日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【20年12月30日】
今年も明日で終り。一生に一度あるかないかというような感染症による災厄の一年間として終わろうとしている。ワクチンの効果が以前並み(どうやらコロナもほぼ収束したみたいで日常的な感染症の危機をまぬがれたかも……的な感触)の社会心理の状況をもたらすまでには、数年の時間が必要だともいわれているようで、来年もこの状況は大きな変化もなく続くことになるのだろう。気長く、慎重に今の生活を続けるほかないのだろう、とも思われる。

文字通りの「年末寒波」が襲来しそうだ。溜りにたまった寒気が満を持して移動を始めた、みたいな。数年前にも、かなりの降雪にみまわれて、送電鉄塔は倒れるやら、港では漁船が雪の重みで沈没するやら、ご近所ではカーポートの屋根がつぶれるやら壊れるやら、実家では大きな庭木が途中から折れるやら、という被害があったけれど、あの時の再来はかんべんしてほしいと思う。カーポートの雪下ろしだけでも、相当にたいへんなのだから。今は、朝からの雨も一休みらしく、薄雲の向こうに太陽の影もみえるのだけれど、とはいえ次第に風が強まってきているようで、時折戸外から鋭い風の音が聞こえてくる。いったんこの状態になって、それからおもむろに雪降りへと移ってゆくのだろうか。なんとも不吉だ。

昨日のうちに大掃除も終え、買い物も済ませ(雪対策もかねて買い置き)、今日明日は心静かに過ごそうと思っていたけれど、寒波の襲来でそれもおぼつかなくなりそうだ。とりあえず、一夜飾りを避けるために、玄関にしめ縄を飾っておかなければと思うけれど、とりあえず夕方までは風雪の様子を見ておこうかと思う。地元句会への今年最後の投句を作らなければならないので、午前中はこたつにもぐりつつ、句作。

【20年12月24日】
昨夜のうちに年賀状を印刷。今朝、投函する。現役の時に比べて、枚数は半減。今年は、弔事による欠礼の葉書がいつになく多かった。そんな時もあるだろうと思っていたのだが、昨日あらたに一通欠礼の葉書が届いた。以前の職場の同僚で、私と2歳違いの人のその奥様からの通知。ごくたまに電話などがあったりして、元気でいるものと思っていたので大変驚く。年賀状の宛名を印刷する前に、その人の住所を一覧から削除した。胸が痛んだ。

いとうせいこうの小説「夢七日」読了。読み終えて、こんな内容だったのか、と驚き、納得する。引き続き「夜を昼の國」を読む。こんな手があるのか、とその発想力に驚く。プロっていうのは、こんなことをいかにもやすやすという風にしこなしてゆくものかと、大いに驚嘆する。こんな構想力、いったい脳髄のどこいらあたりから閃いてくるのだろうか……。吉増剛造『詩学講義 無限のエコー』を読み始める。今のところ、混乱と困惑状態。一体なにを語っているのかが、ほぼわからない。今はただ耐えるばかり。どこかの時点で、何か通じるもの(とっかかりとなるもの)と交差することを期待するばかり。

宴会騒動(会食騒動というべきか)、もう好きにしたら、という気分。ついでに、医療関係にとっては大大迷惑だろうけれど、その場から何人か感染者が出て、ひとりくらい亡くなった時点で、やっと国民の常識並みに「ヤバイ」と思うかもね、などと吐き捨てる。(物騒な物言いではあるが)そんなところかも。
ただ、政治家というのは一般人がびっくりするくらいに懲りない(反省のない)方が多いらしくて、自分だけは別格と考えるのかもしれない。自分は別格と考えるくらいに一般人と比して別格ということかも、などと循環する論理の世界にはまりこみそうで、大変。

【20年12月20日】
年末が近づいてきて、年賀状をそろそろどうしようかと考え始める。毎年、このくらいの時期から一気に文面を作って(パターンが決まっているので)、住所印刷もソフトで一度に済ますということで、実働3日くらいで仕上げて投函するので、何とかなるのだが、今年はコロナ禍のこともあり、いろいろな集まりや対面も近場を含めてほとんどなしという状態だったので、この機会にとちょっとだけ例年とは違う内容にしてみようか、とも考えたのだった。とはいえ、結局はほぼ例年通りという内容におさまってしまったのだが、写真の趣向をちょっと変え、コメントを少し増やして、コロナ禍対応の賀状の文面とする。少しカラーも増やしたりする。例年なら、チケットショップから安めに年賀状をまとめ買いするのだが、先日近所を通りかかったとき、コロナのあおりをうけたのか、当のショップが閉店していたので、今回はやむなく郵便局から正規の料金で年賀状を購入しなければならない。近日中に買いに行こう。プリンターのインクも、例年はほぼ黒一色で済ましたのだが、今年はカラーインクも念のため買っておかねば、と思う。いよいよなんとなく年末、という感じになって来た。今年も残りはもう10日足らずであることだ。

