日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
8月分「日々録」
9月分「日々録」
10月分「日々録」
11月分「日々録」
04.12「日々録」
【1月30日】
金曜日、夜。清水さんから携帯がかかる。岩城先生と一緒、とのこと。4週間に1度の通院を終え、近鉄城陽駅へ向かう途上。そのまま京都市内へ。南座前で改めて電話すると、「米」さんへ向かっているとのこと。「『銀化』のスゴイ人が、来ているらしい」との最後の一言が気にかかる。
「米」さんに着くと、中村さんを始め、『銀化』京都句会の方達が、句会の真っ最中であった。店の奥の方に、岩城先生と清水さん。清水さんは、お仕事で京都に来られたとの由。『燕巣』に送った同人紹介の欄の8句について、岩城先生に以前ファックスでお送りしておいたものの評を聞く。季語の斡旋と一部の内容に問題あり、ということであったが、全体として好評であったのが嬉しく、心強い。
席上、「米」さんの常連で、何度かお顔を拝したことのある俳人の方が、亡くなられたことを知る。琵琶湖で自死された、とのこと。ちょうど飯島晴子を読んでいることもあり、大変驚く。米さんが、形見分けとしてセーターを預かって来られ、その場で岩城先生が着られる。センスの良いセーターで、岩城先生に良く似合っていた。「暖かいですよ。」と言われる。
11時前に店を出る。外は、さほど寒くはない。岩城先生は、セーター姿のまま、帰って行かれた。
【1月28日】
日曜日。午前中、角川『俳句』2月号をざっと読む。「三十六人集」に岩城先生の「厄落とし」の一句が掲載されてあった。中岡毅雄氏の「現代俳句時評」も面白かった。『俳句』の中で、注目している企画のひとつが、「十七文字の冒険者」。若い人の作品が紹介されてある。今月号は、割とおとなしい作品が多かったか。
飯島晴子氏のエッセイ集『葛の花』を読み始める。「葛の花来るなと言つたではないか」の一句の持つ厳しさ(この句を思うたびに、大袈裟でなく背筋にすっと走るものを感じる)、飯島氏にとって「葛の花」は特別の意味を持つ花ではないか、との『醍醐会』でのやりとりなども思い出す。興味のある作家なので、ひとつずつゆっくり読みたいと思う。
日曜午後、鴨川へ。ゆりかもめの姿を確かめに行く。三条で下車、地上へ出て、鴨川の辺を出町に向かって歩く。冬の間、疎水の水を直接鴨川に流しているので、水量が多いように思われる。そして、前回同様ゆりかもめの姿は、一羽も見かけられない。本当に帰ってしまったのだろうか、と気懸かりになり始めた頃、水面近くを飛ぶ一羽のゆりかもめを見る。やがて、前方の堰の向こうの水面に大集団の姿を発見。さらに、上空を旋回するようにして、新たな一団が合流。それは、わくわくするような情景だった。群れから少し離れたところに立って、30分ほどゆりかもめの姿を眺める。大満足であった。句も10句ほど作る。これから春先まで、何度もゆりかもめに会いにくることになるだろう、と思う。出町まで行き、そこから三条に引き返す途中、琵琶湖に帰って行くゆりかもめの素晴らしい姿に見とれることになるのだが、それは書けない。なんとか、句にまとめ上げたい、そんな景の一つだからだ。
月、火、水と慌ただしく過ぎる。KAWADE夢ムックの『中上健次』を新たに読み始める。巻末の方に『運河』での対談が掲載されてある。対談相手は、前登志夫氏。司会は右城暮石氏。
【1月24日】
久しぶりにあるネット句会に投句した作品。いずれも点が入っていたので、ちょっと嬉しい。題が「寒卵」。「寒卵生命線が手首まで」「取り落としたる寒卵割れてゐず」「黄身白身一衣帯水寒卵」の三句。上・中・下の各部分に「寒卵」を置いて作る。投句名は、甥っ子の名前を無断拝借する。
もう土曜日、という気持ち。早い。しかも、今週後半は、ひたすら寒かった。校舎内の亀の棲む池には、厚さ2センチほどの氷が張っていたりもした。ただ、空気が張りつめているせいか、毎夜、星空が綺麗に見える。都会の明るい空のため、見える星の数は少ないけれど。
午前中は、クラブ当番で出勤。基礎練習中心のメニューで、練習補助でシャトル拾いなどやっていたが、屋内にもかかわらず、手が凍えてくるのを感じる。こんな時は、日の差している屋外よりも火の気のない屋内の方がずいぶんと寒い。1時前、練習は終了。退勤する。
昨日、今日と長めに走る。3月には、久しぶりに市民参加のロードレースに出てみるつもり。制限時間が厳しいので、完走は難しいと思うけれど・・・。汗を流して後、市内へ。
【1月20日】
