日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
10.1「日々録」 10.2「日々録」 10.3「日々録」 10.4「日々録」 10.5「日々録」

【10年6月30日】
月曜日。夕方、分掌で、一台の車に乗り合わせて、同僚のお見舞いに。以前、私が入院していたところと同じ病院で、少々複雑な感慨。病室から、遠く街並みが見渡せる。自分の住むマンションも望める。入院中も、時折はこんな風にして遠くの風景を眺めていたりしたものだった。廊下からは、ちょうど夕食時で、薬と食べ物の混じった独特の匂いが流れてくる。匂いというものは、体のどこかに染みついてしまうものらしい。これが病院の匂いという思いが強く浮かんでくる。
同僚は、回復が早くて、明日には退院の予定とのことで、ずいぶん元気そうであった。しばらくは自宅での療養となるそうだが、何はともあれ一安心ということであった。
帰宅。来京中の弟が、すでに帰ってきていて夕食の準備をしていてくれる。鯛アラを使った煮込み料理。美味であった。甥は、練習のため、帰宅は遅い。
後になって、今日が第2回目の指揮者レッスンの日であることを思い出す。
火曜日、水曜日。今週末から始まる試験の準備を進めながらの、授業。雨が降ったり、晴れて暑かったりで、少々疲れる。
暑さバテしつつあるのか、体重が減ってきている。体重が減るのは、ちょっとうれしいけれども。
夜は、遅くまで起きてはいられない。夜中に何度も目を覚ますけれども、総じてずいぶん長時間睡眠に時間を使っていることになる。十分、本が読めないのが困りものである。床では、平凡社の『アートの仕事』を読む。現代美術の連続講義録のようなもの。昨夜読んだ部分では、写真家都築響一の強烈な個性と、その発言が面白い。
車中では、五味文彦『藤原定家の時代』を。以前、一度読んだ事があるかも、という一冊であるが、定家の生きた時代相が伺えて面白い。架空対談的な部分も、手前味噌風ではあるけれど、面白い。
図書館報に掲載していただくために、『新撰21』の紹介文を書く。図書には、1冊購入していただいた。そのことがあるので、紹介に及んだということ。北大路翼の一連の作については、ちょっと危惧もあったのだが。さて、高校生諸君は、どのような反応を見せてくれるだろうか。全く反応なし、ということもあり得るけれども……。


【10年6月27日】
今年度の「芝不器男俳句新人賞」の受賞者は、毎年11月24日に開かれる「鴨川吟行会」に参加している方の一人だと知る。その方のブログを覗いたら、早速岩城先生からの受賞を祝う電話が入ったことなど触れてあった。昨年の吟行会の時、ちょっと遅れて「種源」さん前の鴨川河畔に来られたのが、その方だった、という記憶がある。特に結社には所属されず、独力で自分の世界を開拓して来られた方ということである。
「吟行会」という事で言えば、毎年その幹事役を務めて下さっているIさんの句が、先日のBS『俳句王国』の一般投稿の部で、選者特選に選ばれているのを見たりもした。皆さん、頑張っておられるのだと思う。
日曜日。朝早いうちは小雨がちだったけれど、やがて降り止んだようなので、届け物を持っていくつもりで「歩き」に出かける。丘陵コースの一番高い辺りまで歩く事になるので、「歩き」としては、十分の距離と時間になる。それほど気温は高くないように思うのだが、湿度が高くて、歩いているうちに、全身しっとりと汗にぬれたような状態となる。本人は不在だったので、郵便受けに届け物を入れておいて、引き返す。雨が、ぱらぱら降り出したので、傘をさしてしばらく歩く事になる。丘陵を下りきった辺りで、雨は止み、あとは自宅に着くまで傘は必要なかった。
洗濯を2度、持ち帰り仕事を午前中で済ます。甥は、練習のために学校へ。


