日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
12月分「日々録」
1月分「日々録」
2月分「日々録」
3月分「日々録」
4月分「日々録」
【5月31日】
竹中宏さんの第二句集『アナモルフォーズ』を送って頂く。読む。思うことは様々あるが、まだ整理がつかない。いずれ「醍醐会」において、議論することになるだろう。
自跋の中で紹介されていたハンス=ホルバインの「大使たち」という絵を見たいと思っていたら、「増殖する俳句歳時記」の中に、竹中さんの句に対する評とともに、その絵が紹介されてあった。
朝から勤務。気が付くと8時前。帰宅する。
久しぶりに40分ほど走ったりしたので、ビールを飲む。台風の影響か、夜に入って雨となる。時折、激しい雨足となる。
【5月27日】
金曜日の夜から、東京へ。郷里の母が東京の親戚と大相撲の見物に行くので、便乗する形。母の一族が東京で暮らしていた頃は、よく相撲見物にも行っていたらしい。東京大空襲ですべてが灰燼に帰し、田舎に帰って以来、数十年ぶりの相撲見物との事。ずいぶん懐かしいことだろうなと思う。土曜日午後、電車を乗り継いで国技館へ。やや時間が早かったので、近所の「江戸東京博物館」で特別展示の『宮本武蔵展』を見る。有名な水墨画など、鑑賞する。2時前に入場。正面の桟敷席に案内される。四人で一枡。かなり狭い。さっそく遅めの昼食を食べ、ビールなど飲みつつ、相撲を見物。なかなか面白い。
時間がたつにつれ、周りの席も埋まり、幕内、十両の取り組みの頃には、天井から「満員御礼」の垂れ幕が下がる。こちらは相撲の知識はほとんどないのだが、叔父が良く知っているので、その話を聞きながら取り組みを見る。盛り上がる会場の雰囲気や、目の前でみる力士達の迫力ある取り組みなどに、すっかり相撲を堪能する。特に、負けが決まった時の安芸乃島(その日のうちに引退を表明したが)に対する観客の温かい拍手とか、今日負ければ負け越しの決まる武双山の怒濤の突き落としとか、魁皇が横綱朝青龍を破った瞬間の、大歓声と乱れ飛ぶ座布団とか、なかなかの見物であった。観客も結構楽しんでいるな、と実感。
二泊三日の東京。帰りは、初めて「のぞみ」に乗る。京都まで、2時間15分。東京は近い、と思う。
本日は、母は大阪の親戚の家へ。こちらは、午前中は、通常勤務(今日から中間考査が始まる)。午後、年休をとっていつもの病院へ。帰宅後、本日分のテストを採点。夕方までに終了する。
【5月22日】
やっと一息つく。まあ、とにかく忙しい毎日だった。汚い話だけれど、数日ぶりにお風呂にゆっくり浸かる。今週は、夜中か、早朝にシャワーを浴びて、それで済ますみたいな生活だった。一日13時間から15時間働き詰め生活だったので。そんな中でも、今日の通勤途上で、俳句らしきものが2句出来たりした。
これは、通勤の電車の中で読んできた藤田湘子氏の句集『神楽』の影響だと思う。これは、氏の第十句集だそうだが、とても面白い句集だった。特に、平成七年から九年に至る一連の作品は、一句ごとに感心しっぱなしであった。変な言い方だが、ある作には、辻田先生の、また別の句には井上さんの、そして時には岩城先生の句をふっと思い浮かべたりもした。その多彩さと、独特の美意識がとても面白かった。一冊の句集を読み終わった満足感をしみじみ感じた。ただ、平成十年の句群には、あれ・・・?と思いもしたが。
「参」の掲示板を見ると藤岡君の書き込みがあることに気が付いた。HPを開設したとのこと。今日のこの「日々録」を書き終えたら、出かけてみることにしよう、と思う。よければ、皆さんも見に行ってあげて下さい。
【5月18日】
金曜日午後、大学説明会でS大学まで出張。午前中の授業を終え、放課後のガイダンスの最終段取りを確認していたら、出発予定時間を過ぎてしまった。大急ぎで学校を出、いつもの駅へ。1時間半あれば着くだろうと考えていたが、15分ほどロスタイムが出てしまった。果たして間に合うか(授業の時間変更をすればよかった、とこの時点になってから反省する)。しかし、神の采配か、仏の慈悲か、まるであらかじめ予定されていたように、駅に着くと急行が到着し、乗換駅からは特急に乗り継げ、さらに地下鉄駅から京福電車出町柳駅に走り登ると、ちゃんと電車が出発を待っているという状態であった。K大駅前で下車、キャンパスなどを眺めつつ、時間通り説明会に間に合う。
