日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【10年10月31日】
一度「おでん」を作ってしまうと、手軽で食べやすくて、それなりに美味しいということで、継ぎ足し継ぎ足しして、食事のおかずが何度も「おでん」ということになってしまう(その回数たるや、「カレーライス」の比ではないであろう)。現在がそのパターン。金曜日の夕食用に作った「おでん」を、継ぎ足しで今朝の朝食も。昼も「おでん」になりそうなので、これで何食目だろうか。
しかし、食べているわりに、体重が少しずつ減ってきている。これはどういうことであろうか。鍋は健康食とも言うけれど、鍋効果の一つなのだろうか。
ちなみに、体重計は良くある多機能型のもので毎朝計測しているが、体重以外に、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪量、基礎代謝量、さらには「内臓年齢」(実年齢より10歳以上若い数値が出ているので、ちょっと気分が良かったりするが)までが出てしまう。便利なものである。
甥は、昨夜も遅かったらしい。11月にコンサートがあるので、その練習の追い込みなのだろうか。今朝も、まだ起きてはこない。
洗濯を終え、朝はすごい朝焼けだったけれど、天気は午前中くらいは保つだろうから、外に干す。
清水貴久彦句集『髫髪松』(うないまつ)を読み返す。その特徴点には、以前に触れた素材の多彩さと表現の多様の他に、取り合わせ的手法による作品世界の構造化、というようなことを思う。通常、取り合わせは異質な物どうしをぶつけることで、そこに詩的飛躍をもたらそうとする技法であり、異質な物の高次の統一をもたらそうとする弁証法的方法なのだろうが、清水俳句は、あえて高次の統一まではもっていかない、その直前くらいで表現・内容ともに押し止めようとする意図(意識的か無意識にかは分からないけれど)が働いているような気がする。ある種、宙ぶらりん的な状態を句世界にもたらすことによって、句としての完結性を拒否するところがあるのではないか、と思う。俳句としては、収まりが良くないのである。と同時にそれが予定調和的ないわゆる「俳句らしい俳句」とは違う自在感を一句にもたらすようにも思われる。構造化とは、その自在感をもたらす装置のように思われるのだ。集中、平成二十年の項に収められた一連の作品(その中には、句集の表題ともなった「片白に花火降りけり髫髪松」も含まれる。これは、本格的な俳句らしい俳句であるが)群が清水俳句の現時点での真骨頂を表しているように思われる。
今日は、午後から『醍醐会』の日。市内まで出かける。


【10年10月30日】
金曜午後、検査のため通院。いつもの検査の上に、今回は首の周りの血管を検査するという。
実際の検査は、内臓のエコー検査の首回り版という風。これで、血管とか分かるのだろうか……。
夜、「第九」のレッスン。明らかに、いままでとちょっと違う「第九」が出来つつあるという感触を持つ。繊細で、パワフルという感じ。ただ、実際の演奏の中で、どこまでそれが実現できるかは、今後の練習次第か。
土曜日、朝。台風が、接近しているというけれど、京都は雨・風ともに、全く影響はない。
午前中は、出張で市内まで。「高文祭」美術部の生徒引率である。「みやこメッセ」まで。写真・書道・絵画・工芸の展示会。生徒は、油絵を出展する。
広い展示会場の壁一面に生徒作品が展示され、なかなか見応えがある。芸術担当教員による1点ずつの丁寧な講評があり、作品を見ながらその話を聞くのも面白い。初心者から、かなりレベルの高い作品まで、一同に会した印象。特に、書道のレベルがかなり高いのではないか、と勝手に思う。
今の高校生らしい、アニメ作品まで展示されてあったのには驚いた。良く作ったものだ、と感心する。
作品講評が一通り終わると、1時前まで、自由に鑑賞。
その後、現地解散となる。
昼食を食べ、せっかくなので、京都市美術館で『京都 日本画の誕生』展を見る。前半の展示は、資料的な価値の高い展示のようだけれど、後半部は、見所満載の作品が展示されていて、思わず2000円出してカタログを購入してしまう。
天気が良くなってきたので、少し歩こうかと思ったけれど、ちょっと睡眠不足のせいか、頭がふらふらするので、帰宅する。


