日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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河野裕子のの最後の歌集(遺歌集)『蝉声』を読む。絶唱ともいうべき最後の一首「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」には、強い感銘を受けた。夫の永田和弘が、本当の歌人とは死の直前までも歌を詠み続ける人と語ったが、河野裕子はまさにその「歌人」らしい生きざまを示した人なのだろう。とはいえ、正直読み進めながら、気が滅入ってしまって読むのが辛くもなったのも事実である。それなら、中断すればばいいのに、ということにもなるだろうけれど、読み始めた以上、読み切るしかないという思いも一方にはあったのだ。義務感、というわけでは毛頭ないけれど、つまり読むしかない、ということなのだ。
死に向って、一貫して生の姿勢を貫き通した河野裕子の強さと、それを支えた家族を含む周囲の人々の力と、そのような生き方が可能であった条件や環境のことなども、ふと思ったりしたものだ。最後の最後まで、光の下を歩み続けた、その稀有な生きざまに心を動かされもしたのだが……。もちろん、家族による個人的な回想記などを読むと、「光の下」などというそんな生易しいものではなかった、ということも目にはしていたのだけれど。
読み終えた、その夜中。BSでドイツのホスピスの取り組みを紹介するドキュメントが放映されていて、それを見ながら、思いをかなえて(番組内では、最期のドライブということであったが)死を迎えるということについて、胸に沈むものがあって、眠れぬままに、スマホでユーチューブのクラシックの名演を聞き流しにして、ようやく眠ることができたものだ。
スマホを拾った。朝、雨の降る中、近所のポストへ封書を投函に出かける途中。家を出てすぐの、四辻の道路の歩道脇。手づくりらしい小さな袋に収められたスマホが、雨に濡れて転がっていた。色々な意味で厄介なものを拾ったかもとは思ったけれど、落ちている位置や時間帯を考えると、どうもご近所の誰かさんのものらしく思われたので、交番へ届ける前に持ち主を確認できる手掛かりがあればと、とりあえず実家の方に行く。スマホを袋から取り出し、スマホケースを開くと、小さなカードが挟んであり、そこに持ち主の名前が書かれてあった。ちょっと珍しい名前だった。実家には、地区の住民一覧や所在地図などが全戸配布で備えてあるので、それらを使って調べてみた。すると、ごく近所にそれらしい名前を見つけた。すぐに届けに行った方がいいよ、と家人から言われ、雨の中、地図を手に当該の家へ向かった。
出て来られたのは、落とした本人らしい人。念のために名前を確認して、雨に濡れた袋ごとスマホをお渡しする。スマホそのものには一切手を触れていません、と付け加えて、帰ろうとすると、思い出したように名前を聞かれたので、姓だけ言って失礼した。後になって、この近所には同姓の家が数件あることに気づいたけれど、放っておく。
夕方になって、さてジョギングに出ようかと外に出ると、朝の方がやって来られた。私の家を探し当てられたらしい。丁寧にお礼を言われ、お菓子までお土産にいただく。お菓子は、私はあまり食べられないのでそのまま実家の方に回す。何はともあれ、という一日。それが、昨日のことだった。
昨日、本番終了。一日会場にこもりきりで、準備やら最終リハーサル。昼食を含む1時間ほどの休憩を挟んで、本番直前の微調整、そして本番へ。コロナの影響下のコンサートであったが、予定人数の七割ほどの入場の方もあり、変則的な公演とはいえ、1時間半ほどの演奏をやり終えて(オケ・ソリストとの共演であれば、二時間半ほどはかかるかもしれないけれど)、終演。舞台装置の片付けまでを行って、コロナによる二回の延期を含む、ほぼ二年にまたがる長い準備期間の上の公演を終了。疲れる。来年は、「第九」の演奏会となるので、それ以降のいつかの時期に、再度この曲目はチャレンジすることになるのだろうと思う。ともかく、今年の大きな行事はこれで終わりということになる。
着替えを済ませ、会場を出て、ひょんなことから、団員で俳句をやり始めたという人と、もと団員(毎回公募の合唱団なのだが)で今回の公演のアシストに参加してくれていた俳句関係のひとと、三人で立ち話をすることとなった。短時間のつもりが、結局かなり長時間の「立ち話」となって、俳句以外のことも含めていろいろお話できて、これはこれで楽しい時間を過ごすこととなった。合唱の余禄、余得と言ってよいのだろう……。ついでに、夕方の近づく街の空を、パラグライダーのパラシュートだけがふわふわ飛行しているのを目撃して、その後一句ものすることが出来たりもして、なかなか素敵な時間を味わうことができた。中身の詰まった一日であった。ちなみに、句は「冬の空パラグライダーの天衣めく」。実景とはいえ、「冬の空」は「寒茜」にしたほうがよいかも。また、「めく」はちょっと安直な表現。