説明会が終わり、30分ほど待ち時間があってから、在校生との懇親会。今年度特別入試で入学した本校出身生徒と話し合い。資料によると新入生は二人いて、もう一人の入学生は、在学時代のバドミントンの生徒で、良く知っている子だったので、会えるかと楽しみだったが、その生徒は来なかった。少々残念。懇親会を終え、また、キャンパスの中をしばらく勝手に見学してから、駅へ向かう。なかなか面白そうな大学、という印象が残った。
電車に乗り、京都方面へ二駅引き返し、途中下車する。実は、その町は私が大学生だった頃、4年間下宿をしていたところなのだ。卒業して、新任教師として宮津へ引っ越して、やがて京都へ帰ってきて、その間、一度も訪れたことがなかった町なのだ。すでに20年以上の年月が経過しているが、4年間の下宿生活は、ある意味では私の原風景の一つといえるかもしれないものだった。駅も随分綺麗なものに変わり、当時の鄙びた印象はほとんど残っていなかった。駅前の、よく雑貨を買った店も、一膳飯屋も廃業したり、店そのものが無くなっていたりした。駅前道はそのまま残っていたが、周辺はすっかり様子が変わり、別の町へ来たような印象であった。道も広くなったり、新しくついたものがあったりしていたが、バス通りはそのままだったので、その道なりに下宿があった方へ歩いて行く。当時、朝食は抜きで、昼食は大学の食堂で済ましていたが、夕食は下宿の近所の飯屋や新しく出来た中華料理やで食べたりもしていた。しかし、そのどちらもすでに廃業し、家も戸も立てきった状態で、人も住んでいないような様子であった。その中華料理屋の横の細い道を奥に入り、当時は田圃や畑の間の道(すっかり民家が建て込んでいたのだが)を、うろ覚えの記憶と山勘とを頼りにさらに細い道を中に入っていくと、やがて三階建てのアパートが目の前にあった。アパートの敷地の奥まったところに家主さんの母屋があるらしく、道路に面した門柱に表札が二つかけてあり、その一つに覚えのある名前があった。その名前を見て、今目の前にあるアパートが、当時下宿していた建物の建て替えられたものであることが確かめられた。当時の下宿は、木造二階建てで、中廊下を挟んで四畳半の部屋が両側に幾つか並んでいるというものだった。その部屋のうち、一階の一番奥の道に面した方の部屋が、4年間私が暮らしたところだった。今では、その部分はガレージに変わっていて、ぽっかり穴があいたような薄暗い空間となっていた。何となく納得したような、少し寂しいような気持ちを感じながら、そのまま駅へと引き返した。その四畳半の部屋とは、いまでもしばしば私の夢の中に登場する部屋なのだ。帰り道、間近に眺められる夕景の比叡山を見上げながら、下宿生活の頃、下宿前の庭から早朝や夕方の山を見上げた事などを思い出していた。いずれにしても、来て良かったな、と思った。恐らく、もう二度と来ないだろうな、とも思った。
【5月17日】
クラブ引率。現地集合なので、駅からタクシーを使う。随分会場に早く着いてしまったので、近所を散歩。場所は洛西で、会場周辺には、竹林が残っているので、筍盗人と間違われないように注意しながら、竹林の道を歩く。とても印象的な情景に出会えたけれど、句にはならず。
バドミントン。3年生は、今日・明日が最後の公式選で、勝たなければそのまま引退という試合。今日はシングルス。男子の部の引率。3年生5名2年生1名が参加。3人が2回戦進出。1人が3回戦まで出て、府大会への出場を決める。女子の方は、数名府大会への出場を決めたらしい。
思ったより早く試合が終わったので、帰りは1時間ほどかけて駅まで歩く。暑い。
帰宅後、持ち帰り仕事を一つこなし、2週間ぶりに走る。前半は体調不良のため、後半は忙しくて全く走れなかったのだ。疎水のほとりをゆっくり走る。帰宅後は、シャワーを浴び、お酒を飲む。