市立図書館から本を借りてくる。返却が年明けになるので、今回はまとめて10冊ほど借りてくる。うち3冊は藤子不二雄の漫画。初めて見る作品なので楽しみである。残りは詩集やら小説やら、お茶に関する本も1冊。お茶は、茶道関係というより喫茶についての歴史的研究みたいなもの。論文とエッセイが入れ子風に構成されてあって、なかなか読みごたえがありそうなもの。大岡信の詩集『きみはにんげんだから』は読了。薄い詩集ながら、大岡のロマン派風なところとか、主知的な部分とか、いろいろな要素が含まれた選集のような内容で面白かった。トルコの小説家(というのか、本業? は政治家のようだけれど。現在も収監中なのだろうか)セラハッティン・デミルタシュの『セヘルが見なかった夜明け』も、借りてすぐ読む。トルコの小説を読むのは初めてだったけれど、とても面白かった。短編小説集の体裁だったけれど、その最後の一作は「最後は大団円」というタイトル。トルコという国の国情やそれに翻弄される人々の暮らしとその中での思いなどをいくつもの作品で読み進めてきて、最後のこの1作は、とてもうなづける終わり方であったと思う。作者自身の願い、あるいは祈りが込められた作であると共感できた。ひとつ前の作「歴史の如き孤独」も最後に思いがけない結末があって印象的な作品であったが。ちなみにこの『セヘル』は、トルコでベストセラーになった本でもあるらしい。日本では、小説家が政治家になる例はそれなりにあるけれど、政治家が小説家である例はどれくらいあるのだろうか……。

最近のごたごたを眺めるたびに、日本の政治家の人としての素養の貧しさみたいなものを、デミルタショの作品を読みながら改めて考えさせられた。「国民目線」とか「庶民的」などというものが、あたかも政治向きの道具のひとつのように用いられてある国の不幸ということを思う。

いとうせいこうの短編集『夢七日 夜を昼の國』はなんとも不思議で奇妙な作である。

【20年12月16日】
「(クリスマスマーケットの)ホットワインやワッフルの屋台がどれほど恋しいことでしょう。外食できずに持ち帰りだけが許されるなんて納得できないこともわかっています。ごめんなさい。本当に心の底から申し訳ないと思っています。でも、毎日590人の死者という代償を払い続けることは、私には受け入れられないのです。(中略)クリスマス前に多くの人と接触したせいで、『あれが祖父母と過ごす“最後“のクリスマスだった』なんてことにはさせたくない、それだけは避けたいのです」
感染拡大が続く中、より厳しい感染予防策をうちだしたドイツのメルケル首相の言葉だそうだ。これを読んだ日本人がどのように感じるのかは、わからない。各人各様なのだろう。ただ、この言葉を聞いた多くのドイツの人々がどのように受け止めたのかは、異国人の一人の私であってもわかるような気がするのはなぜなのだろうか、と思う。
それは単に「気がする」であって、勝手な解釈に酔っているにすぎないだろう、という人もいることだろう。それは、単なるひとつの感傷にすぎない、おおよそ政治的な文言からは逆に排除されるべき言葉の数々、と受け止めるひともいるかもしれない。
状況は、あきらかにドイツの方がひっ迫していることだろう。それに比べれば、日本の現状は実は取り立てていうほどではないというところもあるのかもしれない。政治的文脈に従った政治的文言を機械的に発する段階、ということか。切羽詰まった真情を発するほどではない、というところか。
ただそれにしても、私にはメルケル首相の言葉は、胸に沁みるものであるということは、まぎれもない実感ではあるのだ。

