日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【17年6月30日】



時計草とは、よく名付けたものだと思う。
まさに、文字盤や長針・短針そして、秒針までも備わっているような印象を与える花。
これも、「歩き」の途中の垣根で見かけたもの。
上から見おろすようなアングルになってしまった。
六月も今日で終わり。
突然、強い雨が降り出したり、一転青空が広がったりと、天気の変化の多い一日だった。
総じて蒸し暑く、夜になっても湿気の多い温度の高い状態が続いている。

数日間、捌きをつとめている連句の付け句で悩む。
それだけの意味のある一句をなんとしても自分のイメージ通りに付けたいと考えて、いろいろ考え込んでいた。
最後には、ふっと力を抜が抜けて、ちょっと象徴的な意味合いが背後にこもる句が、『季寄せ』を見ているうちに浮かんで、それで良しとした。
亡くなったS氏に対する私なりの鎮魂の句だったのかもしれない。

俳句関連で、投書した文章が、新聞に掲載された。
俳句に興味のないひとにはあまり関心をひかない内容だったかもしれないけれど、時事的な内容の多い投書欄に、文化的な内容の一文を掲載していただいてありがたかった。
なにがしかの反応があれば僥倖であるけれど。

結社誌に書いた読書ガイドの一文について、本の著者からお礼状をいただいた。
手書きの一句が墨書された葉書は、ありがたいものだった。
関西から離れ、地元に帰ってからも、どこかで気にしていただいていたところがあり、地元での講演会のために俳人協会から派遣された講師の方に、あらかじめ現地にはこんな人間がいるということを紹介しておいていただいたこともあった。
関西で活動していた時、お世話になった(現在もお世話になっているところがあるのだが)方々に、文章を通じて何かの検証ができればと考えている。

半年が終わった。
世情は、けっして愉快なものとは言えないけれど、さて、この先どんなことが出来するだろう。
それにしても、今の防衛大臣は最悪だと改めて思う。
そもそも、教育勅語を肯定するタイプの人物らしいから、あの発言も本人にとっては、ごく自然なものだったことだろう。
それを、平然と容認する政府も、同類みたいなもののように思われるが。
しかし、まさかそれも計算済みのこと、ということはないだろうな、とも思う。
少しずつ、毒に慣れさせていくというような……。


【17年6月26日】

近所を歩いていると、いろいろなものを見つける。
これも、そのひとつ。



写真の真ん中ちょっと上の辺りに写っているのは、小さな栗の実。
直径1センチくらいの大きさだけれど、ちゃんといがいがも備えている。
地面には茶色くひからびた栗の雄花が重なるように散らばっている。
秋までには、どのくらいの大きさになることだろうか。

今日は、夕方から合唱練習。東京から、指導の先生を招いての練習。
モーツアルトのごく短い曲と、「メサイア」から「ハレルヤコーラス」の部分。
本番は12月だけれど、今回はピアノ伴奏によるこじんまりとしたコンサートになる予定。
人数的に言ってもそれがちょうど良いくらいの企画だと思う。

『歎異抄』読了。宗教的な関心はないけれど、信仰というものがどのようなものなのか、ちょっと肌身に感じられるような印象を持つ。
とはいえ、頭だけでの理解ということではあるのだけれど。
信仰とは、文字通り信じ切ることに尽きるような気はする。