【10年10月27日】
山口昭男氏から『静かな場所』NO5を送っていただく。大変充実した内容で、しばらくはこの本を集中して読むことになると思う。内容は、「田中裕明の人と作品」でエッセイ3本、特集『先生から手紙』として、拾遺作品(これが面白い)、評論2本、座談会。さらにその時期の田中裕明氏の各種文章の掲載(これも読み応えがありそうだ)。通常の誌面もあり、184ページのボリュームとなっている。
朝、ずいぶん寒い。上着の上にさらに薄手の防寒着が必要なほどだ。駅に向かうと、時折ぱらりと雨が降る。青空が覗く中での小雨は、もう完全に時雨であろう。
国表。新聞への投稿文章が、3週連続で掲載される。選ばれた生徒は、照れているけれど、結構嬉しそうでもある。今日は、2時間連続の授業のうち、1時間が俳句作りの授業。ちょっと変わったことをやったのだけれど、生徒達は思った以上に、楽しんでいた風であった。説明自体も、かなり説得力をもったものになったようで、こちらも手応えを感じることのできた授業であった。
夜が早くなった。すっかり暗くなった中を退勤。途中まで同僚と一緒になる。体調がいまひとつで、心配だと話を聞く。きちんと検査を受けた方が良い、と話をする。こちらも、ここ数日軽い後遺症のため、毎日朝が鬱陶しい。
帰宅。甥は、今日は遅いらしい。出来合いのもので夕食。一休みしたら、持ち帰り仕事を始めねばならない。


【10年10月24日】
昨夜は、鍋パーティーに誘われて参加。
宴会関係は、最近はもうほとんど出席しないのだけれど、昨日は出かけてよかった。
楽しい時間を過ごさせていただきました。
さらに、誕生日まで祝ってもらったりもして、感謝、感謝というところです。
日曜日。久しぶりに6時前まで寝る。その後、起床。「歩き」に出る。長袖を着て歩くが、少し肌寒いほどであった。
帰宅後、朝食。洗濯。
一休みしているが、少々眠い。
佐々木健二郎著『これがアメリカの現代アートだ』を読んでいる。60年から80年代にかけてのアメリカの絵画・彫刻・写真等についての総括的入門書。
色々な潮流が生まれては成熟していく様がコンパクトに紹介されてある。
知っているアーティスト、初めて聞く作家など、読んでいて面白かった。


【10年10月21日】
最近、飛蚊症がひどくなってきたような気がするので、念のため、夕方眼科に受診に行く。
初めて行く病院で、某駅から徒歩2分、白を基調にしたずいぶんおしゃれな建物のクリニックであった。30代前半くらいの若い先生が院長。丁寧な応対が印象的であった。
眼底検査のために、瞳孔を開く薬を点眼し、しばらく待合室でテレビを見ていると、なんとなく視野がぼやけてくる。瞳孔が開放状態になってきたらしい。
診察室に案内され、検査。両目共にしっかり診てもらう。飛蚊症の原因になっている眼球の中の濁りの写真を見せて貰う。白っぽい粒々として写っている。あまり気持ちよい物ではない。
病的異常によるものではない(加齢によるものらしい)との判断で、一安心する。2ヶ月後に、念のため再診。
すっかり暗くなった道を、二駅分歩く。街灯や、車のヘッドライトが、きらきら輝いて見えて、クリスマスツリーの電飾でも見ているような印象である。瞳孔全開放の効果である。なかなかきれいで面白い。
帰りに夕食の総菜を買いに近所の大型小売店に立ち寄る。店内に入ると、周りが見えずらい。店内の照明がずいぶん明るいことに、この時気がつく。見えずらいのは、照明が眩しすぎるということらしい。もっとも暗いと、陳列された食糧品などの見栄えが悪くなるのだろう、とも思う。
帰宅。まだ甥は帰って来ていない。夕食の準備だけしておいて、一休み。
テストは3日目で、今日は採点二つ、夕方までには終了。新たな就職希望者が出てきて、採点、授業とのトリプル進行で、その指導が大変であった。
5時間くらいは、薬による目の異常が続くということなので、今日はもうさっさと寝に就こうと思う。