【5月15日】
今日は遠足の日。副担任として1年生の遠足の引率。イチゴ狩りと焼き肉という内容。空は、今にも降り出しそうな様子。イチゴ狩りは、大きな温室の中でのもの。中に入ると、イチゴの甘酸っぱい匂いが籠もっていた。天候不順のため、出来が今ひとつとのことだったが、なんのなんの、緑の葉陰によく熟れたイチゴが稔っている。スーパーで売っているイチゴ1パック半くらい食べる。美味である。昼食後のデザート用に、無理を言ってイチゴを摘み取らせてもらう。
昼食は、焼き肉ということだったが、班ごとにバラエティに富む。引率教員が交ぜてもらった班は、実はお好み焼きであった。ひさしぶりにお好み焼きを食べたが、なかなか美味であった。今回の出色の班は、鉄板を使ってのチャーハンであった。上手く出来るだろうか、と心配であったが、立派な焼き飯が出来上がっていた。美味しそうであった。
帰りは、雨の中を駅まで。傘を持っていない生徒と相合傘で歩く。色々面白い話を聞く。
駅で解散後、学校へ。懸案のことがあったので、仕事。引率後の仕事は、辛い。同様に、4件の会社訪問から帰って来た進路部長と、「シンドイナー。」と言い合いながら仕事。7時に退勤。進路部長は、まだまだ帰れそうもない様子であった。
【5月13日】
体調不良の上に、仕事が詰まっていて、きつい。
そんな中での慰めは、往復の車中で読んでいる故植村直己氏の書簡集。妻の公子さんにあてたもの。つい読みふけってしまって、駅を乗り越しそうになったりする。
クレバス落下に備えて、腰の両側に長い棒を付けて、彼が亡くなったマッキンリーの頂稜に向かおうとする姿は、テレビの画面とはいえ、今でも鮮明に残っている。ヒーローとは、何て格好悪いものなのだ、と深く感動しながら思ったものだった。
さて、一休みしたら持ち帰り仕事をはじめねば、と思う。
【5月11日】
昨日は丹後「いさなご句会」。頭が痛く、車中では音楽を聴きっぱなしにしながら、ずっと寝ていた。参加者は、今回も少な目で、こぢんまりとした句会となる。投句作品は、なかなか面白かった。岩城先生からは、6句投句して5句取っていただく。帰りの車中。短歌と俳句のこと、「醍醐会」のこと、作品批評のことなどの話。
日曜日。体調が良くない。薬を飲んで一日自宅に籠もる。
故桂枝雀さんのエッセイ、関戸靖子さんの句集『紺』を読了。加藤楸邨の「奥の細道」についての評論集を読み始める。
早めに寝るつもり。
【5月9日】
突然の発熱と腹痛で、昨日は一日寝込む。とりあえず風邪薬を飲み、薬の作用で終日うつらうつら、寝たり目を覚ましたりの状態で過ごす。
体調はいま一つながらも、出勤。授業は二時間、放課後のクラブミーティングの段取りを付けて、午後は出張。O大学の入試説明会。前を通過したことは何度もあるが、キャンバス内に入ったのは初めて。平日ということで、学生達で文字通り溢れかえっていた。単科大学でありながら、学生数5000人という説明を納得した。
今日はミューズの練習の日。その会場が、0大学からほんの目と鼻の先である。先週も休み、再来週も休まなければならず、合宿も不参加という状態なので、そうそう休む訳にもいかず、練習開始時間まで、電車で二駅引き返して、出町の柳月堂で過ごす。音楽を聴きつつ、山口誓子の句集『遠星』を読む。以前『激浪』を読んだことがあったが、それに続く句集であった。印象は今ひとつ。ただ、読み進む内に、ぽつりぽつりと誓子の代表句といって良い作品が登場して来て、驚く。
時間が来て、練習に参加。歌っている間は良いが、休んでいると、なんとなく足下がふらふらする状態。仕方ないので、前半で練習を切り上げて帰宅する。夕食は、近所のコンビニで買った「冷麺」。食欲があまりなく、すっぱいものが食べたかったのでちょうど良かった。数日滞っていた「日々録」も更新出来たので、寝る。明日は、丹後「いさなご句会」。お世話役の山本さんから参加確認の留守電、岩城先生からもメールあり。
【5月5日】