獣医学部は二つも三つもつくって良いとは、ほとんど「殿、ご乱心」の世界だろうと思われる。
「逆風に神戸の空はさつき晴れ」
作者は、安倍総理。
俳句は「挨拶と滑稽」という山本健吉氏の説にしたがうならば、この句はその両方の条件を満たしものかもしれない。
「逆風」に身をおく自分にとって、ここ神戸の聴衆の皆さんは、私にとって「さつき晴れ」のような心晴らすありがたい存在である、多謝。そんな意味において立派な挨拶句。
滑稽という点に関しては、句それ自体が滑稽の要素を含んでいるとは少々言いづらいけれども、それを詠う作者の存在自体は滑稽そのものであろう。
そもそも「逆風」に身を置いたのは、いわゆる「自業自得」というものであろうから。
「滑稽と挨拶」は句の内実を指すとともに、作者自身の「俳人」としての有り様をも語る言葉のようである。
ついでに言えば、かの有名な夏井いつき先生ならまず最初に、季語「さつき晴れ」を使うのなら、わざわざ「空」を持ち出す必要はない、といわれるかもしれない。
とはいえ、「空は」の三文字を何か別の映像に置き換えるのは、なかなか難しいことかもしれないが。
ちなみに、「は」という助詞は他と切り分ける働きをもつものだから、「神戸の空」は「さつき晴れ」かもしれないけれど、神戸以外の地域は、「どんよりと曇っていたり、どしゃ降り状態かもしれない」ということを暗に含んだ表現ということになる。
「逆風に」の「に」という助詞と合わせて、結構作者の微妙な心情を反映している言葉かもしれない。「は」も「に」も生きた助詞といってよいかも。
「逆風を擱(お)きて神戸のさつき晴れ」とか……。今一だな。


【17年6月23日】



鳥取砂丘のお土産の一つに、砂丘の砂を固めて作った「モアイ像」があるらしい。
イースター島のモアイ像のコピーだけれど、なかなか良く作られていて、テレビ番組などでも紹介されていた。
とはいえ、我が町にも、モアイ像はある。
しかも、「緑のモアイ像」。
「歩き」の途中で見かけた庭木なのだけれど、見事な人面。
しかも、頭のてっぺんに「毛が三本」という、なつかしいアニソンの一節を思い出す素敵な枝振りも。
「面白いもの作られましたね」と、家主に話しかけると、「アハハハ」と笑っておられた。
みごとなものである。

昨日、今日と好天が続く。
昨日は、実家の庭の剪定作業。自然の風合いを残した、そんな刈り取りを目指す。ごく、ざっくりとした剪定、ということなのだが。
今日は、布団干し。干し終えたら、厚い布団は片づけ、夏布団を用意することにする。
気温は、さすがに30度は超えないみたいだけれど、少々蒸し暑い。


【17年6月21日】
久しぶりの雨。
とはいえ、午前中の早い時間帯にはいったん止み、午後遅くなってから再び降り出す、というようなそんな降り方。
夜にはもうやんでいる。
太平洋側では、豪雨になった地域もあったようだけれど、日本海側はそこまでひどい降りにはならなかったようだ。

実家の庭木に巣を架けていた鳩の巣立ちが、めでたく終わったらしい。
巣は空っぽになっていて、巣の真下に位置するツツジの青葉の茂りの上に、点々と白い糞が残っている。
6月19日に紹介した住宅街の裏の丘では、雉が子育てをしていたのだが、恐らくその雉の雛を狙ってか、烏や鳶が丘の上を2週間ほど前からしつこく旋回を繰り返す姿が眺められる。
今日現在も丘から離れようとしないところを見ると、どうにか雉の雛は下草の中に身を隠しながら、成長を続けているようだ。
ただ、丘にそった住宅の庭などを住みかにしていた野良猫のうち、数匹いたはずの子猫たちの姿を今では全く見かけなくなったのは、何かあったのだろうか。
「歩き」の途中で見かけると、人慣れた様子でこちらの方に身を寄せてきて、軽く撫でてやると薄い毛の下に背骨の感触が露わに感じられるような、そんな子猫たちではあったのだが。

本日は、合唱練習。
早々に夕食をとって、市内に出かける。
合唱はなかなか楽しい。
ただ、男性陣の人数が少ないのが、少々厳しい。
前回の合唱は、本日配布されたCDを帰宅後聴いたけれど、日本歌曲の方は結構出来が良かったと思うが、大曲の「レクイエム」の方は、やはり声のバランスの悪さが表面に出てしまったように思われる。