日曜日。大阪へ行く。叔父の入院を見舞うためだ。森の宮で電車を降り、病院へ。面会時間にはまだ早かったが、許可を得て、病室へ。カーテンの中に入ると、叔父は眠っていた。椅子に腰掛けてしばらく様子を見ていると、やがて叔父は目を覚まし、ベットの上でしばらく話をした後、下へ行こうと誘われる。1階へ降り、がらんとした待合室でコーヒを飲みながら、近況など話す。40分ほど居て、辞する。病院を出て、自宅に電話を入れ、思ったより元気そうな様子だったと伝える。
ぶらぶら歩いて、大阪城公園へ行く。まるで春のような日差しだ。外堀沿いに歩き、大手門を通って天守閣の方まで行く。修学旅行で来て以来、何十年ぶりのことだろうか。近年、天守閣は改修を終えたとかで、金の鯱が、やたらにきらきらしくて、なんとなく落ち着かない気分になる。そんな天守閣を見ながら、昼食代わりのたこ焼きを食べる。大阪で食べるたこ焼きは、一際美味しいような気がする。来たときとは反対の青屋門の方へ向かう。大阪城ホールを見下ろす辺りに広い梅林があり、紅梅と蝋梅が数本、花を咲かせていた。大阪城ホールの横を通り、ビジネスパークを抜け、京阪京橋まで歩き、電車に乗る。最後尾の車両の一番後ろの席に腰を下ろして、何となくほっとした気分になる。
月曜日、火曜日と慌ただしく過ぎる。昨夜は、『燕巣』へ送るための句を12時頃に選んでいた。その前には、「同人」紹介の8句と原稿1枚を書いていた。途中、岩城先生から電話があり、『俳句文芸』の事で問い合わせあり。夜も、結局ばたばたしていた訳だ。
【1月17日】
五時過ぎに起床。新聞を取ってきて、ゆっくり読む。5時46分を待って、しばらく黙祷する。あれからもう9年もたつのかと思う。あの時は、まだここに引っ越す前で、何となく奇妙な気配で目を覚まして、部屋の明かりをつけた瞬間に、大きな揺れがやってきた。横にある本棚が倒れないように支えながら、揺れが収まるのを待っていたのを、今でも鮮明に覚えている。
七時前にジョギング。ちらちらと雪が降り始める。走っていくうちに、降りは次第に本格的になり、走り終えて部屋に帰り、外を見ると視界が遮られるほどの降りになっていた。洗濯物を部屋干しして、風呂に入る。いつものごとく、入浴即読書の時間で、坪内稔典の『現代俳句入門』という評論集を読む。風呂をあがると、窓が曇っていた。部屋干しのせいだろう。仕方ないので、エアコンをドライに切り替える。
今週1週間かかって『波郷さんのベレー帽』村山古郷著を読み終わる。今週の読書時間が、いかに少なかったかが思われるが、『波郷さん〜』は、味わいのあるエッセイ集でとても良かった。特に亡くなる前に書かれたエッセイは、静かな心境と巧まないユーモアが感じられて良かった。『俳句研究』2月号を読む。「3ヶ月連続競詠」の鴇田智哉氏の作品が良かった。あわあわとした「もの」との関係をこのようにさりげなく繊細に的確に表現出来るということが驚きであった。新しいタイプの俳人の一人ではないか、と改めて思う。「詩」というものは、言葉ではなかなか説明しがたいけれど、鴇田氏の句の中には、確かに「詩」があると感じられる。
それにしても、3学期の第1週が終了。時間の流れが、とても速い。
【1月12日】
午後からクラブの引率を交代しなければならないので、午前中はその待機時間のようになってしまった。交通の便があまり良くないところへ行かねばならないので、車を持たない人間にはありがたくない。電車・バスと乗り継がなければならないが、交代時間の1時間半まえからバスは一便もない。間の悪い時間を交代時間に指定したものだ。
7時過ぎから、借りてきたビデオを見る。『パイレーツオブカリビアン』というずいぶん評判になったディズニー映画。これが、滅法面白い。ご都合主義的なところが多々あるけれど、それはご愛敬。
見終えて、丹後の水野さんに電話。「辻田克巳俳句研究」の次回の日時を確認。水野さんには、2月の『醍醐会』で私の「近作100句」のレポートをして頂くことになっている。まだ少し時間に余裕があるので、昨日邑書林から送ってきた『佐々木六戈集』を読む。佐々木氏は短歌と俳句両分野で活躍している方。目の付け所、発想、表現、いずれもいわゆる俳句らしい俳句から微妙にずれているのが面白い(短歌的というわけでもないようだが)。ただ、後になるほど、上手さとは別に、俳句の枠に収まっている句が増えているのが興味深い。
引率は女子の方を担当。結果として、シングルス・ダブルスともに数組ずつ府大会出場を果たす。中には、強豪と言われる学校の選手を倒して出場を決めた生徒もいて、試合後大いに盛り上がる。力を付けていたのだな、と見ているこちらも感心する。コーチをお願いしているH氏は、午前中、男子の部を見てからこちらに来て下さった。感謝。
【1月11日】
