日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
3月分「日々録」
4月分「日々録」
5月分「日々録」
6月分「日々録」
7月分「日々録」
【8月30日】
生徒が文化祭の練習に来るか、と思っていたら、今日はお休みのようだった。来たら練習のついでに教室の復元をして貰おうと思っていたのだが、目算が外れて、仕方なく一人で机・椅子の移動を行う。残暑の候とはいえ、教室は異常に暑い。汗どぼどぼ状態となる。
今日は細々色々あって、疲れてしまう。夕方、生徒が来ることになっていたので、それを待って所用を済ませ、退勤。頭が少々痛い。血圧かと思ったけれど、帰宅後、熱を計ると微熱状態。
「加藤楸邨」読了。次は誰を読もうか、と考えている。
休肝日。早めに寝よう。
【8月28日】
「山口誓子」読了。「加藤楸邨」を読み始める。俳人一人一人の生き方が、面白い。8月中にもう一人、読みたいと思う。
ただ、その為か、どうか、俳句が全く作れなくなってしまった。心がどこかの部分で混乱しているのだろうな、と思う。
午前中は、学校公開。午後は、クラスの文化祭準備のおつきあい。6時過ぎに退勤、という一日であった。
日中、酷い雨が降る。夕方、蒸し暑い中を軽く走る。40分足らずではありながら、若干ばててしまった。夕方、ビールを飲みつつ、鰻を食う。滋養強壮、というところか。
ある俳句関係の掲示板を読んでいたら、今月号の「俳句研究」に掲載された1句と、ある著名俳人の句とがとてもよく似ているというような内容の書き込みがあり、興味を感じて確かめてみた。次の句がそれにあたるようだ。「いきいきと死んでをるなり兜虫」(「俳句研究9月号の掲載句)。「いきいきと死んでゐるなり水中花」(著名俳人の句、こちらの方の句の方が先行句)。確かに良く似ているな、と思う。この問題については、先行句を作った方から、「俳句研究」誌上に問題提起が為されるようだ。
【8月25日】
生徒達は、夕方まで頑張っていた。つききりでいる必要もないので、こちらは職員室で仕事。
夕方、近所のスーパーでBS対応のビデオを購入。帰宅して、配線。これで、土曜出勤の時も、「俳句王国」が見られる、などと満悦状態。
『雪華』の鑑賞文、下書き完成。結局、3名3句について書くことにする。ナンシー関『何様のつもり』読了。最後の方には短編小説も載っていたけれど、割と普通の小説。但し、発想は面白い。桜楓社『俳句シリーズ人と作品』シリーズの一冊「山口誓子」を読み始める。「中村草田男」「石田波郷」に続き三冊目。評伝・論評・作品鑑賞等が一冊に収まったもの。分かりやすく、読んでいて面白い。
日曜日。やはり五時過ぎには目が覚める。もう少し寝ていたいのだが、駄目。夜中に一度目を覚まして、「山口誓子」を読んで、二度寝したのだが。朝食を食べ、朝からビデオを一本見る。見終わって、9時だった。午後から下水管清掃の人が来るので外出する訳にもいかない。一日、籠もることになるか。
【8月24日】
昨日は、午前中はクラブの練習、午後はクラスの文化祭準備につきあう。クラスのTシャツ作りの打ち合わせなどもあり。生徒は、パフォーマンス用の衣装作り。型紙から作り始めている。本格的な衣装作り。将来デザイナーとしての仕事を希望している生徒が、中心になって頑張っている。
午後2時間ほど、別の顧問の先生とバドミントンの練習。閉め切った体育館ではあるけれど、盛夏の頃のような殺人的暑さはもうない。汗はかくけれど、肉体的なしんどさはまるで違う。
『雪華』8月号の雑詠欄「雪華集」の句の鑑賞文を書かなければならない。何度か読み返し、面白いなと思われる句に付箋を付けている。ここのところずっと投句をしていない状態で、文章だけ書くという事に、若干後ろめたいような思いを感じたりもしているが・・・。毎回の方針として、しばしば句評に取り上げられる人は出来るだけはずして、そうではない人の面白い句を取り上げて書こうとしてきたのだが、今月号はちょっと苦しいかもしれない。どうやって書こうかと悩んでいる。
