日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【22年2月25日】
こんな言い方をすれば、必ず不謹慎と非難されるだろうけれど、あえて言えば、戦争を始めること、それを継続させることはある意味たやすいことなのかもしれない。いかに、その戦争を終わらせ、さらにその後に一定の秩序を成立させて、あらたに歴史を積み上げていこうとすることに比べれば(どこかの国のように、社会内部に大きな傷や亀裂を内在させつつ、武力や権力の重圧によって体制を維持しようとするなら、事情は異なるのかもしれないけれど……)。
そんなことを思ってみると、ロシアのウクライナ侵攻に合わせて、やたらに危機感を煽ったり、好戦的なことをネットに書き散らす威勢の良い人の姿をみると、ついそうなのかと思ってしまう。

あのプーチンですら、この侵攻の大義は自分の側にある、という前提からしか、その行為の正当性を主張しえないようだ。自らの判断が正当であって、初めてこの軍事行為の妥当性と、その継続性、さらにはその収束に関する提案、さらには収束以後の社会秩序の再構築の妥当性、正当性が保証できるはず。でも、納得させることは可能なのか、どうか……。


【22年2月25日】
久しぶりに、終日快晴の一日。日差しは暖かいけれど、西から吹き付ける風が、乾燥をしているせいか、ひどく寒い。
実家の犬は、悪天と寒さのせいか、ここ数日体調が今一つの様だった。とうとう、昨日は病院につれていって、注射を二本打ち、薬を処方してもらう。熱はないようで、便の検査などもしてもらったけれど、「風邪のようなもの」という判断。散歩は、ウンチ・オシッコをさせる程度で抑えるように言われる。散歩大好きの犬としては、それだけでストレスがたまり、体調を崩すかも、などと心配するが、近所をぐるりと回ってくるだけで、それなりに満足しておとなしくしている風である。やはり、体調がいまひとつ、ということなのだろう。
本日の新聞の占いでは、体調悪化に注意とでていたのだが、どうやらそれは正解だったらしく、シンドイ一日。ちょうど、定期的な通院の日と重なっていたので、やむなく出かけるが、結果もあまりよくなかった。新年を中心とする不摂生のせいであろうか。気が重い一日となってしまった。

ロシアが、ウクライナに軍事侵攻。侵略。ウクライナ軍の施設を集中的に破壊して、丸裸にしたうえで、ロシア軍による地域支配を実現するつもりらしい。トランプは、プーチンを「天才」と称賛し、中国はロシアのやり口を基本的に支持するらしい。個人的には、狂気としか思えない。


【22年2月22日】
昨夜の(今朝はと言った方がよいか)3時過ぎまで、ロイヤル・バレー「眠りの森の美女」を見ていた。舞踏と衣装がみごとで、つい最後まで見てしまったのだ。ところで、その第三部「皇子と美女の結構式」の場面で、様々なバレーの中に、なぜか二匹の猫の踊りがあって、結構式の御祝いの場面に唐突に猫の踊りが入るのかと、気になってしまった。朝になって、さっそくネットで検索すると、第三部には、この「眠りの森」のお話の原作者シャルル・ペローの書いた物語に登場するいろいろなキャラクターが出てくる、とのこと。二匹の猫は、その中の「長靴をはいた猫」たちだそうで、いかにも猫らしいしぐさを取り込んだダンスが、見ていて楽しかったと改めて思う。それにしても、多くの童話を書いたペローのことだから、こちらの気づかないその他のキャラたちが、猫以外にも登場していたのかもしれない。
そういえば、本日2月22日は、「222、ニャンニャンニャン」で「猫の日」だそうだ。
すると、さしずめ「1月11日」は、「111,ワンワンワン」で「犬の日」かと思ったら、「犬の日」は、「11月1日」とのこと。ややこしいことだ……。
「猫の日」は、終日寒かった。肌を刺す寒さ、という言葉もあるけれど、まさにそんな一日。
近所に暮らす数匹の野良猫たちは、どんな風にしてこんな日を過ごしたことか、と思う。


