日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【3月29日】
金曜日、一日年休を取り、土日と併せて3連休として帰省する。早春の日本海や大山を見ておきたいと思ったのと、日曜日に、弟が指揮をし、甥、姪、弟の嫁さんも演奏者として出演するオーケストラのコンサートが開催されるので、ビデオ録画係を兼ねて帰省したのだ。
日野川の河口で白魚(しろうお)漁を見物したり(日野川で捕れるものは「しろうお」と言い、宍道湖で獲れるものは「しらうお」という。魚の種類が違うそうだ。ちなみに日野川の「しろうお」は、許可された人だけが漁が出来、販売は禁止されているらしい)、中州に集まる残り鴨を眺めやったり、波の荒い日本海の潮風を胸一杯吸い込んだり、海からゆったりと裾野を吊り上げる大山の、まだ山体の上半に雪を残す姿に見惚れたりと、豊かな海山を楽しむ。
あるいは、弥生時代の集合遺跡である「妻木晩田遺跡」に行く。「石馬」で有名な淀江町の、背後に横たわる里山の稜線平坦部に広がる遺跡群で、目の前に日本海や弓ヶ浜、島根半島が眺め渡され、のびやかで気持ちの良い所だ。振り返れば、三つの起伏を束ねたような高麗山が背後にあるはずの大山を完全に隠して聳えたっている。それもまた、気持ちよい。鳥取花回廊にも行ってみる。花期にはまだ少し早いようだけれど、三色菫満開のの幾何学的な花壇がとても美しかった。園内のどこからも、雪を豊かに残す大山の釣り鐘型の姿が眺められるのも良かった。
日曜のコンサートを楽しみ、終わるとそのまま高速バスに乗って帰京。30キロの渋滞に巻き込まれるけれど、車中で地元の書店で購入した草田男の『大虚鳥』を読む。

【3月25日】
日曜日、午後いつもの散歩で市内まで。「三月書房」に立ち寄り、鈴木日出男『王の歌』、西脇順三郎『芭蕉・シェークスピア・エリオット』を購入。どちらも50%割引の本であった。御所へ行く。いつもより人手が多いと感じる。梅林の梅の花は未だし、という状態だったが、桃の花がすでに七分咲くらいの状態でなかなか綺麗だった。旧近衛邸庭園の池の畔の糸桜が、こちらはほぼ満開で、たくさんの人が枝垂れの下に集まって薄紅色の花を楽しんでいた。道に沿って北門から外に出ると、ちょうど同志社大学の前で、この日は卒業式らしく、紺系のスーツや晴れ着姿の若者達が門の周辺に談笑しながら沢山たむろしていた。春らしい情景だった。
月曜日。夕方、退勤。いつもの通り市内へ向かう電車に乗り、車中で昨日買った『王の歌』を読み始める。「仁徳の女性交渉」「雄略の恋と儀礼」と読み進んで行く中で、目の端にちらりとどこかで見たことのあるプラットホームが入ったが、気にしないで読み続け、一息いれて気が付くと、降りるはずの駅を乗り越していた。久しぶりの出来事だったので、それほど集中して読んでいたのか、と変に感心してしまう。本自体が面白い、というより、『古事記』『日本書紀』の歌謡の世界が大変面白いのだ、と思う。
火曜日、水曜日、木曜日と平穏な日々。夜は、早く寝付き、夜中に目を覚まして、テレビをつけたり、本を読んだり、暗闇の中でとりとめもなく考えたり、という状態。夜明け近くに二度寝して、5時半頃に起床する、というペース。特に、水曜日は変に頭が冴えて、「心にうつりゆくよしなしごと」が勝手に「そこはかとなく」浮かんでは消えるというあたかも『徒然草』序段状態(思考の暴走状態とでも言うのか・・・)となり、このままでは夜明けまで一睡も出来ない、と判断して、仕方なく起床。こんな時はいつもそうしているように、台所に行き、牛乳を温め、寝室に持って帰ってゆっくりと暖かいのを飲み、またベットに横になる。そして、目を閉じ、ともかくどこでも良いので一本の道を思い浮かべる。道が思い浮かんだら、今度はその空想上の道をゆっくり走り始める。視線がどんどん移動し、風景が後ろに流れ始める。そうなったら、後はその道をそのまま走って行く。すると、いつの間にか寝付いているのだ。変な寝付き方なのだが、これが意外と上手くいくのだ。
そう言えば、子供の頃、布団に入ってそのまま目を閉じ、頭の中で屋外の風景を想像し、さらにそこから空に向けて飛び立つように想像し、そのままどんどん大空を突っ切っていき、やがて不思議に綺麗な音楽が聞こえるようになって、そのまま寝付いていたということが、何度もあったものだ。子供の頃のそんな奇妙な体験の応用編が、道をどんどん走って行くという方法か、と思う。

