日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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【23年8月25日】 【23年8月21日】 【23年8月12日】 【23年8月5日】
『風とともに去りぬ』読了後、続いてトルストイ『戦争と平和』を読み始める。これも、長編小説で、映画にもなっている作品。ロシアとナポレオン率いるフランスとの戦争を描いた作品かなと思うけれど、『風と』が、単なる戦争スペクタクル作品でなかったように、こちらも人間ドラマの感じが強くする。ただ、それにしても、登場人物が多く、しかもその人物たちの名前がロシア人らしくいちいち長くて、いろいろ読み取りづらいところがあったりして、小説世界へ入りづらいようだ。現実世界では、ロシアの民間軍事組織の長プリゴジンの暗殺疑惑など起こっていて、事実は小説よりも奇なり、ということが目の当たりという状況もあるけれど……。
汚染処理水の海洋放出が始まったようだ。納得なしの放出はしないという約束を簡単に反故にしたことで、これまでとこれ以降の様々がかなり信用を失墜したことは確かなのだろう。「水に流す」、というのは、日本人の伝統的な問題解決手法のひとつだけれど、今回もまた、太平洋という巨大な貯水槽に汚染処理水を拡散して、1000年という期間をかけて、放射能の減衰を待つということのようだ。自然に委ねて、自然の母なる懐の中で、放射能の無毒化をじっと待つ。そのうちには、汚染処理水を流し続けていることすら、皆の意識から消え、長大な日常の時間の流れの中で情報の無毒化がなされ、いずれ風評被害の解消、などということにもなるのかもしれない。つまるところ、実はなにもしないことが、風評被害の一番の解消法、などという悪意にみちた皮肉な結果をもたらさなければよいのだけれど……。
それにしても、「厳重に抗議しました」だけでは、中国のもたらす早速の風評被害(国家レベルのイビリ、イジメみたいなものだけれど)は、簡単には解消できないのだろうな、と素人目にも思う。政府の手腕、剛腕が時を置かずに発揮されるだろうことを思うけれど。
……それにしても、汚染処理水も薄めて流せば、なんとかなるだろうというとてもシンプルで単純すぎるような方策の背景に、その安全性に対するどの程度の科学的信ぴょう性、裏付けがあるのだろうか、などとふと思ったりもすることだ。その程度の放射能は、自然界の中に普通に含まれているので問題ないとはよく言われるけれど、その自然状態に人為的な変更を加えることで、自然界がそれまで保ってきたバランスに変化が生じたりはしないのだろうか、などと。それに、水に流す、自然にゆだねるというのは、おそらく一番金のかからない伝統的なやりかただろうし、そんな経済的な理由が汚染処理水の処理方法の選択判断に関わっているとしたら、ちょっと嫌だなとおもったりもする。変な言い方だけれど、「(目先の判断による)安物買いの銭失い」は、いろいろな場面で生じることではあろうし。
迷走台風通過のうちに、お盆は終わってしまった。台風一過後の、お盆最後の日に、お参りと掃除とに行くと、お供えの盆花がきれいなままで残っていて、ちょっと驚いてしまった。猛暑の炎熱と、台風の暴風雨によって、すっかりだめになっただろうと思っていたのだが、台風の通過で猛暑をまぬがれ、さらに思ったほどではなかった風雨が幸いして、花が枯れずにそのまま残っていたらしい。その日は、さらにお参りができないままだった愛犬の初代から三世までの墓に、遅ればせながら行くこともできた。花の用意ができていなかったので、飾り花は、枯れずに残っていた花をそのまま使わせてもらう。黄色、白、紫の花に、一輪鶏頭の赤を加えて、なかなかすてきな供花となった。
昨夜は、花火大会。会場まで行くことはできなかったけれど、自宅から少し歩いて、景色の開けるところで、遠くに打ち上げられる花火をしばらく眺めることができた。スマホで動画を撮って、東京の知人や、ラインのメンバーにその動画を送ったりもした。残暑はもうしばらく続くようだけれど、気分的にはちょっと秋の到来を感じていた。
