日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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寒いな、と思っていたら、とうとう雨が霰にかわって降り出した。今冬、霰が降るのを見たのはこれが2度目である。かなり勢い激しく降っている。雪に変わることがあるのだろうか。あれば、初雪以来これも二度目ということになるのだが。朝方は、さほど寒くもなくて、暖房もつけないままでいたのだが。
昨日は、短期のお仕事の残務で夕方まで詰めて、なんとか予定の仕事を終了する。かなり気張ったこともあって、一日で終えることができた。この日の仕事は無給である。そのうえで、もう一日さらなる残務が生じて、あらためて二月に入ってもう一日出勤することとなった。面倒だけれど、こちらは有給。それで、完全にお仕事終了となる。
書家の知人とスマホで話をしていたら、四方山話の中で、この仕事のことが出て、自分は一年契約で週一の仕事を勤めているけれど、まるきり無職というよりは短時間であっても仕事に出た方が良いよ、と勧められる。この書家には、先日のグループ展で私の俳句を書として使ってもらったばかりである。さて……。
京都に出かけて、新型肺炎の影響らしきものを目撃したように思うけれど、地元に帰ってみればほとんど切実な話題にはならない。
ただ、テレビのニュース報道を見たりして、邦人の緊急帰国とか、その後の対応とかを見ていると、帰国は当然としても、その後の対応がやはり個人的には気になる。重篤化、さらには死亡にもつながる可能性のある伝染病であってみれば、用心の上に用心を重ねても良いように思う。国民が動揺をきたさないために、実情をやや軽めに広報しているような気がしないでもないからだ。
特に、本人が希望しないので最終の検査なしで帰宅を認めたというのは、自宅待機のまま経過観察して、その程度でまあ大丈夫だろうというかなり軽い判断があるようだ。でも、事態はもう少し深刻のような気がするし、それにそんな中途半端な対応であってみれば、その二人とは誰か、どこの人かなどと、ざわついた情報の拡散・流布が余計なトラブルを引き起こしそうだ。
昨日は、句会に参加するため京都へ。平日で、雨模様の天気のせいか、京都駅構内の人通りはいつも見る様子とは異なって、人の込み具合も少ない。それは、句会会場に向かう四条通りでもそうだったし、句会を終えて実家へお土産の「おたべ」を買いに、京都駅伊勢丹地階の土産物売り場へ行った時も、目に見えてそうだった。つい、売り子さんに「今日は人が少ないみたいですね」と尋ねると、「そう思われますか」とちょっと困惑したような風情で答えられた。変な話ではあるけれど、京都駅構内のトイレの使用状況がうんと少ない。緑の窓口に立つ人も、券売機に並ぶ人たちも、あきらかに少ない。やはり、新型肺炎による中国人観光客の減少が、本当に目に見える形であらわれているのだな、と思う。地方にいれば、その影響は直接的にはほぼまるで感じられないことだ。ただ、地元新聞で新たに就航した香港直通便が影響を受けていると昨日掲載されていた程度で。
ただ、京都駅地下のポルタを句会参加者の丹後の方と岐阜の方と一緒にいつものお店に夕食をとるために歩いていくとき、雑踏と喧騒とは違う、もう少し落ち着いた京都の雰囲気を周囲の様子にふと思い出したりもした。旅行者数の減ということが結果したことなのかもしれない。まあ、よそ者の不謹慎で身勝手な感想ではあろうけれども……。
臨時的なお仕事、残務の部分を残して本日終了。帰りに図書館に本を返却に行くことも忘れてつい真っ直ぐ帰宅。帰ってから気づく。遅い昼食を終えて、あらためて市内の図書館へ。本を返却して、あらたに数冊借りる。向かいの美術館で書道展が本日から開催。知人が私の俳句を「書」にしてくれているので、あいさつを兼ねて見に行く。書風を変えようと辛苦していると以前聞いていたのだが、確かに素人目にもちょっと書体(というのだろうか)に変化を感じる。面白い。
帰宅後、昼寝。つい、夕方まで眠りこけてしまう。やはり、疲れる。来年もどうかと、臨時的な職場の方に打診めいたことを言われたけれど、やはり無理っぽいと答えておく。