【3月21日】
夜中に目が覚め、眠れそうにないのでTVをつけたら、映画をやっていた。しばらく見ていたが、テロで妻子を殺された男が、その復讐の為にテロを仕掛けた者達とは直接には関係の無いイスラム教徒達を無差別に殺害し、そのまま外人部隊に入隊し、という本当に暗鬱たる作品で、途中で見るのを止めてしまった。
その後、寝付きが悪く、寝たり起きたりを繰り返しながら朝を迎える。6時を過ぎているのに、外は随分暗い。居間のカーテンを開けると、外は朝霧が垂れ込めている。雨は降っていないようだが、何とも気が重くなるような空模様である。
9時過ぎになって、やっと霧が晴れてきたようだ。部屋干しにしていた洗濯物に朝日が当たり始める。
『俳句研究』4月号を読む。鴇田智哉氏の8句が載っている。いつも思うのだけれど、この柔らかな情感は本当に良い。草田男の言葉の力と昨日書いたけれど、それは読む者に対話を求めてくるような喚起力を内包したものだけれど、鴇田氏の言葉は、ついそのつぶやきに耳を傾けさせるという吸引力とでもいう種類のものようだ。すごいな、と改めて思う。ついでに言えば、読んでいて困惑した句もあった。詰まるところこちらの理解力の不足ということに帰するのだろうが、柚木紀子という人の「ギリシャ浅春」20句は、作者の思いが深く込められた一連の句群なのかな、と思うけれど、分からない。例えば、「水仙嗚呼影の用意をしてをらぬ」の「嗚呼」の詠嘆の対象である「影の用意〜」とは一体何なのだろう。水仙が「影」を持たぬほどの日差しも含めた明るいギリシャの風土みたいなものを詠っているのか。とすると「嗚呼」という表現のやや「湿った感慨(漢字表記による印象)」と合わないような気がするし。各自が勝手に解釈したら良い問題なのかもしれないけれど。20句読んで、困惑の思いばかりが残る。

【3月20日】
そのことで同僚を笑っておきながら、同じような事をしている。PCを自宅に持ち帰りながら、電源コードを忘れてきてしまったのだ。金曜日夕刻、いったん帰宅してミューズのレッスンに行くときになって気が付く。全く迂闊である。今更取りにも行けないので、仕方なくそのまま練習に行く。9時過ぎまで、みっちり歌い込む。以前に比べて進度が速い。大曲なので、まず全体を一通りさらえる事を念頭に置いたレッスンスケジュールのようだ。それにしても、前に歌った時から数年たっているのに、楽譜を見れば直ぐに歌えるのが、物覚えが悪く、さらに物忘れの酷い自分としては、不思議な気がする。繰り返し練習したという事はあるにしても、その後全く歌っていないのに、音楽というのは記憶に定着しやすいのだろうか、と思う。
土曜日。5時過ぎに目が覚める。もう眠くないので、新聞を取りに行って一面からゆっくり読む。週末の記事として、竹中宏さんが詩歌に関する短文を書いておられるのだが、あれは隔週掲載なのだろうか、見あたらなかった(夕刊だったか・・・?)。一通り新聞を見終えて、起床し、コーヒーをいれ、6時過ぎだったが、ふと思いついて今から電源コードを取りに行く事にする。こんな時間帯に職場に行くことは滅多にないことなので、出かけてみようと思う。人気のない早朝の町、というのは結構好きでもあるし。朝寒の道を駅に向かって歩く。雀や鵯の囀りが聞こえる。「処処啼鳥を聴く」などという漢詩の一節を思い出す。人通りはほとんどなく、電車はがらがらで、町全体がちょっと空虚な雰囲気であるのが、良い。7時前に職場に着く。ところが、すでに誰か来ている様子。門が開き、玄関のドアが開いている。誰かいるんだ、と思いつつ、進路室に行き、机の上に置きっぱなしになっていた電源コードを持ち帰る。
草田男を読んでいる。『時機』という句集で、第八句集にあたる。草田男は、それまでに何冊か読んでいたが、表現や内容にちょっと違和感があって、どうかなと思っていたのだが、この句集は不思議に面白い。一句一句楽しみながら読んでいる。草田男の言葉の力というものを楽しんでいる。佶屈な表現も、こんな事を一句として詠うのかという内容も、面白い。何故なのだろうか。あるいは、と思えることもあるのだが、とにかく、この一冊を読み終えたら、同じく草田男の最新?句集『大虚鳥』を読んでみたいと思う。


