日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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ダン・トゥイー・チャムの『トゥイーの日記』を読了。一度目は読み切れず、図書館で延長して借り出し、読み終わる。ベトナム戦争を背景(というより真っただ中において)として、20代の女性医師が南ベトナムの戦場で、医療活動に携わるその日々の出来事と思いを書き綴ったもの。報道などで伝えられるベトナム戦争とは視点の異なる、一個人の立場で記される日々の戦争の姿が、文字通り『日記』として個人の思いを中心に語られてある。一人の女性としての怒りや悲しみ、苦痛や希望が真率に綴られる。アニメで高い評価を受けることになった、戦時中の呉を舞台とする『この世界の片隅に』と似たような状況が思われるけれど、あのお話の主人公すずさんは、あくまで一庶民の立場であるのに対して、実在の人物トゥイーは、医者であるとともに共産党の党員の一人として、ベトナム解放の一戦士としての立ち位置を持つ。そこでは、個人としての思いと、集団の一員としての考えとの間の軋轢に苦しむ一人の人間の姿が語られもする。それにしても、この日記が実は本人の手ではなく、当時、敵国として怒りと憎悪の対象であったアメリカの軍関係者によって公開へとつながってゆく、といういきさつには、この日記がたんに個人の日録としての意味合いを大きく超えた作であることの証しを見るようである。
「戦争反対」などという紋切型の思考や発想とは、単純には一致しない、そんな内容の一冊だった。
コロナの感染状況悪化のあおりで、いろいろな集まりが、再び休止ということになってしまった。都合で私は参加できないけれど、八月の俳句講座も対面式の予定であったものが、はたしてそのままの形で実施できるのだろうか、と危惧を感じる。東京の感染は2000人に近づいているけれど、東京以前に地元の感染状況が、全国的にみても上位に来ているという現実に、まさに「ヤバイ」という思いを強める。
東京オリ・パラは末期症状を呈しているように思われる。いくつかの競技は始まったものの、中には根拠のない例外規定の適用などという無秩序ぶりで試合が強行されるなどという事態まで出来している。開会式の問題にしても、式全体に対して責任を負うはずの統括役が、罷免されたにもかかわらず、「一人で演出を手掛けている個別の部分は無かったことを確認」して、開会式はそのまま実施するということらしい。「個別の部分」がないのは当たり前のことで、彼は全体に対して責任を負っている立場のはずだから、最初の4分の楽曲を削除して事足りるという問題とは、明らかに本質が異なっているのでは、と思ってしまう。もう時間がないので、手直しのしようがないから、という理由にもならない理由で、元の形のままで開会式を強行することは、おそらく大きな歴史的汚点を後に遺すことにつながるのでは、と思われる。誰かが言っていたように、入退場・聖火点灯・挨拶のシンプルな式典で、禍根を後に遺さない綺麗なやりかたにすべきであろうと、私でも普通に思うだろう。見栄えが悪くて、アメリカのテレビ番組的には不評ということなのだろうか……。
アスリートは気の毒、アスリートは競技とその結果だけに集中すればいい、という声を聞くけれど、確かにこんな状況の中で競技をしなければならない点については同情を禁じ得ないところはあるけれど、競技だけに集中すればよいという、そんな特権的立場にアスリートといえ、平然と立てる、あるいは立つことが許されるのだろうか、という思いは個人的にはずっとある。薄汚れたオリパラという舞台環境の中で、当事者であるはずのアスリート達だけが、純粋無垢なままでいることが、本当に可能なのだろうか、という疑念が個人的にはあるということだ。「一蓮托生」という言葉を思い出す。
