日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【10年7月31日】
5時。「歩き」に出かける。雲が厚い。風が吹くと、涼気を感じるけれど、ずいぶんと蒸し暑い。昨夜、久しぶりに夜も歩いたけれど、蒸し暑くて往生した。
「歩き」を始めた頃は、今よりも歩数のノルマが多くて、毎晩食事の後にさらに「歩き」に出かけたものだった。昼の景に比べて、夜の景色は闇と光の単純な情景だけれど、梶井基次郎の『闇の絵巻』ではないが、不思議に気持ちが落ち着いて、夜の歩きも悪くはなかった。それにしても、暑いのはやっぱりきつい。かえって寒い方が処置が良い。
丘陵コースを歩く。稜線地帯の竹林を歩くと、涼気に満ちていて気持ちが良い。老鶯の声が近くで時折聞こえる。昨年、巣の所在に気づいて、その後横を通るときには注意していた雀蜂の巣を蔵した巨木の虚に、蜂の気配がない。巣が取り除かれてしまったようだ。竹林の一部を切り開いて作られた畑が、葱を収穫しないままに草ぼうぼうの放置状態になっている。耕作者の身の上に何かあったのだろうか、と思ったりしながら歩く。
7時過ぎまで歩く。2時間強の「歩き」。それでも、歩数は15000歩に満たない。夜も歩いていた頃は、それが毎日のノルマだったので、あの頃は良く歩いたものだと思う。
全身汗まみれ状態で帰宅。着ていたものをすべて洗濯機に放り込み、シャワーを浴びる。
とりあえず、「歩き」のノルマ10000歩はクリアしたので、気分は楽である。さて、これから一日が始まる。


【10年7月30日】
進路補習が終了。日替わりの課題で、1時間半の予定が、毎回1時間以上延長。模擬面接や、作文指導、自己分析シート作りや面接課題についての模範解答作り。その上に、企業訪問の手配を行い、二者面談を繰り返し、本日分の作業の始末を行い、翌日の補習の準備を済ませ、ともかく朝7時過ぎから、夕方までばたばたと動き続ける。
しかしともかくも、今日で一段落。来週からは、生徒達の企業訪問が始まる。
腰痛(正確には腰をすこしずれた辺りの痛み)も、今日になってようやく痛みが薄らぐ。いつもは、1、2日で痛みが消えるのに、今回はほぼ1週間痛み続けた。ひどいときは、立ち上がるのが困難なくらいの瞬間的な強い痛みがあって、慎重にそろそろ椅子から立ち上がる有様であったのだ。まだ油断は出来ないけれど、なにはともあれほとんど痛くない。ラッキーである。
甥の大学は、今日はオープンキャンパスで休みだそうだ。明日は遊びに行って、明後日は帰省するという、まさに大学生らしいスケジュールで、羨ましい限りである。
こちらは、明日は一日休息。明後日は、午後からH大学の公開講演で俳人黒田杏子の話を聴きに行く。俳人のSさんから、先日メールで誘っていただいたもの。演題は「俳句と粋」である。京都学の一環ということらしい。楽しみである。
『ゲゲゲの女房』読了。ドラマとはずいぶん違った内容だったけれど、面白かった。ドラマはドラマで、脚本家の手腕が生きたのだろう、こんな内容をあんな風にお話として膨らませるのかと結構感心してしまう。図書に本を返却に行くついでに、水木しげるの別の本を借りる。『ほんまにオレはアホやろか』というけったいな題名である。帰りの電車の中で少し読んだが、おもしろそうである。