【10年6月26日】
金曜日。「ベルレク」の練習。本番まで、残り3週間ほど。いつもは温厚な指導の先生からも、時に厳しい声が飛ぶようになる。そんな練習の最中、合唱団の中心的なメンバーの一人であったMさんが亡くなられたことを知る。Mさんとは、ミューズ合唱団で10年以上もご一緒させて頂いた方で、歌以外の場面でも、お世話になったりもした方であった。数年前に大きな病気をされたけれど、回復して練習に復帰され、ステージにも立たれるようになったのだけれど、ここ2、3シーズンについては、参加を控えておられるように思っていた。ただ、本番の日には、必ず聴きにこられて、真っ先に「ブラボー」の声を上げてくださるのが、このMさんであった。昨冬の「第九」にも来ておられたので、まさか亡くなられるとは思ってもいなかった。大変おどろいた。今回の「レクイエム」は、Mさんに捧げる曲になることだろう。ご冥福を祈りたい。
1週間が経過するのが、本当に速い。来週末からは、もう1学期の期末考査が始まり、その準備などで持ち帰り仕事も増えることになる。
土曜日、午前中。とりあえず、その持ち帰り分をしおえて、さらに洗濯・掃除・風呂洗いなどを済ます。明日、郷里から弟夫婦が来るので、ちょっと念入りに掃除などもする。
外は、だらだらと雨が降っている。なんとも鬱陶しい。歩けないのが、気詰まりでもある。歩くのは、結構ストレス発散に効果があったりするようなのだ。。
午後は、コンサートのチケットを来て下さる方に郵送する準備。13名の方に来ていただけることになった。


【10年6月22日】
日曜日、午後。「ベル・レク」の練習へ。土砂降りの中を電車で京都市内へ向かう。駅ビル内で昼食をとり、外へ出てみると、幸い雨は降っていなかった。増水気味の鴨川を見ながら、練習会場へ。1時過ぎから、5時前まで。普段にないゆったりした時間の使い方で、曲全体をさらえていく。日曜日にもかかわらず、参加者が多い。会場は、満員状態となり、エアコンが十分には効かないほどの有様であった。八部合唱の部分も、大分形が出来てきたようだ。終曲については、まだまだ。テンポがきちんと取れていない状態。男性が、気負いすぎていつも早くなってしまう。椅子が準備してあったが、ほぼ立ちっぱなし状態での練習。疲れる。
夕方、帰宅。食事は、甥が準備してくれていた。夜は、早く寝る。
月曜日。特に、変わったことはなし。火曜日も同様。
その間、「『大鏡』の人々」読了。結構面白かった。公家から、武家へと社会全体の権力構造の変化の端境期に位置づけられる文学という規定の仕方が面白い。人物像の把握のしかたも、時代の変化の反映という処も面白い。生々しい人物像の定着という点が、なるほどと頷ける。


【10年6月20日】
土曜日、午後。どうにか天気がもちそうなので、「歩き」に出かける。京阪七条で下車、鴨川河畔を北上、五条通りから西行、さらに北上、四条通を越え、錦へ入り、市場を東行、あまりに人が多いので、途中から路地にそれて、北上。さらに東行。寺町筋に出て、さらに北へ。「三月書房」に立ち寄って、本を二冊購入。その後、丸太町通から鴨川河畔へ向かい、川床などを右に見ながら三条通りへ。さらに先斗町を南行して、四条通へ。四条から京阪に乗車して、帰宅。2時間ほどの「歩き」であった。曇天とはいえ、かなり蒸し暑い。
本屋に寄るのはついでみたいなもので、本当にただ歩くためだけの「歩き」。とは言いながらも、周辺の景色や人出などを見物するのは嫌いではないので、楽しいといえば、結構楽しい。歩きながら、句材を拾ったりもする。
帰宅後、夕食の用意。とは言え、カレーライスを作っただけ。最近、土曜日は、カレーとか、ハヤシライスみたいなものが続く。手抜きのお手軽料理である。野菜をどかどか入れるけれども。発泡酒を飲む。そのせいか、8時過ぎに一眠りして、サッカーを見逃してしまう。
日曜日。5時過ぎ、起床。「歩き」に出る。湿度がひどく、消耗する。朝食後、『鼎座』の編集作業を少し。その後、持ち帰り仕事を一つ。昼近くなって、とうとう雨が降り始めた。鬱陶しい。