連休2日目。午前中は、持ち帰り仕事。午後は外出。母の日のプレゼントは、例年のごとく「花キューピット」。但し、今年は鉢植えを申し込む。花束に比べて、やや日持ちが良いとのこと。書店に立ち寄り、文庫本を4・5冊買う。天気が良いので、そのまま伏見港の方まで散歩する。
途中、西岸寺という小さなお寺で、芭蕉の句碑を見る。「我衣にふしみの桃の雫せよ」の句。背後におおきな銀杏の木が一本生えていた。そういえば、伏見の銘酒の一つに「桃の雫」という銘柄があったのを思い出した。
水路沿いに作られた道を、水の流れを見ながら伏見港へ。琵琶湖疎水が宇治川に注ぐ所に大きな水門が作られ、その手前が広い水面となっている。今回行ってみると、水路巡りの十石舟が観光船として復活したせいか、周辺の公園が一層整備されてきれいになっていた。公園から宇治川堰堤へ直接抜ける道が出来ているので、そのまま宇治川の畔へ。30分ほど、のんびり景色を眺める。水辺の木々の新緑が鮮やかであった。対岸の枯葦の金色が美しかった。ウグイスや葦切(?)の囀りがひっきりなしに聞こえた。川鵜が一羽、流れに乗って下っていった。時折、水中に没しては、数メートル先に姿を現したりしていた。
それが昨日のこと。さて、今日はどうしようか。
【5月3日】
連休第1日目。本当に久しぶりに山へ行く。京都北山の入門コースの一つである二ノ瀬ユリコース。「ユリ」とは「杣道」の事ではなかったか。すでに十数回は歩いているコースではあるが、とても魅力的な道である。
京福電車の鞍馬行きで「二ノ瀬」まで。連休初日で、ほぼ満員状態。但し、「二ノ瀬」で下車した人は、数名。神社の横の谷沿いの道をひたすら稜線まで登りつめる。ただ、標高が高くないので、頑張り一息で尾根に達する。あとは、尾根通しに、新緑の、時に北山杉の植林の中の緩やかなアップダウンの道を気持ちよく歩いていく。さほどの負担もなく、北山歩きの楽しさを味わえるとても素敵なコースである。途中で、ぬかるみに残された鹿の足跡と、梢を駆け上り新緑の茂りの中へ消えた縞リスが今回の山行の収穫の一つであった。
下山の道は直谷から雲ヶ畑方面に降りるコースと貴船方面へ降りるものと二つの選択肢があったのだが、交通の便を考えて貴船コースを選択。半ば川になっている道を慎重に下る。貴船神社周辺は、観光客の世界で、少々場違いの思いで足早に通過。貴船口から電車に乗って出町柳まで。柳月堂で音楽を聴いて帰ろうか、とも思ったけれど、若干疲れたので真っ直ぐ帰宅する。
シャワーを浴び、まだ日は高いのだけれど、ビールを飲んで一休み。ビデオにとっておいた『俳句王国』を見る。本日の主宰の鷹羽氏の作品解釈に、???との思いになる。
【5月1日】
四月最後の日。激しい雨の音で目を覚ます。5時半。酔いが残っているせいか、体がだるい。起床する。昨夜、帰宅したのは12時過ぎ。竹中宏さんと井上弘美さんと四条大宮で12時前まで飲み、その後竹中さんとタクシー相乗りで帰宅したのだ。
昨日は、「まんぼう句会」。『俳句文芸』の勢力海平さんの主宰する句会の、四月吟行会に参加し、島本町まで。筍山で、筍掘りを見学する。以前、神島吟行でご一緒した方達と再会する。句会は、4点句が1句あったことはうれしかったが、類想句を2句も投句していたことを指摘され、それがショックであった。その内の1句は、密かに自信があっただけに、辛かった。その場で、句を取り下げる。類想句であることに気付かなかった自分の勉強不足を恥じる。句会は、討論も含めてレベルが高く、緊張もしたが、先の件を除けば大変楽しいものであった。会場の手配や、筍ご飯のおにぎり、木の芽味噌、筍の煮付けなど美味しい昼食を準備してくださった井戸聖子さんに感謝。
二次会は、駅前の某有名チェーン店で。「牛タン生食い」事件など起こり、店の接客態度に憤慨する一幕も。飲み直しは、駅のガード下の居酒屋で。弘美さんの発言で、大いに議論が盛り上がる。
四月最後の日。忙しい一日だった。9時過ぎに帰宅。三島隆英さんから、句集『こども讃句』が届いていた。全100句のコンパクトな句集。しかし、読み終えて、心がほっと和む。こんな句集も良いな、と思う。