日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【7月30日】
邑書林から『中田剛集』を送ってくる。「セレクション俳人」の一連の作品集の中でも、是非読んでみたい一冊だったので、早速読み始める。句集としては、私家版として出された第一句集『竟日』と第二句集『珠樹』、そして両句集以外として1977年から2003年までの作品が掲載されてある。最近の作については、竹中氏から送って頂いている『翔臨』誌上で読むことが出来るけれど、初期の作品を含め、中田氏の作品をまとまって読むことが出来て、なかなか嬉しい。
例えば、第一句集『竟日』の中の「春闌けてきし大皿を水の中」の句のもたらす季節の感触は、すでに中田剛らしさがはっきり感じられる一句ではないか、と思ってしまう。面白い。
夏休みも、すでに4分の1が終了。前半の夏期講習前半が、本日で終了。明日から登校する生徒がぐっと減ることになるだろう。1年生は2泊3日で学習合宿。バドミントン部は、明日はお休み。吹奏楽部は8月2日が、府のコンクールの日であったか。現在、最後の追い込み状態のようである。今年度は、ブラバンの顧問をはずれたのだが、やはり気にはなる。演劇部は、今年度は部員2名。ここ数年、連続して京都府代表として近畿大会に出場した演劇部だが、今年はどうなるのだろうか。二人芝居、ということになるらしい。一時期は、演劇部ファンとして、差し入れを持って公演を見に行ったりもしていたのだが。演劇部は、本番が8日だっただろうか、こちらも追い込み状態らしい。そう言えば、今日男子生徒二人が下足場前の広場で中国駒(何て言うのだろうか・・・?)の練習をしていた。9月の文化祭3年生のパフォーマンスの準備か、などと思う。いずれにしても、休みとは言え、生徒達は動いているのだ。


【7月27日】
4時過ぎに目を覚ます。ベランダに出てみると、切れ切れに浮かんだ雲の背後に、しののめの空が淡い青色に輝いて見えた。昨日、梅雨が明けたそうだ。
昨日は、短詩型文学の会。奈良市の「ろくさろん」にて。迂闊なことに、道を間違えていて1時間近くも遅れてしまう。結果として小池氏の講演は聞き逃してしまう。残念なことであった。座談会は、中村富二の「立ち上がると、鬼である」の句の解釈を巡って石田氏、吉澤氏、堀本氏の三氏のお話。司会は、川柳作家の樋口由紀子氏。三氏それぞれの解釈がなかなか面白かった。ただ、話を聞きながらこの句が「鬼」と題された連作の第1句目の句である、という点からの考察が抜けているような気がしていたが、その点について後ほどの全体討論の中で、小池氏が触れておられて納得をした。中村富二の連作は、入り口と出口の部分がかなりはっきりと意識的に構成されてあるように思っていたので。「たちあがると、」の句は、連作の最初、言挙げの句のように思えたのだ。
短時間の休憩を挟んで、俳人津田清子氏のトーク。ざっくばらんのようであって、鋭く本質を突く津田氏の話を楽しむ。全体討論が後にずれ込んだため、懇親会の前に辞去する。岩城先生も仕事があるということで、一緒に会場を出る。岩城先生は特急で、私はのんびり急行で帰る。
帰宅すると、清水さんからメールが入っていた。もしかしたら今日、来られるかとも思っていたのだが、欠席。大変忙しそうな様子である。8月の第5日曜日に『醍醐会』が予定されているので、その時に会うことを楽しみにしている、とメールを返す。ちなみに8月の『醍醐会』は、ついにというのか、竹中さんの第二句集『アナモルフォーズ』である。岩城先生がレポーターの一人を務められる、とのこと。楽しみである。