『十八史略』も「元」帝国のあたりまでまで進んだ。
古文は、『増鏡』。偶然であるが、今ちょうど「元寇」などが話題になっているところまで読み進めている。
ちょっと目先を変えて、『親鸞集』を読んでいる。宗教的な関心というわけではないけれど、以前からちょっと親鸞には興味があった。
書簡集を読み終え、有名な『歎異抄』へと進んでいる。
書簡集の中に窺える、宗派内の対立のようなものに注意をひかれる。
少し調べてみようか、とも思う。


【17年6月19日】



住宅街を道1本隔てたところに、標高15メートルほどの小山というより丘が横たわっている。
住宅街の東の区切りをなしているといってよいかもしれない。
下草や松などの雑木が生い茂っている場所だけれど、踏み跡が1本、稜線(というには大げさ過ぎるけれど)通しについている。
そこが、お気に入りの「歩き」のコースの一つになっている。
踏み跡があるということは、私以外にもおそらくそこを歩いている人がいるのだろうが、一度も他の人と出会ったことはない。
雑木のひらけたところからの展望は、なかなかすばらしい。
草むらに思わぬ動物が潜んでいたりもする。
道路をそれて踏み跡に入り、道なりに歩いていくと、それなりにアップダウンもあって、「歩き」の負荷としても、無理なく身体にかけることが出来る。
軽く山歩きの雰囲気も味わえて、なかなか気分もよい。
時には、同じ道を数度往復したりもする。

NHKで18時からの総理会見というのを見る。
総理の総理による総理のための支持率挽回印象操作的茶番会見であった。
思わず、NHKに受信料返せ、と言いたくなった。
見ているこちらが、情けなくまた気恥ずかしくすらなってくる、自画自賛と空疎な理想論の開陳であった。
それにしても、今回の支持率急落は、誰かが言っていたみたいに、政策批判というよりは、総理の人間性への不信というのが、ことの本質のように思われる。


【17年6月17日】
ごくたまに新聞の投書欄に投稿する。
すでに2度掲載されて、その都度500円の図書カードが送られてきた。
臨時収入として、ありがたく家計簿に記入させてもらっている。
今日も、前回に味をしめて、俳句関係の投書を朝から書く。700字。所定の字数に収めるように内容をまとめるのに、結構時間がかかる。
実家に持ち込んで、母・姪・弟の奥さんの3人に読んでもらうが、悪くない反応。
書いた当人も、悪くない内容だと思っているのだが、メールで送信したものの、結果はどうなるか、わからない。
めでたく図書カードをいただければ、と思う。
現在書籍関係は、現職時代に手元に買いおいて、今後数年かけて読むはずの書籍を除き、すべて図書館で借りることで対応しているので、現役時代のように毎月の書籍費がかさむということはもうない。
したがって、たまる一方の本の整理に悩むということもなくなってしまった。
どうしても必要な場合は、手元にある図書カードを使うことはあるけれど。
とは言いながら、シリーズもので買っていた漫画で、完結しないままに買わなくなってしまったものをいくつか最近読み直していて、結構面白く、続きを読んでみたいような誘惑にかられつつある。
市内にブック・オフがあるし、ネット上での購入も可能なのだが、いずれのシリーズも単価がそれなりにしていて、図書館で借りようもなく、どうしたものか。

共謀罪の成立で、すでに特定の個人に対する攻撃が始まっているらしいことがニュースで報じられていた。この延長線上にあるのが、密告・告発社会なのだろう。個人の正義感に基づいて、別の個人を告発する。そのお墨付きを、よりによって政府が国民全体に対して与えてしまった。共謀罪は、組織的犯罪集団を対象にするといったものの、その集団の範囲は「周辺部」を含めて、まるであいまいなものだから、告発者が各自の尺度で勝手に個人を「集団」の枠内に押し込めて、告発することはありうることだろう。『あいつの日頃の言説は、おれから見ると反政府的である。だから、他のいわゆる反政府的な考えを持つ連中のカテゴリーの中に含まれる一員であって、告発の対象になりうるだろう』的な、短絡的発想をする人間って、ネット上ひとつとってみても、それなりにいるしね。恐いな、と思う。
でも、もう法律は通過してしまったし……。
法の下に人は平等、と憲法の規定の中にあるから、共謀罪もすべての国民に対して均等に平等に適応されるはず。
それは告発者が、いつ被告発者の立場に立つことになるか、知れたものではないということなのだけれど。
でも、公平な判断・適応なんて、そもそもそんなに当てにはならないだろうけどね。


