日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【17年1月27日】
明朝の気温は、氷点下4度の予想らしい。
今年に入っての最低気温ということになるのだろうか。
今日は、雨の予想が外れて、気温も思ったほど上がらなかったように思う。
道路上の雪も、雨で溶けることを期待していたのだが、轍を残して融け残っている状態だ。
明日は、路面も凍てついた状態になることだろう。
タイヤ交換に行きそびれているうちに、突然の大雪となり、快晴となった昨日、なんとか近所のガソリンスタンドまでノーマルタイヤで走って、タイヤを交換してきた。
明日は、その冬用タイヤで出かけることになる。
無理して換えておいてよかったと思う。
明日から京都行き。もちろん、車で行くわけではない。とはいえ、駅までは自家用車で行かなければならない。
明日は、丹後の句会。
そのまま、京都市へ移動して、明後日は俳句の勉強会。
勉強会のテーマは、若者達の俳句について。
どんな話が聞けるか、交わされるか、楽しみである。
なお、写真は大山の夕景。
【17年1月25日】
積雪は、夜も降り続いた結果、結局50センチ近くになった。
その結果、前回写真で積雪量を紹介したカーポートに異変が生じているのに気が付いた。
屋根を支えるアルミ性の梁がどう見ても撓んでいるのだ。
いまさらながらカーポートを確認してみると、柱にステッカーが貼ってあって、そこに注意として、「積雪が20センチを超えたら除雪してください」と書いてあった。
念のため、ネットで調べると、カーポートは基本仕様が積雪20センチを想定して作られてあるらしい。それ以上になると、仕様が雪国用に変わるらしいのだが、この家のカーポートは、山陰地方であるにもかかわらず、雪国仕様ではなかったらしい。
20センチ以上の積雪は、基本的にこのカーポートの想定外の条件となるらしく、その結果が、屋根の梁のたわみとして現れているようだ。
ともかく、雪を下ろした方が良さそうだ、ということで、昨日今日と、Y型仕様(2台駐車可)のけっこう大きなカーポートの雪下ろし作業に追われることとなった。
詳細は書かないけれど、なぜ雪国仕様のカーポートにしなかったのか、先の住宅の持ち主に抗議をしたいような気分になったものだ。
あれこれ手を尽くして、なんとかほぼ8割の雪を下ろすことができたけれど、もう雪は結構という気分になる。
中古住宅の購入というのは、色々のリスクも同時に購入しているという面があるということを、改めて思わされたことだった。
それにしても、ほぼ雪に閉じこめられた3日間。
食を繋いだけれど、冷蔵庫はほぼ完全に空っぽになってしまった。
残ったのは卵2個と、大根の葉っぱのみということで、天気が回復した今日、実家の分も含めて買い出しに出る。
弟の奥さんと甥を同乗して車で買い出し。
朝の凍てのせいで、がりがり状態の道路を、スコップで雪を削って通れる状態にして出かける。
住宅内の道路は、惨憺たる有様だったが、県道に出てなんとか、雪の合間の轍状の道を辿るようにして走る。
がりがり音を立てながら、大型スーパーと安売りの野菜専門店に行き、そうとうの物資を買って、車底をガリガリ言わせながら帰宅。
雪はもう結構、と思いながらも、夕景の雪の大山をしっかり写真に収めたりもしたものだった。
夕焼けにうっすらと頬を染めたような大山の風情は、なかなかのものであった。
【17年1月23日】。
目を覚まして、外を見ると、思いがけないほどの積雪で、驚いた。
前回の時は、5センチくらい積もって、すぐに融けてしまったのだが(上の写真の右のほう。多そうに見えますが、ガレージの屋根雪がかぶってそう見えるだけ)。
今回は、正味左側の写真のように、おおよそ30センチから35センチくらい新雪が積もっていた。
1時間くらいかけて、道路までの通路をあけ、植木に積もった雪を落とし、隣家との境に落ちた雪を取りのけ、一仕事済ますという状態だった。
その間も、さらさらと粉雪(これは積もる種類の雪なのだが)が降り続き、雪をのかした後にうっすらと積もり続ける。
