日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

         
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【20年11月27日】
図書館で借りてきた岡田暁生著『音楽の危機』を読んでいる。コロナ禍で、一時期コンサートもライブも息を止められた時期に、強い危機意識のもとに書かれた一冊。内容は現状に限定されることなく、問題をさらに広げて、コロナ後の特にクラシック関係のコンサートというもののありようについて、ベートーベン『第九』を引き合いに出しつつ、考察を重ねている。本来、コンサートというものが、コロナの感染に大きく関係する「三密」状態をこそ本来的本質的なありようとする、というところから話を始め、その「三密」状態回避の結果としてのコンサートという「ライブ」活動の禁止と、その現実を通じてコンサートにおける「三密」の意味や価値について改めて考えていくというところから話を進める。本文中には、いくつものクラシック作品の例示などがあり、ユーチューブでそれらの作品を聴きながら、こちらも本文を読み進めている。
実際のところ、合唱活動は現在ほぼ停止状態で、予定していた「メサイア」の公演も、来年11月に延期され、それもワクチンの有効性と普及率によって実現するか否かもおぼつかない状況の中で、ちょっと身につまされるものを感じつつ、岡田氏の評論を読んでいるのが、実情。

安倍晋三事務所発信で、元総理が国会において平然と虚偽の答弁を繰り返していたことは、さほど驚きではない。内心、きっと嘘ついているだろうなと思いつつ、その虚偽を覆すすべをもたない野党のだらしなさにあきれつつ、国会中継を視聴していた時もあったので。そういえば、数日前の某テレビ番組で、元総理の虚偽発言がもたらされた原因の半分は野党のだらしなさにその原因がある、と堂々と発言していたコメンテーターがおり、番組MCもその発言を聞いて我が意を得たとばかりにほくそ笑んでいる姿を見て、野党にかこつけて虚偽発言をそこまで大胆に容認・弁護するものかと、さすがに呆然としたのだが。

中国ドラマ。全72回かと思ったら、74回だった。本日、第70回。あと残り4回。番組のタイトルだけは、番組予約のところで知ることができたので、そのタイトルを手掛かりに内容をいろいろ予想してはいるのだが。それにしても、今回はとうとう悪人二人のうちの一人が壮絶な死を遂げることとなった。冷酷無比な用心棒でありながら、我が身を賭して自分の主人にあくまで忠実であろうとする姿は、ついちょっと感動すらしてしまった。このドラマのすごいところは、登場人物一人一人のキャラ立ちが、わき役まで含めてきわめて鮮明なところで、だから悪人に対してまでつい共鳴?してしまうところがあるのだ。あと4回、息をのみつつ、午前4時からのドラマを見ることになるのだろう。

【20年11月23日】
市立図書館で本を借りてくる。詩集3冊、コミック2冊、小説1冊、評論1冊。秋山駿の本も引き続き借りたかったけれど、次回にまわす。前回借りたものは、一度目に読んだ時はひどく難しく感じたけれど、一通り読み終えて一部再読した際には、自分でも不思議なくらいかなり細部にわたって作者の言わんとするところが理解できたような気がした。一通り読み通すということは大切なのだろう。それにしても、あわせて中原中也の詩集と、小林秀雄の作家論集を再読できたことは良かった。どちらも文庫本で、中也の詩集はページの周囲がくっきり黄ばんでいる状態。数十年ぶりに読み返した2冊だった。小林秀雄の文体には、昔も今もなじめないところが多いけれども。

小説は本谷有希子の『あの子の考えることは変』。短いお話。23歳の女子二人の奇妙な共同生活。かなり極端な性格の二人の葛藤や共感などの内容で、最後はちょっと感動的であったりした。作者が、劇団の主宰でもあるせいか、二人の会話のやりとりが面白かった。二人芝居なんかでやってみたら、ずいぶん楽しめるかも。

今日は終日不安定な天気。少々肌寒かった。夜に入って、また雨が降り出す。3連休最終日、当地はこんな天気。テレビのニュースは、観光地の人出の話題が繰り返し流されていたけれど、たしかに京都の渡月橋の様子など、恐怖を感じるほどの過密ぶりだった。外国からの観光客抜きで、あの人出はかなりスゴイ。GOTOの一部見直しが決まったようだけれど、その効果は未知数。

