日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【24年3月28日】
岸田総理が、個別面談をしたら、森元総理の関与について発言する者が複数出現。さすが、岸田総理、というほとんど茶番劇じみた展開が、国民の前で堂々と展開する、というのはどういうことなのだろうか。誰がそのような発言をしたのか、はおそらく明らかにされないだろうから、その発言が実際になされたかどうかも、じつはおぼつかない、という印象をもたざるを得ない。茶番?デキレース?的な感触を持つのも、仕方ないことのように思われるのだが……。
昔、昔、「馬鹿ヤロウ」解散というのがあったような気がするけれど、二階氏じゃ、そこまでの衝撃力や影響力を持たないということなのかも……。これもまた、茶番の一シーンなのかも、などと。
昨日は、業者さんに来ていただいて、庭の全面的剪定作業(つつじ関係は、すでに花芽が出来ているので除外)。半日程かけて作業をしていただき、庭の雰囲気が一変する。なんとなく、すかすかな感じがして、ちょっと頼りないような変な感覚。素人では、大胆に枝葉を切り落とすことができなくて、それが今回専門家の方たちの手によって、こんなふうな印象をもたらすこととなる。今後、若葉、青葉の新緑の季節の庭の様子がとても楽しみだ。

【24年3月23日】
大谷の活躍で、久しぶりに春らしい陽気な気分になれるかと思ったら、賭博疑惑。本人が直接関与しているとは思わないけれど、間接的に関わったなどということが問題視されてくるようなことがあったりするのだろうか、と思う。ともかく、単純にめでたい、楽しいというスポーツがもたらす享楽に、本当に水をさす出来事のようだ。
岸田は処罰対象外だとか、いろいろ喧伝されているみたいだけれど、二階氏をどう処罰するか、しないかということは見どころだなとは思う。現在の自民党の命運を決するみたいなところはあるのかもしれない。中途半端な形でことを処理すれば、その波紋は相当大きなものになるだろうな、とも普通に思う。しかし、中途半端なところでお茶を濁して、あとはそっぽを向いて口を拭うというのがいつものやり方だから、今回もそれで事足れりと始末を決めるかもしれないけれど。自民党よりも、結果として与党公明党の方がとばっちりをくらうかもしれない。あるいは、なにごとも起こることなく、よどんだ水面が薄暗い方へと果てなく広がるみたいな感じで終焉するかもしれないし……。
好評のうちにコンサートは終了。その後始末に動き出す。昨日も、10時まで会議。数日後には、それを受けて次の会議。さらにしばらくあって、新たな活動に向けての会議。こんな調子で進んでいくのは、正直しんどい、などと思う。今日は、午後早々に句会。前回から、句会選者の一人に選ばれた。少々、気づまりである。

【24年3月12日】
コンサート、終了。思った以上の結果に、一息つく。ともかく、色々なことがあったうえに、このコンサートの追い込みで、相当疲れてしまった。今日は、チケットの清算で午前中はあちこち車で走りまわる。天気は悪い。
今、階下では母がハーモニカを吹き、犬がそれに合わせてワン、キャンと歌っている。歌い方が、以前に比べるとずいぶん進歩しているような印象がある。そのうち、人間の声で歌い出したら面白いかもしれない、と思う。
昨日は、3・11。今でもあの瞬間の長周期振動の気持ち悪さを覚えている。職場で、来客と対応しているときで、急に目眩にでも襲われたのかと思ってしまったことだ。その後、テレビで津波が一線となって陸上を舐めながら進んでいる映像は、どこか現実味を欠くなにか得体のしれない生物の蠢動のような印象だった。いまだに復興途上であり、原発周辺は人跡を許さぬ土地に変わってしまった。能登の地震のこともあり、大阪万博などにうつつを抜かす経済人や政治家のある意味廉恥心のなさを思う。

【24年3月5日】
1月にいろいろなことがあって以来、時間の流れ方が少し、あるいはかなり変わってしまったような気がする。ふと気が付けば、すでに3月に入っている。早春と言っても良い時期なのだろうけれど、そんな感じはほとんどないような状態ではある。生きていれば、こんな時は何度かはあるのだろうと思うけれど、これを最後にしてほしいような気はする。自分の思うようにいかないことであれば、やむを得ないことであるのかもしれないけれど。ただ、そんな時間の流れにも、少しなじんできたような気もするのは、ありがたいことかもしれないけれど。慢性化しつつある不眠は、ちょっと鬱陶しくはあるのだけれど……。
1月以降、公私ともにせわしい状態が続き、いくつかの役割も分担せざるを得ない状況でもあって、その結果、大小取り混ぜて時間に追われるような生活が続いている。自分一人の時間というものがうんと制限されて、元々時間の使い方だけは贅沢だ、などとほざいていたのが、昔懐かしい思い出になりつつあるようだ。
とはいえ、今日は午前中に一件来訪者があっただけで、時間に余裕があったので、かなりちゃんと本を読むことができた。『源氏物語』の三読目、『万葉集』をとぼとぼというペースでの読み進め、漢文は活字の小ささに苦しめられつつ『古文真宝』、そしてトルストイの『戦争と平和』。いずれもけっこうボリュームのあるものばかりだけれど、蟻の歩みで読み進む。セサミンのみつつも、視力の衰えに耐えて、読む。大きな天眼鏡が有力な武器のひとつとなってしまう。まあ、なんといってよいのやら、と思う。
たまたま国会中継をみる。れいわの山本氏が、マシンガントークで総理大臣に喧嘩を売っているのをしばらく視聴。総理も、最後はそうとうむっとしている様子。山本氏の戦略についのせられてしまったのか、どうか……。そういえば、どこかの学校で、いじめ問題にからめて責任を問われた学校側が、自己弁護をはかるのに実に某政党の議員諸氏が用いる論理と言うか、詭弁と言うか、それをまるでそっくりなぞっているのを視聴して、悪い冗談か、ブラックユーモアのような印象を強く持ったりしたものだ。某政党の政治家諸氏は、率先垂範、日本人の劣化に敏腕をふるっておられるように感じられたものだった。それもまた、政治活動のひとつなのであろうか。