この状態が続けば、この先かなりの積雪になりそうな気がする。
折しも、こんな状況の中、広域放送が、行方不明の人が出たという内容の放送を流している。
時折、高齢の方が行方知らずになって、後に無事見つかったというようなことが起きるのだけれど、こんな降雪の中、かなり気懸かりではある。
【17年1月22日】。
大相撲。稀勢の里が優勝。先場所、いけるかと思ったらころりと負けてしまったような印象で、今場所もあるいは、と思っていたら、14勝1負の立派な結果を残しての優勝だった。
なにはともあれ、おめでとうと言いたい。強いのか、弱いのか、良く分からない大関だったけれど、来場所は横綱昇進もあるらしいし、大相撲もますます面白くなっていくのかもしれない。
一時の相撲不人気を完全に払拭したみたいだ。
大相撲は、東京と大阪で見たことがあるけれど、なかなか面白かった記憶がある。
初場所の東京の枡席がひどく狭かったことや、大阪場所が全席椅子で、かえってそれが楽であったことなども思い出す。
今日は、一日かけて、所属結社の5周年記念号に載せていただく文章を書き終えた。
初稿に比べ、掲載の都合上、約3分の1に長さを縮めなければならなかったので、季語に焦点を絞った文章へと書き直し作業を続けてきたのだが、なんとか本日終了。
最終の推敲も終えて、編集部の方へ添付ファイルで送る。
これで、当面書くべき文章は書き終えたので、明日からどうしようか、と思う。
本を読むばかりでなく、何か書くということは、必要だし大切なことだと改めて思う。
モニター視聴とレポート作成も1本。
今月は、レポート数が少なくて、「実入り」は良くない。残りは、もう1本だけ。
今日は一日、家籠もり。
午後になって、少し晴れ間なども見えていたけれど、「歩き」も今日はなし、とする。
TPPは、アメリカが正式に承認しないことが明らかになったので、ほぼ完全に死に体状態となってしまったようだ。
日本の将来にとって多くの問題点をはらんだTPPの承認がほぼ不可能になったということは、トランプ新大統領の皮肉なプレゼントみたなものであろうか。
この際良い機会なので、一部マスコミでも言われているように、少しアメリカとの適正な距離を置く、日本独自の外交っていうやつを是非見せてほしいものだと思う。
ついでに、札びらでほっぺたをひっぱたくみたいな外交、小池知事じゃないけれど「1兆、2兆……」援助します、みたいな豆腐屋外交はちょっと考えて欲しい気もする。
【17年1月21日】。
夜中に目を覚ましてテレビをつけると、画面はトランプの大統領就任演説を流していた。
しばらく聴いていたが、選挙期間中の発言と大差ない内容のようなので、すぐに消して再び就寝。
夜明け近い4時過ぎ、どーどーと強い雨が屋根を叩き付けるような音に目が覚める。
実際には、霰が降っていたのだけれど、ひどい降りだなと横になったまま聴いていると、突然、稲光が光り、その直後、どどんと大きな音が轟いた。
寝ている部屋全体が振動したかと思わせるほどの音で、近くに落雷したことが明らかだった。
間を置かずに、さらに稲光と雷鳴。
これも大きかった。と同時に、停電。
しばらくして、電気は回復したようだが、枕元のデジタル時計は、12時を表示して、明滅を繰り返す。
テレビをつけて、時間合わせをしていると、遠くからサイレンと打鐘の音。
明らかに消防車のはしって来る音だった。次第に近づいてきて、やがて音が途絶えた。停車して、消火活動に入ったのだろうと推測する。
さらに、新たな消防車の音と、それとは異なるサイレンの音。恐らく救急車だろうと思う。
その音もほどなく消え、さらに新たなサイレンの音が聞こえる。
すでに、雷は鳴りやみ(というか、巨大な二連発以後、雷鳴は続かなかった)、戸外の音もぴたりと止んでいた。
あるいは、先ほどの落雷にともなう火災の発生かと考え、寒いのを我慢してベットから出て、カーテンを開けて外を眺めるが、異常な様子は確認出来なかった。
ただ、屋根の上も道路も霰が白々と降り積もっていた。