【10年6月19日】
木曜日、午後。酷く暑い。風通しの悪い教室ということもあるのか、教壇に立っていると、病気かと思う程、汗がだらだら流れる。それにしても、暑いな、とつい一言いったら、とたんにそれまで静かだった教室が、一気に騒然とする。暑い。何とかして。クーラーは入らないの。それを鎮めるのに、また一汗かく。
金曜日。気温はさほどでもないが、雨のせいで湿度が高い。湿度の高低で、チョークの感触が変わる。少し湿気がある方が、黒板になじむようだ。もっとも、乾いているほうが、書きやすいのだが。
金曜、夜。「ベル・レク」の練習に。土砂降りに近い雨の中を、京都市内まで。参加回数の縛りがあるので、休む訳にいかないのだが、疲れてもいて少々気分が萎える。8時過ぎに会場着。まだ、最初の曲の練習中だったので、今日は最初の部分でもたついたらしいと思う。満員の椅子席に割り込む形で着いて、練習に参加する。隣にテノールの、やたら大声で歌う人がいて、困る。本当は、各パートの声を聞きながら、自分の声を合わせたいのに、横の人の声ばかりがガンガン聞こえて来て、調子が狂うのだ。いっそこちらもでかい声で、と思うけれど、残念ながら来たばかりで声が出ないので、曲をなぞる感じで軽く歌う。会場の関係で、9時前には練習終了。最後の方の曲は歌えず、日曜レッスンに持ち越しとなる。日曜レッスンは、参加しなければならないだろうな、と思う。
ザンザン降りの中を、地下鉄駅まで。ともかく、早く帰って休みたい。
車中、『山海経』を読む。しばらく前に、たまたま本屋で見かけて、いずれ読んで見たいなと思っていて、ザックの中にいれたまま、しばらく忘れていたのを、先日たまたまその時読んでいた本を自宅に忘れ、何か他に本はないかとザックを探っていて、見つけ、読み始めたものだ。中国古代の神話世界と銘打たれ一冊。奇書、なのだろう。面白いような、面白くないような。神話世界の見取り図というのか、地誌図というのか、想像上の世界にある山川草木と鉱物、そこに生きる珍奇な動物たちを描いたもの。語り口が同じ調子で、こんな山があって、川が流れていて、こんな鉱物があって、植物があって、こんな獣や魚や鳥がいて、その姿はこんなもので、それを食べるとこんな効能があって……という記述が、東西南北世界に渡ってなされるというもの。見開きの四分の一ほどのスペースに鳥獣の絵が紹介してあって、その姿はなんとも珍妙である。特に気にいったのは、片目、片翼の鳥で、二羽が一緒になって空を飛ぶというもの。名前は「蛮蛮(ひよくちょう)」だそうだ。「比翼連理」の「比翼」なのだろう。その想像力に、車中ながら、思わず笑ってしまったものだ。ここ三日ほどの通勤車中で読み継いできたもの。つまりは、面白いということなのだろう。
土曜日。朝から雨だろうと思って、「歩き」は止め。6時前まで、寝る。起き出して、外を見たら、雨は降っていない。地面は濡れているので、夜中降っていたのだろうと思う。朝食の準備、洗濯。食事を終えて、洗濯物を部屋干しする。
7月の吟行の事で、メールを入れる。
メールと言えば、昨夕練習に向かう車中に、岩城先生からのメールあり。真鍋呉夫氏の蛇笏賞祝賀会に参加されたのだろうか、東京からの帰りとのこと。7月吟行の件にも触れてあった。


【10年6月15日】
月曜日。午前中、出張。午後、出勤。なんとなく、調子が狂う。
6・7時間目の授業を終え、ノー残業デーとは言え、1時間ほど残業して、退勤。
甥は、遅いので、夕食は出来合いのもの。ちょっと焼酎なども、飲む。一休みのつもりで、横になる。阿部完市俳句集成をぱらぱら読んでいるうちに、いつの間にか寝入る。
11時過ぎに目を覚まし、仕方ないので、サッカーを見る。1点取って、日本が勝ったけれど、冷や冷やものの勝利であった。
その後、眠れず。うとうとしては目を覚まし、を朝まで繰り返す。
5時過ぎ、起床。疲れが残っているので、1電車遅らせて出勤。雨ということもあって、「バス」乗車。村上洋一郎『科学の現在を問う』を読む。情報についての考え方、科学者と倫理観の問題など、面白かった。話題がずれているので、授業には直接は使えそうもないけれど。
一日中、雨であった。ほんとうに鬱陶しい。雨の中を退勤。バス停に着くまでに、少々濡れる。結構強い降りである。
帰宅。甥は今日も遅いとのこと。疲れ気味である。