日本の政治家の言葉の貧しさ(語彙力の乏しさにとどまらず)は、ちょっと聞くにたえないものがある。これもまた、実感。

【20年12月14日】
外は冷たい雨が降っている。いずれ、雪に変わるらしい。本格的な寒気が大陸からやってきて、日本列島を冷やすことになるようだ。すでに、十分冷え冷えとした列島に追い打ちをかけるような、そんな季節になっている。もともと、冬はたんに寒いだけの季節ではなかったのだが……。昨年の年末がどうだったか、なぜかしら遠い記憶の果てにかすんでいるような、そんな思いになる。加齢による記憶力減退というだけではなさそうだ。いわゆるそれまでの日常生活が失われて、あらたな日常が重く積み上げられている結果ということなのだろう。
古臭いたとえではあるけれど、硬い甲羅に包まれた亀が、時折首をさし伸ばしてはあたりの様子を眺め、あわてて首をひっこめるような、そんな暮らしの姿が定着しているようだ。GOTOなどと、あるいは浮かれ、あるいは恐る恐る外出を続ける勇気ある人たちもそれなりにたくさんいるようではあるけれど。自分には、そのような蛮勇はほとんどないようだ。
感染症の恐ろしさは、うつされた被害者が即、うつす側、加害者になり得るという二重のリスクの大きさにある。それは、すでに言い尽くされたことのようでありながら、とても単純にそれが真実の姿だと、実感しきれないところが恐ろしい。実際に自分が感染して、自分の身の回りの人が発症するまでは、単なる観念の問題として自分事にならない、少なくともそのように自らの想像力を発動できない、ということがあるのかもしれない。
「仮定のことにはお答えできない」。安倍政権以降、答弁忌避の口実の一つとして、繰り返し使われている言葉だ。政治家たるもの、目の前の差し迫った現実に対していかに対応するのかが問われる。ゆえに、現実には起こっていない絵空事としての「仮定」の問題については、答弁できないし、答弁すべきではない。なぜなら、「仮定」の問題に対しては、責任の取りようもない、いいかえると自らの「不用意な発言」が無責任な妄言として扱われることがあり得るからだ、そんな「現実」主義が背後にあり、それはそれなりに一見もっともらしく思われる。ただ、その「仮定」のなかには、「可能性」の問題までが含まれ、その「可能性」のなかにはそれが「実現」してからでは対処・対応が非常に困難になるという高リスク(それが仮にあからさまになると政治家自身の立場を失いかねない、という意味での高リスク案件も含めて)のものまでひっくるめて含まれているような気がする。そのような課題性の高い危険度の高い「可能性」までも、「仮定のこと」として忌避し、触れようともしないのは、責任回避という現今の政治家のお得意なリスク管理のたまものということになりはしまいか。それはまた、「想像力の欠如」ということではあるまいか、などと思ってしまう。「想像力」とは、肉付けされた観念のことではあるけれど……。
GOTOが一部中断する、しないの論議にようやくなってきたらしい。呑気な「ガースー」総理も、さすがに感染の異常拡大が「仮定のこと」ではなく、医療崩壊という事態をともなって目の前に現出すれば、「仮定」として問題回避することが難しくなってきた(それが理由かどうかわからないけれど、就任後のご祝儀相場の高支持率が少しずつさがってきていることも「現実」問題として眼前にすることとなっているのかもしれないが)ようだ。
きっと、政治には「国家百年の計」を策定するという重大な使命と責任が課せられているのだろうけれど、目先の経済原理のために、たとえば防波堤の高さを値切った結果、重大な原発事故が生じたように、感染症に対する備えの薄さが経済を含めて社会の体制そのものを混乱させてしまうような緊急事態を招いたような、のちのち禍根と悔恨を残す結果をもたらすということは、繰り返しあるのだなと改めて思ってしまう。
外は冷たい雨が降り続いている。その雨に甲羅をうたれながら、なすすべなく首を引っ込めているぐらいしか、個人にできることはなさそうだ。自助、そしておそらく共助の限界、ある医師の言った「コップの水はあふれている」ということなのかもしれない。

【20年12月09日】
人間ドックに行く。個人病院で受けたので、他の患者さんの合間合間に検査を受ける。半日仕事になる。色々こまごまとお話を聞きながらの検診となる。個人病院の強みなのだろうと思う。こちらに帰郷して以来、ずっとこの病院で検診を受けていて、ここ数年間の変化についても注意や助言を受けて、結構心強いところもある。問題は、眼科検診がないことで、それは他日別のところへ検査を受けに行くこととなる。一通りの検査を受けて、かなり気疲れしている。ぐったりに近いかもしれない……。午後は、実家の犬の散歩以外、何もせず。ぼーと過ごす。
とはいえ、詩集を1冊読む。塔和子詩集『記憶の川で』。自然礼賛的な部分と、主知的な人事的内容の部分(こんな仕分け方も、ずいぶん非詩的なものなのだろうが……)との落差のようなものが、微妙に気になる。ある種の乖離部分があって、それがこの人の詩的本質につながるようでもあり、共感と違和感とがなんとなくないまぜになるようなそんな印象を受ける。
昨日は、谷川俊太郎詩集『いそっぷ詩(うた)』を読んだ。こちらのほうは、いかにも谷川俊太郎らしいそつなくおもしろい詩集ではあった。そういえば、昨日読了した『ルバイヤート』も四行詩集だったから、ここしばらく通常の読書以外では、詩集ばかりを読んでいたようだ。