それにしても、昔むかし、家族で車に乗って移動しているおり、ごくまじかに雷が落ちてびっくりしたという経験があるのだが、今回の落雷はそれ以上の迫力であった。
朝になると、すでに天気は回復していた。
今朝の荒天がうそのような、のどかな晴天の一日だった。
朝方の雷に、実家の犬は大丈夫だったかと気懸かりだったけれど、老犬のせいか、耳がずいぶん遠くなってしまっていて、電光と雷鳴の際も、いびきをかいて眠りこけていたらしい。
なにより、といえば、なによりのことだった。
【17年1月18日】。
所属結社の5周年記念号に、文章を書くことになった。
主宰の作品に対する鑑賞文。とはいえ、単純な作品鑑賞には終わらないような内容の文章になると思う。
こうやって、連続的に文章を書く機会を与えられるということは大変ありがたい。
今日は、天候は一段落。
洗濯をして、庭に干す。やがて、雲行きが怪しくなってきたので、洗濯物は部屋干しに切り替える。
明日が図書館の返却日にあたっているので、いそいで借りていた本を読むことにする。
高橋源一郎の『ゴーストバスターズ』は読了する。
このような形で物語の醍醐味を味わえることがとても嬉しい。
説明は困難なので、ぜひ一読していただきたいと思う。
ゴジラやスーパーマンやら、ペンギン村やら様々登場する。
そして、言い難く胸に迫るものがあるように思われる。
河野裕子について、息子の淳が書いた回想記。
ずっと微妙な違和感がともなっていたけれど、それは最後まで融けることがなかった。
息子が母を語るという場合に、何か奇妙なものが混在するような印象。
いっそ娘さんの紅さんが語る方が、読む側としてはすっきりするものがあるような気が何故かする。
夕食に、大根を煮る。
いろいろなものとのごった煮ではあるけれど、断然大根の味が良い。
寒いときには、煮物は嬉しい。
【17年1月16日】
夕方になって、雪が一時的にみぞれに変わった。
ようやく、寒波も峠を越したようだ。
路面には、まだじゃりじゃりになった雪が残っていて、長靴でぐさぐさ踏みながら歩く。
実家のピアノ教室の宣伝ビラの元を作る。
写真を取り込んだりして、かなりいい感じのビラが出来る。
その打ち合わせで、なんどか実家と自宅を往復することになる。
鏡餅で作ったぜんざいを土産にもらう。
これは、今夜の夕食になる。
さすがに餅が分厚い。
午前中のうちに、昨日書き終えた文章を再度見直し、推敲も終えて、添付ファイルで送信する。
結構楽しんで書いたので、送り出してしまうと、さて次をどうしようか、などと思ってしまう。
連句は、第四が送られてくる。
なかなか面白い。
全体が20韻という変則的な形の連句なので、次は早速「月」の座となる。
どんな付け句が送られてくるのかが、楽しみである。
国税庁のホームページを利用して、確定申告の申請書類を作って見る。
昨年に比べて、ちょっとややこしい部分があった。こちらの実情はなんら変化はないので、操作方法が少し複雑になったのだろうか、と思う。
確定申告も今年で3回目。
きちんとやっておく方が、色々メリットがあると改めて思う。
税金とかに、やはり敏感になってくることだ。
【17年1月15日】
ここ数日、夜は湯たんぽを使っている。
朝まで、温みが残るので、大変重宝している。
寝室は、一切暖房を使っていないので、さすがに枕元に外して置いた眼鏡をかけるとき、ひやりと冷たくて、室内がずいぶん冷えていることに気が付いたりする。
それでも、布団の中はぬくぬくで、さすが湯たんぽだと思う。
朝の居間もずいぶん冷え込んでいるので、この寒波の期間中ということで、床暖房をつけてみる。
暖まるのに時間がかかるということなので、起床する前に電源を入れておき、あらかじめ温めておくことにする。
確かに、足元はほんのり暖かいようで、室内も気温が5度くらいなのに、なぜか寒いという感じはしない。
暖かいということではないが、寒くはないという微妙なところ。
8時までが深夜電力の時間帯なので、その時間まで使って、電源を切る。
そののちも、2時間くらいはなんとなく寒くないような状態が続く。
