日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【23年11月27日】
草田男関係文章を数日前に提出。その返事をいただく。少々、体裁等を変更する程度で、今回はそのまま掲載することとなる。最後の詰めの部分に物足りなさを感じられたようだけれど、今回についてはそれ以上は私の力量では無理かも、と思う。それにしても、文章を書くために草田男全集を始め、いくつかの資料を読むことができて、それはそれでよかった。特に、草田男の句集はほぼすべて読了出来てよかった。草田男はわからない、と思っていた当初の思いは、かなり解消されたような気がする。収穫であった。
図書館で放出された『万葉集』によって、手元になかった部分を続きから読み始める。解説が懇切丁寧で(文字が小さくて、そこは辛いのだけれど)、その部分を合わせて読むのが面白い。

日本の防衛予算5年間で5年間で42兆円。膨大な予算額ではあると思うけれど、それが必要額として計算された金額であるそうだ。ところで、今日の予算委員会で立憲の辻本氏の為替のよる換算の話を聞いて、そういえばそうだと思ったことだ。現在、日本の為替はドルに対して148円ほど、ところが先の防衛予算の算出時期の為替相場は108円計算だったらしい。すると、当時は1ドルの物を購入する場合は、日本円で108円ですんだものが、今ならば148円出さなければ買えないということになるのだろう。日本円で42兆円あれば、それをドルに換算すると39兆ドルくらいになるようだ。ところが、それを148円で計算すると、28兆ドル分くらいになる。円をドル建てにと話を単純化して言えば、当初39兆ドル分の物資を購入できたものが、今現在であれば28兆ドル分しか購入できない、という計算になるのではないか。しかも、諸物価高騰ということであれば、さらに実際の購入量は、さらに目減りした物量となるのだろう。はたして、日本の軍備はそれで間に合うのだろうか。総理は、あくまで日本円で42兆円の範囲内で軍事費を賄うと公言したけれど、それって無理じゃないのかと思う。当初の予定通りに物資購入をするためには、当然予算額を大幅増加しなければ間に合わないように思うのだけれど。そんな単純な話ではないのか?その場しのぎの答弁であれば、将来に禍根を残すような気がするのだけれど……。

【23年11月19日】
寒い。突然に冬になってしまったような陽気の変化。平地でも、みぞれや雪が降ってくるような日々となってしまった。中村草田男の「あたたかき11月も済みにけり」などという句があるけれど、まだ11月半ばにもかかわらず、草田男の詠うのどかな「小春日和」的日々は、さっさと終了してしまったらしい。今年は暖冬傾向などという予報があったと思うけれど、ちょっと信じがたいような気分だ。
草田男関連の文章は、なんとか推敲・調整の段階に入る。毎日、見直してはすこしづつ修正や訂正作業を行っている。午前中は、だいたいそれで終わってしまうので、一日の時間が短くなってしまったような気になってしまう。その結果、1週間のなんと早く終わってしまうことか。先日、『どうする家康』の「関ヶ原の合戦」を見ていたと思ったら、もう「徳川幕府誕生」の回だ。『大相撲』も半分終わってしまうし……。ともかく、回転が速い。
S学会の名誉会長が死去。それにしても、旧統一教会と政界との癒着関係が問題にされ続けているけれど、S学会と自・公との直接・間接の癒着関係を見てみれば、世に言われている通り、確かに両者の相似形ということはあるなと改めて思ってしまう。政教分離の原則からいえば、S学会と自・公の関係の方が根が深いのだろうな、ということもまた。名誉会長の死去により、その関係性に変化が生じるかと言えば、利害得失の点から、変わりなしということになるだろうし……。俗化した政治と世俗化した宗教、というのはどちらもややこしいものなのだろうな、と思う。

