日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
5月分「日々録」
6月分「日々録」
7月分「日々録」
8月分「日々録」
9月分「日々録」
【10月28日】
『右城暮石全句集』は、第四句集『天水』に入る。言葉が「立つ」という感触を、読みつつ感じている。面白い。
俳人の「全句集」というのは、読んでみるべきものだ、と今頃になって強く感じている。『運河』600号記念として頂いたもう一冊の本『季語別茨木和生集』も、既刊全七句集の作品が網羅されたものである。これも、是非読んでみようと思う。現在、邑書林が出しているセレクション俳人集も、今活躍している俳人達のこれまでの句業が、かなりしっかりカバーされてあるという点で、大変意味のある仕事だと思う。志の高さというものを感じる仕事だ。
今日で、中間考査も終わり。クラブは、本格的に稼働している。午後から、来月早々の新人戦学校対抗戦の練習。3年生も応援に来てくれる。1時間ほどいて、教材準備のために進路室へ戻り、仕事。夕方、30分ほど走り、その後、仕事。ところが、ランを新しく構築したせいか、ノートパソコンの「ロータス」がまともに動かなくなる。印刷も全く出来ない。やむなく、仕事を中断。明日、インストールし直すことにして、退勤。
【10月26日】
今月号の角川『俳句』を買いに行き、駅のベンチで雑誌を開いて、「角川俳句賞」予選通過作品38編の中に残っていたことを知る。応募を始めて4回目、今回もだめだったかな、と思っていたので、意外な気がした。そして、やっと扉の前まで来られたのだな、と思う。ともかく、岩城先生に携帯を入れると、ちょうど連絡しようと思っていた、とのこと。自宅に届いた『俳句』を見ていて、気がつかれたとのこと。
電車が来たので携帯を切り、乗る。いつもの鴨川河畔の散歩へ行き、帰りに岩城先生から教えて頂いた古書肆で本を買って帰るつもり。出町柳まで行き、そのまま三条の方へ引き返そうと思ったのだが、よい機会なので今日は高野川を歩いてみることにする。鴨川よりやや川幅が狭く、水量も少な目で、その分川上を歩いているような気分になり、良かった。北大路通りまで歩き、河畔の道がさらに上流に続いていることを確かめて、対岸を引き返す。こちら側は、民家の裏手を流れる川という風情。途中から、下鴨神社の方へ抜ける。糺の森を歩き、本殿に参り、結婚式の記念撮影など見物する。
その後、鴨川河畔を二条まで歩き、N書房で角川の『俳句大歳時記』全5巻を買う。なんとそのうちの1巻には、ソノシートが残っていた。聞くことは出来ないけれど。3巻をリュックに入れ、2巻を袋に入れてもらって手に持ち、駅へ向かう。大変重い。帰宅後、「秋の部」を少し読んでみる。今朝は、7時過ぎまで寝ていたのに、やはり10時を過ぎると眠くて仕方なくなる。
夜中に目を覚まし、1時間ほど『右城暮石全集』を読む。第二句集を終わり、第三句集『虻峠』へ。『運河』俳句の源流を読んでいるような思いになる。6時前に起床。7時前には、ジョギングに出る。最近は、このペースである。1時間ほど走る。鴨川河畔を走り、4羽の鵜を見かける。
【10月25日】
朝から秋らしい良い天気だ。昨日から、京都に来ている弟夫婦は、今日は嵯峨野方面へ。午後のバスの時間まで、京都散策。まだ、紅葉には少し早いのが残念。
二人を送り出してから、洗濯。風もなく、気持ちの良い日だ。遠く、比叡山まですっきりと見渡せる。
昨日は、考査二日目。3年生の試験が行われる。その日のうちに採点終了。これで、今回の自分の分の試験は終了。来週からは、11月半ばの2年生進路ホームルームの準備に本格的に取りかかる予定。
夜、飲み会。しゃれた居酒屋風の店。若い人が多い。外で飲むことはあまりないので、「こんな店もあったのか」と物珍しい思い。飲み会後は、弟夫婦が来ているので、一次会のみで帰宅。
【10月23日】
気が付けば、誕生日であった。小林千史さんから、ケーキ付きのメールを頂く。感謝。それにしても、こうして一歩ずつ50歳に近づいていくわけだ。
今日から、中間考査。1年生の試験があり、夕方までかけて採点。生徒が一人、明後日の入試のための小論文を進路室に籠もって書いている。採点の途中、呼ばれては添削指導。終わると採点。その繰り返しで、少々疲れる。夕方、走る。寒いので、スウェットスーツの上着を着て走る。初冬の出で立ちである。南の空に、やたらに目立っているのが火星であろうか。走っていると、後ろから自転車に乗った人が。誰かと思えば、バドミントン部の生徒であった。しばらく一緒に走る。これから友人の所へ行く、とのこと。「勉強しろよ。」と言って別れる。