気のせいかもしれないけれど。
パソコンの置いてあるところへ移動し、モニターを1本書く。時折、日が差すので、その時はカーテンを開けて、日差しを入れる。
床暖房に比べて、断然こちらの方が暖かいと思う。
日が陰ると、カーテンを閉める。
これもまた、寒さとの戦いということになるのだろうか。
モニターを書き終えて、送信を済ませてから、書きかけの文章をこの際書き終えてしまおうという気分になる。
思い立ったが、何とやらで、和室の方に移動して、書こうと思ったけれど、室内でも息が白く見える状態なので、これは駄目だと思い、ついに炬燵を出す決心をする。
とはいえ、もともと使っている和机が、本来炬燵仕様のものなので、あとは押入から炬燵布団を引っ張り出して、準備をするだけである。
室内に炬燵があるとないとでは、風景がまるで違う、と改めて思う。
電源を入れ、炬燵に足をつっこむと、それだけで完全に和んでしまう。
そのまま、ぼっとしていても良いのだけれど、せっかく書く気分にもなっているので、現役時代に使っていた古いノートパソコンを立ち上げる。
一番最初に買ったもので、結構値がはったものだけれど、今でも何の差し障りもなく使える(とはいえ、ネットからは切断しているけれど)。
引用するつもりの『徒然草』を横に置いて、一気に最後の部分を書く。
原稿用紙5枚弱でおさまった。
これで、一応書き終わり。全部で原稿用紙40枚ほどの文章になった。
全体を読み直し、1月中という約束だったので、手元にもう2、3日置いておいて、読み直しと推敲作業をすることにした。
外は、晴れたり、曇ったり、急に雪が降り出したりと、めまぐるしい天気の変化だけれど、昼間の時間帯はさほど寒いとは思えないので、暖房なしで過ごす。
【17年1月14日】
昼前には青空がでて、ガレージの屋根に積もっていた雪が、緩んで滑り落ち始めていたのだが、午後になって改めて、雪が降り出し、みるまに屋根を埋めてしまった。
とはいえ、まだ積雪自体は5センチくらいしかないので、この程度でおさまってほしいと思う。
しかし、無理だろうな。
これから夕方そして夜にかけては、降ればそのまま積もっていくことになる。
さすがに、少々寒いので、エアコン暖房を入れる。
午前中は、モニターの仕事で2時間ほどラジオ番組を聴く。
午後は、そのままレポートを書く。
1時間ほどかけて、原稿用紙5枚弱の分量にまとめる。
ラジオも、たまに聴くと面白い。
ずっと書いてきた文章が、ほぼ終わる。
あと2、3枚で書き上げることになるのだろうが、そこから先が進まない。
書くべき内容も、最後の締めの部分もすでに頭の中には出来ているのだが、そのせいか、実際にパソコンに向かう気持ちがいまひとつ起きないままでいる。
何故なのだろうか、と思う。
前に書いていた原稿の最終校正の確認電話が入る。
それが終了後、印刷にかかることになる。
それを待とうかな、という気分がどこかにあるようだ。
路面も雪で真っ白になっている。
昨日の間に、買い物に出ておいてよかった、と思う。
トランプの一言で、戦闘機の値段も下がるらしい。
あの新鋭機は、日本も購入するのではなかったか。
日本にとっては、ラッキーなことだったのかも……。
【17年1月13日】
朝から晴れたり、雨が降ったり、突然の吹雪になったりと、めまぐるしく天気が変わる。
気温は、夜中が一番高くて、夜が明けるとともに、徐々に下がり始めている。
現在外気温は2度くらい。
それでも、室内ではさほどの寒さも感じない。室温は、10度くらいではないかと思われる。
ただ、指先は冷たいので、手袋をつけてはいるけれど。もちろん、今は手袋ははずしているが。
明日、明後日と荒天が予想されているということで、昼前に実家の分も含めて買い出しに出かける。
主に野菜類を中心に買い込んでくる。
山陰地方は、雪は降ってもそんなに積もるというところまではいかないだろう、などと思っている。
積もれば、家に籠もるというだけのことではある。
明日は、モニターが2本はいっているので、それだけで一日終わってしまいそうだし。
