日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【10年9月28日】
400ccくらいのバイクに乗って、建物の中を走りまわっている夢を見た。明け方の夢は、どちらかというと奇想天外なものが多いけれども、そんな夢の一つなのだろう。また、坂道をジャンプしながら駆け下りていくうちに、とんでもないスピードがついてしまって、飛ぶように走っていく夢を見る。これも、明け方の夢の一つ。なぜ、そんな夢を見たのか、何かの必然性が自分の内部にあったのか、よく分からない。しかし、ちょっとそんな状況を夢の中で楽しんでいる自分がいたことは、確かだ。
就職試験一次終了。一人だけ、内定を取ることが出来なかった。すぐに次の手を打つことが出来たのは幸いだったけれど、とても残念だ。
夕方、退勤。日が落ちて、ずいぶん涼しくなる。雲がいかにも秋の夕景らしい姿となる。
偶然、同僚の人と同じバス、同じ電車となり、いろいろと職場の事を話す。現状について、同じような認識を持っていることに気が付いたりする。
1駅先の駅まで乗って下車。コンビニでメール便を1本出す。近所のコンビニが潰れてから、ずいぶん不便になってしまった。そこから、一駅歩いて引き返す。
帰宅。夕食は、甥が作ってくれていた。珍しく洗濯も済ましていたようだ。
夕食は、エビのクリーム煮と、何かよくわからない中華風の炒め物。見た目に比べ、割と美味しい。
万城目学のエッセイ集『ザ・万歩計』を読む。従来のエッセイという枠を越えて、なんとも自由に書かれているようで面白い。
【10年9月25日】
とうとう、「ゲゲゲの女房」が終わってしまった。
毎週、楽しみに見ていたので、残念である。東京制作の連続ドラマ。だいたいつまらないのに、今回は大ヒットであった。
次週からは、関西制作の「てっぱん」。どうなのだろう、やたらうるさそうな印象。是非、関西の良さを発揮してほしい。「ちりとてちん」みたいに。
午前中は、先週に続き山歩きに出かける。
京福電車「二ノ瀬口駅」下車。背後に連なる山並みの稜線部分を歩く。「夜泣き峠」から「二ノ瀬ユリ(ユリとは杣道の事だったか)、滝谷峠から谷筋を降り、貴船神社奥の院へと出る。京都北山歩きの初心者コースである。数年前なら楽々コースだったのだが、今回は体力の低下をつくづく感じる。膝も痛い。
それにしても、今回は山の動物たちに出会った山行であった。登り始めてすぐの砂防堰堤上に日本猿の群れを目撃。さらに、「夜泣き峠」からしばらく歩いた辺りで、北山で初めての日本鹿を見る。ほんの一瞬、こちらの姿を認めるとすぐに鹿は急斜面に消えてしまったのだが。こうなると、残るはツキノワグマかとも思うが、さすがに熊との出会いはなかった(良かった……)。それにしても、野生の動物たちが、人間の生活圏にずいぶん近づいているのを思う。
稜線部分は北山杉の美林の中を歩く、全行程3時間足らずの山行。台風の余波の風が強くて、Tシャツ1枚では、涼しいを通り越してかなり寒かった。
風を避けて、下りの谷の途中で昼食。とはいえ、前回同様、倒木に腰掛けながら、豆類をぽりぽり、スポーツ飲料をごくごく、というもの。時折、風に揺れる木々がたてる音に、ちょっとビクついたりもする。山中に一人というのは、独特の雰囲気があるのだ。
山行の同行者は、途中で拾った北山杉の細い枝。蜘蛛が苦手なので、行く手の蜘蛛の巣を払ったりするのに使うつもりの枝だったが、結局下山口まで持って下りる。愛着というわけではないが、木の棒が1本、手元にあるのと無いのとでは気分は大違いである。
貴船の町は、観光客がずいぶんの人出。場違いなので、すみやかに通過する。川床料理は、まだいくつかの店で行っていた。
2時過ぎ、帰宅。甥は、今日は在宅。
シャワーを浴び、今日2回目の洗濯。その後、録画しておいた「ゲゲゲの女房」を見る。