【10年6月13日】
日曜日。今にも、雨が降り出しそうな天気である。5時起床。「歩き」に出る。外は、すっかり明るい。昼間と変わらない明るさで、しかし人の姿がほとんどないと言う情景は、奇妙な感懐をもたらすものだ。新緑だけが、やたらと印象鮮明である。
土曜日。丹後「すき句会」の日。今日は、片道切符のみ買って、「はしだて1号」へ。この一月間、ほぼまったく句作をしていなかったので、今回の句会は、全く手持ちの句無しで臨む。車中で、「季寄せ」を手元に置き、苦吟。宿題は、「端午の節句」全般。「石打」という古い季語があるので、それを元に宿題をこなす。最近、朝が早くて、そのせいか頭がすっきりしない。というのか、睡眠不足気味なのだろう。なんとか10句ほど作って、途中、あまりに眠いので少しうとうとして、福知山以降は間近に迫る新緑の丹後の山々を車窓に眺める。
丹後大宮着。いつもの食堂で、今年初の「冷やし中華」を食べる。丹後といえど、暑い。
1時から、句会。やや進行が遅くて、選句用紙に清記を終え、それを近所のコンビニに増し刷りに行って後、2時くらいから披講開始となる。ちなみに当日課題は「てんとう虫」。
5時前には、句会終了。今日は、翌日の『幡』20周年記念に参加されるため、岩城先生が本日中に帰京されるということで、車に便乗させていただく。そのため、句会後が、ちょっとゆとりがあった。いつものように、ビールをいただき、NさんやMさんを交えて、雑談。少し涼しくなった夕刻、奥様の運転する車で大宮町を出発。丹波高原をつっきる自動車道を快調に走り抜け、京都市内に入る直前で渋滞に巻き込まれるものの、2時間余りで京都着。夕食までごちそうしていただくこととなる。
最寄りの地下鉄駅前まで送っていただき、電車に乗る。車中、岩城先生からいただいた岩波書店版『自選自筆虚子百句』を見る。もともと、京都の便利堂が出されたもので、版権が終了したものを岩波が再出版したそうだ。


【10年6月10日】
4時半起床。いつもの通りの朝の支度。今日は、早めに出勤してみようと、6時過ぎに家を出る。涼しい。朝の電車は、いつもの便よりも込み気味であることを知る。『寄席末広亭』の続きを読む。
7時前に、職場着。すでに、進路室は開いていた。朝の時間がたっぷりとあるので、あれこれ手配やら、準備やらを行う。自宅で入れて持って来たコーヒーは、朝の内になくなってしまった。
一日が、長い。
1時間ほど超勤して、退勤。夕方も涼しくて、気持ちが良い。授業に関係がありそうなので、村上陽一郎著『科学の現在を問う』を、帰りのバスの中で読む。筆者が、ある教科書の編纂者の一人として、原稿を執筆したさい、「慣性」の説明文中「……今の運動状態を続けようとする性質」と解説をかいたところ、教科書出版社の担当者から、厳しいクレームを付けられた話が、馬鹿馬鹿しいようで面白かった。さて、筆者の解説文のどこに問題があったのか……、それは考えてみて下さい。
帰りの電車の車窓から、水を張られた田と、西山に沈む夕日の最後の光芒がとても印象的であった。
甥は、早めに帰宅。夕食準備と洗濯をすましておいてくれた。甥も、次第に「使える」人間に成長しつつあるようである。洗濯物の干し方は、ややぞんざいではあるけれど。