秋の到来と言えば、暦の上はもちろんのこと、早朝犬の散歩に出かける際、太陽がまだのぼる前の空に、あきらかに秋の雲、秋の空の様子があって、それもまた秋の到来の一つかと思ったりもする。とは言え、歩き出すと、やはり日が昇る前なのに、変に蒸し暑い。犬もちょっと、舌をだしてはあはあしている。困ったものだ。さらに、日中はとにかく暑い。
『風とともに去りぬ』やっと読了。一日10ページ以上を目標に読んできて、何か月かかったことだろう。最初のイメージとしては、映画の影響などもあって、南北戦争を中心に描くスペクタクルものかと思っていたら、まるで違って、文字通り恋愛もからむ人間ドラマそのものだった。特に、南北戦争以後の主人公たちの身の上の変転が、時に衝撃的なものであったりして、物語の進行が気になって、ともかく、まず『風とともに』を読まなければ、その日の読書が始まらない、みたいな状態であった(ちょうど、NHKの朝ドラ、「あまちゃん」「らんまん」を見終わらないと、朝の活動が始まらないみたいな感じで……)。
汚染水処理問題。おそらく、総理は強引に放出を進めることだろう(「理解がなければ進めない」という約束は、きっと簡単に反故にするのだろう)。汚染水をなんとか処理しなければならないということは、喫緊の問題なのだと多くの人が頭では理解しているだろう。けれど、根本の部分で、政府や東電に対する根強い不安感や不信感が、その背後にあって、問題とその解決をややこしくしているのだろうなあと、つくづく思う。風評被害を現実的に解消し、生活や生業を守り、補償を誠実にきちんとしてしてくれる相手という、心からの信頼感や安心感が、まるでないからなあ……。
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迷走台風がようやく大陸方面に向かったと思いきや。すでに太平洋上には次の台風が控えていて、本土上陸の機会をはかっているらしい。猛暑と台風、ほんとうに天候に翻弄されているような日本列島だ。個人的には、13日がペルセウス座流星群の極大日にあたっているけれど、こんな状況では流星観察などおぼつかないことになるのだろう。ここ二年ばかり、流星群の極大日とその前後辺りは、決まって天候が悪化して、流星観察をあきらめるということが続いている。腹立たしい。
昨日は、山の日。雲が金色に輝いてみえるほどの見事な朝焼けがあって、その後、朝のうちから雨らしい雨が降り出す。ここしばらく、日本の他地域では線状降水帯による豪雨とその被害が発生している状態のなかで、当地などは一滴の雨も降らず、ひたすら猛暑日が続くという様子であったけれど、昨日は雨の半日となったことだ。気候のいびつな偏りもまた温暖化の影響なのだろうか……。
日本中がお盆休みにはいる。先ほど、盆花を買ってきて、午後には墓掃除に出かける。花も飾っておく。この猛暑のせいで、せっかくのきれいな花もすぐにしおれてしまうことになるのだろう。
猛暑の盆花からの連想ではないけれど、某新聞の内閣支持率が危険水域の30パーセント切りという状態になったらしい。何かやっている風でありながら、どこかピントがいつもずれているような総理の施策は、この先も迷走状態を続けるのだろうか。盆花同様、この猛暑にしおれるばかりの行く末か?
迷走台風。沖縄地方は、まるで往復ビンタをくらっているようなひどい状況。この先、どの方向に進路を向けることだろうか。気がかりだ。
健康保険証問題。マイナカードそれ自体に信用性が欠けている状況で、いくら「丁寧に説明」したところで、説得力を持たないのでは、と素朴に思う。そもそも、「丁寧な説明」という文言自体も、まるで言葉としての内実を失っているみたいだし……。政治家の(というか、安倍以来特に顕著にというか)、あれこれの発言は、着実に日本語の中身を空疎化してきたような気がする。日本語の破壊は、ちょっと大げさかもしれないけれど、日本と言う国そのものの土台の崩壊につながっているような思いはある。ちょっと極端な物言いをすれば、現在大半の人は政治家(皮肉なことには、確信犯的な意味合いを含めて当の政治家自身も)というものの発する言葉を本当には信用していないのでは、という気がするのは私だけなのだろうか、などと……。こんな状況の時に、(善悪、賛否等を越えて)強烈な「言葉」を発する人物が出現したりしたら、どうなるのだろうか、などとふと思う。
暑苦しい夏が、しばらくは続くようだ。