日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
23.1「日々録」 23.2「日々録」 23.3「日々録」 23.4「日々録」 23.5「日々録」

【23年6月29日】
『風と共に去りぬ』読み始めたら、おもしろくて、毎日読むのが楽しみになってきている。全2巻本で、現在1巻の5分の3くらいまで。米国の南北戦争を背景に、戦線の町であるアトランタの混乱と、主人公たちの困窮の状態が、生々しく、しかしドラマチックに描かれてある。現在、南軍の敗色が濃い中での、物語の進行。映画は見ないでおこうと思っていたけれど、いずれ読み終わったときに、映画の方もみてみたいような気持になる。映画も、名作の誉れ高いものではあるが、色々な場面や登場人物たちが映画の中ではどのように描かれてあるのか、徐々に興味が湧いてきていることだ。
古典は『万葉集』。現在の二巻目、相聞の部に入ってきている。どのような選択基準で、各長短歌が選ばれているのか、気にかかる。漢詩は『李白』の作品集。『李白』の作は、読んでいて面白いし、そして描写や表現の美しや巧みさに感心してしまう。友人杜甫に関係するものなどもあって、それもまた面白く思う。俳句関係の評論集も1冊読む。虚子の写生説の到達点と限界が、その後の俳句作品にどのような影響をもたらしているのか、いないのか(いないわけではないだろうけれど)、大変興味のあるところだ。
今日は、曇りのち雨、その後曇り。このまま、夜半までその状態が続き、その後雨が降り出して、明日の朝は雨の予報。今日は、朝夕の犬の散歩がちゃんと出来てよかった。明日は、ちょっとわからない。朝の散歩は、難しいかも。今朝は、5時過ぎに犬を散歩に連れ出す。さすがに、犬も眠そうだった。5時過ぎでも、湿度が高くて、蒸し暑いなという感じ。熱帯夜明けの朝は、仕方ないかもしれないが……。

【23年6月25日】
山から下りてきたらしいカッコウの鳴き声が、時折かすかに聞こえる。森らしい森はこの地域にはないのだが、離れ小島のようにぽつりぽつりとある落葉樹のごく小さな林のどこかをねぐらとしているようだ。
タイタン号の事故は、どうやら人災ということらしい。深海艇としてその安全性が危惧されていた船の、その危惧が現実化したものらしい。恐ろしいことだと思う。暗黒の超深海での限られた空間内での事故は、閉所恐怖ということだけではなく、やはり一層恐ろしいもののように思われる。
ワグネルとプーチン政権内の軍事閣僚との確執は、相当のもののようだ。さすがに、内乱にまで発展する前に一応の終息をみたようだけれど、個人的にはこの一連のごたごたがプーチンの異常とも思われる軍事作戦、ウクライナへの侵略侵略の大きな楔、打撃になれば、と願っている。
岸田内閣の支持率が、再び低下傾向をみせているらしい。個人的には、基本的な理念に欠けた、あるいは予算の措置を明示しない、ほとんど「画餅」に近いような政策を打ち出す現政権を支持する根拠をほとんど見いだせないようなのだが。変化することを極端に嫌うらしい国民性が、明らかに日本の将来に対する大きな足かせになっているらしいともいうけれど……。本当に、日本はこのままずるずると地盤沈下を続けることになってしまうのだろうか、と気掛かりだ。株価だけは、バブル期以降、やたら上がっているようだけれども。

【23年6月23日】
深海は、第二の宇宙空間とか言うらしいけれど、大富豪の一般人が宇宙に飛び出したり、などということが、徐々に行われる中で、沈没したタイタニック号を調査ではなく見物するために深海3000メートルまで深海潜水艇で潜航した揚句、おそらく操縦ミスで再浮上することがかなわなかったという出来事は、まさに現代風の不幸な事故ということになるのだろう。好奇心は、人類を未来に突き動かすエネルギーのひとつというけれど、見たい聞きたい知りたいという強い欲求は、時に悲劇の引き金にもなるということなのだろう。
命がけの遊び、あるいは目眩の遊びというものは、実はごく普通に身の回りにもあるな、などと思ったりもするが……。たとえば、山登りの好きなものにとって、岩登りや厳冬期の冬山挑戦などは、そんな遊びの一つのように思われてしまう。安全の確保や準備などの上に行われている山行なのだろうから、やっている当人たちにとっては、十分な自信と勝算があってのうえの「遊び」ということになるのだろうけれど。垂直の岩壁をザイル一本でお互い支え合って登っていく姿を、身内にぞわぞわ、ぞくぞくの感覚を感じながらも、すごいなとつい見上げてしまうことは、あるといえばある経験ではある。しかし、さらに思い返してみれば、普通に登山道を歩く山登りではあっても、岩壁を這い登ったり、細い稜線をバランスをとりつつ歩いたりすることもあるので、時に「目眩の遊び」の一端をかすめていることもあるともいえそうだ。
「目眩の遊び」のその目眩度によって、それをやり終えた後の達成感の違いもあることは確かなことで、魅力的な遊び、とも言えそうだけれど。
それにしても、巨大な棺でもあるタイタニック号のそばで、小さな棺と化した潜水艇の姿などを想像すると、なんともすさまじく、痛ましいものと思われてしまうことだ。