土曜日、5時過ぎには目が覚めてしまう。今日は、文化祭パフォーマンスの振り付け担当の生徒達がうち合わせをするというので、出勤。洗濯を済ませ、朝食をゆっくり作ってから、出かける予定。
【8月23日】
ナンシー関という人の『何様のつもり』という本を読んでいる。けしごむ版画とテレビ評論で有名な人だったそうだ。そう言えば、しばらく前、新聞で偶然死亡記事を目にとめて、こんな人がいたのか、とその写真を含めて印象に残ったのを覚えている。ただ、それだけであれば、書店に行って本を買い、読んでみようとまでは思わなかっただろうけれど、今月号の『俳句研究』の「俳誌展望」で依光陽子氏が、かなり紙幅を割いてナンシー関氏のことについて触れておられるのを読んで、興味をそそられたのだ。
まだ読み始めたばかりだけれど、たとえば、「フィルターが外れた南野陽子は・・・」などはちょっと「目から鱗が落ちる」という内容で、とても面白かった。「重鎮か、ボケ老人か。スゲェぜ 森繁」などは、その内容と語り口におもわずにやにや笑いながら読んでしまった。芸能人やテレビ番組を語りつつ、読者を楽しませながら事の本質に深く切り込んでいく手腕はたいしたものだ、と思う。実は文学的な主題を、卑近で異様なテレビ世界を通じて語ろうとする、そんな姿勢なども感じたりして、その点で読み応えを感じたりもしたものだ。こんな人がいたんだなあ、と改めて思った。
昨日も今日も、変に涼しい。日が差すと確かに暑さを感じるけれど、日が陰るとずいぶん涼しい。風は明らかに秋の風だ。午前中は、就職の模擬面接、午後はクラスの文化祭準備につき合う。昨夜、『燕巣』の羽田主宰から電話があり、大阪俳人クラブへの出句を促される。そう言えば、『燕巣』への句も出し忘れていた。赤面の至りであった。帰宅後、『燕巣』への10句を準備する。おかげで、夕食が8時過ぎとなる。昼食で、大きなエビのフライを三匹も食べたものだから、夕食はあっさりとしめ鯖、冷や奴、朝の残りのみそ汁、となる。今日は、休肝日とする。
【8月20日】
帰京する。思った程暑くはない。夜涼という感じ。
帰宅して、ビールを飲みつつ、郵便物の整理。
「参」の会の方から、吟行の誘いの電話が入る。残念ながら行けない(クラブ引率の為)。
賑やかなところから、一人の部屋に帰って、ちょっと虚脱状態、というところか。
【8月6日】
「峰雲のやがて崩るる原爆忌」minoru
しばらく留守をしますので、「日々録」も小休止します。
先日、甥っ子が送ってくれた句を紹介します。
「吹奏楽音に負けない蝉の声」「音楽の部活の音と蝉の声」甥っ子は、中学に入って、吹奏楽部に入部。先日コンクールがあって、初めて今年「銀賞」入賞したとのこと。まずは、目出度い!
【8月5日】
『無敵の俳句生活』を読む。面白かった。基本的に真面目な作りの本だな、と思った。片山氏が感じられた程に「虚しい気分」にもならなかった。片山氏は、その原因を「本全体を貫く軽いノリ」のせい、としているが、それほどこの本は軽い乗りで書かれているのだろうか、と思う。もちろん部分的には、そう言われるような所もないわけではないが、でも、筆者達の執筆姿勢と書かれた内容は基本的に真面目なものであると思う。
ただ気になることは、たとえば、「入り口の百句」の解説が、ごくオーソドックスな内容で、もう少し大胆な解釈を提示してみても良かったのではないか(それが可能であれば)、と逆に物足りなく感じてしまったことだ。この本の性格が、初心の若い人を対象として「俳句というものに触れてみる本」という制約の上にある以上、ある程度評価の定まった著名な句に対する解説について、あまり大胆な事を書くことには抵抗やためらいがあったかもしれないけれど。ただ、俳句を知らない訳ではない若い執筆者達が、その句を自分はこのように読んだ、という事をもう少し表に出してもらった方が(周りからいろいろ叩かれるかもしれないけれど)、かえって良かったのでは、と思ったりもした。いかにも生真面目な、俳句入門書の「名句鑑賞」ですよ、という姿勢を感じる。