【7月24日】
午前中は曇りがちで、ふと気が付いたら、細かい雨が降っていたりもしたのだが、午後からは雲が切れ、やや水っぽい青空が、眺められた。日が射すと暑いけれど、風は涼気を孕んでいる、というなんとなくちぐはぐな空模様である。まだ、梅雨は明けていないのだろうな、と思う。
担任の先生達は、三者面談に追われている。昨年は担任をしていて、異常に暑い教室で(3階にある教室は、屋上からの熱気が教室を蒸し風呂状態にするのだ)三者面談をしていたのを思い出す。その前の年は、進路部の就職担当で、目の回るような忙しさの中で就職指導をしていた。今年は、同じ進路部だけれど、就職担当を離れたので、比較的ゆとりがある。今日は、一日かけて2学期の教材を作る。色々考えながら作業プリントが作れるのは有り難い。現代文、古文、漢字の小テストなど作って、棚に仕舞っておく。
夕方、走る。昨日、久しぶりにクラブの練習に参加して、1時間半ほどバドミントンをやったので、両足にやや身が入っていたが、思ったよりも走れる。大汗をかくが、気分良く走る。走り終わって、軽く柔軟をしながら、青葉になった櫻を眺める。走ったことで感覚が活性化しているのか、木々の葉の緑が異常なくらい鮮明に迫ってくる。6時過ぎに退勤。
帰宅後、シャワーを浴びて、「日々録」を書いている最中に電話がかかってくる。知り合いの先生が入院している、とのこと。びっくりする。一緒にお見舞いに行く相談。昨年の夏から秋にかけて体調が不調状態だったとき、通っていた大きな病院。明日の夕方、見舞うことに決める。

【7月20日】
(土曜日)夕方、博多の方が大雨で大変だ、とのニュースを見て、兄の家に電話を入れる。兄は仕事でまだ帰宅していなかった。兄嫁が電話に出て、すでに雨もやんでおり特に問題はなかったとのこと。自宅は、福岡市内から離れていることもあり、特に影響はなかったようだ。
日曜日、ひたすら読書。芭蕉関係の本を1冊読み、来週の土曜日の「短詞型文学の会」の準備で、川柳人の中村富二の作品(ネット上にまとまった作品が見つかったので、それをダウンロードする。B4版見開き用紙にびっしり10枚分)を読む。最初は違和感が強かったけれど、つまり自己の思いを575形式で語る述懐の詩ではないか、と思ったら、表現面の難解さもなんとかクリア出来そうな気がしてきた。俳句は語り尽くさないのだが、川柳は語り尽くそうとするところに醍醐味があるのではないか、という気がしたものだ。
その後、岩城先生の句集『秋謐』を読み返し、さらに夕方まで、芭蕉・蕪村関係の本を読み、さすがに頭が疲れたので、散歩に出る。2駅分ほど歩き、俳句関係以外の本を数冊購入して、歩いて帰宅。
雨が降るかと思ったけれど、一日降らなかった。ただ、夕方散歩に出たときは、大気の中にあきらかに雨滴が含まれていた。今は、午後8時。この後、雨が降り出すのであろうか。近所のマンション工事現場の黄色い灯りが、なんとなく滲んで見える。

【7月19日】
夜中、目を覚まし、寝付けないのでテレビを付けると、遠藤周作の小説を元にした映画『深い河』をやっていた。以前一度、映画館で見たことのある作品だった。『深い河』は、遠藤周作の最後の小説で、色々な意味で遠藤文学の集大成と言ってよい作品だと思う。その映画化は、やはり成功したとは言い難いものとなった、と思う。ただ、亡くなる前の三船俊郎の姿や、秋吉久美子の熱演に感銘を受けはした。映画では表現出来ないもの、とか映画でなければ表現できないもの、ということなどを思いながら見終わる。映画と小説は、もちろん別物ではあるのだけれど。そう言えば、小説自体も賛否両論(僕などは先に書いたように集大成と思うけれど、一方では未完成作品との批判もあったのを覚えている)であった。映画そのものは、とても真面目な作り方で、原作に対し正攻法という姿勢で、一巻をまとめ上げていたけれど、あるいはもっと変則的な作り方をした方が、遠藤周作の小説の大切な部分が表現されたのでは、などとも思った。同様にして、やはり成功作といえなかった映画『沈黙』のことなども思い出した。
映画が終わったのが5時で、もう眠れなくなっていたので、起床することにする。洗濯をし、コーヒーを沸かし、朝食を作る。いつもの休みの日と同様の始まりだった。
昨日で1学期終了。生徒達は、夏休みに入る。教員は、お盆の時期の3日間の特別休暇以外、夏休みというものはなし。ただ、他業種に比べ、この期間は年休が取りやすくなるので、8月に入って5日間ほどまとめどりをする予定。それが実質上の「夏休み」となる。
とりあえず、この3日間はクラブ当番もなく、まるまる休めるのが嬉しい。21日には、勢力氏の「まんぼう句会」(今月は忙しくて、『運河城陽句会』も「月曜句会」も、さらには『いさなご句会』まで欠席する事となった)に参加する予定。