【10年7月27日】
甥が、コンクールの予選に通過した。次は、8月に地区本選があるらしい。甥の友人達も、コンクールに挑戦しているらしい。ただ、予選は通過しても、その先の壁がなかなか厳しいらしい。
昨日、今日と腰痛がひどい。手術の後遺症の一つのようだが、立ち居がかなり痛い。かえって立ちっぱなしの方が楽で、歩く分にはさほどの痛みもないので、ともかく歩くだけは歩いている。相変わらず気温は高いのだが、冷たい空気が上空に入り込んでいるせいか、吹く風が結構涼しくて、暑さを和らげている。7時前にも関わらず、近くの陸橋に設置された温度計はまだ37度を示しているが、吹く風は涼しくて気持ち良い。行きのみでなく、帰りも一駅前下車で、自宅まで歩く。
甥は、今日は実技試験。どうだったと聞くと、良かったんじゃないか、と気のない返事である。夕食は、甥が作る。中華料理、二品。こちらは、天然物のハマチのさしみを買って帰る。今夜は、満月のようだ。昨日の夜、まどから東の空に赤みがかった丸い月が浮かんでいたので、満月かと思っていたのだが、昨日は十四日月であったらしい。
『和歌とは何か』を読む。和歌の各技巧について、なぜそのような技巧が生まれ、なぜそのような効果をもたらすのか、と言う点についての考察。現象としての枕詞・序詞・縁語・本歌取り等については、事例としての紹介とその技巧自体の説明はさほどの困難は無いと思うけれど、さらに一歩突っ込んでの説明は、説明しずらいものをあえて説明するという点で、ずいぶん苦労の多いことだと思う。その分析が、本当に的確なものなのか、それを判断する力はこちらにないけれど、しかし面白い見解だとは感じる。
図書館に、『ゲゲゲの女房』が入っていた。早速借りて、帰りの車中で少し読む。ドラマとは別の意味で面白い。本文中に出てくる訛りなども懐かしく、ちょっと声に出して読んで見たくなる。


【10年7月25日】
土曜、午後。新聞に載っていた「ヴォイス。ギャラリー」の「有毒女子」展を見に行く。東九条の路地の奥、小さなビルの1階一画ががギャラリーとなっている。地下鉄を降り、暑い中を会場まで。新聞で紹介されているにしては、閑散たる会場(ちょうど映像作品上映と重なったせいか)で、多くはない展示作品を見る。絵的に面白かったのは、唐仁原希の作品。少女漫画風の大きな瞳、リボン、長い髪等記号をイメージとして表現できる絵画の強みを感じる。小谷真輔の色彩溢れるイラストは、画面全体にちりばめられたイメージの面白さはちょっとあったけれど、あまりオリジナリティーを感じなかった。稚拙さの強調といい、すでに見慣れた画風の一つのようだった。「有毒」といいつつも、全体に意図が透けて見え過ぎる点が、少々物足りない印象をもたらす。「毒」と思われるもののなぞり的な印象が強く、あらたな「毒」の創造を感じられなかった点が残念だった。
アバンティが近いので、6階の本屋へ。夏休みに入って最初の土曜日というせいか、思っていた以上に人出が多かった。『和歌とは何か』『実録江戸の悪党』という2冊を購入。ともかく暑いので、真っ直ぐ帰宅。出かけていた甥も、帰って来ていた。
夕食を作るのも面倒で、宅配寿司を注文。味噌汁も一緒にとって、完全手抜き夕食であった。
夜、あまり眠られず。仕方ないので、テレビをつけると、漫画家二人のインタビュー番組。後半の赤塚不二夫の分が面白かった。ギャグ漫画の革新者として評価の高い赤塚不二夫だけれど、日常生活も不真面目でなく個性的で面白かった(本人だけでなく、周りの人達も個性的だけれども。そう言えば、タモリの「後援者」が赤塚不二夫だったか……)。
『和歌とは何か』をしばらく読み、4時過ぎにうとうとして、5時過ぎに起床。「歩き」に出る。昨日より、暑さはずいぶんマシで、風が吹くと涼しいほどだった。
コンビニで調達した朝食。洗濯。いつになく、甥が早く起きてきて、食事を済ませ、いつの間にか外出。こちらは、暑いので家籠もり状態。
『週間俳句』は、日曜日に更新。寺澤一雄「夏八十夜」。一日十句の実践報告の一端らしい。面白さの差が大きくて、作句の現場としてのリアルさはあるけれど、どうかなと思う。島田牙城氏の論攷。なるほど、と思う。俳人の文語使用は、実は俳句の慣用的表現の一部の援用であって、俳語としての文語使用が俳句の命脈を決める、みたいな論調は本体を見失っているものでは、という意見のようだ。詩語としての文語使用という、たとえば辻田克巳氏の主張などを思い出す。文語脈なんてものが、身の内に存在しない現代人にとって、文語使用はあくまで、表現方法の一部として後天的(誤解受けそうな言い方だけれど)、意識的、意図的に用いられるもののように思う。


