日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
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【24年5月30日】
ようやく、小冊子発送。おまけに、犬のミニ句集も添える。発行予定をずいぶん超過しての発行、発送だったけれど、ともかくも一段落。5月も間もなく終わろうとしている。
今年に入って早々の、様々なごたごたも、少しずつ収束に向かいつつあるようだ。こんな時期も、たまにはあることなのだろうけれど。「塞翁が馬」などという故事成語もあることなので、そのように考えておこうと思う。
先週末には、ちいさなコンサートに出て、ステージに立って2曲ほど歌う。合唱とは違い、緊張して歌詞が吹っ飛んだりしないか、などと色々危惧があったけれど、特に問題もなく終了。次は、合唱曲の練習を始めねばと思いつつ、ついそのままにしている状態。個人練習がなかなかできない状態なので、次の練習日、まともに歌える気がしない。
読書は、目が弱ってきているようで、思うように小さな文字が読み取りにくくて、ちょっとイラついたりしつつ読む。『戦争と平和』ようやく上巻を読了間近。人間模様が面白い。『源氏』は、「若菜」上がなかなか読み進めない。少々読み飛ばし状態で先を進めたりするという乱暴さでもある。漢文は、あまりの文字の小ささに、とうとう点眼鏡を重宝する状態となる。それこそ、鬱陶しいことだ。『万葉集』は、全四巻の第三巻目半ばまでたどり着く。4500首というのは、ずいぶんの分量であることを改めて実感する。
公明党は、しょせん自民党の使い走り、権力の犬ということなのだろうか。自民党のみならず公明党本体にまで「おしおき」を、と創価学会員からも追い込められているのだろうか。公明がいなくても、代わりに維新や国民が欲得を背景に、後釜を狙っているという危機感と、そのように脅しつけをする自民の圧力策が公明自身を追い詰めているらしい。与党の一翼をになうという名目での弱小政党の生き残り策、という節操のなさと哀れさを思うばかりだ。

【24年5月20日】
知人から知り合いが入院していると聞いて、誰なのかわからずに、名前を確かめるつもりで別の知人に電話したら、入院している当人で、驚いてしまった。声はげんきそうだったが、翌日(本日)手術をうけるということを聞いて再び驚く。平素、元気一杯のひとだったので、心配だったが、頑張ってと伝えて電話を切った。
小冊子が数か月ぶりに準備完了。いつものネット印刷へデーター原稿を送り、1稿の到着を待つ。本日中に送られてくるということらしい。
パソコンのモニターが不調。少し前から、電源が切れたり切れなかったりしていたのだが、今度は画面上にウインドウズが立ち上がらなくなってしまった。数日前、ネットのニュースサイトを見ていたら、突然画面いっぱいにウインドウが不調、すぐにパスワード等を入れ直し、それでも改善できなければ下記のところに電話して、サポートを受けよと掲示が出る。詐欺だなと思って、速やかに電源を切ったけれど、まさかそのことが今回に繋がっているのか、とちょっとビビったけれど、モニターの電源接続を切り直したら、どうにか復調。ただ、古い古いモニターだったので、この際と買い替えることにした。兄に頼んで、適当なものを注文してもらう。
今日は、朝から快晴。犬の散歩も快調だった。
昨日の夕食は、ブリを煮たもの。以前は、ちょっと生臭さが残ったりしたこともあったけれど、今では上手に煮ることができるようになった。特に、今回のブリの煮たのは、我ながら絶品のものとなった、と自負する。魚全般の煮付けは、もうなんとかなりそうな気がすることだ。