【3月16日】
日曜日。思い立って、十数年ぶりに丹後の宮津へ行く。宮津を離れて以来、気になっていた墓参を果たそうと思ったのだ。駅に着くと、暑いくらいの中を、県道沿いに波路の町の方へ歩いていく。家と家の間から、宮津湾が覗き、水面の広がりの向こうに、横一文字となった天橋立の緑の松林が眺められる。墓地は、波路の町並みを見おろせる背山の中腹にある。県道から山へと入って行く道が思い出せず、行き過ぎて後戻りをし、沿道のコンビニで道を尋ね、教わった道をたどるが、途中で入る谷を一つ間違えて、隣の谷筋を登り、そこで偶然出会った人に尋ねて引き返し、ようやく正しい道を登って行く。竹林から雑木林へと道は続き、やがて山腹の急斜面に段々を刻んで作ったような墓地に行き着いた。
用意してきた線香に火をつけ、下の県道沿いのコンビニで買ってきたお茶を供える。墓石の側面に彫られた戒名に、名前の一文字がつけられてあるのを認める。亡くなったのは11月5日、通学の途上、大型トラックの後輪に巻き込まれ、運ばれた与謝の海病院でまもなく亡くなったのだ。前に来たときは、自宅のある波路の町の家並みが眼下に見渡せたのだが、今では手前の雑木林に遮られて眺めることは出来ない。
山道を町へと降りて行く。鶯の声が、遠くに聞こえる。4時前の電車に乗るつもりなので、まだ3時間ほど時間がある。どこかで昼食を食べ、宮津の町中をぶらぶらするつもりで、駅へ引き返す。


【3月13日】
メモリの増設、というのをやってみた。パソコンの動作がなんとも遅いので。金曜日、ミューズの練習に行く前に、京都駅前のソフマップに行き、店員さんの丁寧な説明を聞き(ソフマップの店員さんはなかなか親切で感じが良い)、対応する256Mのメモリを購入。ミューズの練習が終わって帰宅すると、10時を過ぎるので、増設は翌日にすることにする。
朝になる。本体背後のごちゃごちゃしたケーブルを外し、「静電気が起きやすいカーペットの上での作業はやめましょう」と説明書に書いてあるので、和室の方に運んで作業する。簡単な説明書を横に置いて、初めてパソコン本体のカバーを開ける。中は、写真などに在る通りだな、と感心する。電源ユニットを外し、説明書に在るとおり「本体金属部に触れて」静電気を逃がしてから、購入したメモリを袋から取り出し、メモリスロットにメモリモジュールを差し込む。話に聞いていたとおり、なかなか入らない。無理に力を入れて壊しでもしたらどうしよう、などと心配しつつ、えいと力をいれて押し込んだら、カチリと音がしてクリップが閉じた。電源モジュールを戻し、カバーをはめ直して、作業終了。終わってみれば、何と言うことのない作業であったが、やっている最中は、結構どきどきしていた。実は、こんな経験は最近なかなか無いことなのだ、と思う。へまな事をすれば、自分では修復不能な事だから、それだけスリルもあり、新鮮な経験ともなるのだ。手慣れてしまえば何と言うこともないのだろうけれど、そうでない限りパソコンは、「小さな新鮮な感動」を与えてくれる機械のような気がする。
パソコンを起動して、システム情報を確認すると、メモリの容量がきちんと増えていたので、ひと安心。確かに、動作が速くなった、と思う。