夕方、贈っていただいた日本酒を少々いただく。おいしい。ついつい二、三杯と杯(冷酒にふさわしいグラスをと考えて、とっておきのものを出してそれで飲む)を重ねてしまう。美味しくて、飲みやすくて困ってしまう。うちに込められた豊潤さとでもいうものが、個人的にとても好ましい。
明日は、地元の句会。来週は早々に京都に出かける。残務処理もあるけれど、なんとか一日二日で終えて、さらにやらなければならないことがそのあとにどんと控えている。来週は、厳しそうだ。
臨時的な仕事も、一日おいて明後日が一応の最終日。残務処理で一、二回出勤する必要はあるかもしれないけれど、それはあくまで残務処理で、仕事の本体はあと一日。お世辞にもうまくいったとはいえない仕事内容ではあったけれど、なんとか代打としての責めは果たせたのではないか、と思う。現役の時も、手放しでうまくいったということは正直ほぼなかった。ただ、自分にとっては現役最後の一年が、それまでで一番満足のゆくものであったということは、その後の方向性を含めて幸運なことではあったと思う。心置きなく職を辞し、未練なく京都を離れて郷里へUターンできたということだ。
ただ、もう来年度は依頼があったとしても無理かもしれない。仕事そのものは、苦しくも楽しいものではあるのだが……。ただ、半日勤務したら、帰宅後休息しないと回復しないという心身の状態が、気になる。衰えているのだと実感する。年齢的にも完全リタイアして良い時期にさしかかっていることだし、早期退職・Uターン暮らしの原点に戻って、残された時間(実際、残された時間は、今まで生きてきた時間の10分の1くらいしかないかもしれないし)、自分がやっておきたいことをやっておく、そんな最後の我儘の時期なのだろうな、とも思われる(格別仰山なことがしたいわけではないけれど、ちまちまと毎日やることをやる!)。
などと、残りわずかなお仕事のことを思い、ちょっと安堵の情緒に浸る(とはいえ、何が起こるか予測不可なのが、世間の常識なのかもしれないけれど)。
なかなか楽しかった。新鮮な空気が生活に流れ込んだような気分にもなった。それなりに現金収入があるのも心強かった。精神的な緊張感も(度を越して不眠状態になることもあったにしろ)、適度である分は良かった。
もし、超臨時的な依頼があれば、ちょっとだけ来年度もやっていいかな。現場は、ずいぶん人手不足らしいし。などとも……。
『文章規範』読了。全体を通じて引用して紹介したいような文章が随所にあったけれど、色々大変なのでやめておく。次は、『論語』の読み直しにとりかかろうと思う。いずれ、日本人の手になる漢詩なども読んでみるのは面白いかもしれない。
実家で夕食会。焼き肉をごちそうになる。ひとりでは、さすがに焼き肉は食べないので、久しぶりの焼き肉は美味であった。
LINEに大学時代のサークルの先輩たちの麻雀旅行の書き込みがにぎやかだ。50数年前からの関係を現在につなげている、その和気藹々ぶりがとても楽しそうであった。サークル(同好会といった方が実感をともなうけれど)自体は、再来年で創立60周年になるらしい。創立期の方たちの麻雀旅行ということになる。麻雀は、就職してある時期かなり夢中になったことがある。今にして思えば、仕事の合間によくやったなあと感心する。「若かった、あの頃」という古い歌の一節を思い出す。しょっちゅう負けていたけれど、それも思い出……。
内閣官房総務課長は、「改竄」という言葉の正確な定義を御存じないので、「改竄」に関わる答弁や説明も十分には出来かねるようだ。ちょうどよい機会なので、「改竄」の定義をしっかり確認していただき、「改竄」に手を貸した者たちの行為について、しっかり認識を深めていっていただければと思う。お仕事は、是非前向きに進めていっていただきたい。国民の税金で口を糊する立場(そんな困窮状態にはおかれていないか……)なのだから。
年齢との関係で、きっと初老性の鬱とかあるのだろうな、と思う。脳の働きが衰えてくるそんな兆候の一端なのかもしれない。情緒的に「鬱陶しい」という感じにとらわれる朝などがあるということだ。まして、その日にお仕事が控えている時などは、なかなかその状態を払拭することが難しい。車の運転中も、「うざったい」感じが内心くすぶっていたりするわけだ。とはいえ、午前中の仕事を終えると、「緊張とその後の弛緩」の関係で、かなり気分は楽になる。ただ、今度は実態としての疲労感に襲われる。本当に、体力・気力は衰えるものなのだ。