【10年7月24日】
4時半、起床。「歩き」に出る。まだ、日は昇っていない。昨夜の蒸し暑さは、多少ましになっているようだ。
昼間まとまった距離を歩く事は、相当「危険」を伴うようなので(熱中症ですでに50名以上の死者が出ているらしい)、早朝の比較的暑さのましなうちに歩数をかせいでおかなければ、と思う。
久しぶりに、竹林コースを歩く。きちんと歩けば、3時間ほどかかるところだが、少しショートカットして、2時間余り歩く。早朝とはいえ、日が射すところは結構暑い。ここ数日、それまで聞けなかった蝉声が頻りだ。熊蝉の声が多いように思う。時折、油蝉の声が混じる。
帰宅後、シャワーで汗を流し、朝食。食べ終わって、一休みしているうちに、洗濯終了。ベランダに並べ干す。寒気が上空に入って来ているらしく、午後からは夕立が来る可能性があるので、注意しておかなければならない。
『鼎座』第十二号の編集作業を少し行う。今号では、過日の「加納宿吟行」の報告を「歌仙」に代えて掲載することにした。「後記」も下書きを終える。あとは、岩城先生の作品が届けば、印刷所へ回すことが出来る。昨夜、先生へ、催促メールを打つ。
「ゲゲゲの女房」が面白い。それにしても、漫画家が主な登場人物となり、その生活が結構リアルに描かれてあるのが面白い。貧乏物語が出世物語へと趣を変えたけれど、それはそれで良いかな、とも思う。日本人って、どちらの物語も割と好きなのではないのか、とも思う。


【10年7月23日】
とにかく、ひどく暑い。連日、気温は36度とか、37度である。体温並みか、体温以上である。今日は、「大暑」だそうだけれど、かなりげんなり状態である。昨夜は、閉店ぎりぎりに散髪屋へ行き、髪を切って後、「歩き」のノルマをこなすために、近所を歩くが、「暑い」。すっかり日は落ちているのに、ひどく蒸し暑い。大汗をかいて、帰宅。すぐに上から下まですべて着替える。
夜中、目が醒めて、それから眠れなくなる。時刻は、2時過ぎである。色々考えることがあって、すっかり目が覚めてしまったようだ。結局、普段通り、4時半に起床。朝食作りにかかる。
金曜日。本日が、終業式。他校に比べ、数日遅い。式、大掃除、HRがあって、その後進路関係の行事を終えて、お昼となり一区切り。午後は、ずっと来週からの進路補習の教材準備。暑い中を、退勤。
帰宅すると、甥が夕食の準備をしていた。聞くと、今日は大学は休みで、友人と出かけて居酒屋でちょっと飲んできたとのこと。何とも良い身分ではないか。こちらも負けずに、発泡酒を一缶飲む。それで充分であった。夕食は、甥の買って来たさしみと、私が買って来た鰹のタタキ、そしてコロッケという何となく珍妙な取り合わせとなった。
昨夜の睡眠不足のせいか、食べ終わると、もう眠い。
ここしばらく、斉藤美奈子『文壇アイドル論』を読んでいる。ちょっと面白すぎるくらいに、面白い。


