日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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オミクロン対策。ごった煮状態から、さらになにがどうなっているのか、なにをどうしたらよいのか、よくわからない「闇鍋」状態になりつつあるようだ。ともかく、政府としては一応の方向性は打ち出したから、あとはその線に従ってお前たち自身でなんとかしろ、と具体的方策を個人と地方に丸投げしている状態のようだ。方向性は示すが、それを具体的に実現するのはお前たち、というのは、官僚の常套的手法であるけれど、その官僚的手法を政治家が率先垂範して実行するのは、ほとんど無責任ということではあるまいか……。(あるいは、これって政治主導とか言いながら、実は世界的にも有能と評価の高かった官僚諸氏に、政治家が巧妙に操られているのかもしれないが)。
それにしても、試薬不足でろくに検査もしない、できない状態で、自己判断による自宅療養(かかり付け医に助言を求めよといっても、そもそもそんな制度が日本では定着していない現状の中ではそんな提言は現実味に薄く、実現可能性に乏しいということは、デルタ株以前から言われていたのではなかったか?)、その間の健康観察も保健所がひっ迫状態であれば、おそらくろくに実施もできないだろう状況の中で(保健所の責任ではないけれど)、しかし結果として数日後、たいしても重症化せずして体調が改善、めでたしめでたし、というストーリー展開を実は考えているのだろうか……? 簡潔に言えば、ほっといてもなんとかなる、ということで。ただ、立場上、あるいは自己保身の便宜上、やっている感、やった感の演出は必要なので、ということで。
日本のコロナ対策は、最初から現在に至るまで、その一線だけはぶれないで、進んで来たようだ。ほどほどに「生かさず、殺さず」は、民度の高い、我慢強い、権利より義務を重んじる、日本らしい伝統的施策なのかもしれない。
安いノートパソコンを買う。主力はデスクトップなのだが、こたつに入ってぬくぬくと作業をしよう、との魂胆で買う。年に一度の俳句のお仕事を、こたつの中で仕上げようと思ったのだけれど、ノートが届く前に、仕事の方が終わってしまったので、仕事用に使うのは来年度に持ち越しとなった。今は、こたつの中でちょっと気分転換に使ったりする程度。
本当に久々で筒井康隆の短編小説集を読み始める。『ジャック・ポット』。言語遊戯満載で、意味と無意味が混在しているようなそんな文体。読んでいて、頭が混乱してしまいそうでありながら、頭の中で言葉それ自体が、小説の内容とは関係なく、勝手に言葉を紡ぎ出しそうな、そんな奇妙な感覚に襲われる。惑乱なのか、あるいはこれもまた一種の特殊な自由の感覚なのか、などと思ったりもする。膨大な量の言葉のごった煮的世界という印象。でも、不味くはない。
オミクロンの異常感染への対応策として、医療資源を若者には使わんとこ、という議論が専門家会議で一時、なされたとか。感染力は強いが、重症化する可能性は低い、というオミクロン株の特性に対する医療ひっ迫回避の方法が、若者なら大丈夫。デルタ株にしても、若者は重症化しづらかったし、今回も、病院にもいかないで自宅で数日休んでいれば治癒する。普通の風邪か、それよりもちょっと症状がきついけど我慢の範囲内、的な……。さすがに、正式な提言にはのせられなかったみたいだけれど、ふーんと思う。本音?「若者」はその程度の扱い、なのだと思う。国にとって、「若者」は時に消費財的なものなのかも……。
年賀はがき、三等賞が一枚当たる。切手セットだけれど、封書、はがき共にけっこう利用するのでうれしい。葉書の主は、ずいぶん昔に同僚だった人。すでの30年以上年賀状の交換をおこなってきた。
本日、俳句の選、並びに句評・講評が一応終了。明日から、さらに手を入れて、完成原稿にしなければと思う。作品は、すごいものが多い。私などには到底作ること自体が困難という作が多い。感動しながら選句を行い、感動しながら句評・講評を書く。一年に一度だけの得難い経験を積ませていただいていると思う。とてもうれしい。
申康林詩集『ラクダに乗って』を読む。韓国詩人の作については、ちょっと違和感が強かった(おそらく翻訳に問題がありそうな気がする)が、この詩集はすっと胸に入って来た(それがいいかどうかは、また別問題かもしれないけれど)。素直に感動した。読んでよかった、とつくづく思われた詩集だった。
諸般の事情で、自宅にある中村草田男の句集数冊を集中して読む。理解不能に思えた草田男の句がずいぶん面白く読めた。俳句入門の書も少し読んでいたので、俳句の二重構造の世界像がとても面白く思われた。客観の背後に自ずと主観がにじみ出るという虚子の構造論に対して、草田男は最初から俳句は二重構造と規定しているのが納得できたような気がする。面白い。