昨夜の「金スマ」(だったか……?)でも、水木しげるの特集をやっていた。「水木ロード」が生まれるいきさつなど、面白かった。妖怪ブロンズ像作製の際の著作権料0円というのは、なんとも太っ腹。あの決断があって、「水木ロード」は実現したのではないか、と思う。
【10年9月23日】
今日は、学校説明会で、午前中出勤。美術部のクラブ体験の世話役。中学生と一緒に、石に絵を描く。とは言え、こちらはイラスト中心なので、「ブタ猫」を一つ描く。中学生のお土産になる。
朝は5時に一度目を覚ますが、頑張ってもう一眠りする。6時前、起床。外は薄暗く、大津方面にぴかりぴかりと雷光が雲を光らせているのが見える。
テレビのニュースに、しきりと竜巻注意報のテロップが出る。不穏な天気である。
雨が降り出す前にということで、早めに出勤。小雨が降り出す。電車を降りると、偶然学校方面行きの臨時バスが出かかるところで、急いで乗車。ノンストップで学校まで。
昼過ぎに、クラブ体験は終了。退勤。雨のために15分以上遅れたバスが、たまたま到着。乗車。バスとの相性が、今日は良い。
昼食は、高架下の喫茶店で。初めて入った店。ミックスサンドを注文するが、食べようとすると具がぽろぽろ零れ落ちて困る。コーヒーは美味しかった。
往復の車中。外山滋比古『俳句の詩学』を読む。短文をまとめたもの。俳句の重要項目のチェック表のような内容。これは知っている。これは、知らない。この見解は、おかしい。これは妥当、などという感じで読んでいく。校正が不十分で、誤字やおかしな表現が目につくほど多い。
2時過ぎ、帰宅。甥が、遅い昼食。大学側のミスで、夏季休業期間が通常より短くて、その分授業日数が、規定日数より1週間分多い、とぶつくさ文句をこぼす。祝日に授業をしたり、とちょっと変わったところのある大学とは思っていたけれど、なんとも大雑把な話である。
【10年9月20日】
日曜日。軽い山歩きのつもりで、柚の里水尾まで歩く。嵯峨野線保津峡駅下車。日差しはまだ強いけれど、木下陰はずいぶんと涼しい。駅から水尾までは3.5キロ、歩きにして1時間足らずの距離である。途中まで車道を歩き、その後水尾川沿いの下道を行く。8月の水害で河床が荒れているのではと心配だったが、その痕跡はまるでない。時折吹く風が気持ち良い。9月下旬なのに、どこかでみんみん蝉や法師蝉の声が聞こえる。黒揚羽とアキアカネを同時に目撃したりして、夏と秋の端境を感じる。とっくに白露も過ぎているけれど。
たいした登りもなく、軽く一汗かいたころには、水尾の里に到着。昼前にもかかわらず、人の姿は全く見えない。村道を歩いていると、どこかからテレビの音声が微かに聞こえはするのだが。
清和天皇水尾陵が目的地なので、そのまま家並みを通り抜けて、車道から左に逸れる山道を行く。両側は、柚畑になっていて、結構樹齢のありそうな立派な柚の木が両側から枝を差し交わしている。一度水尾川まで下り、反対側の山の斜面につけられた陵墓への整備された道を登る。つづら折れ状に山腹を登る道を、一登りすると、こじんまりとした清和天皇水尾陵に到着する。数本の巨杉が陵墓を守っている。周囲にうっそうと木が茂り、展望はきかないが、対岸には清和天皇が愛着を持ち続けた水尾の里が、さらにその背後には愛宕山が大きく横たわっていることだろうと思う。
先の道を引き返す。水尾川から上り返す参道の端に、今年初の曼珠沙華の赤い花を見つける。
車道まで登り、そのまま帰途につく。途中、清和天皇社に立ち寄る。四足門風の立派な鳥居を持つ神社である。その古びた石段に腰を下ろし、家で入れて持って来たコーヒーを飲み、行動食のつもりで買ったピーナツを昼食代わりに食べる。ひんやりと空気が冷え、何の物音も聞こえない。汗がそのまま乾いていくようである。何とも、気持ちが良い。