外は、また青空が広がり、日差しが差し込んでくる。日差しそのものは、ずいぶんと暖かい。
連句の捌きというのを始める。
ネットを通じてのやりとりということで、場の雰囲気には欠けるけれど、自宅でやり取りできるというのはありがたい。
発句・脇句とこちらで準備して、第三を付けていただいた。
面白い句が送られてくる。
それにしても、今読んでいる高橋源一郎の小説『ゴースト・バスターズ』の中で、「ba−sho」(松尾芭蕉なのだろうけれど)と「男」(恐らくフランスの詩人ランボー)とが、砂漠のまっただ中で「ka−sen」(歌仙、連句の一形式)を巻くという場面を、昨日読んだところだった。
句そもののは、パロディーみたいなもののやり取りをもっともらしく、鑑賞し嘆賞したりするというやりとりで繋いでいたけれど、それが結構面白かった。
物語というものを構想し、構築する能力の高さというものを改めて感じて、ちょっと感動したりもしたほどだった。
今頃になっての話かも知れないけれど、こんな作家がいて、こんな作品があったんだ−、と改めて思う。
本当に、何も知らないままでやってきたのだな、と思う。それが、少々残念である。
またまた、一天にわかにかき曇り、すぐに横降りの様子で雪が降り始めた。風の音も聞こえる。
さて、ほんとうに天気はどうなることだろうか……。
そういえば、今日は13日の金曜日であったか。
【17年1月10日】
曇りという予報だったが、実際には晴れたり曇ったりという様子。
太陽が顔を出すと、思った以上に暖かい。
朝もそんなに冷え込んだ情態ではなかったので、さっさと朝風呂に入ることにする。
夜の入浴より、朝の方が掃除を含めて始末が良い。
ついでに、洗濯。
2時間ほど読書してから、暖かいのに乗じて、「歩き」に出かける。
1時間半で8000歩強歩く。
時折、北風が吹くと寒く感じるけれど、そうでないときは結構暖かくて、「歩き」も楽である。
昼前には、日差しのおかげで洗濯物がほぼ乾いている。外気温は10度くらいだけれど、湿度が低いのかもしれない。
実家に顔出しして、犬の様子をうかがうけれど、大丈夫そうだ。
症状は、ほぼおさまっているようだ。薬と甥の帰宅が効果を発揮したのかもしれない。
昼前まで寝ていて、朝食と昼食を兼ねるような食事を作ってもらっていた。
温野菜と穀類中心の食事である。少し、ササミ肉なども入るけれど。
たまに、その野菜とササミを煮たあとのスープを飲ませてもらうけれど、これが意外と美味しい。
帰宅。昼食をとり、ソファに腰掛けてのんびりしていると、サッシの外を近所の猫(おそらくどこかの家の飼い猫だと思うのだが)が通りかかり、こちらの方をのぞき見している。
近くまで行き、ガラスをこんこん叩いてやると、行こうか逃げようか、しばし逡巡の様子だったが、結局のそりと身をひるがえして裏庭のほうへ姿を消してしまった。
毛並みのきれいな、なかなか美形の三毛猫である。
午後からは、引き続き読書。
今朝は、夜中に一度目を覚まして以降、7時過ぎまで一度も目を覚まさないというめったにない状態だったので、昼寝の必要もなかろうと思う。
【17年1月8日】
実家の犬の調子の良くない理由が推測できたようだ。
ネット検索というのは、こんな時にも便利なものだと思う。
獣医さんから渡された薬が、効果を発揮しそうな病気なので、薬を飲ませつつ、しばらく様子を見ることになる。
ストレスも関係しているらしいので、ここ数日、旅行に行っている犬の世話役の甥が帰宅したら、症状はそれだけでも改善するかもしれない。
今日は、終日雨。
午前中は、文章を書く。
いろいろ考えながら文章を書くのは、しんどい点もあるけれど、結構楽しくもある。
読むばかりではなく、書くということも、バランスをとるという点から、好ましいことなのかもしれない。
午後、摂津幸彦の詳論集を読んで、その後、2時間半ばかりテレビを見る。
再放送だけれど、「ビフォー・アフター」が面白い。
本放送は終了ということらしいので、大変残念である。
夕方、BSでNHKの大河ドラマをちょっとだけ見る。前作の「真田丸」が大変おもしろかっただけに、少々見劣りを感じる。