【7月17日】
20分の休憩時間を利用して、入場を終了する。ステージから満席の会場を見渡すのは、なかなか気分が良い。2階席の奥から2列目に、母や甥、岩城先生や足立さん、知人達の姿が見える。甥っ子がしきりにオペラグラスを覗いている。やがて、京響のメンバーがスタンバイし、指揮者とソリスト達が舞台上に揃って、「カルミナ」が始まる。出だしのテンポが合わない。指揮に対して、歌の方が先に先に進もうとする。気合いがやや空回りしているのだ。指揮者の振りが微妙に変わり、それに連れてオケと合唱とが響き合い始める。
曲の半ばには、男性陣にとっては大きな試練の場が待っている。「酒場にて」という一連の曲。アップテンポで曲が進む中で、早口言葉のような歌詞を歌い切らねばならないのだ。実は、本番のこの時まで、この部分の歌詞を完全にはこなしきれなかった。9割方は覚えており、速いテンポでも歌いきれるけれど、残り1割が危ない。その部分で躓くと、曲に取り残されて数小節を完全に歌えない状態となってしまう。やむなく、危ない部分は歌いさして、その先の部分から歌い継ぐ事にする。冷や冷やものである。
後半、曲はバリトンとソプラノのソロに合唱が絡むという形で進み、再び最初の曲「運命の女神よ」へと戻り、円環を閉じるようにしてこの大曲は終わる。歌い終わった瞬間、残響が周囲の空間に吸われて生じるガラスのような静寂と、その後の拍手のうねるような流れに打たれながら、歌い終わった実感を全身で感じる。この瞬間が、良いのだ。
ただ、それ以上にしみじみとした喜びを感じられるのは、指揮者やソリストが退場し、それに続いてオケのメンバーが席を立ち、後に残った合唱団が退場をする際に、わざわざその時まで残ってくれていた聴衆から、合唱団だけに向けて送られる拍手を聞きながら退場する時であるのだが。

【7月14日】
金曜日。午前中、通常勤務。午後から、出張。大学の入学説明会。一度帰宅してから、オケ合わせで、京響の練習場へ。大編成のオーケストラと二台のグランドピアノ、合唱団にさらに児童合唱団が加わって、広い練習場も、満員状態となる。オケ合わせは、過密状態でのレッスンのせいか、合唱団員に指揮者の指揮が十分には見えず、不安の残る出来となった。帰宅後は、12時過ぎまで採点。こちらのスケジュールも超過密状態となっている。
土曜日、午前中は採点。昼過ぎ、母と甥が到着。入れ替わりに、礼服一式を抱えて、本番会場のコンサートホールに向かう。2時前に着。そのまま、控え室ともなっている小ホールへ。すでに多くの合唱団員が集まっている。十分に発声練習を行ってから、レッスンに入る。昨日のオケ合わせで問題となった部分を中心に1時間ほど、集中した練習。途中から、少年合唱団も加わってのレッスンとなる。ゲネプロ(本番前の最後の全体練習)の時間が前倒しになったので、練習終了後、すぐに大ホールへ移動する。半年ぶりのコンサートホールである。全体を通して演奏するが、かなり危ない部分が何カ所か出てくる。
5時過ぎにゲネ終了。一旦女性陣は小ホールへ、男性陣は別々の控え室へ移動し、軽食を取る。6時から、文字通り最後の練習となる。楽屋の大きな鏡の前で黒服に着替える男性陣の中に、次第に緊張感が高まっていくのが感じられる。
全員が小ホールに集合し、調整のレッスン。練習後も、小合唱担当の男性達が集まって、練習をしている。こんな情景を見たのは、ミューズに入って以来、初めてのことだ。本番を数十分後の控えて、皆危機意識を感じているようだ。7時になり、コンサートが始まったはずだ。ベートーベンの交響曲4番の後に、「カルミナ」は演奏される。20分の休憩時間中にステージへ移動する。皆、小ホールを出て、整列場所へと移動。少し時間があるので、一斉にトイレへ。外は、まだまだ明るい。