【17年6月16日】


耕作放棄地状態の畠に続いて、茂りが塊をなしている。
木立の中に入ると、下草の上にずいぶん樹齢を重ねただろう落葉樹(椎か欅かなにかなのだろうか)が、青葉を茂らせている。
こんな風景を、住宅地周辺の農地のあちらこちらに眺めることが出来る。
離れ島とか孤島を眺めるような気分になる。
今日は、つい筒井康隆の小説『モナドの領域』を一日かけて読了する。
筒井らしい奇妙な作品。その圧倒的な知識量に本当に驚いてしまう。
さすがは『文学部唯野教授』の作者だけはある、と思う。
『唯野教授』では文学評論を、今回の『モナド』においては、神に対する哲学的考察が、1編の小説の中心に据えられており、しかもちゃんとSF小説たりえている。
大変面白かった。
筒井康隆はさすがに昔ほどには読まれなくなった作家の一人だと思うけれど、当人の創作意欲はいまだ旺盛らしくて、現在もとんでもない構想の作品を遅々たる進行ながら書き進めているらしい。
書き上がるのが楽しみではある。
筒井康隆も、最後まで読み続ける作家のひとりだろうな、と思う。


【17年6月12日】

「共謀罪」強行採決。今の状況では、いずれ成立するとは思っていたけれど、(与野党ともに)最悪に近いやり方だったのではないか。
これで日本は、また一歩戦前への回帰を果たしたということだろう。
文字変換は面白いもので、「きょうぼう」を文字変換したら、最初にでたのは「凶暴」だった。次に「狂暴」。
「かいき」を変換したら「怪奇」がまず出た。
パソコンの文字変換機能に、こんな風に事の本質を明示する高度な機能が備わっていたとは。
安倍晋三というひとりの権力者のスキャンダルを隠蔽するために、日本の政治そのものが大きく曲げられた。
彼らを選んだ多くの国民にも、いずれその歪みのツケの支払いが求められる日が来ることだろう。
選んでもいないのに、一緒にそのツケを払わされる側にしてみれば、迷惑この上ないことではあるが。
もっとも、権力に弱く、我慢強く、情動的で忘れっぽく、今日の食が満たされていればそれでよしとする日本民族にとってみれば、さほどの問題でもないことだろう。
島国という閉鎖社会で、縄文以来培われた農耕民族の血液は、脈々とゲンダイの我々の中にも流れていることだろうし。
文部科学省と内閣府に対して、国民の批判にこたえるべく、形式的に調査が行われ、ろくに審議時間もないままに国会は閉会を迎え、特に問題なかったということで、「しゃんしゃん国会」は閉会。
加計問題はほどなく、与党と「こうもり野党」の維新によって無いものにされていくことだろう。
(それにしても、「加計問題」って、よほど政権にとっては痛い問題だったのだろう、と改めて思われる。強引な手法が、問題の深刻さの証明になってしまっている)
とはいえ、これが「美しい日本」の実像の一端なのであろう。

いずれ「共謀罪」と連動する形で、遅かれ早かれ「盗聴法」が改正強化されると警察関係の誰かさんが言っていたけれど、間違いなくその通りになって、やがてあらゆる情報・通信は、公私の別なく警察機構に把握可能な状態となり、常時国民の一挙手一投足は、高度な人工知能システムに裏付けられた監視網の下に、裸状態におかれることになり、日本の監視社会化は完成を迎えることになるだろう。
そして、公権力にとって不都合なものは、その芽の段階から「合法的」に潰され、表面上は何も起こらない静かなある種の「桃源郷的」世界が近未来の日本に訪れることだろう。
従順な人々が、与えられた秩序の下に、静謐に日々の暮らしを送る「美しい日本」という名前の「デストピア」がまた一つ、やがて世界に誕生することになる。
ちょうど、北朝鮮や中国がそうであるように。
なぜ、東アジア地域にはこんな変な国ばかりが固まって存在する羽目になるのだろう。不思議だ。
それにしても、ほとんど一昔前の流行遅れのSF小説的な世界が実現するだろう事は、現に過去のSF作品の奇想天外世界が様々に実現していることが証明しているだろうことだし。
「遅れているものが、いつのまにか最先端に立つ」的な言葉が、聖書かなにかにあるらしけれど、その過激さや過剰さは遠慮したいものだと思う。

