日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
3月分「日々録」
4月分「日々録」
5月分「日々録」
6月分「日々録」
7月分「日々録」
【8月29日】
ひさしぶり?に夢に父が現れた。昔乗っていたダイハツのスバルみたいな車を運転している。僕は、助手席に座り、なんとなくはらはらしながら父の運転を見ている。高曇りの空のかなたに大山の雪景色が見えている。手前の高麗山が、夢らしく随分誇張された山容を見せている。路面は、雪が凍り付いている状態で、車はわずかにスリップを繰り返しつつ、走っていく。父は、無言で正面を見つめたまま運転をしている。
やがて、道は川沿いに変わり、依然として不安定な状態で車は走っている。前方にバスが見えた。そのとたん、バスはぐらりと傾いて、回転をしながら河へ突っ込んでいった。バスは奇妙なほど静かに川面に沈み込んでいく。行きすぎて、車を止め、僕は助手席から河の方へ走っていく。すでに、何人かの人が岸に集まり、河に沈んだ人々を助けようとしている。僕も、河の側岸の石垣に足を置いて、おぼろに見えるバスの影に目を凝らしていた。やがて、その影から一本の手が水中に伸ばされるのが見えた。急いで、その手を掴んで引き上げた。不思議なほど軽々と乗客を引き上げる事が出来る。中年の女性であった。
一人を岸にあげ、続いてもう一人、さらにもう一人、と引き上げる。水の冷たさは、まるで感じない。まわりでは、同じようにしてバスの乗客達が岸に引き上げられている。一息ついて、周りを見回すと、すでに父も車の姿もなかった。不思議な夢だった。入院していた時の父の事を句にしたことが、頭のどこかに残っていたのだろうか。父が死んで、もう20年以上がたつ。
朝、走る。洗濯をしつつ、シャワーを浴び、コーヒーを飲む。朝食にゴーヤチャンプルを作る。夕食で作るつもりが、ついビールを飲んでしまい、それが食事代わりになってしまったので、朝にまわったのだ。ちょっと青苦臭い味が美味しい。今日は、夕方から井上弘美さん達の受賞祝賀会が天王寺である。
【8月28日】
杉浦さんから、随分前に『quatre』の17号を送って頂きながら、未だにお礼状も出さないという体たらくである。杉浦さんの「俳句20句」からの、感銘句を書く。「一月の滝ひとすじの志」「色町や知らない人と火事を見て」「帰郷してすぐに解体される鯨」「材木と潮の匂い日脚伸ぶ」「町工場休憩中の梅の花」「志」の句が好きである。
夕方、散髪に行く。整髪の間中、うつらうつらとしている。気持ち良い。理髪を終え、外に出ると全天を覆う薄墨色の雲の間から、切れ切れに青空が伺える。こんな瞬間を永遠に引き延ばすことが出来たなら、どんな気分であろうか、と思う。
昨夜は、本当に久しぶりに句を作る。11句ほど。この夏のことを思い返しながら、作る。なんとなく「吉本ばなな」にでもなった気分である。彼女の自然描写は、何故か懐かしさの感情を引き起こす性質のものなのだ。郷愁の色に染められてあるように思う。
【8月25日】
日曜日。クラブ当番で、出勤。昼過ぎまでいて、退勤。体調が今ひとつ良くない。咳が出て、胃がむかむかする。夏風邪をひいたらしい。薬を買って帰る。帰宅後、熱を計ると、微熱あり。軽く昼食をとり、薬を飲んで寝る。薬のせいもあってか、夕方まで熟睡。体調回復。
夜、『アナモルフォーゼ』読み続ける。面白い句、面白くない句、分からない句が画然としているように思う。どのように読み込んでいけばよいのか、内心迷いながら読んでいる。今のところ、岩城先生がいつか話しておられた、竹中さんの句は、基本的に有季定型の写実句であること、構造化されていること、などを念頭に置きつつ、読んでいる。
『アナモルフォーゼ』の句の一部は、構造化が「異化」を実現する方法として、用いられてあるようだ。たとえば、「擴聲器どろりと笑ひあと灼ける」の句の「どろりと笑ひ」の部分は、竹中氏自身が「自跋」で紹介しているホルバインの絵における横のばしにされた「髑髏」そのものではないか、などと考えている。
ともかく、1句1句読み進めつつ、ああか、こうか、と考えている。
【8月24日】
故郷(くに)から、弟夫妻と甥・姪が来る。京都コンサートホールで開催されるN響のコンサートを聴くためだ。甥が、「カルミナ」をコンサートホールで聴いて以来、ホールをすっかり気に入って、聴きにくることになったのだ。金曜から土曜にかけて1泊だけして、帰る。こちらは仕事で、見送ることすら出来なかった。
土曜は、模擬試験の監督で朝から出勤。エアコンなどない普通教室での模試なので、校内から扇風機を調達し、廊下側のドアも窓も外して、暑さ対策。監督前にすでに大汗状態となる。2時過ぎに模試終了。午前中はまだマシだったが、午後はさすがに暑い。座っているだけで、思い出したように汗がしたたり落ちる。修行でもしているような気分になる。ただ、時折吹き込んでくる涼しい風は、すでに夏の風ではない。