【7月7日】
七夕、とはいえ、空は厚い雲に覆われている。夕方、退勤する頃は、雲の深い切れ目の奥に、青空が覗いてはいたのだが、やがてぽつりぽつりと雨が降り出し、最寄りの駅に着く頃には、ひどい降りとなり、構内でしばらく雨が弱まるのを待つことになる。今は、すっかり日も暮れて、街の灯りを反射した雨雲が、不思議な色を発している。「街の灯を吸い海月なす梅雨の雲」という句を、以前作ったことがあるのを思い出した。
句作は全くダメである。そういえば、今日は第一月曜日で、「月曜会」の日であった。気が付いたら、すでに6時を過ぎていた。今から出かけていっても、迷惑をかけるだけだと考えて、不参加。ただ、なんとなく中途半端な気分で、結局仕事を早めに切り上げて退勤。このツケは、明日返すことになりそうだ。帰宅すると、『俳句文芸』の勢力氏から、「まんぼう句会」の誘いの手紙。未だ、『俳句文芸』更新の誌代を振り込んでいない身としては、少々心苦しい。
土曜日と日曜日の前半は、結局仕事で消える。日曜の午後から、ミューズの最後のレッスンへ参加。京都会館の会議室にて、1時から5時まで。まだまだ覚束ない部分もたくさんあるけれど、全体の感触は悪くなかった。指導の先生の終わりの一言が、「あとは神に祈るのみ」とのこと。まさに、「カルミナ」の歌い出し、「オー、フォルトゥナ(おお、運命の女神よ)!」である。京都会館の帰りも、さんざん雨に打たれつつ、という有様であった。
帰宅すると、兄からメール。10年飼ってきたシーズ犬の「ミルク」が死んだ、と一行だけ書かれてあった。九州に行った折り、一度だけ姿を見たことがあったあの犬だ。見慣れぬ客の姿を見て、キャンキャンないていたのを覚えている。兄に電話をかける。夜、九州に行った折りのことが反映している夢を見る。奇妙な夢であった。

【7月5日】
いつの間にか、もう7月も5日になっていた。「一年の半分が終わった」、と今テレビで言っていたが、あまり実感がない。ただ、時間がどんどん過ぎている、という感じはある。
6時過ぎに起床。とりあえず洗濯をして、コーヒーと朝風呂の準備をしておいて、走る。人影のほとんど無い道路を走るのは、気持ちがよいものだ。空気はまだひんやりとしていて、梅雨らしくかすかに雨気を含んでいる。ゆっくりペースで40分ほど流して帰ってくると、洗濯も終わり、コーヒーと風呂の準備も万端。雨が降りそうなので、洗濯物は部屋干しとなる。エアコンを強めのドライにしておく。朝風呂に入りつつ、少し本を読む。つい濡らしたりしてしまうのが困る。
昨日は、ミューズのレッスン。本番指揮者の指導の次の練習は出来が悪くなる、と言われるけれど、その通りであった。一旦形が出来かかったものを、一度「壊し」て、再構築しなければならないので、そこに戸惑いや対応の落差が生まれるからだ。練習はあと1回。そして、来週の金曜日は、京響の練習場でオケ合わせ。土曜日は本番、という予定になっている。本番後の飲み会の場所として、いつもの「あじさい」に予約を入れておく。
俳句は、全く出来ない。今月号の『俳句文芸』を読み、大石悦子さんや中田剛さんの作品を読み、つくづくと感心する。