帰りは、車道を通して歩く。ところどころに酔芙蓉の大きな木があり、すでにほんのり染まり始めた大きな花がぽつぽつと見える。
保津峡駅、到着。保津川でラフティング遊びをするらしい、外人の一団の準備の大騒ぎがうるさい。
帰宅後、珍しくソファーで昼寝。
緑の山道を歩いて、様々な毒素が浄化された気分である。
月曜日。国際マンガミュージアムに特別展「フィギュアの系譜」を見に行く。サブタイトルは、「土偶から海洋堂まで」。面白い。お見事! ともかく、心底感心しつつ展示物を見学してまわる。ついでに、水木しげるの戦記物漫画を1冊読む。重い内容であった。それと、見事な絵。画力の凄さをつくづく思う。
三月書房まで足を延ばす。外山滋比古『俳句の詩学』、村上孝之『マンガは欲望する』の2冊購入。
『やっぱ岐阜は名古屋の植民地!?』読了。そう言えば、岐阜市は岐阜県。名古屋は愛知県であったな、と改めて思う。電車で20分の距離なのだが。確かに、別の県に所在しているのだと再認識。ちょっと自虐的な部分はあるものの、岐阜愛に満ちた1冊であった。岐阜豆知識みたいなところもあり、面白く読了。
赤染晶子『うつつ・うつら』読了。言葉に対する認識がまずあって、そのうえでその認識をいかに小説化するのか、そこに作家の手腕があり、その手腕が美事であった。この人、どんな作家に育っていくのだろう。京都在住の人ということだけれど、本当に楽しみだ。
万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』読了。子供と猫と犬を主要登場人物とする1作。ストーリテラーとして並々ならぬ力量を持つ万城目氏だけれど、この1作はぎりぎりセーフというところか。
【10年9月18日】
金曜日。16・17両日で、試験はほぼ終了。夕方、生徒から試験を終えたとの電話連絡を受けてから、退勤。この1週間、長かったという印象。
疲れたので、「第九」の練習は休む。
甥は、夕食を友人と食べると言う事で、こちらは適当なものを買って帰宅。
寿司をつまみながら、浅酌。
「週刊俳句」のS氏から、『鼎座』拝受の葉書をいただく。
ベットに横になって、映画の「アルマゲドン」とか見ているうちに、寝てしまう。
夜中に、数度目を覚ますのはいつものことだが、朝は5時過ぎまで寝る。
5時半、「歩き」に出る。マンションの前で、接近するパトカーのサイレンを聞く。何かあったのかと思うと、目の前をバイクに相乗りした中学生らしいのが3台通過し、その後をパトカーが追尾してくる。「歩き」早々にとんだものに出会してしまったものだ。
1時間ほど、歩く。日が昇って後も涼しいままで、歩いていても気持ちが良い。
帰宅後、朝食準備。食べ終えて、洗濯、掃除。洗い上がってものを、ベランダに干そうとすると、日差しがきつい、さらに暑い。朝の涼しさは一体何だったのか、と思う。
【10年9月16日】
明け方、ひどい雨音で目が覚めた。そうでなくても、眠りが浅いのに、困ったことだ。ベランダに向く窓のカーテンを開けると、夜目にも白く太い雨筋が見える。
ベットに戻って、もう少し眠ろうとするが、もう眠れない。テレビをつける。4時過ぎとは言え、ニュース番組をやっている。しばらく、横になってテレビを見るが、やがて起床。早いけれども、朝食の準備にかかる。
日が昇ると、雨は小降りになる。電車を降り、歩きは中止して、バスを使う。ずいぶん長い期間を使って読んできた『ローマ喜劇』を車中で読了する。面白い1冊であった。この著作で話題とされたローマ喜劇を読んでみたいような気になる。もっとも、実際に読もうとしても、その語り口などかなり読みづらいものではないか、とも思うのだが。懇切な解説が、その面白さを紹介してくれた、ということなのだろう。
その後、芥川賞作家赤染晶子の『うつらうつら』を読み始める。さわりを読んだ辺りで、停留所へバスが到着。続きは、帰りの車中でということになる。