【20年11月22日】
GOTOキャンペーンが問題になっている。個人的には、その恩恵を受けるつもりは端からないので、それ自体については関係も関心もない。ただ、今更ながら「GOTO」はコロナがある程度終息した時点で打ち出されるはずのものという、今では忘れ去られたようになっているであろう施策の建て込みが、早々に崩されて(業界の圧力か、個人の利権がらみか、わからないけれど……)、今現在の混乱状況の元凶として尾をひいていることが残念だ。政府としては、おそらく個々人の行動変容を通じて、もっと早期にコロナをある程度抑え込めるとの見通しのうえでの前倒しが、裏目となってしまったと、そうとう慌てふためいているのが今ということなのかもしれない。正直、GOTOが現状のコロナ急拡大の真因かどうかは、わからない。ただ、確固たる証拠はないものの「感染急増のきっかけになった」というある人の意見が、その実態を最も反映しているもののように個人的には思われる。とはいえ、感染が一部地域で急増し、全国的にも増加している現状に対しては、早急に何か具体的に手を打つしかない状況になっているのだろう。そして、菅総理の言う「自助」あるいは「共助」レベルでの対策はすでに功を奏しえないことは、ネット上の声にもあるように「おれは、あるいはおれたちはすでに数か月も前からそれをし続けてきた」という個人あるいは集団の努力の限界と、さらにいえばいわゆる自粛・自重の個々人の「我慢の限界」とが、生憎にも重なってしまったことが不幸な事態を招来してしまったのかもしれない。公徳心が高く、我慢強いと言われる日本人も、とうとう一部「弾けて」しまったのかも。

などと、あたかも他人事のように、言い換えると評論家や政治家の発言のように、コロナ感染拡大のことを書き付けてはいるけれど、正直なところ「かなわんな」と思う気持ちは強い。田舎暮らしのせいか、我が身に近接してコロナの脅威を感じるほどの切迫した日々の生活ではないにしろ。今日は、たまたま京都在住の知人から珍しく電話があり、コロナの話題を中心に、30分くらいしゃべっていた。京都の一部地域では、昨年同期以上の人出があったとか、そんな話で。幸い、知人・友人には感染被害に遭った者はいないみたいで、その点は安心したのだけれど。野原を歩き回っている限りは、感染する可能性はないだろうが、とはいえ、いつ、どんな経路で感染被害を被ることがあるのかは、全くわからない。そのうえ、「被害者」が即「加害者」へと変転する感染症の立ち位置の危急さを思うと、ほんとうに鬱陶しいことだ。

中国ドラマ、ついつい気になって、歴史的背景みたいなものを知らべてみたりした(何しろ、実話をもとにしたドラマということで)。なるほど、これが背景か、と納得し、その先の歴史の変転が、どうドラマに反映するのだろうか、と思ってみる。がしかし、残り6話ほどで、どうこのお話が終息するのか、一層予想がつかなくなってしまった。

【20年11月20日】
気が付けば、もう二十日。年齢のせいというわけでもあるまいが、時間の進み具合がずいぶん早いような気がする。本当かどうかわからないけれど、相対的に時間の進み具合の感触は、主観的な部分で幼年ほど遅く、年を取るほどに早く感じるようになるというようなことを聞いたことがある。主観的というのは、幼年期は生きてきた年数に対して一日の時間の割合が高く、年齢が進むにつれ、生きてきた年数に対して一日の割合が低くなるように感じる、ということがあるとか、ないとか。100日に対する1日の割合は1%だけれど、1000日に対する1日の割合は0.1%と小さくなっている、という風に。幼年時の方が、一日の密度はきっと高いだろうから一日は長く、特に仕事をリタイアして以降は一日の密度は相対的に低く、その分時間の進行もゆったりとして長く感じられる(主観的に)ような気がするけれど、かならずしもそうではないようだ。毎日に大きな変化もなく(私などは特にそうかもしれないが)、代り映えのしない日々ほどに一日の長さを感じてしまう、というわけでもなさそうだ……。客観的な時間は、幼年時も年を重ねて以降も同じはずではあるのだろうが。

どこか、ぼーとしているところがあって、色々やるべきことを漏らしている結果、ということもあるかもしれない。ネットで連句の捌きみたいなことをやらせていただいているけれど、ついつい選が遅くなってしまう、などということもその一例か。メンバーの方にはお待たせしていて申し訳なく思う時もあるのだけれど。困ったものではある。

