日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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夜が明けて、雪が降り始めた。降り始めただけでなく、積もり始めた。さらさらとした積もる雪なので、数センチは積もることだろう。日が差し始めたら融けるとはおもうけれど。山の方は、もう少し本格的に降り積もるかもしれない。雲が切れたら、雪山の豪壮な姿をみることができるかもしれない。雪山は、ほとんど完全無欠な美そのものだと、個人的には思う。
朝ドラを、毎日2本見ている。旧作の「カーネーション」と新作の「おにぎり」。「カーネーション」は文句なく面白くて、毎日の楽しみの一つとなっている。「おにぎり」の方は、個人的には今一つ。途中でチャンネルを変えてしまうこともある。「おにぎり」の物語の造りが、どことなく不満だからだ。「おにぎり」のお話は、物語の定型(あるいはパターン)をしっかり踏まえているようだけれど、不満なのは「定型」そのもののなぞりに終始していて、その枠からほとんど抜け出してないような気分になるからだ。主人公が「ギャル」で、物語の進行の中にその「ギャル」的要素が大事な要素になっている点が、パターンを少し超えているように見えなくもないけれど、その外し方がやっぱり「定型」の範囲を踏み外すことがない、ということなのだ。野球で言えば、ストレートばかり投げる投手で、それなりに剛速球も投げたりするけれど、投球のパターンが単調で、打者に球筋などを先読みされて、打たれてしまうみたいな感じ。そこで、無理に変化球をまじえるようにすると、肩に負担がかかってついに肩を壊してしまう、的な「おにぎり」本編にもあったような道筋にはまりこんでしまう。物語の展開がそうなので、登場人物たちも定型通りの形にはまって、生き生きとした面白みに欠ける類型的人物が登場することになる、ような気が個人的にはすることだ。
俳句もまた「定型」の文学とはいわれるけれど、そこに安住する限り、山ほどの類想句・類型句を生み出すことにもなりそうな気がする。もっともそんな類想句が、句会において高点句になることはしばしばあることではあるけれど……。
大相撲初場所、終わる。琴桜の姿が痛々しかった。先場所の自信に満ち気合のこもった立ち合い前の表情が見えなかった。来場所の再起を期待したいな、と思う。
昨年は1号どまりだった小冊子の編集と原稿書きを進める。合わせて、合唱関係のコンサート関係のプログラムにのせる挨拶文と、新聞に寄稿する合唱団の紹介文を書かなければならない。わりと定型的な文章ではあるけれど、内容にはちょっと工夫が必要なように思う。一気に書くパワーが全体にまだ不足しているようで、少しずつ、少しずつ書くことにする。
数年ぶりにケンタッキー・フライド・チキンを食べる。昼食。おいしいな!とつい思ってしまう。母もぱくぱく食べてくれる。犬もちょっとおすそわけしてもらう。平和な昼食である。
気が付くと、もう18日。母と一緒に、一日が過ぎるのが速いねと、慨嘆にちかいような思いで話し合う。生きてきた時間の長短によって、子供と老人では、一日の時間の感覚がずいぶんと違うとか。生きた時間の短い子供にとっては、一日の時間は長く感じられ、老人はその逆ということらしいけれど、時間の相対的性格みたいなものが、そこにはあるのだろうか。楽しい時間は短く感じられ、辛い時間はその逆のように。とはいえ、楽しいから過ぎる時間が短く感じられるという事は、苦楽には関係ないことだろうけれど。
昨日、今日と、快晴の日が連続している。両日ともに、庭掃除に相当の時間を使う。広くもない庭だけれど、結構植栽の数が多くて、その分落葉の嵩がずいぶんなものになってしまう。それを巨大なビニール袋に六、七袋ぐらい詰め込むことになるので、落ち葉をかき集めて袋に入れるだけで相当な時間と労力が求められることになる。袋詰めのビニールはやがて車に積み込んで数回に分けて市の焼却場に運ぶことになる。さすがに、そっちの作業は後日にまわす。落葉のごく一部は、ポットにいれて、腐葉土にしているのだけれど、出来上がった肥料を活用する機会はなかなかこない(庭の土質が悪くて腐葉土が活用できない。残念)。
詩人の生田春月の日記・書簡集を読んでいる。10代から20代の時期の日記・書簡で、読んでいるうちにちょっと恥じらむような感情を感じる時があったりもする。過剰な自意識や自恃と劣等感のない交ぜになったような日記の文章は、読む側にもそんな恥じらいの感情をもたらすのかもしれない。この日記を、彼は師である生田長江や一部の友人に読ませたりもして、かなり率直な感想や意見交換をおこなったりもしていたらしい。それにしても、そんな日記の一節に私の知人の家業に関係するような内容が出てきてちょっと興味を惹かれる。
大雪警報は依然継続中。夜間の降雪はさほどでもなかったけれど、日中になってから、積雪量が少しずつ増えているようだ。ただ、この状態だったら、雪かき等もふくめ、何とかなりそうにも思われる。雪が四五十センチにもなれば、雪かきをあきっらめ、車を使うことを放棄して、家籠り状態となってしまうので、そこまで雪が降り積もることがないように願うほかないことだ。雪かきは本気で行うと、肉体的な負担は相当なものになる。一昨年の雪かきでは、頑張って隣近所の道路まで協力して雪をのけたけれど、その翌日の通院の折、医者から雪かきをされましたね、と指摘されて、ちょっと驚いたことがあった。血液中に筋肉が破壊された時に出る物質の数値が異常なほどの価だったことで、医者がそのように目算されたらしい。無理はしないように、と注意を与えられたがが、それはまだ正常な状態の時の話で、今では飲食等正月の過ごし方以前に、まず「雪かき」はしないようにとかなり強く注意を受けた。困ったことになったなと本気でに思ったけれど、さすがにタイヤ交換の時のように人材センターの人に依頼するわけにもゆかず、結果として、雪かきは出入りの通路と、カーポートの屋根の雪落し(雪下ろし、ではない。屋根が潰れたら困るので)だけとして、車利用はあきらめることにした。いっそ除雪機を買ってやろうかとも思ったけれど、価格も高いし、実用的でもないとおもわれたのでそれは止めた。
