日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【2月28日】
12時過ぎに寝床に入り、目を覚ますと6時前。夜中に一度も目を覚まさなかった(ような気がする)。めったにないことなので、熟睡したのだなあ、となかなか朝から良い気分となる。熟睡といえば、学生時代1週間の合宿山行から帰宅して、一休みのつもりで横になり、ほんの一瞬目を閉じたつもりで、気が付いたら日が変わっていた、ということがあった。しかも、あとで聞いたところによると、どうやら目を開けたまま眠っていたらしい。めったにない経験であった。あれに近い経験は、その後、入院して全身麻酔をかけた時のことであろうか。あの時も、時間がぷっつり切れた感覚があった。ただ、全身麻酔の場合は、酸素吸入をしながら徐々に目を覚ましていく過程がひどく苦しかったけれども。
いつもの通り、洗濯機をまわしておいて、日の出まもない町を走る。一晩中、良い天気だったのだろう、十分に冷えきっていて、吐く息がびっくりするほど広がって見える。草の上に霜を置いた疎水の土手を1時間ほど走る。少ない流れに点々と鴨が浮かんでいる。近所の公園で、柔軟体操をして帰宅。ほとんど汗をかいていない。
角川『俳句』3月号を読む。虚子の無季・自由律俳句の容認問題について、中岡氏の反論に対する筑紫氏の反論が掲載されてあった。中岡氏の戦時という時代背景の中での時局と自己の立場を配慮した便宜的発言という主張に対し、虚子はより突っ込んだ形で無季・自由律俳句を「俳句」という範疇に含めて認識していたということが筑紫氏の主張なのであろうか、と思う。論点が噛み合っていないような気もするが、それゆえに両者の言われることは虚子の持つある側面を読者に提示しているように思えた。それにしても、最近の角川『俳句』は充実した誌面になっているような気がする。もっとも、ネット上で一時期盗作?問題で話題になった人の句が載っていたりして、おやおやと思ったりもしたが。竹中宏氏の「歌占」12句や、三十六人集「春の水」に岩城先生の「水温む」の句、大特集「切れ字と切れ」に山根真矢さんの論評、「主宰が明かす選句の基準」に辻田克巳先生の一文と、何となくミーハーじみた有様で読み漁る。


【2月26日】
夕方になるにつれて、冷え込んできた。夕闇の中を走りながら、風の冷たさを肌に感じる。今朝の朝日は、黄濁した円盤のような姿で、なんとなく薄気味悪さすら感じたのだが、それが黄砂のせいと夕方のニュースで知った。春の事ぶれである黄砂と、夕方のこの寒さと、季節の交叉する様を目の当たりにしている実感がある。
やっと辻田先生の句集『オペ記』の句・季語・切れ・鑑賞等の基本的なデータベースが出来上がる。440句は、かなりしんどかった。これから、来週の研究会に向けて、レポートをまとめていかなければならない。どんな観点でまとめていくか、その構想をねらなければならない。現在、俳句というものが分からなくなっているような有様で、さてどう焦点を絞っていこうかと苦慮している。困ったことだ。
日曜日は、『醍醐会』。めった切りにされる中で、何かしら見えてくる物があれば、という事をとても期待している。
『醍醐会』会員のMさんから、当日欠席の葉書を頂く。その中で、近作100句について「おおらかな句」との評語があり、新鮮な驚きを味わう(自分では全く予想もしていなかった言葉だったので)。