帰校後、汗が乾くまで仕事。採点整理。まだ、残っている人がいるが、先に退勤する。
【10月21日】
日曜日、午後。鴨川河畔を歩く。良い天気で、北山の姿がくっきりと行く手に見える。三条を起点とし、山岳部の顧問として総体の時歩いた緩やかにうねる両丹国境尾根や、その尾根越しに頭をもたげる幾度も登ったことのある桟敷ガ岳(雪のある時期に一人で登り、危うく遭難しそうになったことがあったが)の姿などを眺めつつ、出町柳に向けて歩く。
ぶらぶらと歩いていると、いろいろなものに出会う。今日の出色は、アライグマの散歩であろうか。体長は60センチくらい、確かにアライグマの姿でうろうろ歩いて行く。中年のちょっとお洒落な婦人が、伸び縮み可能な綱を手に、熊に引っ張られるようにしていく。そんな婦人の後を、少し距離をおいてしばらく付いて行く。犬と出会ったとき、アライグマがどんな反応をするのか、興味があったのだが、生憎犬が来合わせそうもないので、やがて追い抜く。出町柳まで行き、三角コーナで演奏している金管グループのあまり上手いとは言えない演奏(余計なお世話か・・・)に耳を傾け、その後河原町通りの古本屋へ行く。2冊本を購入し、そのまま鴨川河畔へ戻り、丸太町通りまで歩き、京阪に乗り、帰宅。
月曜日、朝のテレビの占いでは絶好調の日のはずが、体調が今ひとつ。睡眠の質が良くないような気がする。一日中、瞼がピクピク状態で鬱陶しかった。国語表現で、短歌・俳句絡みの創作を行う。この際だからと、自腹で葉書を購入し、松山市主催の「はがき歌(五七五七七形式の短い通信)」と、湯河原主催の「俳句コンクール」に投句させる。「はがき歌」の方は、昨年講座の女生徒が、佳作100編の一つに選ばれ、賞状を貰ったものだ。「手紙・葉書の書き方」を、前々回の授業でやっていたので、それと兼ねあわせての取り組み。生徒の方は、インターネットを使う「おーいお茶俳句大賞」の授業も楽しみにしているようだ。それは、11月に時間を設定して行う予定。
火曜日。朝だけ曇り。その後は、本格的な雨。3年生の授業では、ここ数年敬遠していた俳句の授業を4時間ほどの予定で実施。どうなるか、と思っていたが、結構生徒とのやりとりが可能な授業となり、なかなかやりごたえのある時間となっている。短い・にもかかわらず含みが多い、という事が、俳句の難しさの原因と思えるが、しかしそのことがまた生徒の参加しやすさに繋がっているのでは、と思う(クラス自体が、なかなか「元気な」クラスということも大いに関係していると思うが)。夕方、早めに帰宅する。
【10月19日】
土曜日。午前中は、持ち帰り仕事。午後は、外出。京都文化博物館に『KYOTO映像フェスタ』を見に行く。大魔神の像や、コンピューターによるアニメ作製の実演作業の細やかさ(やはりMACを使っているのだな、という事も含めて)、特殊撮影の紹介、機材の展示等多彩で、結構面白かったけれど、資料の展示は各監督の写真とスナップ、映画の台本と時に遺品数点の展示、ということで、オーソドックスな展示内容とはおもうけれど、ちょっと退屈ではあった。というのか、もっと日本映画について予備知識があれば、きっと楽しめただろうな、という内容のように思う。カタログは買っておく。
市内に来たついでに、「三月書房」に足を延ばす。割引本(5割から6割引の本まである)の中に、面白そうな本が見つかるので、今日はそんな本を探しに。坪内稔典編『現代俳句入門』と川名大著『昭和俳句新詩精神の水脈』を購入する。『昭和〜』の方は、本体価格9500円もする本であるが、それがなんと・・・。新興俳句を全体的に知ることが出来れば、と思う。
さらに足を延ばし、先日岩城先生に教えて頂いた『大歳時記』が格安の価格で置いてあるという古書肆へと向かう。しかし、間の悪いことに「今日・明日と臨時休業します」との張り紙が。仕方ないので、帰宅する。
日曜日。6時まで寝る。こんなことは、最近珍しい。7時過ぎにジョギングに出る。軽く30分。帰宅後、シャワーを浴び、朝食。昨夜たいたカボチャが、ほくほくして美味しい。芋の煮っ転がしと、カボチャのたいたものについては、料理のこつを掴んでいると自負する。午前中は、持ち帰り仕事。午後は、外出。
【10月18日】
気がつけば、すでに10月も半ばを過ぎている。朝夕は涼しいを通り越して、肌寒いほどだ。通勤時は、上着を着、仕事中は上着を脱いで、という生活になっている。それにしても、1週間が過ぎるのが早い。
