円ショップで、葡萄パンやら、缶詰やら、ベーコンやら、卵やらを買って帰る。皆、百円である、当然だけれど。以前買った百円食パンや、百円味噌は、やはり百円かな、という結果であったが、今回はどうであろうか。
さらに、帰路。本屋で筒井康隆の新作を見つけて購入。タイトルは、『アホの壁』。かの、有名な某書物のパロディーと言うわけではないようだ。そういえば、以前俵万智の『サラダ記念日』のパロディーで、全編ヤクザを素材とした『カラダ記念日』という、かなり強烈な作品を読んだ事があるけれども。帰ったら、早速読んで見ようと思う。