同じく、体力の衰えた実家の犬の散歩を、慎重にこなして、ウンチも後ろから補助することでなんとかなることを確認して、帰宅。「鬱」の一因はこの犬の体力の衰えに対する気がかりと、改めて思う。とはいえ、今日は本人も(犬も)かなり頑張ったみたいで、よろけることもなく、近所の散歩を終える。ただ、後ろ足の状態を見て、最後は抱き上げて帰ることにはしたのだが。
帰宅後、疲れて昼寝。気が付けは、1時間半くらい寝ていた。疲れるのだ、本当に。その後は、ちょっと気力を回復して、夕方の近所を歩く。時速6キロ強の歩きは、結構きつい。いっそ、走った方がよいのかも、と思う……。
ちょっと気分転化。帰宅すると、Kから作品依頼の手紙。初老性「鬱」に浸っている暇はなさそうである。お仕事も、来週で終り。色々きばらなければ、と思う。
実家の十五歳になろうとする犬、もともと左足に問題があったのだけれど、ここ数日の間にずいぶん弱ってしまった。日々の散歩もちょっとままならないような状態になりつつあって、残念。よろつきながらも歩こうとする思いはまだあるようなので、近所を少し歩かせてみようかとは思うけれど、おしっこはさておき、ウンチの方は足のふんばりが効かなくなっているので、どうしたものかと思う。ウンチの態勢になったら、後ろから体を支えるようにしてみようかと思ってはいるのだが。上手くいくかどうか……。室内の移動はまだなんとかなっているけれど、外同様ウンチ・オシッコについては介助が必要になりそうだ。実家では、母が犬の世話役になっているけれど、深夜に及ぶ場合はかなりきつそうだ。この犬は、同じ犬種の三代目、一番長く生きている犬で、できる限り長生きをさせてやりたいと家族みなそう思っているところだ。まだ旺盛な食欲があることが、希望の光ではあるのだけれど。
一年間連載ということで、ある俳誌に書かせていただいていた石田波郷についての文章が、最終回を迎え、昨日原稿を書き終えて送信。主に「波郷百句」を元に書いてきたのだが、今回は波郷最後の句集『酒中花以後』掲載の一番最後の句を話題として文章を書いた。最後の作は、地味と言えば地味な作品ではあったけれど、やはり波郷の生活の一端が色濃く反映された一句であった。書き終えて、ほっとするとともに、さてこの先どうしようか、とも思う。文章を書くことは嫌いではないので、何かにはと思うけれど、とりあえず、6年近く休刊している自分たちの冊子を復活させ、継続して何かを書いてみたいものだと思う。
臨時の仕事も、今月いっぱいで終了。週三日、午前中だけの仕事だったけれど、終わって午後昼寝をしないと回復しないくらいの気苦労のある仕事。やってる最中は楽しいのだけれど……。普段の日に比べて、(精神的)エネルギーの消費量はずいぶんと違う、と思う。これでちょっとは痩せればと思うけれど、それはない。残念である。
昼寝後、夕方まで読書。その後、「歩き」。雨の止み間をねらって。日没後の西空に金星(と思うのだが)が、薄い雲を透いて爛々と輝いて見える。
新しい年を迎えて12日目。しかし、なぜかもう淑気とともに、新鮮な感覚は自分の中からは失われてしまったような気分。今年日本はオリンピックイヤーを迎えて、全国的にきっと盛り上がっているのだろうけれど、オリンピックに興味も関心ももてない我が身としては、自身を奮い立たせるような新しい出来事を周辺に見出すことができない、という沈滞状況に新年早々陥っている、ということなのだろう。あきれたものだ。
とりあえず、本が読めて、15歳になろうとする実家の老犬の散歩が無事できて、ノルマとはいえ「歩き」を実行し、たまに句会に参加して、合唱団で歌って……的な、去年と変わらぬ今年を過ごせたら、ときっとそういうことなのだろう。なんとも退嬰的な考えである。そうは問屋が卸さない、という事態もあり得るかもしれないけれど、それはこちらには予測不可能なことで。
そういえば、昨夜は、「確定申告」の書類を作成。ちょっとだけ仕事をしているとはいえ、処理すべき資料は知れているし、またネットに専用ページもあって、重宝する。2月に入ったら、税務署に申告に行かなければ。これも新年当初の年中行事のひとつではある。もうやり慣れたけれど。ともかく、こつこつやっていく、ということなのだろう。