京都の叔母は、老人施設に入所している。コロナ禍のせいで、面会は家族は施設内での仕切りを隔てた面談が可能なのだが、家族以外は面接は禁止されている。ただ、いろいろ配慮をしてくれる施設で、家族以外もネットを通じて面談の便宜をはかってくれる。ということで、昨日は、昨年に続き、二度目のネットを通じての叔母(母の姉になる)との面談が実現する。今回は、スマホを利用して、東京の叔母も参加する、京都・地元・東京の3元面談。スマホとタブレットを通じての京都と東京の叔母とのやりとりも思いのほかスムースにできて、30分の面談時間一杯、母を含めた三姉妹のおしゃべりができた。5年以上前に、京都で3人が出会って以来のことなので、良い機会になったことだと思う。ちなみに、兄と私とはサポート役。実家の愛犬も、歌を披露する予定であったが、ちょうどお昼寝の時間にかかっていて、次回まわしとなった。それにしても、ITの進化は、目覚ましい!!。
地元においても、明らかにコロナ(インド株)の浸透が顕在化している。東京は、1400人超、全国でも3900名。誰が見ても、コロナ新局面が進行していると思わせられる状況となっている。私と母はワクチン接種は2回とも終了、弟夫婦は1回目の接種予約が決まったけれど、2回目が打てないワクチン難民になるおそれがありはしないかと思う。甥・姪は接種を希望しているけれど、予約票が届いた段階である。都市部に比べて、接種について地方の方が小回りが利いている結果なのかもしれないけれど。とはいえ、とても気になるところだ。
本当に久しぶりにクラシックのコンサートへ行ってきた。新日本フィル。ベートーベンの交響曲二曲。久々の生音ということもあってか、その音に圧倒される。特に、弦の響きが美しい。会場は1600人定員のところを、半分の800人で。席は1階席は空席を作らない形で少し詰めた状態。日フィルの希望であったらしい。指揮者やピアノの独奏者や演奏者はもちろんのこととして、聴衆自身もまた、真剣に演奏に向かい合っている、というのが、全体の印象(変な印象ではあるけれど、実感)。ピンと張りつめたような緊張感の中での、豪勢な演奏会であった。来月末には、N響の演奏会が同じ県内の別の町で予定されているのだけれど、ついつい行きたいという思いが強まる。チケットはもうないかもしれないけれど……。コロナ禍が終息を見せず、それどころか明らかに第五波の様相を見せているという中でのことで、ちょっと複雑な思いはある。とはいえ、こんな状況下でも、巨大な利権と政治の祝祭として平然とオリ・パラは開催されようとしているではないか、ということはあるが、そんなものと同列に考えることは個人的には汚不愉快でできないのも、また実感。
それにしても、オリ・パラがらみのスキャンダルが、この時期に至っても(この時期だから、ともいえようが)、ポツリポツリと出てきているようだ。関係者の平身低頭の身振りや、主催者の知らぬ存ぜぬという姿勢は、かなり見づらいものと感じられる。バッハ会長は、これほど準備されたオリ・パラはない、とリップサービスに務めたようだけれど、安全・安心のバブルが準備不足や配慮不足の結果、あちこちで裂け目を見せていることと同様、サービスの口ぶりにもあちこち破綻が伺えるようだ。上から目線みたいに見えるかもしれないけれど、ほんとうに見苦しい祭典だ、というのもまた個人的な感懐。
得たものと失ったもの(この先も)を計量した時、その天秤ばかりはどちらの方に傾くのだろうか、と思う。少なくとも、かろうじて平衡を保つ、という不幸中の幸いという結末は、なかなか難しいことなのだろうな、と思われる。
昨日、梅雨明け宣言が行われ、本日は快晴。蒸し暑い。とはいえ、時折冷風が矢のように吹きすぎる状況。大気の不安定さは、故郷の霊山に登り立つ積雲のちょっと異様な姿にもうかがえる。積雲が「雨後の竹の子」のように霊山周辺に、もこもこと並び立つ姿は、ちょっと気持ち悪いほど(実際、不気味で気持ち悪い)だ。大雷雨へとつながるかと思っていたら、そのまま夕方になってちんまりと積雲のまま鎮まってしまったのも、また珍妙な印象。