今日から、就職試験解禁。指導してきた生徒のうち数名が、本日受験する。厳しい就職環境の中での受験であり、気懸かりなことは多い。
6時過ぎ、退勤。夕食の食材を買って帰宅。甥は、少し帰宅が遅くなるということだった。
清水さんから、本を1冊送っていただく。岐阜の方で、本職は床屋さんなのだが、出版にも関わっている方の著作。『やっぱ岐阜は名古屋の植民地!?』というタイトル。何か、面白そう、という第一印象である。
【10年9月14日】
詐欺電話がかかってきたという。郷里のこと。母に、厚生労働省の者と称する男から電話が入り、年金の未払い分4万ほどを振り込むために、通帳の口座番号を教えろという。「口座番号は電話などで言うものではない。」との母の一喝で、電話は切れてしまったという。30代くらいの比較的若い電話の声だったという。念の為に、市役所に電話を入れると、同じような電話がかかってきたという相談が直前にもあったという。さらに、確認のつもりで厚生省にも電話を入れると、受付の女性からそのような電話がかかることは絶対にありません。ご迷惑をおかけしましたと、丁寧に謝罪されたそうだ。
年寄りを狙っての、卑劣な詐欺。「臍噛んで、死ね!」と心底思う。
清水さんからメール。『鼎座』についての反響を連絡して下さる。私の方にも、1通葉書が届く。「加納宿」の記事が印象に残ったようだ。
今日は、甥が夕食。あり合わせの材料で、ハヤシライスを作る。
【10年9月12日】
金曜日、夜。今年の「第九」の練習に参加する。京都駅前のホールが、某大学に売却されて以来、会場が遠くなってしまったのは、本当に不便である。
すでにレッスン自体は7月末くらいから始まっていたので、練習はそれなりに進んでいるようだ。今回は、どうやら発音に一層注意しつつ、歌唱することをポイントの一つにおいているようだ。夏の「ベル・レク」がラテン語の発音が今ひとつ聞き取りにくくて、その分感興を削いだという感想などもあったので、そのことも意識しているのかもしれない。
少なくとも、勢いのみの「第九」ではなく、もっと陰翳の深い「第九」になれば、とは思う。
日曜日。1ヶ月間を置いた丹後の「すき句会」。緑の窓口の担当者が、機械操作に不慣れみたいで、どうしても乗り継ぎの特急券が発行されない。20分近く待たされて、結局発券しないで乗車券だけ購入。
この1ヶ月、本当に句作出来なかったので、車中で句を練る(いつものことと言えば、そうなのだが)。何故か、ちょっと集中力に欠けていて、不本意な作しか準備できなかった。緊張感が途切れてしまったので、仕方なく、福知山以降は、窓外の実り田の風景をぼんやり眺めて過ごす。
宮津駅で岩城先生と合流。丹後大宮駅で下車、いつものレストランで昼食。海鮮冷製パスタ。美味しいが、ややカロリーが高いかもしれないと思う。
丹後も暑い。1時前に、岩城先生宅に到着するが、すでに皆さん到着しておられた。
兼題は「重陽」全般。席題は、来る途中で見かけた、中学校の運動会の情景から「運動会」となる。
この日は、ちょうど「丹後の人が丹後で丹後を読む」という朗読会が開催されていて、そちらに参加するため欠席の会員さんなどもあり、参加者がやや少ない。
今日の句会は、高点句がなくて、選が広く散らばったようである。5時前まで、句会。
句会終了後、一休みの後、Mさんに大宮駅まで車で送っていただく。駅舎で、Mさんの旦那さん(朗読会の世話役をしておられた)と、朗読会のゲストの方と偶然出会う。
そのゲストの方とは、京都駅までご一緒する。3人でビールを飲みながら、四方山話。なぜか、いつもはがらがらの「丹後エクスプローラ」が、今日はほぼ満員状態となる。一体どうしたことだろうか。ゲストの方からは、次回の『鼎座』第13号に原稿を寄稿していただくことになった。