イランによる旅客機撃墜事件。かつての大韓航空機事件などを思い出す。もともとトランプのイラン要人暗殺に端を発した悲劇であり、それも大統領選挙にからむ思惑がその出発点にあるから、さらに酷い話だと思う。。そんな状況下で、自衛隊は調査と情報収集を名目に、中東に派遣される。それにしても、自国船舶の警護とはいえ、日本以外の船籍(日本の外海航海船の6割はパナマ籍らしいけれど)で登録している船舶は日本国の保護対象になるのだろうか。そもそも、日本人以外が乗船している場合にはその保護の対象とはならないらしいけれど。さらに、もし不測の事態が生じた場合、実際上十分な対抗手段をもたないこの自衛隊派遣にどのような意味があるのか、と少々気になる(気にしても、なんの意味もないけれど。とはいえ、気にしなくなることもまた自己退嬰のひとつだろうし……)。
藤井貞和の『日本語と時間』を読み続ける。総論的な部分は、正直何が書いてあるのかほぼまるで理解できなかったけれど、各論の個々の助動詞の説明に入ったら、なんとなく了解できる部分があった。特に、なるほどと思わされたことは、助動詞の文中における働き方について、それを機能的なもので分類づけるのではなく、その助動詞を本文中でそのように用いている使用者の側の意識のありようからその助動詞の働きというものを跡付けててみようとする姿勢と方法論であった。たとえば、いわゆる過去の間接体験の助動詞「けり」について、僕たちはその助動詞「けり」は作者の間接的な過去の体験を表現する働きを持ち、文法用語的に言えば、その意味は「(間接的な)過去・詠嘆」の表現ということになっている。しかし、それは表現された文脈上の働きについて適宜ラベルをはりつけたものであって、そもそもそれ自体が「けり」の働きを本当には説明し得ていない、その結果についての便宜上のラベリングにすぎないとする。たとえば、藤井に言わせると「けり」は過去から現在にまで継続しているある事象について証言する言葉としてわれわれは意識的ないしはほとんど無意識的に用いているものであるとし(なぜそんなことが可能なのか、という点にはこちらの認知能力をはるかに超えた説明がきっと必要なのだろうから、意識的に触れられていないようだけれど)、その結果として表現されたものは「過去から現在にいたる体験」的事象であったり、結果としての「現在の気づき」だったり、その「気づき」がある種の情緒的反応(「詠嘆」の感情)をもたらしたりするので、文法学者はその結果部分に対して、「過去」だの「詠嘆」だのと機能面をラベル表示しようとする、ということのようだ。だから、結果として研究者によっていろいろな機能上のラベルが貼られるので(その方が、説明を簡便にするという側面があるけれど、簡便であることが正しい説明を担保しているわけではない)、その段階ではなくそのような機能を「けり」という言葉にもたらす我々の意識や認識それ自体をきちんと明示することが、本当の意味で「けり」をその機能に即して文法的に説明したということになるらしい。私たちが学校において教わってきたことは、その起点ではなく帰結点について便宜上ざっくりと命名されたその内容(それは各文法学者の認識や判断によって微妙にことなったりしているようであるが……)を、文法の知識として認知しているということらしい。本当に面倒なことではあるけれど(文法学者というのが、なんとも厄介な存在のように思われてくるけれど)、その説明自体はなんとなくうなずける部分があるように思われたりする。
離党をしたら責任を取ったことになる、というのは政治家当人の身勝手な思い込みにすぎない。それは主に所属政党に対して直接の迷惑をかけない、ということに過ぎなくて、国民に対してはまるで責任を取ってはいない、ということなのだろう。政治家としてやってはならないことをしでかしたら、政治家として同僚に対してではなく、国民に対して責任をきちんととって辞職してほしい、と素朴に思う。すでにしでかしたことに対して、あとで修正したり、謝罪したり、今後の改善に問題点をすり替えたり、そんなやりかたでやったことが「チャラ」になるとしたら、その無責任ぶりは「政治家は三日やったらやめられない」ということもうなづけるような気がする。
辞職するのは、自分を選択してくれた支持者に申し訳ないと思うのなら、支持者もまたそんな人物を選んだ当事者として、その痛みを元議員とともに背負っていただければよい。そんな人物に投票して、議員として送り出し、国民の税金である歳費の無駄遣いを招来した責任は、有権者自身にもあるのだろうし。問題を起こした議員は、即辞職。次回の選挙は国会議員なら国政選挙、地方議員なら地方選挙への立候補禁止、投票した有権者も同様に投票権を一度はく奪、くらいのドライな選挙運営をやってみたらどうなるのだろうか……。きっと議員のなり手がなくなるかもしれないけれど。
