日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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【23年4月23日】 【23年4月20日】 【23年4月16日】 【23年4月11日】 【23年4月4日】
「三井住友カード」を騙る詐欺メールが来た。「【三井住友カード】ご請求金額確定のご案内 (2022/05/16 8:27:54)(これは、ネットからの貼り付け)」などと表題が書かれたメールだった。全く心当たりがないので、無視しようと思ったが、念のためネットで検索してみると、ずばり詐欺メールと分かった。速やかに削除する。詐欺メールは各種送られてくるけれど、カード関係は初めてだった。『ザケンジャネーヨ!馬鹿ヤロウ!』などと、心の中で罵声を吐きつつ、削除。面倒くさいことだ。
昨日は、演奏会を聴きに遠出。というより、私が歌を教わっている先生の、さらにその先生が演奏会の中でゲストとして歌われるので、その歌声を聴くために、運転手として車で遠出をした、ということが実情。ぜひ、一度その声を聴いてみなさいという強い勧めもあったので、運転手を買って出るつもりにもなったのだけれど、いざ、出かけて行って、会場でその歌声を聴いて、そのつややかなテノールの歌声に大変びっくりした。オペラ「オテロ」の中の数曲を歌われたのだが、テノールの声とはこのようなものなのかと、たいへん驚いたということだ。合唱の中でも、テノールのソロの歌声を聴く機会は何度もあったけれど、それまでに聞いてきた方々の声とは、異質なものという印象をうけたのだ。もちろん、合唱曲の中のソロとオペラの中の独唱とは違う部分があるのだろうけれど。テノール歌手として、長いキャリアと実績を積み上げてこられた方ということだったが、ともかく驚きだった。私の先生は、数年ぶりの再会ということもあって、大感激状態であった。帰りの車の中でも、いつも以上に饒舌であった。本当に、興奮もし、嬉しくもあったのだろうなと思う。
その日は、夜、合唱の練習日。見学者が二人来られて、そちらの応対も。合唱経験者で、さっそく声出しから、歌唱練習まで参加される。歌うことがお好きなふたりのように感じられた。入団していただければ、ありがたい。特に、貴重なアルトとテノールの経験者であるだけに……。
黄砂も落ち着いたようなので、車を洗う。黄砂襲来の前に、ちょうど車検があって、その際、車のボディもきれいにしてもらっていたので、気分よく運転できたのもつかの間、黄砂襲来、である。地元は、さほどひどい状態ではなかったとはいえ、外にでると四囲はかすみ、マスクなしで外歩きをすると、なんとなく口の中が気持ち悪いような状態となる。犬の散歩も、ウンチが出ると、速攻で終了。その後、天気は日を追って下り坂となり、一昨日は、春とは思われないほどの雷雨が襲う。雷鳴と、雲を不気味に輝かす稲光がすごかった。時折、ばりばりと音を立てて、落雷が夜闇を縦に切り裂いて、思わず目を見張る状態。そんな、こんなで、気ぜわしい天候とともに、なんやかやと毎日やることが待っていて、少々疲れ気味。今日も、朝から車で移動、午後になって一息つける時間があったので、快晴(というより、暑い)でもあり、車を洗って、その後一休み。1時間ほど、さらに空きの時間があるので、数日ぶりの書き込み、ということになった。その後、また外出が待っている。その前に、干していた蒲団と毛布をとりこみ、洗濯物を中に入れておかねば……。
ゲーテの「ファウスト」を読み始めてまもなく、あることに気が付いた。どうやら、自分は以前一度「ファウスト」を読んでいたことがあったらしい、ということだ。記憶の中に読んだ思いは全くなく、当然内容についても、(読書紹介などでの概略以外)まるで知らないというつもりで読んでいたのだが、本の途中途中に「ドッグイア」、読んだ部分を示すページのめくれ印があることに気が付いたのだ。それが、本文の最後の方まで続いていることで、どうやら自分はこの作品を昔、一度通して読んでいたらしいということに気づいたのだ。では、いつごろ読んでいたのか。「ファウスト」を掲載する世界文学全集は、自宅の本棚に置かれたままの全集の一冊で、自分が自宅にいた、高校を卒業するまでに読む機会があったものだと考えると、高校生の頃までに読んだということが想定されるように思った。高3の時は、読書する時間も余裕も全くなかったので、それ以前ということになりそうだ。ただ、読んだことも含めて、全く記憶に残っていないということは、読んではみたが、全く内容もなにもちんぷんかんぷんで、興味も、関心も、さらに感心も全くなかった、それゆえ印象にすら残らなかったということなのだろう。今は、結構面白がってよんでいるので、昔の自分、その失われた時間を振り返るようで、ちょっとした感慨を感じなくもない。