【2月22日】
土曜日。KさんとIさんの激励会の日。色紙を書き上げなければならない。練習に何度か書き、いつまで繰り返していてもきりがないので、色紙に取りかかる。4枚書いて、その中からかろうじて1枚を選び、畳紙に納める。緊張していたので、思ったように手が動かず、心残りな結果となった。本番は練習の七割の力が出せれば良い、とか言うけれど、今回は(次回があるかどうか、わからないけれど)6割くらいか・・・。
近所を軽く走り、遅い昼食。その後、先日買ってきた角川源義氏の句集『西行の日』を読む。全国各地への旅吟から始まり、清瀬療養所への入院の一連の句へと移る。落ち着いた、悠揚たる詠みぶりの句という印象。同氏の最後の句集とのこと。退院の句のところで中断。激励会へ出かける用意をする。
激励会は、市内の麩屋町角の旅館「三木半」にて。「三木半」の女将さんは俳句をなさっておられるとか。『俳句文芸』にエッセイを連載しておられる。すでに皆さん集まっておられて、約三分の遅刻。大石悦子さんがまだと聴き、ちょっと安心?して、着席された方達の後ろを竹中宏さんの隣の席へ。茨木和生さんの、ユーモアを交えた司会で開会。辻田先生、関戸先生の激励の挨拶の後、宴が始まる。隣の席の福本さんと、先週の「俳句王国」の話をする。中原道夫主宰の時、連衆の一人として出演された方。裏話ではないけれど、色々面白い話を聞く。福本さんは、来週の『醍醐会』で私の「近作百句」のレポートをして頂くことになっている。実は、是非福本さんにやって欲しいと岩井さんにお願いして、実現したもの。ずいぶん苦労されている様子。百句中七句しか分からないと言われ、ある意味で我が意を得たような思いになる。自分とは異質な人に是非レポートをお願いしたかったので、その七句とはどのような句で、残りの93句についてどのように考えておられるのか、来週が楽しみになる。
宴は進み、茨木さんの司会進行で各自が用意してきた色紙をK氏にお贈りする。色紙をお渡しして、一言言葉を交わされる。私も、準備してきた色紙を渡し、「後でこっそり見て下さい」とお願いして席に戻る。同じ結社の方達の色紙贈呈があり、最後に辻田先生から色紙が贈られる。ちょっと照れたような様子で、用意された三枚の色紙を、一枚ずつ句を紹介しつつ渡される。宴の終わりにKさんとIさんから挨拶があり、終宴。茨木さんの名司会ぶりもあって、暖かく和気藹々の激励会となる。解散後、KさんIさんを交えて15名ほどが、「米」さんへ。岩城先生は、所用の為欠席。「米」さんに伝言を残しておられた。帰宅後、岩城先生にメールで激励会の様子を伝える。

【2月21日】
金曜。分野別ガイダンス終了。一仕事終了。ほっとする。クラブは、22日にオープン大会。通常は、冬時間のため練習は6時までなのだが、試合前と言うことで、7時まで。生徒が練習している時間帯を使い、1時間ほど走る。空の色が綺麗だな、と思いつつ走る。二日間走らなかったせいか、かえって調子が良い。帰校すると、ちょうど練習が終わったところで、キャプテンと簡単に打ち合わせをして、帰宅を見送る。進路室に帰り、ガイダンスに参加した生徒の感想を一通り読む。改めて考えるきっかけとなった、参考になった、やる気がおきた等の感想が見受けられて良かった、と思う。
結局、ミューズの練習はパスする。帰宅し、夕食後、早速書道の練習。プレゼントする句は、「人生いたるところ青山あり」からの連想で「鳥獣虫魚養ひて青嶺かな」とする。モロ「メッセージ俳句」だけれども。文字の方は、相変わらず「ミミズ」状態だが、これはもう諦めるしかない。1時間ほど練習し、「辻田俳句研究会」のレポートの下準備に切り替え、さらに書の練習をして、本日は終了。
土曜日。寝たりおきたりで、7時までベットの中でごろごろしている。その間に、洗濯機のスイッチを入れておいたのは、いつもの通り。起床後、まずコーヒーをいれておいて、洗濯物を干す。寒くない。日が昇ったばかりで、空全体が柔らかい表情を見せている。コーヒーを飲みつつ、現在「日々録」を書いている。
さて、夕方までに色紙を書き上げなければ・・・。

【2月19日】
今週は、金曜日に行われる2年生の分野別ガイダンスの準備で日が過ぎる。全体の段取り付けをしながら、担当の短大関係のガイダンス資料を同時進行で作るので、結構大変であった。本日、準備完了。市内に出る用事があったので、日のあるうちに退勤。土曜日に、4月から新たな道に踏み出されるIさんとKさんを激励する集まりが予定されており、そこで参加者が各自の句を書いた色紙をプレゼントすることになっていて、その準備のために寺町の鳩居堂に色紙と畳紙を買いに行ったのだ。とはいっても、色紙に毛筆で句を書くという事は初めての経験で、全く困ってしまう。俳句をする以上は、書の嗜みは必須であろうと思いつつ、そのままにしておいたツケが、こんな時に回ってくるのだ。ともかくなんとかせねば、と思ってここ数日、毎夜1時間くらい練習をしているのだが、全く基礎がないので完全な我流、好きなように書いてしまっている。
ただ、集中して書いていると、何となく面白い。出来は惨憺たるもので、「ミミズが何とやら・・・」という有様であるが、ただ文字を書くことに集中して手を動かしていると、自分でも不思議なくらいに夢中になってしまう。この感覚は、ずっと昔、高校時代に漫画を書き込んで入るときの感じに似ているのかもしれない。
市内にでたついでに、書店と古書肆を数件廻り、俳句関係の本と興味に任せて選んだ本を何冊か買って帰る。中村草田男と角川源義の句集も手に入れる。
仁平勝の『俳句のモダン』、続いて『俳句が文学になるとき』を読了。両者は、筆者による一連の近代俳句研究の成果なのであろう。俳句に対する筆者独自の見解が随所に盛られているように思うのだが、それが難しくて内容が十分に読み込めないのが、情けない。「詩的ナショナリズム」という評論を一度読んでみたいと思う。筆者の基本的な考えが、そこで語られてあるように思う。読んだ中では、「尾崎放哉」の中で語られた自由律俳句に対する見解が面白かった。「杉田久女」は今ひとつ、か。

