日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【10年8月30日】
土曜日。京北町へ、鮎の網漁へ。6時過ぎに車で迎えに来てもらい、いつものメンバーで周山街道を一路京北町まで。上桂川は、酷暑の影響か、水量がずいぶん少ないように思われる。網主の迎えを受けて、8時から網漁開始。川の対岸からこちら岸にむけて、網を三本固定的に張る。後は、時折、鮎が懸かっていないかを確かめに川へ入る他は、岸でのんびり雑談。8月半ばの豪雨のため、川はずいぶん荒れてしまったらしい。豪雨に流されたのか、鮎の数は予想に反して全く少ないらしい。京都市内であれば、こんな炎天下にのんびり雑談など到底不可能だろうけれど、山国京北町の川の畔には、涼しい川風が吹いていて、さほど暑さを感じない。もちろん日差し自体はかなりキツイので、日焼け止めを塗っていても、やがて膚が薄赤くなっていくけれど。午後になって、さすがに暑さを感じてきたが、結局4時過ぎまで、河原に留まって鮎網漁を続ける。漁獲は14匹。逃がした鮎は、4匹。数が少ないけれど、魚体はなかなか立派なもの。鮎は、夜のバーベキューの時、肉や野菜とともに、美味しくいただきました。
日曜日。午後から市内で用事があるので、一人早めに帰京。とはいえ、いつも通り五時起きで1時間の「歩き」で、バス停まで。気温20度、日が昇る前の京北町は、ちょうど早稲が実る頃で、稲の良い匂いが大気に満ちていて、気分がよかった。6時過ぎの京都行きの始発のバスに間に合う。
8時前には、京都駅着。一端マンションに帰り、遅い朝食。昨日の鮎漁で、水に入ったせいか、腰がひどく痛くなる。水量が膝から太もも程度の川だったけれど、思いの外流れがきつい。そのうえ、水底の石が水苔の為にぬるついていて、しっかり足を踏ん張って歩かないと、簡単にバランスを崩してこけてしまうので、下半身から腰にかけてつい負担がかかってしまっていたようだ。立ち居が辛いぐらいの痛みになってきたので、とりあえず消炎鎮痛剤を何度か腰から背中に塗って、出かける。
午後、『醍醐会』。「近刊精華」と銘打って、大峯あきら氏の自選句集『星雲』と、飯島晴子句集『儚儚』について、議論を交わす。各自の俳句観がぶつかりあう緊張感に満ちたものとなる。厳しいけれど、俳句に対する各自の真摯な姿勢が感じられて、大変面白い集まりとなった。二次会は遠慮して、帰宅。
月曜日から、長い二学期が始まる。
【10年8月24日】
5時、起床。夜中、エアコンをかけているけれど、何度も目が覚めて、その挙げ句の5時起床である。いつものことと言えば、いつものことではあるが。
朝食の準備、シャワー、朝食。一休みして、6時半には出勤。研修2日目の甥は、まだ眠っている。遅刻させてはマズイので、とりあえず起こしてから出かける。
心なしか、朝が少し涼しい(というより、さほど暑くはない)ような気がする。
とはいいながら、駅から職場まで歩くと、そうとう汗まみれという状態になる。職場前の麦畑が、夏の間中水を張られて、ちいさな池のようになっていて、そこに鴨や鴫がやってきている。それが、かろうじて涼味をもたらしてくれる。
五時過ぎ、西日が「かんかん」照る中を退勤。「かんかん」というより、シンバルを「しゃんしゃん」鳴らしたような日差しであろうか。さすがに、歩く気にならない。バスで、駅まで。夕食の買い物を済ませ、電車に。図書館で借りてきた万城目学『プリンセス・トヨトミ』を読み始める。学園もの? 社会派ドラマ? 良く分からない。
電車を降りると、全天ぶ厚い雲が覆っている。積乱雲の下にはいっているらしい。雨は降りそうもないけれど、遠くで雷がごろごろ鳴っている。急いで、帰宅。
甥は、遅いということなので、一人で夕食。
世はこともなし、というところか……。円高ではあるが。
【10年8月22日】
京都は、昨日・今日と各地域で地蔵盆の行事が行われている。うちのマンションでは、「子供祭」ということで、昨夜は通路用空地に即席の露店などがしつらえられて、ずいぶん賑やかだった。今日も、ゲームなどをするらしい。子供祭では、お地蔵様を祀ることはないけれど、数日前の早朝に地蔵盆のために、近所に人達が地蔵堂から白塗りのお地蔵様を数体、台車にのせて運んでいくのを見かけてことがあった。珍しいものをみたような気分になった。
朝、5時過ぎに「歩き」に出る。少し足を延ばして、宇治川河畔まで歩く。一面の葭原が、猛暑にも関わらず青々と広がっているのが印象的であった。
教え子からメールあり。私の近況について、旧クラスの人達に「日々録」の記事を紹介しながら連絡してくれたとのこと。その心遣いに感謝、感謝という気持ちになる。本当にありがたいことだ。
今日は、一日家籠もりであった。柳人の樋口さんから送っていただいた川柳誌『バックストローク』を読む。また、山口昭男さんから送っていただいた俳句誌『秋草』を読む。『秋草』には、昨日桃山御陵駅頭で偶然であった中田剛氏が句評を書いておられる。
午後も、引き続き読書。菅原健介著『羞恥心はどこへ消えた?』を読む。日本人の、特に若者の羞恥感情の変質について、羞恥心それ自体を分析対象としながら述べている。
夕方、珍しく雨が降る。夕立である。宇治・城陽方面は雷雨が厳しいようだ。黒雲が重く垂れ、数十秒間隔で、電光が閃いている。やがて、京都南部地域に「竜巻情報」が出る。京都で暮らし始めて30年以上になるのに、「竜巻情報」など、初めて見た。