昨日は、あのNHKが五輪バブルの穴について、マスコミ関係を中心にして報道していたけれど。本日東京は1000人を超えるコロナ感染者数で、7月半ばには1000人を超える感染者という誰かの予想が、残念ながら的中してしまったことを、ひとつの事実として受け止めてしまう。科学的とは言い難いバブルの穴とか(これは監視等に動員する人員の問題と直結しているようだ)、科学的な根拠に基づく予想について、もう少し真摯に考えるべきかと思ってしまう。
個人的には、東京を遠く離され、報道を含めオリパラ関係について、拒否反応の真っただ中の人間にとっては、オリパラはやりたければ勝手にやってくれ、ただし、そのその「栄光と責任」とはすべて、関係者が担うのが当然、という思い(良いとこ取りはお断り!)。なんというのか、オリパラ騒動を通じ、すでにスポーツ全般が嫌になってしまったというのが、実感。そして、スポーツそれ自体を、変に美化したくない、というのが率直な思い。これが、オリパラが自分に遺した「歴史的な財産」かも……。
今朝未明(というのか、午前2時過ぎぐらいから)、北側に面した寝室の窓は、ひっきりなしの雷光の輝きで、巨大なネオンサインを見るような状態となった。大きな積乱雲が、北西から接近し、そのまま雨と電光の狂乱の中に付近一帯を巻き込んで、夜明けに至るまでその場に踏みとどまって、ひっきりなしの降雨と電光をもたらすこととなった。巨大な雷雲が天空を覆っているはずなのに、雷鳴は時折遠く響くような印象で、空を覆う雲のあちらこちらを照らし出す豪勢な光の明滅が強烈だった。まるで、パニック映画の中に自分がすっぽりと巻き込まれてしまったような感覚。その挙句、明け方まで、ろくに眠ることもできない有様だった。より正確に言えば、眠ることができないというよりは、窓の外の情景から目を離すことができない、ということであったかも。恐怖心と好奇心と、さらには異様な情景のその美しさにひどく心を惹かれ、睡魔を奪われてしまったということか。
そして、夜が明けると、ひきつづき豪雨と雷鳴との荒天が、昼近くまで続くこととなる。天のバケツの底が抜けた状態。お隣の地域では、前日からほぼ一日の降水量が、通常の7月一月間の降水量の1.5倍だったようだ。地面から均一に55センチほどの高さ(深さ?)にまで、降雨の嵩が積みあがったようなものだ。
こんな従来の常態を覆すような天候が、この先ごく当たり前のように出現することになるのだろうか、などと思うと、少々気鬱な気分に襲われる。温暖化は、単に気温が上昇するというだけではなく、気候現象が極端な現れ方をするようになる、などということを聞いたことがあるけれど、なにかのパニック映画のように、一瞬にしてアメリカの某都市を氷漬けにしてしまう、などというのは、映画固有の誇張された演出のように思ったりしたものであろうけれど、そこまではいかないにしても、小松左京の『日本沈没』の続編のように、極端な異常気象に翻弄される地球の姿というものが、なんとなく実感されるような、そんな嫌な感触をここ数日の梅雨末期の様子の中に想像したりしたものだった。
それにしても、夜闇を、雲の重なりを照らし出す雷光の輝きは、胸に迫る美しさだった、本当に……。
ともかく、ひどい雨の降り方だ。買い物に出かけ、買い物を終え、さて帰ろうとしたら、店外はざんざん降り。しばらく待って、雨の勢いが少し弱まったかなという瞬間をつかまえて車まで走る。車を動かした時から、先ほどまでの降りとは大違いで、どうどうという感じで雨が強まる。ワイパーを最速にしても、雨がまったく振り切れない。フロントガラスに、厚い水の膜がはりついたような状態だ。道路はみるみる川のようになる。車は片側に水柱を立てながら走っていく。スピードはできるだけ落とす。真昼間なのに、ライトが自動的に点灯する。対向車もあかりを灯して走っている。実家着。しばらく、雨が弱まるまで車中で待機。その後、傘をさし買い物袋を抱えて、実家へとびこむ。
その降り方を誇示しているみたいな天候に対して、腹が立ってくる。ひどいものだ!