コロナ禍。勝負の三週間も二週目を過ぎて、状況は好転しているとは言えそうもない状態のようだ。明らかに通常医療行為の崩壊現象の予兆みたいなことが一部出現しているらしい。一方では、GOTOを利用して、旅行や食事を楽しむ人たちの姿もありということで、妙な言い方だが、タコが自分の足を食べながら生き延びようとしてる姿などを連想したりもする。総理の頭の中では、(ある程度の罹患と死亡は想定内として)すでにコロナ禍は収束していて、その先のお花畑の広がりばかりが見えているのではないかと危惧される。
外交の安倍とはよく言ったもので、とうとうロシアでは領土分割的行為(割譲行為呼びかけ)に対して刑罰に処すという法律が提出されるとか。北方領土返還に向けた、安倍外交の諸施策は多くはロシアへの経済支援のみで、ほぼ終わったのではないか、とすら思われる(振り返ってみれば、そのような事態に対する危機感は、ネトウヨ諸氏の中にもあったようだけれど、残念ながらその危惧は正しかったかもしれない)。北朝鮮の拉致日本人は、安倍在任中ただの一人も帰ってくることはなかったし……。7年間を、無駄に過ごしたに等しいのではないか。

【20年12月06日】
「コロナ慣れ」ということが、言われているらしい。特に、若者が、と若者をターゲットにしてそんなことが言われているらしいけれど、コロナ対策の大部分を国民個々におっかぶせてきたその結果が、このような形で表れてきたという気がしてならない。抜本的な対策(本気で医療環境を改善しようとするとか,gotoをいったん中断してその兆という予算をすべて困窮と経営救済に当てるとか、余計な施策に当面税金を一切用いないとか)をとらないで、国民個々の努力におんぶにだっこ状態であれば、そのうち「嫌になる」のは当然の真理だろうし、「嫌なものからはそっぽ向きたい」という心情になるのもまたある意味自然な感情の推移ではないか。根本で支えてくれる、国の具体的施策が欠如している状況の中で、いくら生真面目で粘り強い国民性が信条であったとしても、おのずと限界が見えてくるような気がする。我慢にはおのずと限度があるのだ。正直言って、当面の見通しがたたないとしても、その先になにがしかの希望が見えるならばそれにすがってもう少し我慢していくことはできるかもしれない。でも、それがまるでない状態(ワクチン開発ということは、それでも一筋の希望ではあるけれど……。でも、それは施策とは別問題である)であってみれば、目先の現実から逃避しようとすることも、しかたがないことのように思われる。少なくとも、オリンピックがそのなにがしかの希望たりうることは、とうていあり得ないと個人的には思われる。オリンピックは、コロナ対策にとっても「重荷」以外のなにものでもない、というのが現況のようだ。そして、そんなひっ迫した状況に対して、「コロナ慣れ」などというもっともらしい言葉を持ち出して、その非難の矛先を若者に向けようとすることは、ちょっと酷いのではないか、という気がする。

……コロナ疲れ?。

【20年12月03日】
本日早朝、とうとう中国ドラマの第74話が終了。最終回だった。最後の最後まで緩むことなく、感動的な終焉を迎えた、と思う。個人的には、前回と今回に登場した西太后が印象的だった。特に、最後のセリフが主人公に寡婦だった長さを尋ねるもので、その答えに対して、自分は「43年(だったか)、寡婦のままだった」と答えるその一言が、国母としての矜持と孤独とを深く表現しているようで、とても印象的だった。なんというのか、そのひとことで、一瞬主人公からその主役の座を簒奪した(といえば言い過ぎだけれど)ような思いになった。もちろんそれは、主人公の夫を殺されて以降の長い年月の、重すぎる歩みのドラマが、一瞬だけ本編中には描かれてはいない女帝としての西太后の人生の重みに投射された結果のようにも思えたけれど。少なくとも、わがままで無能な権力者とは対極的な西太后の実像を、瞬間的に描写し得た、その一言の脚本のみごとさに感銘を受けたということかもしれない。
とはいえ、西太后のことはあくまで余談に過ぎなくて、いかにも緻密で骨太なドラマ作りを最後の最後まで堪能させてもらったという点で、とても満足を感じた中国ドラマだった。それが終わってしまって、さすがに「ロス」感覚にさいなまれることはないけれど、それでも今日は一日、ふと気づけば頭の中でドラマの主題歌が流れっぱなし、ということはあったのだ。
同じ時間帯で、さらに中国歴史ドラマが同じほどの回数で再放送されるらしいけれど、さらに2か月あまり、朝4時起きするかどうか、悩むところである。

政府のコロナ対策。最初から碌にする気はなかった、流れにまかせて、なんとなく帳尻合わせの作為を試みつつも、多少の国民の犠牲は端から織り込み済みとして、経済重視で推しきる、という感じがますます強まってきたような印象を持つ。国家が国民に対してもたらす暴力的一面を、コロナ禍の事態に見るような気がする。