生きている間に、日本というこの未成熟で奇妙な国家の変化のどの程度までを、目撃できることだろうか。
それ自体は、あまり愉快な経験ではないだろうけれど、興味がないわけではない。


【17年6月12日】




写真は、煙草畠の様子。
4月から5月頃に植え付けを行い、この時期にはもうこんなに成長している。
葉の成長を促すために、煙草の花はすでに茎ごと切り取ってある。
花は淡淡としたちょっと風情を感じさせるものである。
禁煙・嫌煙問題で、煙草に対する風当たりは厳しい。
私自身も、若い頃にかなりヘビーな喫煙者だったけれど、煙草を吸わなくなってもう30年くらいたつ。
今では、煙草の煙の臭いには辟易するということはあるのだけれど、とはいえ、煙草畠のこの情景は初夏の一風景として、自分としては嫌いではない。
この地域も、煙草葉の生産地ではあったけれど、時勢の関係で、煙草農家の数は激減しているらしい。
JTは地元から撤退してしまい、現在生産された煙草葉は広島のほうのJTに一括して送るそうだ。
今日は、梅雨の中休み、らしい。
天気は悪くないけれど、風は涼しいというより若干膚寒さを感じるほどだ。



お花畑を作っていた花。
気がつけば、あちらこちらにぽつぽつと咲いている。
墓地などにも咲いていたりして、やはり野草なのだろうと思う。
何という名前の花なのだろうか。


【17年6月11日】
俳句甲子園の予選会が始まったのだ。
鳥取県では、高校の中に予選会出場等の動きは全くないけれど、お隣の島根県ではおそらく予選会は難しくても、投稿による選抜を考えている学校はあるのではないかと思う。
鳥取県も、小・中での俳句実作指導の取り組みはあり、実際県の俳句大会には小・中からの応募があったりもするのだけれど、高校になるとその動きがぴたりと止まってしまう。
それが、残念でもあり、気懸かりでもある。
俳句甲子園の出場者が、現在の若手俳人のよって立つ基盤の一つになっていることは確かなことだ。
鳥取県にも、そんな動きが作れないものかと思う。
今日は、午前中モニター2本を書いて、送信。
今月は本数が結構多い。
午後からは、合唱の練習に参加。
楽曲が難しい。
老眼のせいなのか、楽譜が見えずらくて、歌詞と音符が一致しないのがつらい。
かなり真剣に(というか、必死に)練習に食らいついていく。
合唱は、なかなか楽しい。
夜、実家で姪の誕生会。
甥が、二度目のケーキを作る。これが、ひどく美味しい。
甥は、最近尺八の練習を始めた。
面白い甥である。
昨日は、久しぶりに微熱が出て、少し活動がしづらかった。
一昨日の夜、窓を開けて寝たせいで、夜気にあたったのかもしれない。
今日は、回復。
誕生会のお酒を飲み過ぎたので、この後はすぐ眠るつもりだ。




【17年6月10日】

      