最初の1ヶ月は、主人公の幼少期を描くらしいけれど、歴史ドラマとしてもり立ててゆくのは、難しいような印象を持つ。
子役の演技は、達者なものだ、と思うけれども。
朝ドラにしろ、大河にしろ、なんとなく柳の下の二匹目のドジョウを狙っているのだろうか、とちょっと思う。
【17年1月7日】
高齢者の定義を「65歳」から「75歳」に変更するらしい。
テレビのインタビューの反応では、それを異論なく受け止めている人が結構多かったみたいだ。
確かに、感覚としては、「65歳」はまだまだ若い、ということになるのかもしれない。
健康であれば、という条件つきではあるけれど。
ただ、この定義変更が、次になにをもたらすのか、という点については、皆薄々感じていることはあるのだろう。
率直に言って、いずれ年金を支給される年齢が、現在の高齢者定義の年齢の「65歳」からさらに引き延ばされて、「75歳」に、ということはないまでも、「68歳」とか、「70歳」になっているだろうな、と思われる。
それにしても、あるブログの書き込みの中で、高齢者の定義が「75歳」に変更されたら、日本社会は労せずして「少子高齢化社会」のうち、少なくとも「高齢化社会」から脱するであろう、という発言があった。実際のところはわからないが、思わず笑ってしまった。
なんとも、ブラックな笑いではあった。
統計の基準の変更によって、社会の状況が実態は同じでありながら、見た目は大きく変わる、なんていうことは、数字のマジックとしてよくありそうなことではある。
定義の変更で、情態が一変する、なんてこともありうることかもしれない。
【17年1月6日】
最近、朝寝の癖がついてしまい、8時前くらいまで布団の中でごろごろしていたりするのだが、今日は少し早めに起きる。
朝風呂に入り、洗濯を済ませてから、歯医者に。
予約時間が8時半だったので、移動時間を考えると、ゆっくりとしていられない。
曇りがちの天気で、洗濯物を干したままで出かけるのが、少々気懸かりではあったけれど、まあ仕方がないと思って出かける。
歯医者は治療と言うより、お掃除みたいなことが中心だった。
歯は健康のバロメーターともいうので、基本的に健康とはいえないわが身ではあるが、生活の質を保ち、あまり不愉快な生活を送らないで過ごすという点からも、注意しなければ、と思う。
1時間足らずで「お掃除」は終わり。待合室で精算を待っていると、実家から電話。
犬の調子がよくないので、病院へ連れて行って欲しいとのこと。
歯医者を出て、そのまま実家へ直行し、犬を連れてかかりつけの動物病院へ。
老犬に近い年齢になり、身体のあちこちに問題が出始めているようだ。
外出を喜ぶ犬だけれど、さすがに着いた先が病院というのは、犬の身にしてもあまり愉快ではなさそうだった。
一通り診てもらい、総じて老化現象ということになったのだが、ちょっと呼吸器関係に問題があるかもしれない。
その点については、普段の薬とは別に、あらたに調剤してもらう。
その薬を飲んで、しばらくは様子見という結論になる。
犬を連れて帰宅。
すでに昼近くになっていた。
午後、少し読書。
ずいぶん眠くて、全く集中力に欠ける。
今月末の俳句の勉強会からの連絡が郵送で来る。
若者の俳句について、その背景等を考えてみよう、というのが今回のテーマ。面白そうである。
レポーターは30台のM氏。レポーターとは別に発言者がいて、それを20台のN嬢が勤めるという組み合わせになるらしい。
夕方、実家に犬の散歩のために顔を出す。
結構元気な様子なので、安心する。
外に連れ出すと、いそいそと歩き始める。時折、マーキングなどしながら、マイペースで歩いていく。
連れ添うこちらとしては、ずいぶん寒いので、早く歩かせようとするのだが、それは頑強に拒否して、立木1本毎に丹念に匂いを嗅ぎつつ、歩いていく。
何をそんなに嗅ぐことがあるのか、とおもうけれど、かなり視力も衰えているせいなのか、とも犬の気持ちを忖度したりする。
ともかく、寒さに震えつつ帰宅。