日曜日。5時過ぎに「歩き」に出る。昨日の丹後行のどこかで、買って間もない万歩計を、どこかに紛失してしまった。岩城先生宅で、短パン・Tシャツに着替えさせて頂いたときにベルトから外れたことに気が付かなかったのかもしれない。今日は、調子の悪い古い万歩計を身につけて歩く。
日が出ると、暑い。終日、家籠もり。甥は、練習のため大学へ出かける。
『鼎座』の追加発送分の作業を実施。若干の若手俳人の方にも送らせていただこうかと思う。
【10年9月9日】
文化祭は昨日で終了。二日間の日程であった。
3年生の演劇を3本、2年生の教室劇を2本を見ることが出来た。いずれも、結果発表で、上位に入賞した出し物ばかりで、結構見応えがあったと実感する。
今日は、その反動か、生徒のパワーは若干落ち込み状態。こっちも少々疲れ気味ではあったけれど。
6時まで、クラブに付き合い、その後、退勤。台風一過の影響か、涼しい。ちょっと空に深みが生まれているような気がする。もっとも、今日一日のことかもしれないけれど。
そういえば、過日あるところへ投句した作品の中に、「あまりにもぬりかべ的な夏青空」というのがあったけれど、のっぺりした酷暑の青空はもう結構という気分である。
夕食を買って帰宅。甥の帰京が一日ずれて、本日となる。
鮭やら冷や奴やらの夕食。昨日、人間ドックの結果が帰ってきて、大きな問題点はないようだが、ちょっと食事を注意しなければならない(ずいぶん注意してきたつもりなのだが)数値があったので、それを意識する結果が、今夜のおかずとなったものだ。少々きぶっせい状態ではあるが。
『鼎座』第12号をお送りした、その結果が少しずつ返ってきている。昨日は、電話をいただき、今日は葉書を送っていただく。とりあえず、清水さんにメールで文面を転送する。
【10年9月7日】
文化祭、第1日目。仕事や立ち番の合間に、体育館に演劇を見に行く。残暑の、閉め切り、暗幕を張り詰めた体育館で、1時間近くのクラス劇を鑑賞することは、ほとんど体力消耗戦のようなものである。扇風機が、館内に6カ所ほど設置してあるけれど、ほぼ意味はない。
とは言いながら、入れ替え時間をエアコンの効いた部屋でクールダウンしながら見た、2本の演劇は、なかなか面白いものだった。
さらに、その合間合間には、美術室に顔出しをして、美術部の展示に対する入りを確認。ぽつりぽつりと入場者があると、受付の部員の言葉。
昼は、保護者会によるカレーの販売があったのだが、生憎ここ数食カレーを食べている(昨夜はとうとうカレーうどんであった)せいで、今回はパスする。
午後、台風の影響か、天気が下り気味。やがて、雨が降り始める。夕方まで、降り続き、やがて止む。
定刻、退勤。雨がやんだ直後のせいか、思いの外涼しくなる。
バスで駅まで。夕食の買い物を駅ガード下で済ませて、電車に。最近の車中の読書は、小林標著『ローマ喜劇』演劇のルーツのような著作である。作品のあらすじ紹介などもあって、結構楽しめて面白い。
帰宅後、浅酌。その後、軽く夕食。
宅急便が、甥の靴を持ってくる。その甥は、明日帰京の予定。
【10年9月6日】
土曜、夜遅く。コンビニから電話が入る。メール便について、確認ミスがあり、5人分が未徴収になっているとのこと。近日中に、支払いに行かねばならなくなる。
日曜日。5時過ぎ、「歩き」に出る。近隣を中心に1時間余りの歩き。最後は、例のコンビニに顔を出し、5人分の料金を追加支払い。
終日、在宅。洗濯、炊事。清掃。あとは、ネットに読書。途中、夕食の買い物に出るが、外は猛烈に暑い。
買い物のついでに、オーディオケーブルを1本購入。帰宅後、ミューズの合唱をテープからパソコンデーターに変換する作業を行う。テープはいずれ劣化するので、CDに焼くつもりの作業。フリーのソフトがあるので、それを使う。割と簡単に作業はできる。パソコン上で、今夏唱った「ベルレク」を再現するが、音質はそこそこ聞ける状態であった。