【2月15日】
土曜日、午後。ふと思い立って外出。雪のあるうちに、一度比良山系の姿を見ておこうと思っていたのだが、今日出かけることにする。足を延ばして、近江今津まで行き、琵琶湖岸をぶらぶらしようか、とも思ったけれど、行き当たりばったりなので、電車の時間が合わず、北小松まで行き、車中から比良山を、そして駅からしばらく歩いて揚梅の滝を見に行くことにする。ただ、待ち時間の関係で、とりあえず堅田まで行き、そこで永原行きの電車に乗り継ぐこととなる。
堅田駅のプラットフォームから、北東方向に比良の山並みが遠望できる。気温が高いせいか、薄靄の向こうに雪を頂いた蓬莱山や打見山、さらにそれに続く山々の姿が眺めやられる。電車を乗り継ぎ、琵琶湖沿いに比良の山裾を走る湖西線から久しぶりに見る山々一つ一つの姿を楽しむ。特に、見る角度によっては富士山のようにも見える堂満岳は、何度も登った山だけに一際愛着を感じる。頂上直下に突き上げる谷を積雪期に登った時は、スリリングでとても面白かった。その谷筋を、あの辺りかと見当付けたりする。北小松の駅から、すぐに急勾配の道を歩き始める。この道もヤケ山からヤケオ山に登る為に、無雪期・積雪期を含め何度も歩いたはずなのに、こんなに急だっただろうか、と思う。日常的に走っているとはいえ、やはり体力が落ちているせいだろうか。比良元気村を通過。テニスコートなどの新しい施設や、喫茶店まで出来ている事を知る。駅から20分ほどで滝に到着。揚梅の滝は、下段の雌滝と上段の雄滝の二つに分かれていて、最初に出会うのは高さ十メートルほどの雌滝のほうだ。谷筋にはわずかに雪が残っていたが、滝自体は思っていた以上に水量が豊かで、気温が高いせいか氷や氷柱などは見あたらなかった。ちょっと残念。
湖西線の車中から眺められる豪壮な雄滝の姿は、この雌滝の位置からは眺められず、滝の横の急峻な斜面を強引に登っていかなければ滝壺に至れない。以前なら普通に雄滝の直下まで登っていたのだが、今回は足下がおぼつかないこともあり、やめておく。ただ、このまま帰るのも心残りなので、すこし引き返して登山道に入り、10分ほぼ歩いて、小さな四阿風の休憩所があるところまで登り、そこから枯れ色の山腹にかかる雄滝を正面に眺める。雄滝は高さ五十メートルはあるだろうか、豊富な水が剥き出しの岩盤を滑り落ちていく。遠くから眺めるだけでも迫力を感じる良い滝である。満足して山道を引き返す。
往復の車中で、三橋氏の句集を読む。東吉野村に句碑として残された、「絶滅のかの狼を連れ歩く」は、『真神(真神とは「狼」のことらしい)』に載っている句であった。三橋氏が亡くなられた時、「狼も詠ひし人もはるかかな」という弔句を作った事を思い出す。車中で読了。知っている句に何句も出会ったが、全体としてはやや難解な句集であった。