【10年7月19日】
金曜日。夕刻、仕事を終え、帰宅。これからしばらくは、合唱の練習は、ない。冬に「第九」があるのだが、団員募集は、9月半ばくらいまで期間があるので、8月一杯は、歌は一休みとする。
土曜日。丹後「すき句会」。この1月間、忙しさにかまけて全く句作を怠っていたので、手持ちの句がない。いつも以上に、「はしだて1号」車中での句作は集中。窓外の丹波高原は、緑が美しい。沿線の田園地帯も、青田が広がっており、緑一色に染まったような気分になる。
宮津乗り換え、丹後大宮まで。いつもの食堂で、魚介類のたくさん入った冷製パスタを食べ、岩城先生宅へ向かう。暑い。大宮中学から、珍しくブラバンの練習する金管楽器の音がする。校庭では、野球部の練習試合。それにしても、暑い。
句会は1時から。会場にあてられたリビングダイニングの部屋に、会員さんの吉田啓郷さんが、絵画作品を運び入れて、見せて下さる(ブログ版の方に写真掲載)。河童の集団を描いた諧謔味の濃い作品。面白い。
宿題は、「山法師」の花。席題は、「桧扇」であった。
句会は5時まで。今日は、岩城先生の車に便乗させていただけるので、少しゆったりする。Mさんが差し入れてくださったビールをいただく。美味。その上、お土産までいただき、感謝・感謝であった。
3連休の初日とはいえ、丹後から京都に向かう高速自動車道は、ガラガラ状態で、奥様の運転も軽快そのものであった。途中から下道を選択したことで、渋滞に巻き込まれることもなく、思った以上に早く、京都着。そのうえ、夕食までご馳走になってしまう。
日曜日。岐阜句会。中山道加納宿を吟行。その後、清水さんのオフィースを借りての句会。句会とその時の作品は、『鼎座』の12号にまとめることになる。
月曜日。5時過ぎ、「歩き」に出る。ここしばらく、きちんと歩けなかったので、少し長めに歩く事にして、丘陵コースを選び、2時間あまり歩く。甥は、祭日にもかかわらず通常授業ということで、大学へ。休みでは、ないのか? 土・日と外出したため、少々疲れ気味。一日、家籠もりとなる。


【10年7月14日】
日曜日、「ベル・レク」本番。午前9時20分には会場のコンサートホール集合。声出し、直前練習を短時間で切り上げ、ゲネプロ。半年ぶりにコンサートホールのステージに立つ。大曲のゲネのため、全体の通しに1時間半以上かかってしまう。本番並みのゲネとなる。曲を自分たちだけで堪能するという点で、贅沢な時間とも言えそうだ。ゲネ終了が12時半近く。開演が2時なので、この後の時間は大変厳しい。パート毎に楽屋に散って、急いで昼食をとり、休む暇なく、着替えて、再度集合。最後の声だしと練習。簡単な打ち合わせ程度のものとなる。そして、開演間近の時間、集合してステージ横へと移動する。階段室が入場までの待合場所になるが、クーラーが効いていないため、ひどく暑い。しばらく、待ちがあって、その後、ステージへ。私の位置は最前列の真ん中であった。今回、初めて聴きにきて下さった方達の姿を、客席に認めることが出来た。いつもなら母と叔母が座っているだろう座席が空席のままで、ひとりぽつんと甥が座っている姿も見えた。岩城先生ご夫妻、Hさん、Sさんの姿も見える。その後列に、いつものメンバー達の姿も確かめることができた。
京響がスタンバイし、ソリスト、指揮者が入場して、本番が始まる。
時間が一度気に流れ過ぎていくような感じである。演奏時間は80分ほどなのだが、その長さを感じない。唱い終えて、しばらくの沈黙。その後の、盛大な拍手。今回も、唱い終えたという実感をかみしめる。終曲部分に悔いを残したけれど、全体としては唱いきったという満足感がある。京響の演奏も、豊かで重厚なものであり、ソリストの方達も今回はベストメンバーであったと思う。特に、「ベルレク」はテノールにとって過酷な曲なのだが(ある時の「ベルレク」では、のどの調子の悪かったテノール歌手が、最高音部をオクターブ下げて歌うということまであったのだが)、今回は素晴らしかった。総譜なしで、「ベルレク」を指揮された指揮者も、今回が初めてであった。
練習会場の小ホールに引き上げ、解散式の際の、合唱指導からも、今までの演奏会の中でも最高のものであった、との評をいただいた。印象に残る今回の演奏会であった。
演奏会後のいつもの打ち上げ。ここ数回は、出町の「カンカラ」で行う。演奏会には来られなかったメンバーも加わって、飲みかつ話す。楽しい時間であった。
ただ、少し羽目を外しすぎたせいか、帰宅後、体調がおかしくなり、一晩苦しむ。
月曜日。朝食も取れずに、出勤。つらい半日となる。午後、なんとか体調回復。暴飲暴食ということではなかったけれど、連日の暑さのせいで体力がちょっと落ちていて、胃腸が拒絶反応を起こしたのかもしれない。
火曜日、水曜日。ともかく、出来事を含め色々あって、慌ただしい。さらに、周りに体調をこわす人が出て来たりして、一層仕事がきつくなる。ともかく、乗り切るしかない。
今週末は、土曜日の丹後「すき句会」と、翌日の岐阜での句会が控えているのだ。