夜、少し涼しそうだったので、40分ほど「歩き」。猛烈な残暑が続いているとはいえ、夜風はちょっと涼しい。
月曜日。文化祭前日である。美術部の準備作業も、夕方にはほぼ終了。7時過ぎに退勤。
帰宅後、遅めの夕食。食事の量を少し少なめに調整する。
食後、一休み。その後、先日、高濱虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」に関する面白い評論を紹介して下さったT氏へ、お礼の葉書を書く。
【10年9月4日】
5時半、起床。朝の「歩き」。1時間余り、歩く。朝から、蒸し暑い。鴨川河畔まで歩く。さすがに、少し涼しい。
『鼎座』の発送作業。冊子を封筒に入れ、封。あらたにお送りする人に、手紙を書き、同封する。
2週間ぶりに、「げげげの女房」を見る。見ながら、大急ぎで文化祭の美術部に展示してもらうイラストを1枚描き上げる。ゴッホの自画像のパロディー作品。顔だけ、夏目漱石になっているもの。後ほど、作品を美術部顧問の先生に見せると、普段いつも気むずかしい顔をしていながら、こんな事考えているんですか、と呆れられる。
京都の本日の最高気温は、38度であったらしい。昼前に、出勤のために外へ出ると、晴天の日差しが膚に痛かった。
電車を降り、さすがに今日職場まで歩けば、確実に日射病になるだろうと思い、バスを使う。
夕方まで、文化祭展示室の準備。土曜日とは言え、さすがに校舎に人口密度は高かった。中庭で、ブラバンの練習がいつまでも続いていた。
定時近く、退勤。西に傾いた日が、まだまだ暑い。バス停でバスを待つ間、さすがにうんざりする。
夜、1駅分歩いて、メール便を扱うコンビニに。丁寧に作業を進める店員さん達に、30分近く待つことになる。待ち時間、漫画でも見ていて下さいと促されて、初めてコンビニで漫画の立ち読みを経験する。落ち着かなくて、何を読んでいるか、良くわからない。
郵便で送れば、定形外で1万円以上郵送費が必要になるが、メール便だと数千円分安くなる。
9時前後から、コンビニの来客数が増えることに気づく。
ともかく、発送作業もこれで終了である。
一つ、荷を降ろした気分である。
【10年9月3日】
1年ぶりになろうか、『鼎座』第12号を発刊することが出来た。昨夜のうちに、岩城先生と清水さんには、出来たての『鼎座』を50部ずつお送りする。
マンション前にコンビニがあったときは、その店で宅配やメール便が使えたのだが、残念ながら閉店してしまったので、少しはなれた店で、郵パックを使う。ちょっと料金が高い。そこはメール便を扱っていないので、別の店を探さなくてはならない。
『鼎座』の発送準備。1冊ずつ封筒に入れる。100部あまり。今号は、歌仙の代わりに旧中山道吟行会報告が載る。
それ以外は、各自の作品10句、清水さんと私の俳句以外の文章など。
「歩き」を兼ねて、周辺のコンビニ巡り。一駅分離れたコンビニが、メール便を扱っていることが分かる。明日は、文化祭準備で午後出勤なので、ついでに発送作業も済ませてしまおうかと思う。
第二回目の岐阜吟行会について、明日岩城先生が向こうに行かれるはずなので、そこで打ち合わせが行われることになるらしい。こちらは、その相談を受けて、Hさんに連絡をとらなければならない。(Hさんも、時に「日々録」を読んで下さっているそうなので、「岐阜吟行会第二回目実現の方向で動いています」、ととりあえず書き付けておこう)。
水木しげる『娘に語るお父さんの戦記―南の島の戦争の話』読む。招集から、敗戦、帰国までの戦場体験記。他の本でも、読んではいたのだが、戦争に的を絞って語られた内容。改めて、ラバウルにおける水木氏の戦場体験の凄まじさを知る。そんな中で、唯一「土人」(「土」の「人」と、水木氏はあえて書かれているのだが)達との交流は、「天真爛漫」という感じで本当に心温まるものであった。