【10年10月17日】
金曜日。退勤後、直で「第九」の練習場へ。一度、帰宅してから行くつもりだったので、楽譜なし。8時前に、着。パート練習のみ参加して帰ろうかと思ったが、市内までわざわざ来ているのにと思って、最後まで参加。なかなか気合いの入ったレッスンであった。「まだ、本当の第九に出会っていない」と、合唱指導の先生は繰り返される。言わんとされることは、漠然とではあるが理解出来る。
疲れて、腹ぺこ状態で帰宅。
ソイジョイ2本とヨーグルトの夕食であった。
土曜日。丹後「すき句会」。「はしだて1号」待ち時間に、久しぶりに京都駅ビル屋上に登り、京都市内を一望する。秋、という実感なし。
車中では、宿題の「名月や」の中七・下五を考える。
丹後に近づくにつれ、空気が澄んできたような気がする。丹後の山々が、くっきりとその立ち姿を見せる。
宮津で、岩城先生と合流。大宮町へ。
席題は、「秋の蝶」。自宅前の、かなり野生状態の庭で見かけられた景とのこと。多彩な作品が投句された。
句会が終わり、一休み。ビールをいただきながら、残った方達との四方山話。その中で、とてもめでたい話を聞く。
帰りの電車の中では、いつもの通り、ビール。送っていただいた句集のこととか、吟行会のことなど、また丹後時代の思い出など、とりとめない話。
二条駅で岩城先生は下車。こちらは京都駅まで。
帰宅。一休みの後、持ち帰り仕事。すると、東京の姪から電話。パソコンの調子が悪いという。仕事をしながら、何度かの電話のやり取り。11時近くまで。
その後、12時前まで仕事して、就寝。
日曜日。朝、5時過ぎ起床。「歩き」に出かける。外は、寒い。1時間ほど歩き、帰宅。朝食は、コンビニで買ってきたもので済ます。
洗濯後、一休み。その後は、昨夜の仕事の続き。2時間ほどで、終える。
甥が、起きてくる。日曜日は、こちらは朝食の準備はしないので、自分でごそごそしている。今日も大学に練習にいくとのこと。
こちらは、もう一仕事しなければならない。


【10年10月14日】
久しぶりの出張。他業種の人との懇談会で、それなりに普段使わない神経を使う分、疲れるけれども、現場を離れて一息入れた気分である。
帰りに本を1冊とコーヒーを買って帰る。ちょっと余裕である。
帰宅後、夕食の準備。魚を焼いたり、アサリの味噌汁を作ったりする。甥は、少し遅くなりそうだ。先に夕食を済ませる。
食後の一休み。その後は、持ち帰り仕事。やがて甥が帰ってきたので、一旦テーブルを空けて、食事が済むまでこの「日々録」の書き込み。
先日送っていただいた清水貴久彦氏の第2句集『髫髪松』(うないまつ)。髫髪松とは、墓標代わりの松の木のことらしい。作品は、清水氏らしいちょっと特異な日常感覚の生動した句が多いように思う。医師らしい素材の句も、特徴のひとつであろう。ご自身は、こちらの感想とお礼のメールの返事に、「大向こうを唸らせるような句」をものしたいと希望をもらしておられたけれど、「大向こう」など放っとけば良い、などとこちらは過激に思ったりもする。
甥の夕食も終わり、さっさと部屋に引き上げたので、そろそろ持ち帰り仕事の続きにかかろうか、と思う。


【10年10月6日】
国語表現の「新聞へ投書してみよう」という取り組み。本日の某新聞の朝刊投書欄に、二人の生徒の文章が掲載された。
ちょうど、国表の授業のある日だったので、新聞掲載の事を紹介する。二人とも、ちょっと嬉しそうな様子であった。
ともかくしなければならないことが多い。公務員希望者が6名、2職種の1次試験に合格したので、面接に向けての指導を夕方まで。来週一杯、放課後は模擬面接を繰り返すことになる。中間試験も迫って来ているし、しかも中国研修旅行生の分を余分に作らねばならないし、通常の試験も準備もしなければならない。
夕方、帰宅。甥は今日も練習で遅くなるとのこと。一人うどんを食べる。
食後は、持ち帰りの仕事。2時間ほどで終了。
疲れたので、もう寝る。
少しだけ、彌榮さんから送って頂いた第一句集『鶏』を読むつもり。戦略性に富んだ句集、という印象がある。