犬は、散歩の後のビスケットをしきりにおねだりしてくる。
実家で、暖かい珈琲をごちそうになって、帰る。
夜に入って、ぐっと気温が下がったようだ。
その分、天気は快晴状態で、西のそら高くに半月が光を放ち、その向かい側の天球の一画にオリオン座が地上を見おろすみたいに浮かんでいる。
【17年1月4日】
昨夜、というより今朝、2時過ぎに目を覚まし、その後3時過ぎまで「しぶんぎ座流星群」を観察する。
天気は回復して、ずいぶん星はみえたのだけれど、肝心の流星はかろうじて1つ観察できただけだった。
天気が良い分、結構寒くて、前半は屋外で、後半は2階の和室から観察を続ける。
今回、流星の出現率は高くはなかったのではないか、というのが個人的な感想。
空の状態がよかっただけに、ちょっと残念だった。
本日から、いつもの生活に戻る。
午前中、読書。漢文は、『唐詩選』とその解説を読み終えて、『十八史略』前編を読み始める。古文は、引き続き『徒然草』後編。やっと半分ぐらいまで読みすすむ。
前に一度通して読んだことがあったのだが、2回目もなかなか面白い。
解説が詳細で、本分を読む何倍も時間がかかる。
こちらは、あと1、2ヶ月くらい時間がかかるかもしれない。
俳句関係は、『摂津幸彦全文集』を読み始める。さらに、今後必要になるかもしれないので、西田幾多郎の『善の研究』を読み始める。
『善の研究』は文庫本だけれど、内容はとても難解。
午後、そして、夕食を終えてから、1時間半ぐらいずつ文章を書く。
現在、原稿用紙16枚ぐらいになる。まだもうしばらく、続きそうだ。
1月中に書き上げて、掲載してもらえる俳誌の方に送らなければならない。
内容は、ちょっと変なもの。
俳人で私の師匠の岩城久治の第4句集『冬焉(とうえん)』より「はじめなかをはり一切大文字」という句を用いて、色々書いている。
京都の「大文字送り火」を題材とした一句である。
今年は、もしかすると、その師匠を話題として、小さな講演をすることになるかもしれない。
そのための準備も、半年ほどかけて進める必要がありそうだ。
自分の出来ることを、今年はやりたいものだ、と思う。
【17年1月3日】
午前中、箱根駅伝見る。
ただ走っている姿を映しているだけなのに、まるで飽きない。
結果が見え始めた頃、買い物に出かける。
昼食に弁当を買って帰る。
お節は、2日半でほぼ消費する。
午後、昨日に続き、ちょっと文章を書く。
ちょこちょこっと書いては、次の日読み直して、文意や論理を整える、という感じ。
「歩き」に出る。
ついでに、近所の知り合いの家に新年の挨拶に立ち寄る。
数ヶ月ぶりの対面で、あきらかに太っていることに気付く。
正月太りではあるまい、と思う。
とっくに還暦を越えているのに、役職の都合で仕事やめられない、と嘆いている。
無職の身としては、なにも言えず。
「一億総活躍、頑張ってくれ。」と一言添える。
岩城先生から、短冊を送っていただく。
句会で出した「葱」の句を書いて送ってくださった。
お礼の電話のついでに、既に終刊になった俳誌『青玄』のことについて、ちょっと質問したりする。
書いている文章の参考資料の一つとして活用するつもり。
今夜は、「しぶんぎ座流星群」の極大日。
空は、薄曇り。細い三日月が西の空高くにかかっている。
夜中に雲が切れればよいのだが。
【17年1月1日】
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
こちらは、朝から快晴で、あたたかい元日となっています。
実家でおせちをいただき、午前中には初詣に近所の粟島神社にでかけようと思っています.
初詣に行って来ました。
良い天気というせいか、例年になくたくさんの参拝客が初詣に来ているようです。
標高50メートルの神社本殿まで、つっかけで急な石段を登りきり、参拝を済ませて、社殿の背後にある展望台から、コハクチョウが飛来する中海水鳥公園の景色を楽しみました。
おみくじと破魔矢を買い、甥は愛犬のおみくじまで買って、初詣を終えました。
それにしても、ほんとうにあたたかで穏やかな元日です。