日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【23年12月30日】
毎年のことではあるが、年末のあわただしさは体にこたえる。本日、大掃除終了。数日に分けての掃除は、最後の大物台所を今日終える。実家の方で、餅つき(もちろん、餅つき機で)。一夜飾りは縁起が悪いと、松飾を玄関に飾り、さらにこまごまとした用事を済まし、買い物を終えて、ようやく終了。大晦日の明日は、もう何もしなくてよい状態に今年も持ってこられた。ほっとするばかりだ。今思い出した。例年、おせちは実家の方でまとめて注文するのだけれど、今年はちょっと様子が違って、自分で調達しなければならななくなった。明日は、どこかで自分用のお節を手に入れなければならない。それが最後の仕事となりそうだ。大晦日だったら、お節も多少安くはなるかも、などとみみっちいことを思ってみるが、しかし、ある程度ちゃんとしたお節はどこで店頭売りが手に入るのかはよくわからない……。
夕方、犬の散歩を終えて、そのままジョギングへと移る。今年最後の走り。日が沈んでもさほど寒くないので、下は短パン。途中で、知人に出会い、「おお、走っているのか!」と感心される。
今年も、明日一日。平穏に終わることを願う。

【23年12月24日】
クリスマスイブ、とはいえ、ケーキ類は鬼門の上、休刊日と重なったため、いつもと変わらぬ夜となった。しかたないので、ユーチューブを見ながら、ミニコンサートで歌うことになっているイタリア歌曲を2曲、練習する。歌うのは、どんな状況でもけっこう楽しい。外は、冷たい雨が降っているようで、雨音が小さく響いてくる。
来月には、本当に数年ぶりに遠出をする。日帰りだけれども。俳句の勉強会で出かける。コロナ禍の影響で、高速バスがなくなったり、便数減になったりして不便な面が増えたけれど、今回は高速バスを使えるところでありがたい。ある文学賞をとった俳人の方の句集が、今回の対象。アマゾンで購入したものがさっそく届いたので、夕方一通り読んでおく。今回の勉強会には。その俳人の方の主宰する結社から、若手がたくさん参加されるとのことで、若手の鑑賞を聴くのが楽しみではある。超高齢化が進む俳壇の中で、(まして地方においては)若い人の発言を聴く機会はめったにない。
明日は、天気が回復してほしい。本当に、運動不足になってしまう。

【23年12月19日】
物覚えが悪くなって困ってしまう。正確に言えば、物覚えというより、思い出す力が弱まってきているのではないか、と思ってしまう。今日も、人と話をしていて、現在自分が練習している曲の名前が、出て来なくて、困惑してしまう。相手からは、ちょっと呆れた風にみられてしまった。さすがに、練習をしていること自体を忘れてしまっていたら、それこそ大変まずいこといなってしまうのだろうけれど、そこまでは至っていないようだ……。楽譜の暗記にも。ずいぶん手間取るようになっていて、なんとも前途茫洋たる気分にとらわれてしまうようだ。『寅さん』の御前様ならば、心底「こまった。こまった。」とつぶやかれることだろう、などと問題をすり替えてしまうが。
寒い一日だった。ただ、幸い雪から変わった雨は、午前中には上がっていたので、昼前と夕方と、犬を散歩に連れてゆくことができた。朝夕の二回が散歩の基本ペースなので、犬もそのつもりになっていて、実家に顔を出すたびに、期待のこもったきらきらした瞳で見上げられるので、できるだけその期待にこたえねば、などと頑張る。さすがに、雨が降っているときは犬自身出かける気持ちがそがれるらしく、「雨(アメ)」と言う言葉を理解していて、あきらめてくれるのはありがたい。それが雪になり、さらに積もったりすると、犬もまた家籠り状態となり、かなりストレスを感じることになるだろう。天候のすきをついて、散歩を決行するほかないかもしれない。