梅雨に入って間もない昨日、昼近くに「歩き」に出た際、見かけた光景。
写真の中央やや上、電柱の頭より少し高い位置に、きれいに光る雲が左右に靡いているのがかろうじて見えるのではないかと思う。
これは、彩雲、あるいは水平虹といわれる現象なのだろうかと思われる。
この時、太陽は画面左上欄外辺りに出ていたと思う。
太陽の光が、水滴あるいは氷の粒に反射して七色に輝いているらしい。
淡淡とした美しい輝きである。
この日は、久しぶりにおたまじゃくしと殿様蛙も目撃することができた。
おたまじゃくしは、水を入れて間もない水田に体長1センチにも満たない状態で、群れ泳いでいた。
水がないときは、乾燥した砂地状態だったので、水を入れた際、その流れに沿って入り込んで来たのだろうと思われる。
やがて、大きくなるにつれてサギ類が餌として狙い始めるだろうから、なかなか厳しい生き残り競争の中にこれらのおたまじゃくしは泳ぎだしたことになるのだろう。
土曜日。
ここ数日かけて、庭木の剪定を行ってきたのだが、刈り取った枝葉類を集めて、段ボールやビニール袋に詰め込む作業を行う。
1時間以上使って作業を行い、その後車に積み込んで市営のゴミ焼却場に運ぶ。
総重量20キロ、焼却料金は400円ほどだった。
落ち葉の一部は、専用ポッドで堆肥化を進め、また地面を掘ってこれも堆肥となるよう埋めたりもしているのだが、それでは全くらちがあかない状態だ。
それにしても、よくこれだけの量の枝葉が1年間の間に新たに生み出されるものだと、植物の力に感心してしまう。

ようやく文部科学省が加計資料の再調査にとりかかるようだ。
安倍総理の指示により、と言う体裁を取ったらしいけれど、とんだ茶番劇としか見えない。


【17年6月7日】
今朝方の夢も、奇想天外な面白さがあった。
もっとも、夢って多かれ少なかれ奇想天外なものなのだろうが。
もちろん、夢は夢で、現実とは一線を画されたものなのだろうけれど、それでも夢を見る当事者としては、自らの経験の延長線上にあるもの、という思いはある。
夢をただただ夜ごとに消耗・消滅するものとしてだけ扱うのは、個人的にはもったいないという思いが強い。
夏目漱石も自ら見た夢を『夢十夜』として書き残し、映画監督黒沢明は自らの夢を素材として1本の映画を作られたりしておられる。
面白い試みだとつくづく思う。
今日は、通院の日。
ここしばらく体重増加のことがあったので、少々気にはかけていたのだが、結果は特に問題なし、ということで安心する。
それにしても、数日前から手首の腱鞘炎の延長で、左腕の筋肉がひどく痛み、湿布薬を貼ったりして痛みを押さえていたのだが、今日は病院に行くということで、膏薬をやめて、「○○バン」を痛む筋に沿い、三カ所ほど貼って出かけた。
最初に採血があって、いつも通り左手から血をとってもらう際、看護士さんが腕の「○○バン」に気付いて、「どうしました」と尋ねてこられたので、「実は」と理由を説明すると、「大変ですね」と採血しながらこちらの声に応答しつつ、ぽつりと「でも、○○バンって効くのかしら。」と独り言的につぶやいた。
本人としては、全く何の意図もない素直な独り言だったのだろうけれど、それを耳にしたこちらも思わず吹き出しそうになってしまった。
ロキソニン配合の湿布薬は、貼ってしばらくすると目に見える鎮痛効果があるけれど、たしかに「○○バン」の方は、どうなのか、実はよくわからない。
ちょっと気休めのような気分でもいたのだ。
診療の待ち時間の間に、又吉直樹と堀本裕樹の共著『芸人と俳人』を読む。
俳句入門対談集という風な内容。とはいえ、中身は、入門書にしてはかなり高度なもので、堀本氏の該博な俳句知識と、又吉氏の鋭い知性とに感心しながら読み進めた。
又吉直樹って、すごいひとだなあ、と改めて思う。
芥川賞を受賞した『火花』は楽しく読ませてもらい、『劇場』はまだ途中まででストップしている状態ではあるけれど、又吉直樹は面白い、と思う。
彼の自由律俳句を読んでみよう、というところまでまだ気分は盛り上がってはいないけれど、確か図書館に1冊か2冊置いてあったように思うので、いずれ読んでみることになりそうな気がする。
本日、とうとう中国地方も梅雨に入ったらしい。
これから1ヶ月半ほどは、少々気詰まりな日々が続くことになるのか、と思う。


