日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

         
24.6「日々録」 24.7「日々録」 24.8「日々録」 24.9「日々録」 24.10「日々録」

【24年11月30日】
いつもの事ながら、「あたたかき11月もすみにけり」」という俳人中村草田男の句を思い浮かべつつ、今年はその実感もないほどに寒い数日を過ごしていることを思う。朝夕の犬の散歩も、かなりしっかり防寒をしなければならに、と思う。特に、寒さ対策は体調に直結するらしく、注意を与えられたりもする。十分、気を付けなければと思う。厄介だなと思いつつも……。
自分だけのぼんやりと過ごす時間が本当にないな、と思う。なにか、忙しく立ち働いているわけではないのに、そんな感覚や思いの中で毎日を過ごしているようだ。これをどんな生活と言ってよいか、今の自分にはわからない。ただ、いずれそれがどんな日々だったのかが了解される時が来るのだろうとは思う。その時になってみるまでは、答えらしきものはでてこないのだろうと、今は思っている。
久しぶりに5時過ぎくらいから『源氏』を読む。一時間くらい。外はまだ真っ暗で、室内はかなり冷え切っていて寒い。薫と大君の話。夜明けに読むようなものでもあるまいけれど、ちょっと満足感を味わう。それにしても、明日から12月。今年もいよいよ押し詰まって来たということなのだろう。この一年は、自分にとっては今までに一度も経験したことがないような時間として終了しそうな、そんな感じが強い。ただ、もうこれ以上のことがないことを願うばかりだ。心静かに、残りの一月を過ごしたいと思う。

【24年11月18日】
懸案だった墓じまいの「魂抜き」の儀式をお坊さんを招いて行う。悪天候の予報があったため、強風と降雨の中での儀式となるかと覚悟していたが、幸い墓前での儀式の際は、雨が止み、空に一部青空がのぞくという状態となり、困難なく儀式を終えることができた。一時的な天候の回復だったけれど、幸運に感じた。
日本もアメリカ並みの選挙先進国に変わりつつあるらしい。SNSの内容を鵜呑みにして、熱狂の中で某県の元知事を再選させた。小粒のトランプとその周辺という印象を否応なく持ってしまったことだ。既存のマスメディアに対する不信は不信として、ならばSNSの情報に対する手放しの共感も、同じくらいにあぶなかしいもののように感じる。特に、一人の職員の自死に対する長としての責任の重さなどは、熱狂の中で掻き消させるべき性格のものではないように思われる。「陰謀論」などという、その根拠もあやふやなもの根拠として、その言説を信じ込む人々の塊にも恐ろしさと、ある種の不快感を抱きもする。社会のトランプ化は、日本においても着実に進行しているようだ。
今日は、本当に寒かった。夕食は、おでんを食べる。鍋物は良い。

【24年11月02日】
退院して2週間あまり。日常生活にはm、特に不便を感じない。ただ、ちょっと調子に乗って無理すると、てきめんに数値になってあらわれるので、その点が少々鬱陶しいような気もする。
昨夜は、久々の夜の会議に出席。参加者は、私の顔を見てちょっと驚いたようだった。ねんごろに労わられて、会議の進行役につく。皆の生き生きしたやりとりが、こちらにも心地よい。なんとか、社会参加しているな、という実感を持つ。この日の会議は9時過ぎまでで終了。夜の道路を運転して帰る時は、ちょっと高揚した気分となる。しかし、怖いのでスピードは控えめにする。
今日は、朝から昨夜の会議の延長としていろいろと用事をこなす。とはいえ、自宅でこなせる内容なので、自分のペースでぼちぼちと行う。外は、ざあざあぶりの雨で、散歩にも行けない犬が、しょぼんとした様子で寝床代わりの籠の中で丸まっている。本も少し読む。徐々に、いつものペースに戻っていくような」気がする。

【24年11月14日】
一日の時間の速さが、こちらの意識を越えて速いような気がする。それは、日々充実していて的な感覚ではなく、ともかく時間の流れが加速しているような気がするという感じなのだ。これは一体どういうころなのだろうか、と思ってしまう。
昨日は、句会と、夜の合唱練習。ひさびさに歌に参加したけれど、最初の声出しの段階で、脈拍が注意のラインを越えてしまって、少々ビビる。それで当面どうというわけでもないのだろうけれど、血圧関係などにあまり好ましくない影響がでるらしく、ともかく立ったままではなく、着座した状態で声出しをすることにした。脈拍は、それで安定したみたいだった。その後は、できるだけ本格的に声を出すことをセーブした歌唱法で合唱に参加したけれど、今度は不自然にのどに負担がかかる痛い方になってしまって、声そのものがでにくくなってしまった。困ったものだ。練習も最後の方になって、なんとか本来の発声に戻ったようだけれど。前途は、多難なのかもしれない。
今日は、久しぶりに『源氏』と漢詩関係の本を読む。宇治十帖に入ってから、『源氏』の文章が、読みやすくなったような気がする。どうなのだろうか……。