【10年6月9日】
「末広亭」席主の談話をまとめたものを読んでいる。『寄席末広亭』、作者の冨田均が席主北村銀太郎氏からの聞き書きをまとめたもの。目次を拾ってみると、「名人」列伝として、「古今亭志ん生」「桂文楽」「三遊亭金馬」、「円生脱会」「友人・恩師」「寄席」等々、落語に関わる北村氏の回想談がまとめられてある。「志ん生」「文楽」は、以前一度読んでいたのだが、改めて読み直してみて、また面白い。八方破れ風の志ん生も、律儀な名人としての文楽も、そのエピソードは、その人自身を雄弁に語っていてたいへん面白い。それを語る北村氏の微に入り細にわたる記憶力には圧倒される。この時、北村氏は90歳だったそうだ。
様々な落語家、芸人達が登場する。中には、ほとんどアウトローみたいな者達までいるのだが、それがまた面白い。そして、そんな人達がそれなりに生活し、高座に立って、落語や諸芸を演ずることが出来た時代が、妙に懐かしい。実際には、私が生まれるさらに10年も20年も前の逸話の紹介で、私は直接には何も知らないわけなのだが。
ここ数日、疲れ気味で、極力早めに就寝することにしている。へたすると、8時間くらい横になっていることになる(5時前起床なので、ほとんど小学生並みの就寝時間となる)。ただ、そのせいで、調子は上昇気味である。こんなことは、そうそうないことなので、この状態で、ともかく一気に週末になだれ込みたいものである。


【10年6月6日】
土曜日、午後。評判になっている「イオン・モール」に出かけてみる。「イオン・モール」は京都駅南西にできた、巨大な複合商業施設だ。関係する会社(ビルの管理会社だったか)の経営問題で、1年間開店が遅くなったとか、どうだとかいう噂を聞いたことがあったけれど、ともかくここまで漕ぎ着けたらしい。
ともかく巨大だ。階層は3階建てなのだが、平面積が膨大に広い。どこになにがあるのか、よく分からない。そこに大変な数の人出である。もしかしたら、万の単位で人が集まっているのではないのか、と思う。とりあえず、「ソフマップ」と「大垣書店」に行って来た。「ソフマップ」では、例の「i・pod」を店売りで販売していた。現物も目にしたが、思ったよりコンパクトだと思う。ネットを自由に使うにはあらたにプロバイダに入り直さなければならないらしく、5000円くらい費用負担が必要になりそうだ。
「大垣書店」も、贅沢に店舗面積を取って、書籍が並べてある。詩・短歌・俳句コーナーも品揃えが豊富なようだ(『新撰21』は置いてなかったけれど)。評判になっている『現代詩手帖』を買う。増ページ特別価格とかで、1400円もした。「短詩系新時代」と銘打たれた特集の中の座談会が面白いらしい。
ついでといっては何だけれど、アバンティへも行ってみる。そこからは、「無印良品」と「ソフマップ」が「イオン・モール」へと移転したのだ。若者中心のファッションビル風になっているアヴァンティだけれど、「イオン・モール」へと向かう、京都駅からの長い人並みに逆らうように到着してみると、店内は閑散という印象を与える。移転した二店があった場所は閉鎖されて仕切のボードで内部が囲われている。最上階のアヴァンティ・ホールは某大学のホールに身売りしたみたいだし、アヴァンティの今後はずいぶん厳しいものとなるのだろうか、と思う。
帰宅。夕食の下ごしらえをしておいて、朝が早かったので、少し横になる。うとうとしていたらしく、夕方になって目を覚ます。発泡酒をのみ、夕食の準備をしておいて、『現代詩手帖』を少し読む。甥が帰宅。一日、練習をしていたらしい。。
夜、引き続き『現代詩手帖』の対談を読む。
日曜日。五時から「歩き」。いろいろ考えることがあって、あれこれ思っているうちに、1時間くらい近所をあるいていた。
朝食後、洗濯。今日も良い天気なので、布団干しなども合わせてする。
新聞の見出しが変であった。なんとなく、駅売りのスポーツ新聞風のもの。興味本位というのか、変に刺激的な文字が並ぶ。新聞の「品格」というものも、考えた方が良い。