4時前に退勤。帰宅後、シャワーを浴び、体重を量ると1.5キロ減っていた。ビールを飲み、ソファーに横になっているうちにうたた寝。
夜、竹中さんの『アナモルフォーゼ』を読む。感想や考えを鉛筆で句の横に書き込んでいく。その後、立花隆の『東大生はバカになったか』を読む。「教養」ということを考える。
日曜日、午前中クラブ当番。これを書き込んでから、出勤。
【8月20日】
先日、岩城先生からTELあり。「いきいきと」論争が、未だ係争中?で、今月号の『俳句研究』の中で、仁平勝氏が歌人の藤原龍一郎氏のネット上での発言について反論を書いていたが、その元になる藤原氏の発言が手に入らないか、とのこと。早速ネット検索をかけて、「ちゃばしら@Web」に載っている文章をダウンロード。プリントアウトして、岩城先生のところへFAXで送る。
その後、『俳句研究』の今月号を購入して、仁平氏の文章を読む。文芸作品をあくまで文芸作品それ自体として鑑賞・評価し、その結果をこそ問題にすべきで、盗作・剽窃等の問題それ自体は、文芸批評の範疇からは外れるもの、という事なのであろうか、と思う。文学の問題に、倫理観や法律問題などを持ち込むべきではない、ということなのだろうか、と思う。ふと、坪内逍遙の『小説神髄』の一節(小説を道徳の隷属物的立場から解放して、小説の芸術としての自立・独立を図るという主張)などを思い出したりもした。
その文章の最後に、「いきいきと死んでいる」というフレーズが、すでに寺山修司の著作の中に出ているとの指摘があり、そのことの方に一層注意が惹かれた。岩城先生も、以前に「いきいきと死んでいる」というフレーズは、あるいは川柳などの中ですでに使われているかもしれない、という趣旨の事を言っておられた事があったが、詩文ではなく、散文の中で(しかも寺山修司の文章の中で)見つかるとは。仁平氏も言うとおり、「いきいきと」のフレーズのオリジナリティーは否定されたという事は言えそうだ。ただ、「いきいきと」フレーズが、櫂未知子氏の俳句作品の中でそれなりの感銘を伴って生かされている、という点も否定されないのだが。先行作品の中の一節が、別ジャンルの後続作品の中で新たな生命を以て生かされる、という事は別に珍しい事ではなく、その事で後続作品の価値が落ちるという事も無いとは思うけれど。
【8月17日】
後期夏期補習の会場準備のために出勤。朝から雨で、雨中の荷物運びかと、少々気が重い。小雨の中、トラックに長机や小黒板、椅子などを積み込んで、会場へ。クラブ活動をしていたバスケット部の生徒達の協力で、思ったよりも早く1時間半ほどで準備作業は終了。明日から補習。
今月末の「醍醐会」の準備として、中村草田男の句集の読み直しに入る。帰省中に読めば良かったのだが、持って帰るのを忘れ、帰省先で買おうと思ったが、地元の大きな書店でも売っていなかったのだ。仕方なく、歳時記を1冊購入して、読む。帰省中に「夏の部」、「秋の部」を読了する。
夕刻、退勤。結構疲れているのに気付く。なまっているな、と思う。
【8月16日】
帰省中に、PCの不調状態について勉強。本日帰宅後、早速試してみる。幸いなことに、再インストール無しでなんとかなりそうである。しばらくは、この状態でやっていこうと思う。
高速バスで、帰京。いつもの1時間半オーバーという時間で到着。定刻着であれば、五山の送り火がなんとか見られるか、などという甘い期待は、完全にうち砕かれる(当たり前だ)。車中で、久しぶりに遠藤周作の短編小説集を1冊、読了。ストコフスキーのCDを5枚聴く。
【8月2日】
PCの調子が絶不調のため、一時書き込みを中断します。
【8月1日】
ようやく夏らしい天気になってきた。校内の桜並木から、輻輳された蝉の鳴き声が、見えない金属オブジェのように迫ってくる。以前「蜩や森に水輪の立つごとし」という句を作ったことがあるが、それは晩夏の景。この金属オブジェは、聴覚を通じて、共振状態をもたらすようだ。あえて、その状態に身を晒してるような所もあるけれど。
一日、8月後半の夏期特別補習の準備作業。会場を借りて、学校から机・椅子、さらに小型黒板やホワイトボードまで運び込んでの補習となるので、その分準備作業が嵩む。色々な掲示物を作ったり、頭の中で作業をシュミレートしつつ、段取り計画を作ったり、その合間に補習の講義の準備をしたり、課題プリントを作ったり、クラブに顔を出してお説教をしたり、会場の責任者と電話連絡を取ったり、補習担当者に作業プリントを依頼したり・・・気が付けば夕方になっている。しかし、ともかく、一応の準備は終了。あとは、夏期補習前日の搬入作業を待つのみ、である。
今週は、夕方毎日走る。こんなことは、本当に久しぶりだ。宮津時代には、毎日夜の8時とか9時とか(夕食後、お腹が落ち着いた頃に)に走っていた事もあるけれど。距離は押さえ気味にしているが、毎日走れるのが結構嬉しい。出来得れば、買って一度袖を通しただけの夏用スーツが着られる程度に、体型も調整したいものだ、などと考える。
明日は、K高校との練習試合。午前中、引率ということになる。