【10年7月11日】
5時、起床。いつも通り、朝食は5時半。天気が悪くなければ、その後軽く「歩き」に出るつもりだったが、今ひとつの様子なので、中止。
7時前、今にも降り出しそうな中を、昼食の買い出しと選挙の投票に出る。昼食は、軽くお腹に収まればよいので、コンビニでいつも通りソイジョイとか野菜ジュース。帰りに、投票。ぽつぽつと人が集まっているようだ。
帰宅後、衣装などの確認。シャワーを浴びて、すっきりして、8時半には出かけるつもり。
本日は、「ベル・レク」の本番である。2時開演。


【10年7月10日】
「週刊俳句」のお世話役の一人、さいばら天気氏から「はがきハイク」創刊号を送っていただく。創刊号とはいえ、雑誌ではない。一枚のはがきに俳句作品が構成・掲載されてある趣向の二人誌である。相方の人は葛西亞子氏。誌面は、両氏の挨拶と各5句ずつの俳句が掲載されてある。子規が、「はがき歌」を楽しんでいたことを聞いたことがあるが、この「はがきハイク」もおしゃれで楽しい企画であると思う。お二方の句を1句ずつ。「来月の予定を眺めつつバナナ」さいばら天気。「世にも静かなる網棚のアヤメかな」笠井亞子。
山口昭男主宰の結社「秋草」の会員橋本シゲ子氏から句集『翠樹』をおくっていただく。第一句集だそうである。田中裕明「ゆう」主宰の下で俳句を始められ、田中氏が亡くなられて後、竹中宏氏「翔臨」・石田郷子氏「椋」を経て、「ゆう」の流れを継ぐ「秋草」に入会され、今回初句集をだされたそうだ。「まつさをな蜘蛛かへしやる草の青」。巧緻な表現と鮮烈な感覚が印象的な1句だと思う。
金曜日。放課後、進路関係のセミナー実施。厳しい内容を伝えなければならず、ちょっと消耗。帰宅。今日は、「ベル・レク」の練習は休み。夕食を済ませ、9時前には寝室に。本を読むつもりで、そのまま寝入ってしまう。疲れる。
土曜日、4時過ぎに目を覚まし、しばらく読書。5時に「歩き」に出る。朝食は、帰りにコンビニで買ったもので済ませる。洗濯。曇り空で、湿度も高いけれど、とりあえずベランダに干す。午後、京響練習場でオケ合わせがあるので、午前中に録音テープを使っての練習を済ませておこおうと思う。