もっとも、帰宅後実家に顔出しした際に、夕方の散歩をすっぽかされた犬から、本気でワンワン猛抗議されたのには、少々困惑したものだが……。犬も心底『腹立つわ!』と思う瞬間があるらしい、と再認識。
地元有線テレビから、電話インタビューを受ける。近日公演する合唱について。名目だけの合唱団副団長に、その任が回ってきた格好。4分という枠で話をしなければならないので、事前に送られた質問に対して、回答を箇条書きして準備する。朝の7時20分から。電話を受けて、質問の順にしたがって応対するけれど、言わなければならないことが多くて、ちょっと時間に足が出たようだ。その分は回答事項を残して、キャストの人が上手に切り上げてくれる。それなりに役目を果たしたのだろうか。番組終了の時間を過ぎてから、キャストの方より改めて電話。チケットがまだ残っているようなら、明日のイベント紹介番組で、改めて案内していただけるとのこと。よろしくお願いします、と伝える。ありがたいことだ。
「あたたかき11月」という草田男の句があるけれど、ここ数日、昼間はそんな陽気になっている。二度目の冠雪をいただいた地元の山も、その雪はすっかり融けてしまったようだ。今年の冬は寒いとの予報もあるらしいけれど、さて、どうなることだろうか。冬の寒さがかなり応えるようになって、とうとうお風呂のリフォームを実行したけれど、その成果がためされる冬、ということになるのかもしれない。古いお風呂は、全面タイル張りで、それはそれで清潔感もあってよかったのだが、その広さのせいもあって、冬の入浴は、寒さとの闘いみたいなところがあった。それにしても、お風呂の電灯のスイッチのパイロットランプが点かないままで2週間。すでに業者に連絡を終えているのだが、一向に音沙汰がない。どうなっていることやら……。
11月も半ばにさしかかり、そろそろ次の文章を書き始めなければならない。「平畑静塔」について、京都の俳誌の連載3回目の分。2回目で、ついつい調子にのって筆を進めてしまったけれど、今回ちゃんと筋の通ったものになるかどうか、内心不安でしかたない……。俳誌の責任者からは、「なかなか突っ込んだ内容で、面白そう」と喜んでいただいたようではあるけれど。その責任者からは、改めて「虚無」という問題を提起されもした。さて、どうなることか。その俳誌が、未だ届かないので、次の締め切りが少し伸びるかも、などと変な期待もする。その号には、私の師匠の文章も掲載されることになっている。師匠の文章の内容も、なかなか厄介なもののようだ。とはいえ、師弟競演、ということにはなる。
「今、戦争を知らない政治家が憲法を改正して戦争をしやすくしようとしている。戦争でどれだけ人が苦しむか、想像力がない。想像力がないということは愛がないということです。被災地の再生が遅れているのも同じ理由。政治家や行政はもっともっと被災者の声を聞くべきです。」
亡くなられた瀬戸内寂聴さんの言葉のひとつ。
たとえば、素人目にも台湾有事の場合、日本は米国の同盟国として自衛隊を派遣し、事実上戦争に参加することになるのだろうな、と思う。台湾の民意も、自衛隊の参加を想定しているという状況のようでもあるし……。すでに、障壁は取り除かれているということなのだろう。願うなら、そのような事態が実現しないことを望むけれど。
中国の覇権主義を一方的に非難するばかりでは、ことは済まないのだろう。
こんなこと書くと、「親中派」などとレッテルを貼られるかもしれないけれど。
平和が維持されますように。
瀬戸内寂聴さんのご冥福を、心から祈ります。
テレビドラマの「日本沈没」は面白い。ただ、こんな調子で、日本全体が沈没するところまで描き切れるのだろうか、とふと思う。「関東沈没」くらいの段階で、ドラマとしては終了するのではないか、などと勝手に想像してみる。「関東沈没」の先に、「日本沈没」を暗示しつつ終わるという事になるのではないか、などと。この先の展開については、あるいはネットかどこかで、すでに紹介されてあるのかもしれないけれど……。
高柳克弘の中編小説『そらのことばが降ってくる』読了。きちんとできた児童文学であり、俳句啓蒙小説でもあると思う。高柳は俳句作家であり、評論も書き、さらに俳句関係とはいえ、ちゃんとした小説も執筆してと、能力の高い人物だと感心する。純粋な創作としての俳句小説の一作として、面白いなと思う。登場人物の名前が「ハセオ」と「そら」(芭蕉と曽良のもじりであろうが……)というのも、遊び感覚のある命名であろうし、北村先生とか榎本ゆみなどについても、同様に俳句関係の人物を思わせたりもする。
故郷の名山といわれる山に、紅葉を見に出かける。非常事態宣言も解除され、観光地としても有名な山には、かなりの人出があった。一時期、本当に人の姿を見なかった山の神社の参道にも、ずいぶんたくさんの人の姿があって、それはそれで楽しいことだった。紅葉自体は、ちょっと時期が遅くて、もう盛りを過ぎた状態で残念ではあったけれど。名物の「おこわ」と「蕎麦」を食べて、満足して帰る。次は、雪が来る前に頂上まで登山したいもの、と思う。