昨夜は、「花の金曜日(すでに死語になっているようだが)」ということで、夜更かしをするぞ、と心に誓ったものの、10時を過ぎると異常な眠気に襲われ、「なぜ、こんなに眠いんだ」と喚き散らしながらも、やむなく寝る。朝、5時に目を覚まし、『右城暮石全句集』を読む。第一句集『声と声』を読み終え、第二句集『上下』を読み始める。第一句集の生な部分が薄れ、「旨み」がぐっと増しているような印象を受ける。6時前に洗濯機とコーヒーメーカーのスイッチを入れ、7時前に朝のジョギングに出る。軽く走るつもりが、1時間ほど走ってしまう。外気温が低いと、走っていてもずいぶんと楽である。職場の同僚と3月の「京都シティーハーフマラソン」に出たいね、などと話したりしていたのだが、どうであろうか(申し込み数がものすごくて、まず受け付けられるかが大問題とのことだが)。天守閣の残る廃園まで行ってみる。
帰宅後、すぐに朝食はつらいので、とりあえず温めの風呂につかりながら、今月号の『俳句研究』を読む。岩城先生の作品20句が載る。「植物篇〜」「盆東風〜」「白死人花〜」「小豆洗い〜」等々不思議な作をものされるものだと思う。「植物篇」の句にふと「大文字」の句を思い出したりもしたが、感じるところがまだ言葉にならないでいる。山根真矢さんの「俊英競詠30句 絵日記」も掲載されてある。「自転して〜」「木々に蔓〜」「リュックサック〜」等面白いなと思いながら読む。
風呂を出て、朝食。さて、一日が始まる。
【10月13日】
昨日は、午前中所用があって学校に。T高校との練習試合の日で、顔を出してみる。本校の方が、やや押し気味というところであろうか。クラブの雰囲気を変えるために、先週、今週と練習試合を入れた。生徒にとっては刺激にはなったと思うが、果たしてそれが良かったのか、やや危惧を感じるところがある。
午後は、邑書林から送ってきた、「セレクション俳人『筑紫磐井集』」を読む。大変面白い。そして、考えさせられた。人によっては、これは俳句ではない、と考えるだろうとも思う。「序」「跋」を書かれた能村登四郎氏や林翔氏のややとまどい気味の文章も一部紹介されていたが、きっとそうだろうな、とも思った。しかし、「筑紫磐井論」を掲載された山内将史も書いておられたように、私も「心がひろびろ」とする感触を味わった。これは、いままで幾ばくかの句集を読んできた中で、初めて経験するような感覚だった。実は、うきうきしながら1句ずつを読んでいたようにも思う。はっきり言えば、一連の作品群はおよそ「写生」とはほど遠い、知的に作り上げられた虚構の世界である。おそらく「深さ」にも欠け、いわゆる「俳味」にも乏しいものかもしれない。しかし、俳句形式でこのような世界が表現出来るのか、という点に新鮮な驚きを感じたのだ。
今日は、半日雨。現在、京都の書店で良く売れているという岩崎峰子著『祇園の教訓』読了。内容はビジネス選書か何かを読んでいるような印象が強かったが、そこそこ面白かった。昼前に雨はあがったので、近所を走る。午後は、読書。立花隆の『脳を考える』をようやく読了。相対性理論を主軸にした講義録で、なんとも理解はおぼつかないが、分からないけれど面白い、という矛盾に満ちた感想を持つ。
『右城暮石全句集』を読み始める。対象に対する独自な切り込みを感じる。
【10月12日】
昨日は、『運河』600号記念祝賀会で大阪へ。会場は、天王寺都ホテル。二間ぶち抜きの広い会場に、満員の参加者で、大盛況という状態であった。
「参」からは、岩城先生を始め、川勝・神原さんが出席。隣の席には、杉浦圭祐さんが座られ、熊野大学のことや、中上健二氏のことなどを話す。隣のテーブルには、小林千史さん、山根真矢さんの姿も。千史さんから、HPの更新のことを尋ねられ、あたふたする(「MINORU句」の更新がほったらかし状態であったのだ)。
祝宴の引き出物に『季語別 茨木和生句集』と『右城暮石全句集』を頂く。『右城暮石全句集』は、茨木先生と「運河俳句会」の労作。最近、しばしば見に行く邑書林の掲示板で、『全句集』出版を依頼された島田牙城氏(茨木先生の教え子だそうだ)の苦労の一端が書き込まれてあったのを読んだりもしていて、大変なんだろうなと思っていたが、その本がまさか引き出物として頂けるとは、大変有り難いことだった。
宴果てて後、岩城先生、竹中宏さん、中村堯子さん、杉浦さんと京都へ。島本田鶴子さんの書展『思考する筆』の打ち上げの会に参加。学生諸君の参加もあり、賑やかな会。竹中さん、中村さんは出席者の留学生二人と日本語、英語混じりの話を愉しそうにしておられた。それを傍目に眺めつつ、竹中さんの授業はこんな雰囲気なのか、などと思う。島本さんに少し感想を話す。作品は、その手法といい、発想といい、とても興味深いものがあった。