先ほど、ぱらりと雨が降って、一層蒸し暑い状態となったようだ。梅雨とはいえ、(異常な線状降水帯の出現はちょっと措いておくとして)雨が少ないような気もするのだけれど、どうなのだろうか。入梅後、梅雨はまだ半ばということではあるのだろうけれど。梅雨後半が、ちょっと気になるところだ。明けて夏も、高温らしいけれど……。

【23年6月10日】
6月が始まったと思ったら、もう10日だ。すでに、台風は3号が発生して、本州南方洋上を通過、などと天気予報が出されているありさまだ。梅雨前線は、南に下がっているとはいえ、地元は本日も曇りの上に蒸し暑い。大陸方面から、せめて乾燥した空気でももたらされたならば、などと思ってしまう。
今日は、夕方からコンサート。身内の者も関係しているので、さらに楽しみな気分になることだ。演奏曲目も、ミュージカルから、重厚な交響曲まで幅広く、きっと聞きごたえのある演奏会になるだろうと、期待感十分である。
修行のような『楚辞』もまもなく読了。『風と共に去りぬ』は、読み始めたら面白い。わくわく、どきどきしつつ、お話の展開を楽しんでいる。映画化されて、名作の誉れもたかいものになってはいるけれど、映画の方は見ないままにしておこうと思う。
そういえば、近年になって、新聞の連載小説を読むようになった。これまで、ずーと新聞連載小説は、ぶつ切りを読むようでまだるっこしいということも含めて、ほとんど読む気もなかったのだけれど、今にしてとても後悔している。もったいなかった、と思う。新聞小説、いまでは毎朝の楽しみとなっている。……、筒井康隆の新聞連載小説は、読んでいたな。「朝のガスパール」とかいったか。読者を巻き込む小説、とか銘打たれてあったように思うけれど、この小説は、筒井作品としては残念ながらまるで面白くなかった。こちらのほうに、読み取る力が不足していたのかも、とも思うけれど。

ダムが破壊された。下流地域では甚大な洪水被害が発生し、死者もでているらしい。ダム破壊ということについては、以前からそんなことも話題のどこかにあったのではないか、とも思うのだけれど、しかしまさかそんな非人道的な、無茶なことまではしないだろう、などと高を括るというのか、勝手にそう思っていたら、実際にやってしまった。狂気の沙汰としか思われない。冷却水の問題では、ダム破壊が原発の危機的状況をもたらすかも知れない、的なことも言われているけれど(原発、冷却水という言葉に、私たちは特に敏感に反応してしまうけれど)、よもや原発にまでは手を出さないだろうとは思いつつも、最悪の事態がふと想像理に浮かぶことがあるのが恐ろしい。

【23年6月3日】
台風二号は、地元にはほとんど影響はなかった。昼間の強雨うも、夕方にはあがり、犬の散歩にでかけることができるほどに、地面も乾いていた。前日を含めて、雨籠り状態だった犬は、蒸し暑いながらに遠出をしたがったけれど、こちらの都合で早めに切り上げて帰る。夜、合唱の練習があるので、やむを得ない。夕食はあとまわしにして、練習に出かける。バスパートの4人が参加者。ともかく、ぐいぐい練習を進めて、終わりには皆疲れ果ててしまい、早めに終了。外に出ると、きれいな月が浮かんでいた。
帰りの車の中、台風の影響が残っていたのか、フロントガラスが、(外側のほうが)やたらと曇る。ワイパーを動かしていないと、すぐに前方がみえなくなってしまうほどだった。こんなことは初めての経験で、車内外の温度差のせいかと、クーラーを切って、外気を入れてみたりしたけれど、帰宅するまで、その状態はなおらなかった。途中、薄い霧がひくく路面にたちこめていたりして、やはり台風による大気中の水蒸気の影響か、などとと改めて思う。帰宅後、夕食。作り置いた「おじや」を食べる。夜の遅い時間帯の食事は、「軽く」したいと思う。
疲れていると、夢まで疲れたような内容のものになってしまうようだ。いくつかある「疲労」パターンの中の、新幹線バージョン。新幹線でどこかへ行こうとするのだけれど、まず駅に着くまで交通事情などで時間がかかり、駅について切符を買おうとすると、延々と行列が続いていて、いつ切符が買えるかわからず、そのうちに予定していた出発時間がどんどん迫ってきて、やっと買えて、プラットホームに向おうとすると、駅構内がやたら複雑な構造になっていて、階段を登ったり、降りたり、こちらのホームからあちらのホームへと移動したりして、疲れ切って目的の列車に間に合う……、時に、間に合わず、という有様。その、基本パターンに、さらにいろいろバリエーションがついていて、目が覚めて『ああ、疲れた』ということになる。夢をみて疲れるのは、本当に疲れることだ。

6月が始まった。