【10年10月3日】
土曜日、午後。何を勘違いしたのか、国立美術館を国立博物館と勘違い(というより、そもそも博物館の方と思い込んでいて)して、出かける。「日本画の前衛」という美術展を見にいくつもりであった。京阪七条下車、三十三間堂を右手に見ながら、当の国立博物館まで行くと、休館中であった。一瞬、狐につままれたような気分になるが、勘違いと思い至る。時間が遅いので、今更美術館の方にまわる気持ちにもならず、かと言って、観光客の多そうな三十三間堂見学に切り替える気分でもなく(三十三間堂は嫌いではないのだが。7、8回出かけていて、句材にも活用させていただいた)、七条通り−東大路通り−五条通り経由で、京阪まで行き、素直に帰宅。
往復の車中では、送っていただいた俳誌『香天』を読む。自分と、句の作り方が違う作品群が多くて、興味深く読ませていただく。例えば、主宰岡田耕治氏の「考えるほどに視ており鶏頭花」の「考えるほど」という捉え方や、「見る」ではなく「視る」という意図的な言葉遣いとか。
帰宅後、夕方まで、ソファーでうとうとする。最近は、夜中に起きる回数が少なくなってきたのに、やたらに眠いという状態が続いている。車中などで、うっかり手にした本を取り落としそうになることすらある。困ったものだ。のどの調子も、今ひとつだし。夏の疲れが、今頃出てきているのだろうか、とも思う。
Sさんの本拠地を侵す、第2回岐阜吟行会の日にちが決定する。11月末。今回は、前回話題にも出た金華山、岐阜城、長良川河畔などを吟行することになるかも。まだまだ先の事ではあるけれど、楽しみなことだ。
日曜日。『週刊俳句』に投稿した句について、句評で触れていただく。勝手に場を借りて、好きなように遊ばせていただく。ありがたいことである。自分は、蕪村−子規系統の流れなのであろうと、あらためて思う。


【10年10月2日】
金曜日。昼間は、体育祭で某運動公園での一日。結構盛り上がった競技会で、面白かった。生徒がシラケナイで、競技に参加しているのが、全体の盛り上がりにつながっているようだ。最寄りの駅から、運動公園まで歩きで往復したけれど、思ったより時間がかかったのと、天気が良すぎたせいか、少々暑くて疲れた。
夜、「第九」のレッスン。初めての会場で、行き着くまで付近をうろうろする。小さなホールでの練習だったが、指導の先生が先日ウイーンでの演奏旅行を終えて帰国されて、その熱気が冷めやらない状態で、熱い指導となる。前回の「ベルレク」で、合唱団の今後の方向性がかなりはっきり定まったように思うが、今回の「第九」はその延長線上に、一皮剥けた(「第九」の本質に一歩近づいた)演奏を考えておられるようだ。なかなか興味深い事だった。
甥は、来年の研修関係の手続きで、帰省。
土曜日。朝食後、「歩き」に出る。天気が下り坂らしいが、まだ良い天気で、日差しが強く、気温の割には暑く感じる。大回りでの丘陵コース。途中の神社は、銘水で有名なところなのだが、ちょうど秋の例大祭の時期で、境内全体に露店が展開していた。朝早いせいで、ほとんどの店は閉店状態だったが、いくつかの店は開店の準備を始めていた。子ども相撲の奉納があるらしく、保護者同伴で子ども達がたくさん集まり、本殿脇に仮設の土俵が設えてあった。面白い情景なので、携帯で写真を撮ろうかと思ったけれど、時節柄色々うるさそうなので、止めておく。
陵墓のある丘陵地帯を歩き、それに続く運動公園で、社会人の野球をしばらく見物して、帰宅。2時間程度の「歩き」となる。
BSで朝の連続ドラマ「てっぱん」を見る。やっぱり、うるさそうなドラマ。今ひとつ見る気にならない。