ベトナム戦争時代、北ベトナムで医療活動に関わっていた女性の日々の日記というものを読み始める。ベトナム戦争に関わる本など、思い返せば一度も読んだことはなかった。医療行為を含めて、戦場に隣接する医療現場での日々の暮らしとさまざまな思いが、ずいぶん率直に書かれてあるようだ。公開などを前提としない、本当に個人的な思いをつづった日記なのであろう。アジア系の文学を、図書館では必ず借り出して読んでみようという読書の方針の中で、偶然出会った一冊であった。
寝苦しい日が続く。いっそ、エアコンでぐっと室温を低くして、とおもったりするけれど、それをすると、今度はその不自然な寒さが気持ち悪い。かろうじて、エアコンで少し冷やして、あとは扇風機で空気をかき混ぜるくらいが、ほどよいのかもしれないけれど、それでも快眠にはつながらない(そもそも、ここ10年ほど、快眠を味わったことはないかも……)。
昔々、学生時代に一週間、鈴鹿山中から京都まで、春の東海自然歩道をテントを担いでサークルで歩いた時、帰宅して一週間ぶりに風呂に入って、そのあとごろりと横になったら、目が覚めるまで自分が寝ていたことすら気が付かないくらいに深く眠っていたことがあった。あれなどは本当に快眠といってよかったのだろうな、と思う。目が覚めるまで、自分が寝ていることすら気が付かない(夢すら見ない的な……)眠りとしては、手術の全身麻酔の際にも、そんな感触を得たけれど、全身麻酔の場合は、酸素吸入をしながら徐々に意識を取り戻していく過程が、時に結構辛かったりするから、あれは快眠とは程遠い眠りであったのだろう。
ともかく、眠い。まもなくお昼にもなろうとするのに、眠くて困る。
福島在住の詩人・和合亮一の『詩の礫』を読み始めている。東日本大震災ならびに原発事故に直面しながら、震災の日からの毎日を、日々の思いとしてツイッター上に、詩表現として書き綴っていく。思いも及ばないような現実に対して、言葉によって必死に対峙していこうとする詩人の姿が胸にこたえる。「復興五輪」などとたわごとを述べたてながら、政治と経済のために狂奔する「反日」ならざる「日本人」の有様を目の当たりにしながら、今この時に、和合氏のこの一冊に出会い、それを読んでいる自分に対して、時の皮肉を含めて複雑な思いを感じる。
寝覚めが、悪い……。
朝から曇天。夕方には雨が降り出し、明日以降しばらくは曇りや雨の日が続くらしい。梅雨も本格化。なんとも気づまりな日々が、しばらくは続きそうだ。
七月早々、母のスマホが壊れ、手元にないととても不便なので、買い替えることに。片落ちの4Gスマホ。改めてアプリの入れ直しなどもあって、ばたばたする。基本的な使用には差し支えないのだけれど、まだまだ必要なものが幾つかあるので、それは日々追々と導入するほかない。壊れて始めて、連絡等にスマホがとても重宝だという事を改めて実感する。さて、今日は健康管理関係のソフトを入れなければ、と思う。体調が可視化されるので、本人にとっても生活や体調の自己管理にとても有効みたいだ。便利なことである。
母は、一時体調関係で大事になりそうであったけれど、なんとかなりそうな状況に復した。とはいえ、この先の事を思うと、8月に予定し、楽しみにもしていた俳句講座での京都行は完全に中止することにした。とても残念だ。地方にいて、外の空気を吸収するとても良い機会でもあったのだけれど。とはいえ、コロナ禍が終息していない状態での京都行は、ワクチン接種終了の身とはいえ、多少なりともリスクがともなうということもある、と考えて、納得することにした。残念である。
七月に入り、読書とは別に少し勉強を始めることにする。とはいえ、こと改めてというわけではなく、すでに書き始め、1回目の掲載が予定されている某物故俳人の俳論に関わる文章に追加的に加える内容の補助資料の読み込みをするつもり。
世の中は、この先盛り上がりに欠けつつもオリ・パラの開催にざわつき始めることだろうけれど、個人的には極力そんな情報や報道には接するまい、と思っている。偏屈な人間であるな、と我ながら思う。