ついでに言えば、片山氏は「出席者がどういう俳句を作っている人たちなのかという肝心なことがわからず」と書いているが、筆者達がどのような句を作る人たちかを紹介する意味で、第二章に彼らの句会を設定したのではないか、と思う。それに「読者はその作品を知った上で」論者の意見について正否を判断するもの、と言われるが、それならばたとえば片山氏の作品を知らなければ、この「俳句月評」を信用できる出来ないと判断出来ないのか、と思ってしまう。書かれたもので判断する他ないのではなかろうか、と思う。それは、出された本も同様ではないか。ついでに言えば、良い句を作る人の判断が常に正しい、という訳でもあるまいし。ちょっと論理矛盾に陥っているのでは、と思ってしまう。
片山氏は、『無敵〜』を借りつつ、マスコミが読者に迎合する中で物事の本質的な部分を疎かにしているという点について、警鐘を鳴らそうとしておられるようだ。その点については、基本的に賛成したい。しかし、多少の勇み足はあるかもしれないけれど、この若い俳人達の一冊の本は、その俳句に対する生真面目な姿勢から肯定的に評価しても良いのではないか、と思う。さらにいえば、この一冊をきっかけにして、若い俳人たちにもっと光が当てられる事を期待したい、と思う。『無敵の俳句生活U』が出版される事を願っている。但し、『〜U』は、俳筋力の会の真価を問われることになるだろうけれど。
【8月4日】
金曜夜は、飲み会。岩城先生と陶芸仲間のAさん、Aさんの知り合いで合気道歴4年の主婦さん、仏像修理の仕事をしているnyannkitiさん、K大で設計関係の勉強をしていてT大の大学院への入学を考えている舞人君(実は本名)、そして私、という訳の分からない組み合わせのメンバー。年齢も20台から60台までという幅の広さ。四条のミュンヘンにて、大いに飲みかつ食う。
二次会は、祇園の米さんのところへ。大姉御的なNさんが参加されて、座は一層盛り上がる。12時前まで。タクシーで帰宅する。
土曜日、我が校の吹奏楽部がコンクールに参加するので聴きに行く。吹奏楽の演奏も15分1本勝負という感じで、真剣勝負の緊張感が心地よい。課題曲は、手堅くまとめ、自由曲はドラマチックな出来であった。結果は夕方に出る。昨年は銀賞であったが、今年はどうだろうか。知り合いと昼食を食べ(お好み焼きを食べたのは何年ぶりだろうか・・・)、午後は美術館へ。「京都・名所再発見」という展示。企画としては面白いけれど、出品作品はちょっと物足りなかった。これで入場料千円は、はっきり言って「高い」。久しぶりに市バスに乗る。レトロ風のチンチンバスというもの。京都駅まで行って、アバンティで『無敵の俳句生活』俳筋力の会編、を買う。角川『俳句』の「俳句時評」の中で片山由美子氏が辛口の評をしていた本である。片山氏の論評の中に気になるところがあったので、念のために買って見る気になったのだ。
日曜日、体調不良。熱がある。『運河』の句会がある日だけれど、欠席する。一日寝る。夕方になって、何とか体調回復。夏ばてだろうか、と思う。
【8月1日】
八月に入った。相変わらず、暑い一日であった。午前中は、2学期の教材の準備。午後は、クラブ当番。とはいうものの、クラブ活動は、午前中で終了、だったのか。新体育館にも旧体育館にも生徒の姿は、無し。1・2年生は、現在学習合宿に行っているので、その影響もあるのか。がらんとした旧体育館で1時間ほどバド部顧問二人でバドミントンの練習。窓を開け放っての練習だったので、随分楽であった。
昨日は、午後からバド部の練習試合で、遠征して来られたK高校と対戦。全館閉め切って、さらに暗幕を引いた状態なので、体育館内はサウナ状態。大汗(Tシャツを絞れば、汗がジャブジャブ状態)かきながら、試合進行に勤める。全体に本校の方が優勢であったか。8月下旬には公式戦も控えているので、励みになったのではないか、と思う。しかし、本当に暑かった。隣接した体育準備室が気温38度で、それを涼しいと感じられるくらいだったので、体育館内は40度は軽く超えていたことであろう。生徒諸君は、さすがにタフであった。
昨日、今日と帰宅後は、ビールが大変美味しい。夜は、すぐ寝るが、夜中に目が覚めて、眠れなくなる。