【17年6月6日】
火曜日。朝から曇り空。
九州は、梅雨に入ったらしい。
例年より1日、2日遅いみたいだけれど。
来週は、いよいよこちらも入梅ということになるのかもしれない。
昨日は、吟行句会で松江市まで出かける。
こちらに帰って以来、何度か出かける機会を持ったけれど、車での移動は景色もすばらしくて、気分良く移動出来る。
特に、「ベタ踏み坂」のCMで有名になった江島大橋から眺める周囲の大景は、何度通過してもすばらしい。
もちろん、車を運転してでのことなので、じっくり眺めるわけにはいかないのだけれど。
日本海と中海、間に横たわる緑豊かな弓ヶ浜、まじかに見える島根半島と、遠景の大山そして中国山地の山々と。
橋の途中で車を停めて写真が撮れたら一目瞭然の好景色なのだが、それは無理なのが残念だ。
吟行は、松江城周辺。
春に一度同地で吟行会がもたれたので、今回は新緑の松江城ということがテーマになるのだろうが、へそ曲がりな私は、今回城を取り巻く濠をゆっくり歩くことにした。
結局松江城そのものは、句会場のビルの3階の窓から遠く眺めやるということで終わってしまった。
緑の水をたたえる堀の情景、そこを行き来する観光周遊船の風情などもおもしろかったけれど、何よりゴイサギの巣を城を囲む緑の森の樹頭に望見したことと、さらに昼間眠っている青葉ずくの姿を間近に見つけだせたことが最大の収穫だった。
青葉ずくは小型のフクロウの一種で、小さいことと体色の関係で、見つけるのは結構難しい。
堀に大きく突きだしたビューポイントのひとつになるだろう立派な巨木の枝にちょこんととまって眠っている姿を、歩いている人達はだれも気付かなかったみたいである。
句会は、その青葉ずくの句を含めて、結構参加者の目にとまったようだ。
良い気分で、帰路の車の運転もできた。

夜明け近い夢の中で、すごい光景を目撃(というのだろうか)することになった。
どうやら世界の終末の夢らしくて、夢の流れそのものは断片を残すばかりで覚えていないが、そんな中で強烈な一場面として記憶に残っている。
それは、広い海に面した都市の風景のようで、私は巨大なビル群が林立する都市と、その足元からはるかに広がる海の景を、どこか別の高いところから一望しているらしい。
その前に、どこか丘のようなところに避難している場面があったようにも思うので、その丘からの風景ということになるのかもしれない。
どす黒い印象の全景の中で、超高層のビル群だけが燐光をおびたように薄く輝いて見えていた。
すると、突然厚い雲に覆われた真っ暗な空の一点から、金色の光が虹が足を延ばすように弓なりになりながら、静かな海面に降りてきた。
そして、その光が海に触れた瞬間、鍋の中の水が急激に沸騰し噴きこぼれるように、目の前に広がる海全体が一気に一斉にものすごく泡立ちながら煮えたぎっていった。
海からの強烈な熱気が、それを眺めているこちらにも吹き付けてくるようだった。
海が死滅した、それがその瞬間の思いだった。
幸い、その直後に目が覚めたらしく、その先の世界の移りゆきは見ないですんだようだった。
夢とはいえ、本当に異様な風景で、あの海が煮えたぎる瞬間の光景は、強烈な印象として残っている。