かなり長い間中断してきた冊子を再開させようかと思う。現在準備を進める。主に俳句関係の内容。
世の中のごたつきは、一向に収まりそうもない趨勢ですね。。
危険分子排除のために抹殺。国家の意志の遂行である限り、それは殺人とは異なる何かなのだろうか。戦争の危機の回避が、戦争の可能性を一層高めるという矛盾は、どう考えたらよいのか。不思議な話だ。
本日の「歩き」。片道1時間かけて、初詣を兼ねて地元の有名な神社へ出かける。天気は快晴。気温は低いが、日差しは暖かい。この神社、今年の干支の「子」の彫られた灯篭があるとのことで、評判になっているらしい。昔は海に浮かぶ小さな島だった、標高50メートルほどの小山を、急傾斜の石段で一気に登って、本殿まで。その正面横の灯篭に、そのネズミが彫られてある。写真に収める。せっかくなので、売り切れた破魔矢の代わりに、小さな縁起物の熊手を実家分とあわせ、二つ買って、1時間かけて帰る。ちょっと汗をかくぐらいの「歩き」だった。
夕方まで読書。その後、少し薄暗くなる時間帯を見計らって、初詣に行った神社の近くにある「水鳥公園」まで、コハクチョウの帰巣を見に出かける。干拓地の一部が内海から堤防で切り分けられて広大な湖水状になっていて、そこへ毎夕のように、内海の対岸の餌場からコハクチョウが寝に帰ってくるのだ。数十羽ずつ群れになって帰ってくる姿は、なかなか素敵である。ただし、天候や時間帯などによって、いつ帰ってくるかわからず、ごくたまに条件が悪いときは餌場にとどまったままでこちらのねぐらまで帰ってこないという日もあったりして、コハクチョウの帰来を見ることができるのは、かなり幸運なことなのだ。最悪の場合は、すでにとっぷり日が暮れて、声はすれども姿は見えず、ということもある。
今日は、正解だった。まだ茜色の光をわずかに残す空と雲を背景にして、第一群、二群、そして三群と数十羽ずつ群れつつ帰来するコハクチョウを眺めることができた。ちょうど、今日はあきらめて、自転車で帰ろうとしていた人が、白鳥の声を聴きとめて慌てて引き返してきたりもしたものだ。コハクチョウの群れは、いったん湖水(実際は海なのだけれど)のずっと奥まで飛んで行き、そこからこちらの方へとゆるりと引き返してきて、そして次々着水する。水面の白鳥と上空の白鳥とが鳴きかわしていたりする様子も、心躍るものがある。
新年二日目、満足しつつ、帰宅する。
2020年の元日は、終日の曇天。地元は最低気温が朝方の4度、最高気温が昼の10度ということだった。思ったほど寒くない、という印象。
某古典文学作品ではないけれど、昨日と変わらないようでいて、どこか気分が清新なのは、やはり新年を迎える心のありようとでもいうものなのだろう。「淑気」と言う言葉が、何となく実感として感じられるのも面白い。
朝は、遅い朝食を実家で。お雑煮とお節。その後、しばらく一家団欒を楽しんで、帰宅。昼前まで、こたつに潜り込んでの読書。読み初めということになるのだろうか。いつもの『源氏』と『文章規範』。お正月に『源氏』というのは、お似合いという感じだろうか。昼前には年賀状。今年も1件、「年賀は今年のみ」という賀状があった。数年後には私自身もそんな年賀状を書くことになるかも、などと思う。とはいえ、送られてきた賀状を読むのは楽しい。
午後は、昨年なぜか途中で中断していた金子兜太の最後の句集『百年』を、これも炬燵の中で読み終える。最後まで、金子兜太、であったと思う。晩年10年間の作品をほぼすべて収載した句集であるとのこと。読後、「歩き初め」。軽く1時間ほど歩く。さすがに防寒服は必要だった。
夕方、暮れなずむ大山を眺める。スキー場は閉ざされたままらしく、いつもならゲレンデの照明がきれいに灯されるはずが、ライトは消されたままで、薄墨色の少々寂しい風景が目に映るばかりであった。BSで『男はつらいよ 寅次郎相合傘』を見る。浅丘るり子のリリーさんが登場する。今日は、この映画1本を見ることができて、本当に良かったと満足する。寅さんとともに、りりーさんもまた永遠のキャラクターである、と個人的には思っている。
新年早々、IR汚職は新たに自民・維新の議員なども巻き込んで広がりそうなそんな気配? 維新は、大阪で強力にIR推進の立場をとる政党であったはず……。