【10月9日】
「第九」が歌えなくなった事が影響しているのか、今朝方「第九」を歌っている夢を見た。それも、大集団で公道を移動しながら、歌うのである。面白いことには、その大集団の中に弟が混じっていることだった。何故? と夢の中で思ったりもしたけれど、どのような無意識下の脈絡でそのようになったのかは、不明である。せめて、年末は「第九」を聴きに行こうかと思う。
ここしばらく、大穂耕一郎著『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』を読んでいる。他の読書は、一時休止。郷愁のようなものを感じつつ、ついつい読んでしまう。学生時代の山旅や、教師になって間もない頃の一人旅の思い出などを心のどこかで思い返しつつ読んでいるのだ。少し、疲れているのかもしれない。
昨夜は、『俳句文芸』に送る16句を選ぶ。貧しい句作ではあるが、愛着のある句を選ぼうかと思っている。ちょっと考えていることもあるし。10日頃には送ります、と返事をしているので、少し遅れそうなのが、心苦しい。
【10月7日】
10年近く、京都ミューズで年末は「第九」を歌ってきたが、今年はそれが不可能となった。つい、うかうかと9月を過ごすうちに、申し込みの締め切りを過ぎてしまっていたのだ。事務局に電話し、もし男子パートの追加募集があれば、申し込むつもりであったが、それも無しという事で、今回の「第九」は参加出来ず、という事になってしまった。少々残念ではあるが、一休みということで、金曜の夜は有効に過ごそうと思う。
昨日は、本当に久しぶりに「月曜会」に参加する。1学期は、忙しくて一度も参加出来なかった。新メンバーを加えて、「月曜会」は元気一杯であった。辻田先生からは、1句選んで頂く。「全没」も珍しくないので、有り難いことであった。句会会場近くの「眠眠」で、「レバニラ炒めプラス餃子」のスタミナたっぷりの夕食を食べ、歩いて帰宅する。結構、元気であった。
本日、授業3時間、会議1時間。放課後は、5時過ぎまで模擬面接。その後、クラブへ。練習に参加して、7時前に終了。足腰は、かなりガタガタ。ただ、満足感あり。面白い一日だった、と思う。
【10月5日】
昨日は、丹後の「いさなご句会」。ちょうど、ザイラー夫妻のコンサートの日で、「橋立1号」自由席は座れない人がでる有様であった。亀岡盆地は、曼珠沙華が満開状態。毎年、この風景を見るのが楽しみであった。
句会は、ここ数回、参加者が少なくてちょっと寂しい。その上、今回は岩城先生選が1句という状態で、これも寂しい状態であった。しばらく写生句を中心に投句をするつもりで、今回もそうしたのだが、どうにも表面的な写生に終始しているようで、どうもうまくいかない。対象にたいして描写力を付けるという事は、最低の条件であろうが、そこから1歩も2歩も踏み出していくには、描写力だけでは足りない。
京都帰着後、久しぶりにいつものメンバーでお酒を飲む。岩城先生は、もっぱらビール。他の3人は、水割りの焼酎を「薄い!薄い!」と文句言いつつ飲む。料理は、なかなか美味しい。飲み、かつ食い、11時前に帰宅。満足する。
日曜日。朝から出勤。クラブの練習試合。3時前に帰宅して、疲れて昼寝する。夕方、目を覚まし、軽くジョギング。
【10月2日】
『子規とベースボール』読了。思っていたほどの内容でなかった点がちょっと残念。ただ、本文に紹介されてある子規の「ベースボール」についての紹介文が滅法面白かった。子規の物事の把握力と的確な表現力を堪能した気分になる。それがとても良かった。
子規の「ベースボール」の句を1、2句紹介。「草茂みベースボールの道白し」「夏草やベースボールの人遠し」。句としては、さほどのものではないと思うけれど、大好きな「野球」を句として表現しようとする子規の天真爛漫ぶりが面白いな、と思う。
先日、岩城先生から電話あり。掘り出し物の古本情報を頂く。急いで買いに行きたいのだけれど、時間が取れない。目ざとい人に見つけられて、早々に購入されないことを祈りつつ、日を過ごしている(と言えば、大袈裟であろうか)。
昨夜、水野さんから電話あり。「辻田克巳俳句研究会」の事。次回も『明眸』を引き続き読む事になったとのこと。一つ一つの句集を、じっくり読み込んでいくことは、良いことだと思う。『オペ記』の準備に時間が出来た事もありがたい。