中国ドラマは、予想外の展開となっている。とうとう、日本留学などということまで出てきた。残り数話、どんなふうに様々な伏線が解決され、ドラマが終焉を迎えることか、どきどきしながら朝4時に目を覚ましている。このドラマを見始めたころは、4時と言っても外はすでに明るくなりつつあって、5時から「歩き」に、などという状態だったが、今では外はほとんど夜。二度寝して、朝の時間がずいぶん乱れるという状況となっている。とはいえ、これも来週まで。終わるのは残念。何か面白い、韓流、漢流ドラマがあればと思うのだけれど。そういえば、日本のドラマは日中にやっている再放送のサスペンスを時々視聴する以外はまるで見ないな(半沢直樹は例外だったけれど)。NHKで時折面白い単発ドラマ、短期連続ドラマを見ることはあるが。いやいや、朝ドラは必ず見ていることを書き漏らしてはいけない……。現在コミカルな味付けでお話が進んでいるのが、なかなか好ましい(再放送でやっていた「おしん」のように朝からひたすら重たいドラマは、少々鬱陶しい。いまやっている再放送の「澪標」は沢口靖子にしろ桜田淳子にしろ明石家さんまにしろ、演技にどこか違和感ばかりが強くて、面白くない)。


【20年11月13日】
火曜日から土曜日まで、毎朝4時に起きて見ているBSの中国ドラマ。半沢直樹的な「勧善懲悪」を基本に据えたドラマではなく、もっとどろどろした内容に話が進んでいて、見る方も気が気でないような状態となる。中国の歴史ドラマだから、官僚制の腐敗についても、拝金主義が人の命を平然と奪ってゆくということも、正義の官僚が巨悪の中に取り込まれていっても、それを時間の壁を生かして、正直ちょっと嫌になるほど正面から描き出している。その衝撃度から当時放映されたドラマで第一位の評価を視聴者から得られてということも、とてもうなづけることだ。ましてや、このドラマは、実話に基づいていると知ってさらに驚く。全72わの長尺ドラマなので、まだまだこれからお話はどの方向に向かうかはわからないなりに、泥沼的世界に沈み込んでいくことになるのだろうか。できれば、最後には多少なりともカタルシスが欲しいけれど、どうなのだろう。それにしても、登場人物の一人一人が際立っていて、ドラマとしての見ごたえに直につながっている。特に、巨悪に仕える男とその用心棒の存在感は、良かれ悪しかれ強烈なもので、この二人の存在がドラマにリアリティーをもたらしているものと、(不愉快ながら)つくづく感心もする。悪漢ドラマとして見ても、(不愉快ながら)とても面白い。そのおまけとして、漢文を読みながら、歴史書に登場する官僚同士の讒言と、その結果(多くは、君子から死を賜うということになるのだが)について、わずか一行の記述の背後に、強大な悪意と冷徹周到な準備と謀略、妬みや恨みや怒りや悲しみが込められているのだろうな、などとちょっとリアルな感触とともに読み取ったりすることになってしまったようだ。。ドラマそのものは、残り十話くらいなので、佳境に入ってきているということになるのだろうが、あと2週間くらいは、4時起きということになりそうだ。。ネット検索をすれば、この先のあらすじなども簡単に知ることができそうだけれど、それだけはやめようと強く心に思う。

アモス・オズ著『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』を読む。内容は、「狂信者」について。パレスチナ問題を扱っているけれど、話題そのものは米国にも、そして日本にも広がりをもつものだろうな、と思いつつ読む。

鳥居『キリンの子』を読む。歌集である。最初の二首だけ紹介する。「病棟は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある」「助けられぼんやりと見る灯台はひとりで冬の夜に立ちおり」。なんとなく歌意は想像できるのではないかと思う。暗く重たい内容の歌集。最初「割れない窓」ってのは何かと思ったけれど、文字通り個室に一つだけの窓という印象で、その窓には内側から破られないように鉄線などがガラスの中に封じ込められてあるのだろう、などと思う。解説は、吉川宏志。京都の勉強会に一度講師としてきていただいたことがあるのを思い出した。「塔」短歌会の若い主宰(少し年をとっておられるかも……)。