【24年5月16日】
ふと気が付けば、もう5月も16日。外は、青嵐というにはきつすぎる風が吹きまくっている状態。そとに干しておいた洗濯物が、竿ごと地面に倒れ落ちていたりする。今日一日限定らしいこの荒天は一体何ゆえになどと思ってしまう。明日からはまた、しばらく好天が続くらしいけれど。昨日は半袖で一日過ごす。そのつもりで今朝の犬の散歩にでかけたら、日がさしているあいだはあったかだったのに、日が陰ると一気に冷える。その上に、風まで吹き出してきて、散々な犬散歩となってしまった。おかげで、一句できたのは、転んでもただでは起きない、ということであろうか……。
外はとうとう雨まで降りだした。冷たそうな雨だった。雨音をききながら、めくり忘れていたカレンダーを一枚めくる。やっとこの部屋も5月になった、ということであろうか。
公明党に見放された自民党は、単独で例の法案を提出することになったらしい。あくまでも、裏金の原資になる金銭は確保しようという、ある種の必死さが感じられるなりゆきではあるみたいだ。ほとんど開き直りという姿勢なのだろうけれど、それでもなんとか法案を押し通すつもりなのだろうし、通過させる目算もあるのだろう。数の力というものは、政治的感覚も鈍麻させてしまうものなのだろう、きっと。
1週間ほど前に、吟行で郷土の霊峰とよばれる山にでかけてきた。風の強い(文字通り、新緑を突き抜けて吹きすさぶ『青嵐』そのものだったのだろうけれど)一日だったけれど、昼食の三菜御膳も含めて、初夏の山岳の鮮烈な印象が、いまもどこかに残っている。

【24年5月5日】
『源氏物語』の「若菜の巻」以降は物語の第二部にあたる、とBSの某番組が語っていた。なるほどと思う部分がある。とりあえず、源氏の各巻のなかでも2部構成の長編部分は読みごたえがあるところだ。読書のペースがうんと落ちてしまい、1回4ページほどを読むという状態なので、はたして「若菜の巻」読了まででもいつまでかかることかとは思う。
今日は5月5日、子供の日。犬の散歩に歩いていると、ところどころ鯉のぼりや幟の立っているのが眺められる。朝から暖かく、今日は半袖姿で歩く。早朝にもかかわらず、日差しはきつい。この日差しのきつさや、夕方の太陽がひどくまぶしくオレンジに輝いている状態を意識しだしたのは、こちらに帰ってきて以降のような気がするけれど、いずれにしろ、地球温暖化の兆し、というよりはその現実に直面しているような思いになる。子供の日。しかし、その子供たちの未来に待っているものはどんな現実なのか、ということを考えてしまう。
岸田政権は、裏金問題を憲法問題へ置き換えて、窮状を脱しようとしているようだ。憲法問題を政権の現況改善のための手段化しているのは明らかだ。ただ、それをもまたひとつの機会としてその方向に乗りかかり党勢を強めようとする維新や国民民主もまた、同じ穴のなんとか、ということなのだろう。現在、憲法問題について拙速を危ぶむ国民の民意は某世論調査によると6割を超えているのが、現実だ。少なくとも、誰かさんお言うそもそも法律をゆがめ、あるいは守ることができない政党が主導する憲法改革など、ほとんどブラックユーモアの世界での出来事でしかないように思われる。
なにをさておいても、まずやるべきことは与野党を通じて他にあるはずだろうに……。

【24年5月3日】
5月3日。憲法記念日。改憲論議も、岸田総理への不信任感の強さの影響を受けて、某調査では岸田政権下での改憲を望まない国民の世論が6割を超えたらしい。政権に対する、根強い不信感の反映らしい。ここまで根深い不信感を持たれた総理も、ちょっと珍しいような気がする。
五月三日。天気は快晴。暑くもなく、寒くもないという一日。早朝の犬の散歩も、ポロシャツ一枚で出かけることができた。
一日の大半の時間が、自分以外のことに使われるという生活を続けてきて、その状態にも慣れつつあるのかもしれない。ただ、五時から(実際には3時過ぎくらいに目を覚まし、やむなく4時からの中国ドラマを、うざい内容だなと思いつつ見て、それから)本を読むというのは、結局一日全体に影響を残すな、と思ってしまう。今日は、午前中に風呂に入ってちょっと気分を変えたけれど、昼寝をする時間もなくて、夕方までという調子。どこかに眠いという感覚を残して、夜を迎えるということになる。
『源氏物語』これで、通算四回目になるか。今回は、途中から読み始めている。紫式部と道長のことがNHKで大河ドラマにも取り上げられていることもあって、そちらのドラマはドラマとして楽しんでいる。朝の連続ドラマも、見始めたら意外と面白くて、時にはBSと地上波の二回を連続してみたりしている。楽しいことだ。