土曜日。昼までに『五山堂詩話の世界』読了。なかなか面白い一冊であった、と満足感あり。終わりの方に、当代の詩人(当時、詩と言えば漢詩を意味した)が陥る七つの病を指摘した部分があったが、それは現代の俳人もまた陥りやすい作句態度であると、反省させられた。例えば、目新しさばかりを追い求め奇を衒うとか、名利に走り一家をなすことに汲々となり、先人からの借り物の詩論を振り回して、相矛盾する論理に気づかないでいるとか、才能や努力が不足しているにもかかわらず、先人の作を真似、馬脚を顕す、とか。こうやって書き付けながら、冷や汗たらり、という状態になる。
午後、外出。古書肆、三月書房、御所、鴨川河畔、中井書房、と回って帰宅する。1月なのに寒くない。鴨川を歩きながら、気になったのは、ゆりかもめが一羽もいなかったこと。出町柳から三条の間、本当に一羽もその姿を見なかった。時間的に遅いはずはないので、一体どうしたのか、と思う。今日は、琵琶湖の方に留まったのだろうか。あるいは、もっと下流の方に集まっているのか。まさか、もう渡りに移ってしまった訳ではあるまい。なんとも気懸かりである。
駅の近くに「メロンパン」専門店が出来ており、一度買おうと思っていたが、いつも行列が出来ていて、並んで買うのも面倒で先延ばししていたが、今日は二人しか並んでいなかったので、その後について並び、購入。帰宅後、ジョギングし、入浴しながら買ってきた『波郷さんのベレー帽』村山古郷著を読む。入浴後、部屋で忘年会をやったときの残りの発泡酒を飲みつつ、メロンパンを食べる(何という取り合わせか、と思うが)。メロンパンは大変美味しかった。これならたまに買いに行っても良いな、と思う。
さて、洗濯物も終わったようなので、干してから、出勤しようか。
【1月10日】
今日から3連休。とはいえ、日・月とクラブ担当・引率で、実質休みは土曜日だけ、というのが少々残念。今日は久しぶりに鴨川を歩いてみようか。ついでに本屋にも立ち寄って。その前に、ちょっと調子がおかしいノートパソコンを、ソフマップに持って行かなければならないか・・・。
昨夜、ずいぶん遅くまで起きていたので、8時前なのにまだ眠い。天気は上々で、明るい日差しがダイニングの隣の日本間の奥の方までさしこんでいる。それにしても、大きな姿見と衣紋かけ、ずっと以前、入院中に知り合った方から頂いた、私の名前を取り込んだ短歌の色紙一枚、それ以外は何もない部屋というのは、なんとも簡潔だと改めて思う。
二年越しで『五山堂詩話の世界』を読んでいるが、『五山堂詩話』という漢詩総合誌(というのか)を中心に、江戸末の詩壇の様子を多面的に描いている。それが面白い。「書画番付騒動」などという、江戸文人ランク表(学者・詩人・画家・書家を相撲番付風にランク付けしたもの)が、大騒動を引き起こしたという話など、今なら人権問題となるだろうけれど、さて「俳壇番付」など作ったらどうなるのか、と馬鹿なことを想像したりする。少しずつ読んできたが、まもなく読了。『五山堂詩話』自体を読んでみたい気持ちになっている。しかし、読みこなせないだろうな・・・。
【1月8日】
1月の「いさなご句会」もお休みと言うことになった。少々淋しい気もする。1月11日の『運河城陽句会』も、当日クラブ当番のため、おそらく参加は無理であろう。1月は、句会なし、ということになりそうである。・・・何とか、参加出来る方策はあるまいか。
寒い一日であった。昼前に一時雪が舞う。3学期が始まる。
現在、どうも俳句がわからなくなっている、と思う。もちろん、これまでも何ほどの理解もしていなかったであろうが、現在本当に分からなくなっている。帰省中に40句ほど作りもしたが、これはという手応えを感じさせてくれる句はほとんど無い、という有様だった。こんな状態をスランプ、と呼ぶのだろうか。ただ、夕凪の日本海や同じく夕景の水鳥公園での湖の様子や飛来する白鳥の姿とか、幾つかの印象的な風景を目にして、それらがまだ句には出来ていないということが、せめてもの事か、とも思う。印象を煮詰めていく必要がある。
【1月5日】
本日、午前帰京。午後、出勤。夕方までクラブ当番を兼ねた日直。
6時前、退勤。急いで桃山まで。『月曜会』の「初句会」ならびに「新年会」が予定されてあるのだ。句会には、大幅に遅れて、選句のみの参加となる。参加者は20名を超えたか。自由に作られた面白い句が多かった。
新年会では、久しぶりに日本酒を飲む。やや甘口。帰省中は、ほとんどお酒を口にしなかったので、本格的に酔っぱらったのは、何日ぶりか。
酔ったまま歩いて帰る。アルコールのせいで、寒さは感じないけれど、吐く息が白い事に気づく。本当は、かなり冷え込んでいるのだ。京都にしては、星が普段よりは沢山見える。