【22年2月16日】
時折、降雪が激しくなる。予報では、平地でも多いところで40センチほど積雪があるらしい。地元は、それほどではないだろうけれど、夜の間に少しは積もるかもしれない。今冬、何度目かの積雪になりそうだ。明日の最低気温は、予報段階では氷点下2〜3度になるらしく、そちらのほうが気になる。以前、市内で水道管が凍結、破裂して断水になったことがあったけれど、あの時は氷点下4〜5度くらいだっただろうか。朝の寒いのは、いずれにしろきつい。
午前中は、雪の降る中、犬を病院へ連れて行き、診察やら検査やらしてもらい、薬を受け取って帰る。途中、3カ所ほど寄り道して、別の用事を済ませるけれど、その間、一人で(一匹で)車に残されることが不満なのか、キャリアボックスの中で、不機嫌そうな様子をしていた。ご機嫌取りにおやつをやったが、当人に(犬だけれど)無視されてしまった。半日はそれで終了。実家から、昼のおかずに「煮びたし」をもらって帰宅。
中二階の居間から外を見ると、目の前のカーポートの屋根が、雪で白くなっていた。昼間の間は、こうやって少し積もっては融け、積もっては融けを繰り返しつつ、夜に入ってさらに降雪が続けば、10センチ、20センチは積もることになるだろう。そうならないことを願う。
午後は、読書。摂津幸彦の『俳句幻景』と加藤郁乎詩集『閑雲野鶴抄』とが、本箱から抜き出してきた二冊。どちらもおもしろい。特に、加藤郁乎詩集の方は、内容がわからないなりに、なぜか面白いと感じてしまう。言葉それ自体の力のせいなのだろうか、などと思う。
時折、ふと『鬼滅の刃』の煉獄の炎に焼かれながら歩むふたつ?二人?二匹?なんて言えばよいのかわからんが、その姿がちらっと頭のどこかに浮かぶ。よほど、印象深かったのだろう。最近、図書館で『日本の鬼図鑑』というのを借りて読んでいたので、その時の印象などもどこかに残っていたのか? 鬼というのも、化け物的なものから、人に近いもの、あるいは人以上に人間的であるものなど、さまざまな存在として図説を通して紹介してあったものだ。


【22年2月15日】
3回目の接種。ファイザーだったけれど、思った以上に痛かった、とLINEが入る。2回目には、かなり強い副反応があって、しばらく辛かったという人。今回もまたかと気掛かりだったけれど、一日で痛みが軽くなった、とのこと。筋肉注射の痛みだったのかもと、話す。たぶん、そうだったのだろうとのこと。

『鬼滅の刃』遊郭編。最終話は、眠いのを我慢して、夜の11時15分まで起きて見る。そもそも『鬼滅』の「き」の字も知らなかったのに、再放送を見て、意外と面白いと思い、毎週見て、その結果がこれだ。翌朝起きて、早々に改めて「Gyao」で見直して、すごいな、と思う。地獄の業火に焼かれる二人の姿は、せつなくもすさまじいものだった。次のシリーズもいずれ公開されるらしい。期待して待とう、などと思う。

本棚に積ん読状態の本を、少しずつ読んでいこう、とふと思う。基本的に、新たに本を購入することは避けようと思い、古典以外は図書館で借りた本を中心に読んできたのだけれど、まだまだ未読の本が、自分の家の本箱に積まれてあるのを放置するわけにはいかない、と考え、読み進めることにした。最後の一冊を読み終えることは難しいだろうけれど、その時々の自分がなんらかの興味や関心で購入して、そのままにしている本のことが変に気にかかる。