【20年11月9日】
米国、大統領選挙は、バイデンの勝利。高みの見物的な感じで半分面白がりつつ推移を見ていたけれど、個人的にはトランプが落選して、何はともあれという思いにはなる。平然と嘘っぽいことを発言し続ける姿勢は、日本の元総理と似たようなところがあって、その点は不快感を感じていたので、とりあえず両者ともにひのき舞台からは一旦退場ということは結構なことだろうと思う。とはいえ、トランプも元総理もいずれ返り咲きをと考えていそうな雰囲気もあり、両方の支持者たちも陰に陽にその希望を表しているようで、その点は実現しないことを切に祈るばかりだ、鬱陶しいから。

などと書き込んでいたら、突然の電話。受話器を取ると、機械音声による「衆議院解散」に関するアンケート調査、とのこと。「情報なんとか」とよく聞き取れない調査元の名前に、そのまま受話器を置く。来年1月にも、解散総選挙が的なニュースも流れ始めているみたいだけれど、そんな状況が実際煮詰まりつつあるのだろうか……。

図書館から借りてきた評論家秋山駿の『「生」の日ばかり』という日記風エッセイを読む。八十歳を超えてからの著作。自らの老いというものを、心身の衰えという状況の中でどう認知し、どう表現しようとしているのかということが静かな迫力とともに、こちらに伝わってくるようで、ほぼ一気に読み終えた。秋山駿は若いころにその名前を知っていたし、一、二冊はその評論を読んでみようとしたことはあったように思うけれど、何とも難解な内容でお手上げ状態であったおぼえがある。今回、読み終えて改めて興味を引かれ、さらに図書館で『小林秀雄と中原中也』を借りて読み始めたが、難解。しかし、なんとか一度読み通してみようと思う。

今日は、一日良い天気で、「歩き」やら午前、午後の犬の散歩やらで、結構長い時間を戸外で過ごした。その間、空に浮かぶ雲になぜかとても心ひかれ、なんどもスマホ写真に収めながら歩いた。秋の雲とはもう違う、しかし冬の雲でもない、もちろん夏とも春とも違うという変に印象的な雲の姿で、これも季節の変わり目の特異現象みたいなものかなどと思う。もちろん、見ようによれば、なんの変哲もない空と雲ということではあろうけれど。

【20年11月4日】
本日。自宅から遠望できる山に初雪が降る。数日前に、霰が降ったとは聞いていたのだが、今日は雪だったらしい。あいにく、外出することがなくて、その山容を見ることができなかったのは残念だった。それにしても、確かに今朝はとても寒かった印象は、夕方になっても(夕方になって一層)残っている。もう少し気温が下がったら、本格的に暖房を使うことになるのかもしれない。ヒーター内蔵のベストのCMをテレビでやったりしているけれど、案外そんなのも「歩き」には必要かも、などと思う。今週の土曜日が「立冬」らしい。間近に冬は迫っている。

知人のMさんの書いた某俳人についての評論の読書案内を結社誌に書くことになっていて、本人から送っていただいた本を読み、本日原稿を書き上げる。いろいろ行き違いがあったらしくて、締め切り直前か、すでに締め切りを過ぎているのか、特に話もないままに、おそらく一刻も早く書く必要はあるのだろうな、と雰囲気を感じつつ、読了後なんとか二日半で書いて、編集担当の方へ送信する。あわただしくも、けっこう楽しい執筆となった。とはいえ、知人の本ということで、なんとなく微妙な緊張感はつきまとっていたけれど……。

天気は悪くなかったけれど、なぜか腰が痛い。膝痛が腰へと移動したのか、とも思ったけれど、膝の方も相変わらず微妙に痛いので、あっちもこっちも痛い、という悲惨な状況となってしまった。グルコサミン飲もうか、などと思う。しかし、通販の栄養補助食品というのは、なぜあんなに高いのか、と思う。言い値販売、だからなあ……。

ここ数週間、寝不足状態が続いている。原因はあきらかで、BSで朝4時から1時間枠でやっている中国発のドラマを毎日見ているからだ。昔々、韓流ドラマ「チャングム」にはまって以来、外国ドラマにここまではまったことはなかった。面白い。ネットで確かめると、やはり同様の人がそれなりにいるみたいで、今回は再放送版であるらしいけれど、そもそももともとのドラマも評価が高かったらしい。ドラマは、そろそろ佳境に入っていきそうな気がするけれど、話が進むにつれて、中国版「半沢直樹」風になっていって、こうなると眠かろうがなんだろうが、見るほかない状態となる(録画できないので……)。

米国の大統領選は、わけわからない状態に突入しているみたいだ。