【2月14日】
訂正一つ。バドミントンの女子キャプテンは、女子全体のトップであった。その前に女子が一人先行していたように思ったのは、勘違いであったか?
金曜日、夜。久しぶりにアバンティーホールへ。ミューズ『レクイエム(ヴェルディー)』の合唱団申し込みに。半年ぶりである。今日は、申し込みだけして帰ろうか、とも思ったが、結局9時過ぎまで練習に参加する。団員は、現在230名くらいらしい。男性陣はやや少なめ。あと10人くらいずつ、テノール、バス共に増えると、ぐっと歌声に厚みが増すだろうけれど。ヴェルディの『レクイエム』は、文字通りの大曲なので、今回も男性陣は苦労しそうだ。曲は結構憶えていて、今日の練習分についてはほとんど暗譜で歌えたが、さすがに、声は出ない。途中で、喉が妙な状態になり、慌てる。腹で歌えていない証拠であった。練習を終えて、気分良く帰宅する。歌うということは、心身ともに良い効果をもたらすようだ。
中上健次『奇蹟』読了。読み切った、という実感のある一冊であった。どう感想を述べて良いか・・・。いろいろな言葉が、断片的に浮かぶ、という状態である。一種の混乱状態なのだろう、と思う。ただ、街中を歩きつつ、周囲に触発されたせいではあろうが、ふと作品世界の息吹を感じる瞬間がある、ということは、作品世界がもたらした「傷」のようなものが、自分の中に残っているということなのであろう、と思う。
三橋敏雄の句集『真神・鷓鴣』(邑書林発行の三橋氏の第二、第三句集の合本文庫)と、『江戸の病と養生』酒井シズ著を平行して読み始める。

【2月11日】
毎日覗く「ライブカメラ」の一つに、故郷の山大山を遠望するものがある。今日の画像を見ると、快晴の空を背景に、雪をまとった文字通り「秀麗」な大山の姿があった。普段は、壁紙など使わないのだが、迷わず壁紙設定。PCを立ち上げると、まず大山の姿が目に入る。
昨日は、ロードレース。男子は17キロ、女子は14キロを走る。こちらは、走路員として、白旗を片手に声援を送る。ひたむきに走る生徒の姿は、胸に迫るものがある。後ほどの報告によると、参加者は全員時間内に完走したらしい。ちなみに、バドミントン女子のキャプテンは、私が確認した限りでは女子2位であったように思う。走路員の私の前を走り抜ける時、ちょっとしんどそうな顔に一瞬笑顔を見せ、Vサインを作って走り去っていった姿が印象的だった。夕方、いつもとはコースを変えて走る。今日のロードレースコースをなぞる形で走る。結構アップダウンのあるコースを走る。夕闇の中で、生徒達の走り抜けた気配のようなものを感じながら走る。いつもより長い時間を走ることになり、走り終えて、さすがに足の裏が痛くなった。びっくりするくらい良い天気の一日が終わる。
中上健次『奇蹟』を読み継ぐ。語り物の響きを伝える文体はまとわりつくようで、読み進む足は自然と遅くなる。読書時間が少ないせいもあり、一日十数ページずつ読んでいく。『岬』や『枯木灘』前史、神話・伝説の時代的な位置づけを持つ作品なのであろうか、などと思う。
樋口由紀子さんから、川柳誌『MANO』第九号を送っていただく。開巻冒頭の、佐藤みさ子氏の「正確に立つと私は曲がっている」という一句に、思わず笑ってしまう。滑稽という意味ではない。何かをズバリと詠い取られて、もう笑うほか無い、というような笑いであった、と後で思う。川柳の笑いにはこんな質のものも含まれているのであろうか、と思う。句の解釈は、読む人各自で様々に可能であろうが、私は自らの有り様を詠われたように、直裁に感じ入ってしまったものだ。加藤久子氏の句群からは、同氏の川柳における言葉というものの質が、「現代詩」の言葉に近いものではないか、とふと感じたりもした。

【2月8日】
日曜日。6時過ぎに起床。ゆっくりと新聞を読む。文芸欄には、2週間に一度、岩城先生選の俳句が掲載される。投句者には、名前を存じ上げている方もおられる。午前中、借りてきたビデオを見る。「ドリーム・キャッチャー」という侵略物のSF映画。なんとなく「グリーン・マイル」なども思い出したりする。そう言えば、いろいろな映画のオマージュ的な印象あり。例えば、「スタンド・バイ・ミー」とか、「エイリアン」とか・・・。いずれにしても、結構面白い内容だった。ILMが関わっていると言うことで、映像的にもなかなかのものであった。昨夜は、「ロード・オブ・ザ・リング」を11時過ぎまで見てしまったし。テレビの見過ぎかもしれない。
その後、3月の「辻田克巳俳句研究会」のレポート準備をする。そろそろ発表する内容をまとめ始めなければ、と思う。作品を読みつつ、気の付いた事をメモしていく(『オペ記』の全句をデータ・ベース化しているので、そこに書き込んでいく)。気が付くと1時近くになっていたので、昼食をとる(結局、今日は夕食も含めて一度も米の飯を食べなかった。誉められた食生活ではない)。一休みしてから、外出。2週間ぶりに鴨川散策に行く。京阪三条から北大路の植物園まで歩き、そこから出町柳へ引き返す。日が差している間は暖かいが、夕方近くなり日が陰り出すと、途端に寒くなる。さらに、すでに立春は過ぎたとはいえ、「時雨」まで降り始める。出町近くまで来て、三条の方を眺めやると、上空はるかにねぐらへ帰るゆりかもめの群れが、時雨雲に紛れるようにして飛んでいるのが見える。出町柳から電車に乗る。車中で、中上健次の『奇蹟』を読みながら、一瞬眠る。
さすがに今夜は、テレビは遠慮して本を読もう、と思いつつ、BS11でやっていた再放送の「プロジェクトX(デジタルカメラ開発の話)」を見て、胸が熱くなるのを感じたりしてしまったものだ。
河村さんから送って頂いた『菜屑』を読む。日々の生活の中に潜む詩情をふっと掬い上げ、1句を作っておられる。それが、読者に静かな感銘を与えるように思う。