本日、行くつもりだった地元の俳句関係の新年句会、参加を中止する。オミクロンの広がり方が、なんとなく不気味で、昨夜欠席を決めてお世話役の方に連絡。すでに、会場のある地方都市もここ数日来、感染者が目に見えて増え始めていて、それが気にかかる。お世話役の人は、まだ市中感染という状態でもないようだけれど、と電話の向こうで話されたけれど、単身の身としては、感染はもちろん、濃厚接触者となっても、行動の自由を失うことになるので、やはりそれはマズイな、と思う。新年句会ということで、日頃の地元句会とは、参加人数もずいぶん違うことだろうし、三密の状態も厳しいものとなるだろう、などと色々思って、欠席を決める。お世話役の人には申し訳ないけれど、やむを得ない。今月末の京都での勉強会も、結局は早々に欠席とした。自家用車で往復、勉強会だけ参加、という形を取れば、リスクはずいぶん減るだろうけれど、なんとなく、そんなリスク管理の隙間を抜けて、感染の方からこちらにやって来るようで、気味が悪い。今までにないほどの感染の異常な増え方に恐れを感じてしまったのだろう。ましてや、デルタ株の突然の減少以降、なんとなくこの調子でしばらくは安穏な生活を送れるかと思っていた、そんな気持ちに一気に冷水を浴びせかけられたようなものでもあるし……。また、しばらくは蟄居生活が続くことになるのだろうか。
今日は「とんどさん」。注連縄などのお飾りを持って、近所の公園まで。すでに、青竹に注連で囲われた場所に山積みにされた正月のお飾り類に点火されて、公園の真ん中に大きな火柱が上がっていた。私も、持参した注連飾りなどを炎の中に投げ込んで、しばらく当番の方と雑談。昨年は、この準備役にあたっていたので、そんなことを話したりする。しばらく炎にあたり、体を温めてから、ミカンを二個いただいて帰宅。そのミカンはこちらが食することにして、注連飾りについていたミカンは、四つ割りにして庭の真ん中に置いておく。昨年は、降雪などの関係でエサ不足だったせいか、野鳥がそのミカンをついばみにきていたのだが、今年はどうだろうか。酸っぱいミカンなので、野鳥の口にあわないかもしれない。
「めでたさも中くらゐなりおらが春」などと、新春を寿ぐ気分も損なわれるほどに、オミクロンの感染拡大が急激のようだ。米国の一日百万人はあまりに異常な数値とおもわれるけれど、沖縄の米軍由来の一日六百人の感染増加も、気がかりな数字だ。地元でも、ぽつぽつと感染者のニュースが出始め、第六波の可能性も言われている。重症化するとかしないとか色々言われているけれど、感染拡大すれば自ずと重傷者の数も上積みされることだろうし、ウイルス変異の可能性もさらに高まって来ることになるのだろう。
正月三が日を終え、私も四日目からちょっとだけ仕事を開始した。年に一度だけ、俳句の選と講評をして、謝金をいただくことができる、そんな仕事だ。思いのほか、その金額も多くて、ずいぶんうれしくもありがたい仕事である。コロナ禍で2年連続中止かと思っていただけに、年末になって依頼がきて、ちょっと驚いたりもした。半年遅れの開催になるのだろう。コロナ禍の渦中、担当者の方々の苦労も思われて、頑張っておられるのだなとつくづく思う。ここ数日は、作品の読み込みと選択。選択作業が進むのと同時進行的に、頭の中では講評の文章が割と自然に出来上がっていくので、講評をまとめあげるまでの全体の作業自体はさほどの日数を取らない。それにしても、新年に仕事始めが重なるというのは、ずいぶん久しぶりのことだ。
昨日から、寒い。今日は一段と冷え込んできているようで、現在、とうとう霙が霰に変わってしまった。今日は終日、犬の散歩もお手上げという状態。実家に顔出しをすると、犬の方も所在なさそうに部屋をうろついたり、定位置の椅子の下へとやってきては、惰眠(というわけでもないが)をむさぼっているようだ。
『徒然草』の有名な第十九段。「かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。(このようにして明けてゆく空の様子は、昨日と変わっているとは見えないけれど、うってかわって新鮮な気分がすることだ。)」。正月元旦の朝の印象を語った部分であるけれど、確かにそうだな、と共感される。しかし、単に共感されるというだけでなくて、共感できるという自身の気持ちのありようというものもまた、ちょっとこころもちの良いものであると思われる。昨日の続きとして今日があり、今日の延長として明日がある、という柔らかい飴をずるりと引き延ばしたような時間感覚とは異なり、そこに過去に対する心理的な一つの区切りを与え、さらにあらたな時の出発と流れ、現在並びに未来を期待するという心情は、なかなか健全ではないかと思う。そんな心境で、元旦を迎え得たことは、幸運なことだと我ながら思ってしまう。
BSで連続して映画をやっていたので、夜明け方から昼過ぎまで、断続して映画を数本みていたような気分。その間に、朝食を食べ、昼食をとり、ちょっと「歩き」などに時間を使ったものの、それ以外はテレビの前に座って(正確には、テレビの前に置かれたソファーに腰掛けてということだけれど)、映画を視聴。こんな時の過ごし方も、新年らしくて良いな、と納得する。夕方からは、贈っていただいた濁り酒の一升瓶を抱えつつ、またテレビを見ることになるだろう。それから、ちょっと中村草田男の句集を読んで、おそらく就寝、ということで新年初日を終えることになるのだろう。