安倍派は、大胆に切り捨てたけれど、二階派の法務大臣と万博担当大臣は留任させるのだね……。

【23年12月15日】
俳句関係で唯一収入に繋がるお仕事の振り込みをいただく。年末のこの時期に、たいへんありがたい。合唱関係の責任者の一人となり、団の運営資金でいろいろ腐心するところもあり、ひとしおお金の重さを感じたりもすることだ。ただ、久しぶりに家籠り状態を離れて、外部や周囲とのつながりを感じてもいる。これは、気分的に悪くないなと思う。今年もあと半月。ほんとうにあっという間に終わろうとしているような実感を持つ。
本日は、歌唱レッスンを受ける。2時間程の個人レッスンだけれど、終わるとぐったりと疲れてしまう。歌うとは、運動そのものと思ってしまう。特に、歌唱に必要な筋肉が全く鍛えられていないということを、今回も指摘される。ただ、指摘の具体的な中身は、自分で感得するほかはないようでもあり、その点なんともじれったいような気持になる。とはいえ、今日はひとつ重要なアドバイスをうけたように思われる。ほんのちょっとしたことが、歌唱のポイントにつながるらしい。

内閣支持率は、とうとう10ポイント台にまで下落したらしい。岸田内閣の一員という泥船に乗ることを嫌がる議員まで出ているらしい。末期的な様子を見せつつも、しかしこのままずるずると延命作業は進められていくのだろうな、などと思う。

【23年12月11日】
大谷の移籍先、決定。10年で1000億という契約金は、もうまったく別世界の話のようだけれど、10年間という現役選手としては一番あぶらの乗るであろう時期をアメリカでプレイヤーとして過ごす、ということに興味を感じたりもしたことだ。大リーグに日本人の選手の間口が開かれて以降、今回がその究極のあり様を示す例なのかも、などとも思ったことだ。そういえば、野球などほとんど興味を感じなかった者が、大谷の出るエンジェルスの試合だけは、BSチャンネルで見ていたりしたものだったが……。
小春日和の昨日から一転、そとは強風が吹きまくっている。いずれ雨が降り出すだろうなと思う。雨の次は、とうとう雪なのだろうか。今季は暖冬などという予報もあったような気がするけれど、はたしてどうなのか。雪国対応ではないカーポートの屋根の雪下ろしは、本当に勘弁してほしいのだけれど。

日本の政界は、政権与党を中心にグダグダになりつつあるようだ。安倍政治のもたらしたものが、結局はこんな形で日本の政治の自己崩壊をもたらすことになるとしたら、安倍政治の罪深さがあらためて思われたりもする。とはいえ、「大山鳴動して鼠一匹」などという結果(これだけ大騒ぎをしたその挙句が、政治家1名起訴などという究極の尻尾きりというような)で終わってしまったとしたら、カトリック作家遠藤周作の傑作『沈黙』の言う、日本と言うのはすべてを呑み込み、変質させる、泥沼のような国家、ということにでもなりそうな気もする。「古池やかはず飛び込む水の音」の地獄バージョン的な世界、とも……。

【23年12月04日】
12月。今年もまもなく終わるという時。最近は、いろいろと忙しいことが続いて、ひとしお年の終わりを感じたりもしている。生活の混雑度と時間の経過のスピード感とは、確かにつながっているなと思う。
昨日は、ひさびさに車で長距離を走ってきた。ちょっとした文芸関係の集まりに参加するため。運転が楽しくて、思ったより長距離を走ったという感じはなかった。集会を終えて、帰りは高速をさけてしばらく下道を走る。日本海に沈む冬の夕焼けの景色が、渋くてなかなか素敵だったりした。秋よりも、冬の方が雲の多彩さを目にするような気になった。
今日は、半日合唱関係の用事で、あちらこちら、車移動。「社会参加」しているな、という実感を持つ。

それにしても、政治家という一族は、金に汚い品行下劣な集団、というところを露骨に見せつけてくれるようである。そんな連中によって、日本が喰い潰されているような……。中には、開き直って差別発言を吹聴(やっていることは、まさしく「吹聴」的なこと)し、自らの政治的基盤を固めるという(つまり、そんな人物のそんな差別的姿勢を肯定・称賛する者たちが確実にいる、ということなのだろうけれど)ことに汲々とする者もいるようだ。人間の中に巣食う差別心すら利用しようとする、政治のブラックな面を平然と晒し、しかも恥じないというところもまた、凄まじいような気がすることだ。