【2月7日】
五時過ぎに目を覚まし、洗濯機を動かし、6時過ぎまでベッドの中で中上健次の『奇蹟』を読む。『千年の愉楽』に続く小説(そう言えば、作品を読んで後、「千年の愉楽落ち蝉の腹に穴」という句を作ったりしたものだが)だそうだ。この1作の後、中上健次の作品の方向性が変わった、とある評論に書かれてあったのを憶えている。6時過ぎに起床。洗濯物を干し、朝食を食べ、出勤。今日は、クラブ当番と模擬試験の監督。クラブの方には、最初と最後に顔を出し、もっぱら模試監督に専念。3時前に終了。
1時間ほど、近所を走る。日差しが明るい。来週のロードレースのコースの一部を走ってみる。長い坂道を上り、運動公園の中を突っ切って、反対側に抜け、R高校の立派なグランドの横を下って、いつものコースに合流する。気持ちよく走り終え、6時過ぎまで仕事。退勤する。
岩井さんから、2月の『醍醐会』の案内状と石動さんの「近作百句」を送って頂く。石動さんとは、「月曜句会」をご一緒していて作品に接する機会はあるのだが、こうやってまとまって句を読むのは初めてのことだ。辻田先生の『幡』に所属しておられる。次回の会では、一緒に俎上に上る相方である。
河村喜代子さんから句集『菜屑』を送っていただく。竹中宏さんの『翔臨』と黒田杏子氏の『藍生』に所属される。早速読ませていただく。

【2月4日】
立春の日。しかし、寒い。毛糸の帽子を被って出勤。駅までの道で、所々昨夜の豆撒きの痕跡に出会う。なんとなく、ほのぼのした気分になる。
放課後。会議の後、クラブへ。練習に参加する。基礎打ちを終えて、一試合。結果は大敗だったけれど、結構汗をかく。足の故障で練習に参加できない生徒が、所在なさそうにしているので、横に腰を下ろしてしばらく話す。1年生ではあるが、実力は部内でもトップの生徒。6時前に練習は終了。体育館から外に出ると、まだ暮れきっていない空が広がっている。日が落ちて、冷え込んで来てはいるが、しかしやはり立春の日である、と実感。



【2月3日】
帰宅途中、コンビニで丸かぶり用の「巻き寿司」と豆撒き用の「豆」を買う。帰宅後、入浴。それから、おもむろに豆撒き。玄関、各部屋、トイレ、台所まで念入りに撒く。最後に、居間のガラス窓を開け、ベランダに向けて撒いて終了。残りの豆を「つまみ」に晩酌。お腹が温まったところで、恵方に向けて寿司を丸かぶりして、節分の行事は終わり。お腹も一杯になる。
日曜日。『運河城陽句会』に出る。結果は、惨憺たるものであった。やはり、どこかで句が緩んでいるのであろう、と思う。茨木先生から、次回から吟行にも参加したらどうか、と言われる。そうしようか、と思う。会員でもないのに、句会に参加させて頂いていて、と言うことで、内心遠慮する気持ちもあったのだが。併せて結社のことについても、少しお話をする。
『中上健次』を読み終わる。エッセイ・対談・評論という構成で、多面的に中上健次を語っている一冊。ずいぶん大変な地点で、作品を書き続けてきたのだな、と思う。四十六歳で亡くなられたというが、鼻髭をたくわえたその写真をみると、五十代、あるいは六十代とも思えるような、深い疲労を抱え込んだ一人の作家の姿がそこにある。