【17年6月4日】



土曜日、歩いていて見つけた「お花畑」。
畑一面に咲いているピンク色の花。
何という名前なのか分からないので、ネットで検索してみたが、結局まるで分からない。
別の赤い花で、土にすき込んで肥料として利用するために畑一面に植えられている花を見たことがあるが(姿はキャットテールという花によく似ている)、それとはまるで違う。
可憐な印象の花で、初夏のこの時期に一斉に開花するらしい。
普段は、耕作放棄地みたいな様子の畑地で、その真向かいの家の猫たちが時たまトイレなどにも使っている土地なのだが。
日曜日。今日は、午前と午後とにモニター視聴があり、その時間待ち的な状態。
天気は快晴で、歩かないともったないような陽気ではある。
昨日は、歩きのあとで、腕に貼っていた湿布を剥がすと、その部分だけが白く残っていた。
ねんのために日焼け止めクリームを塗ってでかけたのだが、その効果はあまりなかったようだ。
今日も、暑くはないが、日差しはきつそうだ。出歩かないにこしたことはないのかもしれない。

ニュースなどを見ていると、恐らく日本という国は、良かれ悪しかれかなり特殊な国という評価が高まっているような気がする。
世界標準なんてものがあるかどうかわからないけれど、多くの近代国家が形成してきた社会や制度やその背後にある理念とは、少し(あるいはかなり)異なったものによって、日本は成り立っているようだ。
東アジア文化圏の中の特殊系、あるいは特異系として、日本は成立しているような気がする(あるいは、べたべたの東アジア系民族かもしれないが……)。
少なくとも、中国や南北朝鮮のありよう(現在の姿をも含めての)と切り離したところで日本を語ることはできないだろうと思う。
日本人の国民性というものも、そんな地点から考えてみる必要があるように思う。


【17年6月3日】
数日前の夕刻、前線の通過とともに、突然台風のような強い風が吹き、同時に雨が降り出した。
急変に近い状態で、書斎のカーテンを開けて外を見ると、夕闇の中で庭の樹木や電線が揺れ、たわみ、家並みの背後の闇と黒雲の重なる空の様子がおどろおどろしいくらい異様な様で、しばらく外を見入ってしまった。
ちょうど竜巻注意報が出ている時で、あるいは本当に竜巻が発生するのではないかと思われるくらいの荒れようであった。
雷をともなった荒天は、それでも1時間足らずでおさまったけれど、天候のもたらした異様な印象だけはしばらく残っていた。
ちょうどこの時間帯に、山の方では3センチほどの雹が地面に積もるほど降ったらしく、また鳥取市へ出張の弟は、すさまじい雷雨の中を車を運転して帰ってきたという。
嵐は、海岸沿いより山間地が、西部地域より中・東部地域のほうがひどかったようだ。
一度鎮まった嵐は、再度夜中になって、次の前線の通過にともなって、再び短時間の荒天をもたらしたようだけれど、やがてそれもおさまった。
その夜、夜中過ぎに目を覚ましたまま、なんとなく頭が冴えたような状態になって、まるで眠れなくなってしまった。
時々、こんな状態になることはあるのだが、今夜がそんな夜だった。
嵐の余韻が、どこかにまだ残っているせいなのかもしれない。
頭の中に次々にいろいろなことが思い浮かび、なんとなく制御しずらい状態になる。
眠ることはもうできないので、横になっていろいろな思いが浮かんでは消えるままにしておく。
『徒然草』でいう「こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく……」という状態なのかもしれない。
昼間、谷川俊太郎の詩集を読み直しはじめていたので、読んだ折りの印象が色々と思い浮かんだりもした。
『二十億光年の孤独』という初期詩集は、詩人の三好達治の思いのこもった序詩とともに、ずいぶん印象的なものだった。
鋭い知性と感性、豊かな情感に満ちた青年詩人の姿が、戦後間もないある種混沌としたエネルギーのつつまれたであろう時代の幻像とともに、ふと思われたりもした。
谷川俊太郎は、今現在も現役の詩人として活動を続けている、まさに詩人としての生涯を全うしつつある人物のひとりであるけれど、その人のスタート地点の初々しく、またある種の痛々しさを内包しつつ、彼の詩の一節にあるように、まさに「火星人」のごとく「ネリリしキルルしハララ」する生の姿などを思ったりした。
寝室の暗い闇の空間にひとり横になって、そんな詩人の姿を思うのは、わるくはなかった。
6月も3日になり、すでに1年も後半に入った。