【10年7月8日】
昨日は「七夕」。昼間は、すごい雨降りになったりもしたが、夕方からは晴れ、京都市内の明るい空にも、点々と星の輝きが眺められた。
気が付くと、携帯を職場に忘れていた。まあ、なくても全く問題はないのだけれど。
「ベル・レク」の練習に参加。土曜日に、京響の練習場でオケ合わせが予定されているので、前日の金曜日はお休みとなったのだ。京都北文化会館での練習。今日は、反響板を降ろす。ステージ上での響きがずいぶん違うのが分かる。
後遺症のせいで、少々体がキツイ。練習には最後まで参加したが、その後は締めの挨拶の部分は割愛させてもらって、帰宅。実家にスカイプを入れて、その後、就寝。
今回、母は体調の関係で来京は無理のようである。
木曜日。試験明けで、通常授業。採点は、すべて終了しているので、答案返却と、その後授業。進路関係の準備作業と同時進行のため、ずいぶんと忙しい。
夕方、帰宅。早めに帰っていた甥が、夕食の準備。カレーライス。食後、夜濯ぎ。そのまま、室内に干す。ベランダに出ると、むっとして気温と湿度がずいぶんと高い。エアコンに、室内干し設定があるので、それで乾かす。便利になったものだ。


【10年7月4日】
日曜日。5時過ぎより、「歩き」。幸い雨は降りそうにないが、湿度が高く、朝から暑い。
早い時間帯であるにもかかわらず、犬の散歩や、ウオーキング、ジョギングの人達とすれ違う。本当に、健康志向の意識の高さを感じる。
午前中は、掃除と部屋の片付け。その後、指揮者レッスンのテープを聴きながら、一人で練習。午後からは、「ベル・レク」のレッスン。最後の日曜レッスンである。これに参加して、きっちりステージに立つ条件の練習参加回数17回をクリアする。正直言って、仕事を終えて参加する17回という出席数はかなり厳しい。
練習は、1時過ぎから、10分間の休憩を1回はさんで5時まで。立ちっぱなし状態である。終曲がまだかなり厳しい。変化に富んだ曲で、音程・テンポが決まりにくい。後は、水曜日に通常練習、土曜日午後に京響練習場でオケ合わせ。その2回で、どこまで伸ばせるか。
練習会場の京都会館会議棟を出ると、外は青空が広がっていた。梅雨の晴れ間の一日であった。夕刻近くのせいか、外気は涼しくて気持ちが良い。そのまま、京阪三条まで歩く事にする。二条通りを行き、途中の古本屋に立ち寄って、しばらく本を物色する。めぼしいものはなし。残念である。鴨川河畔を歩く。前を行く一団は、どうやら中国からの観光客のようである。こざっぱりした服装で、かなり高価なデジタル一眼レフのカメラを肩にしていたりする。
京阪で帰る。少々疲れる。
大相撲。野球賭博問題で、力士では琴光喜が解雇となる。人気力士だったのに、残念である。暴力団が裏で絡んでいることで、一層厳しい処分となったのだろう。


【10年7月3日】
土曜日。5時過ぎ、起床。曇天だったので、「歩き」に出る。マンション周辺をぐるりと廻って、本格的に歩き出そうとした頃合いを見計らったかのように、大粒の雨が降り始める。止みそうもない降り方だったので、やむなく帰宅。その後、雨は降りっぱなし。梅雨である、全く。
朝食。その後、洗濯。室内干しである。甥は、帰省中。
食後、7月半ばの岐阜吟行の計画を練り直して、参加者にメール送信。ちょうど梅雨の終わりくらいの時期になるので、最後の一降りが心配ではある。
金曜日。試験一日目。夕方、1時間年休を取って帰宅。「ベル・レク」の練習に参加。ほぼ定刻に参加。久しぶりに、最初の曲を歌う。本番まで、もう1週間余り。練習は、残り3回を残すばかりである。帰りに、事務局から呼び出し。前回の指揮者レッスンの無断欠席の件で確認あり。練習を録音したテープを購入する。2回目の指導で、さらに細かい点での指導が入ったらしい。一部は、今日のレッスンの中で触れられてあったけれど、それ以外にもちょっと違うなと言う点が幾つかあったので、その確認が出来そうだ。
服部正『アウトサイダー・アート』を読む。山下清を始め、障害を持った人の絵画とその指導者、あるいは啓蒙者についての紹介が興味深かった。京都に関して、その先進的な試みを推進した人物や施設の存在なども、この本を通じて初めて知ったりもした。