【23年11月15日】
神の名前を持つ故郷の山は、初冠雪ですっかり冬山の様子に姿を変えてしまった。稜線の背後から昇る朝日や、寒茜に照らされる夕景など、美しい様子を見せてくれている。おまけに、澄んだ空気の向こうに木星がすでに夕方から東の空にきらきらと輝いて見えて、とても美しい情景だ。
今日は病院へ。ここしばらく急に耳鳴りがひどくなって診察してもらいに。特に病気と言うことではないらしいが、両耳の聞こえの違いが原因のひとつかもと言われる。耳鳴りはやっかいな状態で、ほとんど治ることはないらしい。すこしづつでも慣れるほかに対処はないようだ。薬をだしてはもらうけれど、あまり効果は期待できないようだ。まあ、仕方ないと思うほかないのかもしれない。
とんでもない政治家の醜態が、マスコミをにぎわしているようだ。現世の不始末を、そのままあの世に持ち去ってしまった人物もいるらしい。今、古文の方で平賀源内のかなりとんでもない(というのか、とんでもなく面白いというのか)小説を読んでいるけれど、その話の中ではエンマ大王が男色狂いとなって、かなわぬ思いに地獄からこの世に失踪したりする。そういえば、色事で失敗した政務次官もいたけれど、彼は自らを恥じて失踪したりはしないのだろうか。エンマ大王以上に図太い肝っ玉の持ち主なのかもしれない……。
草田男関係の文章は、ようやく4000字超。掲載の分量があるので、そろそろ終わりにしなければならない。良い機会だったので、ちょっと苦手を感じていた草田男の句集を全部読み切ることにした。すでに残るは『銀河依然』と『美田』が半分ほど。ついでにとニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」を読んでみているが、本当に全くさっぱりわからない。草田男はこの著作を20回以上読み、原文でも読み通したりしているらしいけれど、彼の中では、この「超人思想」はどんな風に理解・定着しているのだろうか、とつくづく思う。

【23年11月08日】
ようやくこの頃になって、不足気味だった睡眠時間を少しずつ増すことができるようになった。これは、とりもなおさず、朝明るくなる時間が遅くなってきたことの季節の直接の恩恵だった。犬の散歩の時間が、一時期に比べて1時間ほど遅くなった分、朝起きる時間が遅くなったということの結果だ。ご近所の犬コミューンの方の中には、現在もきっちり朝五時散歩を続けている方もおられて、毎日(雨が降らない限りは)まだ真っ暗の中を散歩に行かれる習慣を保っていて、感心してしまう。それにしても、1時間遅くなったとはいえ、まだ太陽が昇る前の時間帯の散歩なので、最近のように好天が続くと、故郷の霊山と呼ばれる山からゆっくり昇ってくる荘厳な日の出の場面に連日出会えて、気分よく一日を始めることができる。これも、犬の散歩のたまもののひとつだと思ってしまう。
時には、周辺の耕作放棄地の草原に、気温の関係か、うっすらと狭霧がたなびいている時があって、その幻想的な美しさも朝の目をすっと澄ませてくれるような情景である。ただの草むらが、その瞬間にはちょっと異世界的な幽玄な姿を見せてくれるようで、これもまた犬の散歩のたまもののひとつかと思う。もっとも、当の犬の方は、最近気になっている近所の野猫(文字通り、周辺の野原を宿にしているらしい数匹の猫たち)のことが気になって仕方ないらしく、ぐいぐいリードを引っ張って、こちらを誘導していく。
毎日が、同じような生活。とはいえ、なぜこんなにこまごまと色々なことが一日の時間の中に詰まっているのか、とつい思ってしまう時もある。

【23年11月06日】
久しぶりの吟行句会。近所にある自然公園が今回の吟行地。ずいぶんたくさんの鴨類、鷺類、そして白鳥などがやってきていた。天候はいまひとつで、観察ルームからの観察がもっぱらだった。天候が不順であることが、かえって鳥たちの自然の生態に接近できたようで、当日の出句は、読みごたえのある作品が多く投句され、内容の充実した吟行句会になった。
草田男関係については、ともかく資料を集めて、読んでみることを引き続き行う。テーマがちょっと変則的なものである分、なかなか接近の糸口がつかまえられない。ともかく、進めていくほかはない。
昨日は、よく通っている市立図書館の古本フェアーが催され、蔵書の無料配布が行われた。たまたま、知り合いのグループ展で隣の美術館に行っていたこともあり、ついでにそちらの催しにも顔をだしてみる。結果として、万葉集の2・3・4巻を入手。自宅には、いざ読み始めてみると1巻しかなかったので、これはラッキーだった。草田男が終わってから、ゆっくり読んでみよう。

政治家の中には、こちらの理解を超えるような持ち味の人物が散見する。たとえば、自らは平然と差別的言辞をもてあそびつつ、それを差別を政治利用する主にリベラル系の者たちに対する反撃と称しつつ、実は自らの支持層(差別を容認し、差別する側の自らに対して、肥大化した自我構造を惜しげもなく発揮してくれる人たちだけれど……)維持のために見事に差別を政治利用している点について、素知らぬふりを決め込んでいるようだ。