甥が、帰京。明日から、老人ホームで研修。夕食は、友人ととるということで出かける。まだ、雨が上がっていないようであるが。
【10年8月20日】
町中のせいか、日が落ちても一向気温が下がらない。昨日は、夜歩いたのだが、9時近くなっているのに、体感として30度をまだ下がっていないほどの蒸し暑さで、閉口する。時折、風が吹くのだが、熱気の籠もったもので、涼味を感じない。ここ数年間、愛用してきた万歩計の調子がおかしくなり、とうとう新しいものを購入する。ただ、こんどは反応が良すぎて、実際の歩数以上の数値が出ているような気がする。連日、15000歩超の「歩き」になっている。
連日、仕事が忙しい。四者面談、模擬面接、その間に進路相談。神経的に疲れる。明日も、面談のため出勤。俄然走りだすという感じ。
万城目学『鴨川ホルモー』読む。生徒が、結構読んでいた作品の一つ。どんなものか、興味本位で読み出したのだが、大変面白く、帰京の車中で一気に読了。。どんな発想から、こんな奇妙奇天烈で、しかも純然たる青春小説を生み出したのだろうか、と感心する。勢いに駆られて、図書館に置いてあった『鹿男あをによし』を借りてきて、早速読み始める。これは、テレビドラマになっていたお話だったとおもうが、テレビは全く見なかったけれど、こんな話ならどのようにドラマ化したのか、一度見てみれば良かった、と思う。折りがあれば、『プリンセス・トヨトミ』とか言う小説も読んでみたいと思う。
『鼎座』12号の校正・再校正が終了した。近日中に、印刷・製本作業に取りかかるらしい。早ければ、8月末までには第12号が出来上がる。前号から、少々間が開いてしまったけれど、なんとか新号が出せる。
【10年8月3日】
水木しげる『のんのんばあとオレ』を読む。子供の世界が、こんなに猥雑にいきいきと描かれてあるのに驚く。そして、とても懐かしい。世代的には私より、もう三世代余りの隔たりがあるのだろうが、その遊びの中身は自分の子供時代のものとずいぶん重なるところがある。だから、読みながら自身の子供の頃を思い出して、つい「にこり」としてしまう。普段は、思い出すことなどほぼ全くないにもかかわらず。とは言いながら、さすがに石合戦はしたことはなかったけれども。それにしても、作者の記憶力はすごい。
日曜日。午後、H大学の公開講座で、黒田杏子の講演を聴く。「俳句と粋」という演題だったけれど、内容はおおよそ「粋」とは関係ない話であった。飯田龍太の著作の紹介と朗読、米国の一等書記官との俳句を通じての「師弟」としての交流とその句作についての話。演題と関係はなかったけれど、黒田氏自身前置きのように言われた、「私にしか話せない話」を聞かせて頂いた気分になる。割と面白かった。
自転車で来られた「qutre」の杉浦さんと、駅まで一緒に歩きながら、四方山話。次は、11月24日「鴨川吟行会」での再会を約して別れる。そういえば24日は、先日芝不器男俳句新人賞を受賞された虫さんも来られるのだろうか。
火曜日。午前中は、とんだ出来事で散々であった。終わってみれば、一体何だったのかと思ってしまう。午後は、ひたすら2学期の教材準備。定時まで仕事、その後は残業無しで即帰宅する。甥が帰省したせいか、夕食は買って来た出来合いのものとなる。姪も、今朝東京から高速バスで帰省したとのこと。一山本を持ち帰ってきたとのことで、夕食を終えたらもう自室で勉強していると、スカイプで母が話す。甥は、練習とのこと。各自、マイペースという感じである。
【10年8月1日】
土曜日。午後、水木しげる『ほんまにオレはアホやろか』読了。以前、本のタイトルは忘れたが、水木氏の戦場体験に触れたものを読んだことがあり、現地の人達との交流など印象に残っていたのだが、今回より詳細に戦場での体験が語られ、その凄まじさによく生き残って還って来られたものだと、強い感銘を受けた。
さらに、漫画家として成功する背景に紙芝居作家、貸本作家としての大変な苦労やその中での積み重ねがあったことを知ったりもした。本当に、興味深い人物である。今夏の帰省には、ちょっとミーハー的ではあるけれど、一度水木しげる記念館なども訪ねてみようか、という気持ちになる。
いずれも、きっかけは「ゲゲゲの女房」によるのだけれど、ドラマ的に面白く処理された様々な逸話が、本を読んでみると、実は結構重たくて、しかもそれを当の本人が飄々たる調子で回顧するその落差が、一層本人に対する好奇心を刺激することになる。
日曜、夜中。目が覚めて後、眠れなくなってしまい、仕方なく赤染晶子『乙女の密告』を読む。「アンネの日記」との重ね合わせの中で、「乙女」と表現される主人公と、その「乙女」である自己を措定する「言葉」との出会いを描いた作品、という感じ。とは言え、実は良くわからない。妙な人形が、そのままアンネ的存在に変わり、同時にその人形を隠し持つ主人公が、アンネ一家を匿った人物に変わり、さらには……という風に、登場人物が物語の進行の中で他の人物へとするする変わっていく辺りは、昔ちょっと見た小劇場演劇やさらには、歌舞伎の中での名もない人物が実は悲劇の武将であったり、という役割の転換とそのことによりドラマの世界が大きく変転していく、みたいなことをちょっと思ったりもした。巧みな小説ということになるのだろう。
5時過ぎ。今日も1時間ほどの「歩き」。高曇り。昨日ほど蒸し暑くはない。疎水コースを歩く。
朝食はコンビニで買ったもの。甥は、今日帰省するので、そっち用には、朝食を作っておく。
今日から、8月である。