【22年2月12日】
オミクロンの感染状況がすこし収まってきたような気がする。どうなのだろうか。毎日の死亡者は100人越えで、たとえオミクロンであっても、重症化して、時に亡くなることがあるのだ。その数には恐怖を感じるけれども。徐々にではあれ、感染数の減少を願うばかりだ。ただ、この時点で、海外からの渡航者に対する規制を大幅に緩和するというのは、どうなのだろうか。再び、感染増加に転じるような契機にならなければ、と思う。
地元も、一時期に比べると、感染者数はかなり減ってきているようだ。感染力の強さから、クラスターが発生しやすい状況が、その数字を押し上げているようにも思われるけれど。単体での感染、ということが、着実に減ってきているということが、全体の数値の減少に関係しているような気がする。ニュース報道を目にしながら、我ながらいろいろ考えていることだ。
季刊の小冊子の原稿を少しづつまとめる。できれば、2月中に出せたら、などと思う。昨日は、とうとう買い替えた髭剃り機を素材にして、変な短編をひとつまとめた。これも、小冊子に入れようと思う。今回は、冊子とは別に、おまけみたいなもの(おまけというのもおこがましいけれど……)もちょっと考えている。どうなることか。連句もひとつ。連句については、完成品の作品がこれで底を尽くようなので、今現在進行中のものを、次の小冊子に載せることになりそうだ。自転車操業? ちょっと落ち着かない。でも、楽しい。


【22年2月5日】
北京冬季オリンピックの開会式をちょっとだけ見る。色々な意味で圧倒される開会式ではあった。世界のIT先進国としての中国をその洗練された映像で圧倒的に表現(正直、とても美しいなと思わず感心してしまったが)し、延々と中国国旗掲揚の儀式を流し、習近平とバッハ会長をツーショットで映し出し、果てには自由の頌歌でもある「イマジン」まで式典に流されて、もういいかなと視聴を終了。嫌中などと語っている間に、日本はどんどん後進国化しつつあるのでは、という恐れを改めて感じる。中国4000年強の、かなりすさまじい歴史的展開は、感情的忌避感などまったく寄せ付けない国家としての無慈悲さを含む芯の強さ(共産主義という形を借りた中央集権国家なのだろう)を包蔵しているようだ。

またまた、寒い日が揺り戻しでやってきた。立春寒波ということはあるけれど、一日遅れで当地にもそれはやってきたようだ。外は、積雪はほとんどないものの、ひっきりなしに粉雪が降り続いている。夜間であれば、積雪になっただろう、そんな降り方である。寒いのはもう結構、と思う。


【22年2月2日】
『再訳 朝鮮詩集』読了。戦中から戦後にかけての朝鮮の詩のアンソロジー。抒情詩的な作品が多いように思うけれど、全体に多彩で面白い。詩人たちも、様々な経歴の持ち主たちで、戦時中、日本の大学への留学経験者も思いのほか多かったり、政治的理由で粛清に遭い、あるいは消息不明となった人などもいて、詩人たちが時代の大きなうねりの中で、様々に翻弄された様子なども思われたりする。個人的には、朝鮮の詩は肌合いがあう。
古文の『夜の寝覚』読了。『源氏物語』に次いで、評価の高かった作品の一つということであったけれど、かなり難解なところがあって、読み進むのに苦労する。内容が十分には了解できなかったところがあるので、いずれ再度読み直してみたいと思う。特に、心情説明やさらに心理描写の部分が難解。次の作品として、『狭衣物語』を読み始める。こちらは、ずいぶんと読みやすい。
漢文は、『史記』の「世家上」を読了。読書以外のいろいろな事で時間を取られる中で、古文・漢文については、何とか毎日の日課として読み続けているけれど、それ以外の読書がなおざり状態となる。そのことが、我ながら少々不本意ではある。
本日、コロナワクチン接種追加分の予約ができた。第五波までは、身の回りにコロナ感染者の話をまるで耳にしなかったけれど、今回の第六波は、知人の周辺に感染者が出たなどという話を聞くことがあり、従来との様相の違いを感じつつある。