ここ1年近く、市の図書館で本を借りることを止めていた。まず、手元の本を読むことを優先しようと考えて、そちらの方に読書の主力をおいたからだ。おかげで、多くの俳人の全句集を読んだり、かなり大部の評論集などにも目を通すことができたのだけれど、ただ、今はなんとなく物足りないような思いが募ってきて、再び図書館に通うことになったのだ。もっと、いろいろな分野、内容のものを読んでみたいという気持ちが強まっているということだ。もちろん、本の専門家でも、研究者でもない、読書愛好家のひとりとしての、手あたり次第の興味関心のありようというところでのことだけれど。ただ、今のところは、借りてくる本は詩集中心で、あらためて詩集ってのは面白いものだ、今の自分には、詩集の中の言葉が身に染みて感じられるな、ということを思っている。とはいえ、図書館の詩集の蔵書数には、本当に限りがあるので、どうしたものかと思う。文学全集の中に、詩集はたくさん収められているけれど、ただ大きな問題があって、それは活字がかなり小さい、ということだ。目が弱ってきているせいか、持続して読むことがつらくなっている。昔なら、こんなこと考えられもしなかったのに、などと思ってみるけれど……。
読書を楽しみ、喜びとして、日々を過ごしている者としては、これはかなり残念な状態だと、我ながら思う。困ったことだ。
昨日、必要があって、高速バスの運行状況を確かめていたら、毎回便利に使っていた路線のバスが、いつの間にかなくなっているのに気が付いた。遠隔地であっても、朝早く出発して、同じ路線の便を使えば、その日のうちに帰宅することも十分可能で、しかも、料金は鉄道に比べたら半額以下、乗り換えなども必要なしという、ねがったりかなったりの高速バス便であっただけに、本当にガッカリしてしまった。おそらく、コロナがらみで、利用者激減の3年間が大きく影響したのではないか、と思われる。コロナ禍はおさまったとはいえないけれど、折をみて、そのバス便を使って遠出もしてみようか、という気分になりかかっていたのが、一気に冷めてしまった。他に交通手段がないわけではないので、完全に通路を失ったというわけではないけれど、運賃や宿泊費のことを考えてみると、ちょっと覚悟が必要かもしれない、などと思う。状況が改善して、ふたたび路線再開ということになれば本当にありがたいけれど、一度消えたものがふたたび復活するというのは、田舎の交通事情からいえば、ほぼ不可能のような気がする。田舎暮らしでは、いちどなくなったものはほとんど二度とはもどらない、ということはしばしばあることのように思う。
バスがだめなら車を使う、ということは当然次善の策として考えたけれど。長時間運転や燃料費・高速料金など、鉄道や泊付の移動に比べても、遜色ないくらいに費用がかかる上に、実は駐車場の問題がネックになっているのだ。都市部であれば、いくらでも駐車場はありそうな気もするのだけれど、しかし、当の目的地が超有名な観光都市であった場合、駐車場がどこも満杯状態ということは容易に想定されることだし、さらに空いている駐車場の中にはそれなりの理由もあるようで、ちょっと調べてみたら、万に近い駐車料金を取るところなども平気にあるようなので、うかつに車を留めるわけにもゆかない。
観光のために遠出するという考えは、ほとんどない(山には行ってみたい気はするけれど……)けれど、俳句や文学関係の集まりや勉強会には、さすがに顔出しをしたいという思いはあり、とはいえ、そのために満員や雑踏の中に我が身を置くことは可能な限り避けるようにすれば、車を使って、目的地へ直行、目的の会に参加し、必要な人と出会って帰るという事が一番良い方法だと思われるけれど、そこでうち当たるのが、駐車場の問題だろうと思われる。カフカの『城』ではないけれど、目的地はすぐ目の前に見えるけれど行き着けない、車を置ける場所がない、結果として目的地にたどり着けないなどということになれば、かなり悲惨な状況ということになるように思われる。
などと、いろいろごちゃごちゃ考え出すと、それだけでげんなりしてしまうことだ。
坂本龍一さんが亡くなられました。つつしんでお悔やみをもうしあげます。大江健三郎さんに続き、ほんとうに大きな人が亡くなってしまわれたと思います。私自身は、お二人の熱烈なファン、読者ということではないと思います。ただ、大江健三郎さんは、その作品世界の進行につれて、ずっと読み続けてきた作家のひとりです。その独特な語り口調の文体となんとも言い難い混沌をはらんだような世界観には強くひかれるものがありました。坂本龍一さんは、実は私自身は一枚のレコード盤でのつながり、という以上のものではありません。その前後の活動等については、仄聞する程度のものではあります。ただ、その一枚のレコード盤、「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラック盤の一枚は、強い印象をのこしたものです。坂本龍一さんの楽曲としては、私にとって唯一・絶対の一枚、ということになるのかもしれません。最近、レコードプレイヤーを購入して、聞かずに置いたレコードを、ちょくちょく引っ張り出してきいたりもしています。もちろん、その中には、坂本龍一さんの「戦場のメリークリスマス」も残っています。ただ、あるいはもうそれは聞かないままにしておくかもしれないな、と思います。それは、改めて聞いてみて、妙な感想を持ったりしたら嫌だな、などという変な思いからではなく、あらためて聞かなくてもいいかもしれない、という思いからです。
4月は、すこし重く始まったようです。