外を見ると、降雪はやんで、日差しがでていた。こんな調子で、せめて降ったり止んだり、日が差したりで切り抜けられたら幸いだ。
昨日から、小冊子の編集を再開した。昨年、せめて2号は出そうと思っていて、思いがけない出来事でやむなく中止としたけれど、せめて今年は早い時期のまず一号出そうと思う。
家事と母の手助け、犬の世話で日中の結構な時間が必要となる。そこに、自身のリハビリや句会、そして夜の合唱練習、会議などが入ってくると、いろいろとやらなければならないことがさらに増えてくる。とはいえ、実際のところはそれまで送ってきた生活様式の拡大的延長なので、なんとかなる。ただ、それまで湯水のように(とは大げさだけれど)自由に使ってきた読書の時間が極端に減ってしまった。一日の読書量ゼロという日も多い。それがちょっと残念ではある。とはいえ、加齢のせいか、小さな文字が読みづらくもなってきているので、ちょうど良いといえばよいのかもしれない。
今日は、五時過ぎに目を覚まし、6時くらいから『源氏物語』の続きを読む。宇治十帖にすでに入っていて、薫と匂の宮の恋のさや当てと、大君の煩悶などを朝も早くから読んでいる。大君の周辺の女房たちの姑息(善意と打算の結合、といってしまうと気の毒でもあるけれど)それがなかなか面白い。ちょっと、流し読みふうに読むことができるようにもなってきていて(不正確な意訳みたいな具合ではあるが、)限られた時間でページを稼ぐ?こともできる。
今日は、典型的な冬の気象状態で、晴れと降雪とが頻繁に入れ替わり、立ち替わりにやって来る。昔暮らしていた丹後地方では、こんな気象状態を「うらにし」と呼んでいた。地元では特に呼び名はないようだけれど。気が付くと、もう正午近くになっている。買い物にでかけなければ。正月に残ったおもちを消費するためにも、おひるはぜんざいをつくろうと思う。小豆の缶詰を買ってこなければ……。
年賀状に差出人の私の名前がなかった、と連絡があった。確かめてみると、住所とメールアドレスだけで、肝心の名前の部分がデータから消えていた。かなり差し迫った時期に作ったものだったので、出来上がった安堵感でつい最終確認を怠ったせいらしい。これもまた、寄る年波による緊張感の欠如、ということであろうか。
今年の三が日、落ち着いた日を送ったのは一日のみで、二日からさらに四日にかけては、母のスマホの不調を修復しようと、兄と連絡をとりつつ、あれこれ手を尽くすことに終始してしまった。母のスマホは兄の選択したちょっとマニアックな機種だったようで、修復の手順が広東語かどこかの文字で書かれた説明文で、その翻訳からはじまり、ようやく初期状態にもどしたものの、つきの作業に移ることがどうしてもできず、そのまま三日目に突入。お手上げ状態で、地元のスマホショップに持ち込んだのは四日の日。そこで、一部修復はできたようだけれど、それ以上の作業は出来かねるということで、自宅に持ち帰ってのWIFIにつなげる作業が結局できないままに、本日を迎えるはめとなった。機種変更(と言ってよいのか……)のためあらためてショップにでかけなければならない。
調理中に、つい包丁で指先を傷つけ、飲んでいた薬の作用のせいで出血がとまらず、ひと針縫ってから一週間ほど経過、昨日やっと糸を抜いてもらった。どうにか傷はひっついているようだったけれど、指の内側の皮膚は分厚い分治りにくいので、傷口が開かぬよう、あと数日は注意するようにとの指示があった。もうしばらく、人差し指を使いにくい状態が続く。かなり不自由。キーボードを打つのも、マウスを使うのもかなり面倒くさい。
今日も良い天気。犬の散歩も軽快だった。本日、散歩の最長不倒?距離を更新した。帰宅後の犬は、デロンと寝ていた。
昨日今日と、晴天の二日間となっている。特に、元日の昨日は、滅多にないほどの快晴の一日で、退院後、犬の散歩と買い物以外ではほとんど日中には外出しない生活の中で、ひさしぶりに「歩き」を楽しんだ。すっかり冬の様相の山々終始眺めながらの「歩き」だった。快晴の分、風が強いことは少々残念であったけれど(それにしても、近年季節に関係なく特に天気の良い日はきまったように風が強く吹くようで、そのことがちょっと気にかかっていたけれど)。
そういえば、本当に生まれて初めて「お雑煮」を自分の手でつくった。作ってみると意外と簡単だったけれど、念のために作り方(特に汁の味付けについて)ネットで検索したり、具材をリストアップしたりして、大みそかのうちに近所の大型スーパーまで買い物に出かけたりしていた。出来上がりは、われながら上出来ではじめての手作り「お雑煮」を美味しくいただくことができた。
それにしても、昨日は本当に良い天気だった。終日、上空は青空が広がったままで、四囲の地平線上に雲の塊がぽつりぽつりと並んで浮かんでいる様子だった。さぞかし、夜の星空もきれいなことだろうと期待していたら、いつのまにか薄雲がひろがっていて残念なことになってしまった。雲間にオリオン座の一部が垣間見られたのはよかったけれど。
この二日間は、天気のことばかりに目を奪われていたみたいだ。