【10年6月5日】
先週の疲れを、そのまま持ち越した一週間であった。まあ、なんとか今週も終わる。疲れると、逆に眠りまでが浅くなって、妙な夢など見たりするのだろうと思う。
今日は、4時過ぎ起床。2度寝しようとおもったけれど、眠れないので、そのまま起きることにした。もちろん、まだ日は昇っていないけれど、外は十分明るい。台所をキレイにして、早いけれど「歩き」に出ることにした。先週に続き、今週も丘陵コースをたどることにする。この時期、新緑が本当にきれいで、気持ち良く歩く事ができるのだ。すこし長めに歩き、1時間40分ほどの歩行。1日分の歩きノルマを十分クリアする。朝食は、手抜きのコンビニランチ。コーヒーだけは入れる。
「歩き」の楽しみの一つは、町並みを眺めながら、時に小さな景観の変化を見つけるところにあるのだが、どうやらコンビニがまた1軒閉店したのではないか、と気づく。近所のコンビニが閉店したのは、これで何軒目になるのだろう。コンビニ業界は過当競争が厳しいと聞いたけれど、そうなのだと改めて思う。
朝食後は、洗濯。今日は一日良い天気になるそうなので、洗濯物が良く乾くと思う。ベランダにずらりと並べ干す。気温は30度にもなるらしいけれど、確かにすでに日差しが暑い。干し終えて、居間に入り、エアコンのスイッチを入れる。
昨夜は、合唱の練習。第1回目の指揮者レッスンで、本番指揮者の山下一史を迎えての練習となる。若干時間の延長まであって、9時前にレッスン終了。その後、合唱指導の先生の方から講評があったけれど、山下氏の今回のレッスンについての感想は、なかなか高評価ということであったらしい。問題点は多々あるけれど、それなりに曲として練れてきているようだ。本番まであと1ヶ月余りを残すのみとなったけれど、励みになる一通過点となった。それにしても、未だに登壇条件回数に達しない点が、われながら気懸かりではあるのだが。


【10年6月3日】
テレビを付けたまま眠ったしまった。いつの間にか、夢の中で、先程までみていたテレビ番組のドラマに入り込んでいたようだ。自分が、登場人物の黒人の一人になっていて、なにか演じているのを滑稽な気持ちで眺めている。はっと目が覚めたら、先程の番組がまだ続いている。夢の中では、乗り合いバスの中で、なにかとんでもない誤解を受けて、両手を手錠で拘束されてしまうなんてことがあったのだが、本筋のドラマの方は、病院の一場面で終了。何とも、妙な気分になる。
それが、昨夜のこと。今朝は、5時前に起床。いつも通り、二人分の朝食を作り、朝シャワーを浴びてから、食事。ネットのメールだけ確認して、6時過ぎには出勤。暑からず、寒からずという陽気。車中、先日図書で借りてきた渡辺実著『大鏡の人びと』を読み始める。『大鏡』は歴史物語の一つ。藤原道長の栄華を描いたもの。定番教材の一つでもある。
本日は、往復ともに「歩き」。朝だけでなく、夕方も気持ち良い涼しさで、とても歩きやすかった。12000歩ほどになる。体重が少し増えそうな予感があるので、食事に気をつけて、さらに歩きの歩数も少し普段より増やした方がよさそうだ。とは思いつつ、今夜の食事は甥の作った野菜の天ぷらと、麻婆豆腐風煮物という油っぽいものであったのだが。
鳩山退陣。仕方ないな、と思いつつも、この退陣には、マスゴミと化したマスコミの世論操作も結構影響があったのではないかと思う。それにしても、民主が政権を取って以来、テレビのキャスターと言われる人々が、ずいぶん尊大で見下すような、時にかなり感情剥き出しの態度をカメラの前で見せるようになったことを思う。政権交代したことにかなり腹を据えかなえている人もいることだろうと思ったりもする。それにしても、沖縄の基地問題解決に対しては、マスコミは見事なほど沈黙を守りつつ、基地移転に関して盛大に鳩山政権の失政として、マッチポンプ的に世論を煽りたてた。すごいものだと思う。