【3月12日】
昨日は、姪の高校入試の発表の日。12時から発表ということで、電話を待っていると、母から連絡が入る。発表を見に行っていた姪から先ほど電話があり、合格したとのことだった。ほっと安心する。まもなく京都の府立高校の合格発表がある。本校の倍率は、1・6倍と新聞発表があった。受かる子もいれば、落ちる子もいる。例年になく、ちょっと複雑な気持ちになる。
「幡」の会員で、「辻田克巳俳句研究会」でご一緒している平石和美さんから第一句集『桜炭』を送っていただく。序文を辻田先生が書いておられる。「忘れもしない、今から五年ばかり前の大阪句会である、−雨脚の北斎版画田を打てり という句に出会って、一瞬胸を突かれる思いをしたのは。景として、雨中の田打にも凡ならざる把握を感じうるが、何にも増してこれを北斎の版画に擬した点を準うべくもなしと思ったからだ。」と、本当の意味での平石俳句との鮮烈な出会いを語っておられた。
今日、読了した。まだ、お礼状は出していない。礼儀としては、すぐに出すべきなのだろうが、どうにもきちんと読み終わってからでないと出せないような気持ちがしているので、今回もそうすることにした。こちらの勝手な思いである。面白いな、と思った作を数句紹介しておく。「水無月の神馬浅葱の馬衣」「手のひらで熨す新涼の紙の皺」「発端は羽蟻みつけしことであり」「どやどやの衆へ鋼の水を打つ」「老いて良き声の父なり福は内」。随分たくさん面白い句があったのだけれど、揚げれば切りがないので。
邑書林から『セレクション俳人 西村和子集』が届く。少しだけ読んでみる。繊細で、優美な作風である、というのが第一印象であった。感覚的に似たところがあるような気がする。こちらの勝手な印象なのだが・・・。

【3月8日】
昨日は、「運河城陽句会」の日。初めて、吟行に参加する。場所は、青谷梅林。私鉄・JRと乗り継いで山城青谷駅へ。「運河」の方達と合流する。茨木先生は、すでに来ておられた。周りの景色を楽しみ、句を練りながら青谷梅林へ。30分ほどで到着。入り口の説明版によると、日本で9番目(微妙な数番であるが)に有名な梅林だそうだ。ちょうど、「ばいりん祭」が行われていて、ずいぶん沢山の人が来ていた。露店が出ていたり、餅つきなどのイベントもあって、なかなか賑やかであった。梅はまだ七分咲きくらいだが、白梅、紅梅の古木が入り交じって、淡淡として美しかった。梅林を巡りつつ、1時間ほど句を作る。ついでに、無添加の梅干しもお土産に購入。
路線バスで城陽まで引き返す。1時からの句会なので、「運河」の方達と一時別れて、7年ぶりに城陽市役所裏の「U」という小さな洋食屋へ昼食を食べに行く。城陽に勤めていた頃は、夕食に行ったりしていたのだが、転勤して後は一度も行ったことがなかった(というか、二、三度立ち寄ってみたことはあるのだが、いつも休業であった)のだ。日曜日ということで、今日もダメかな、とあまり期待をしないで店まで行ってみると、「営業中」の札が架かっている。良かったと思いつつ中へ入ると、「いつも」のようにおばさんが一番奥の席に腰をかけて新聞を読んでいる。懐かしい景色であった。来ればいつもそうであったように、A定食を注文する。ハンバーグとトンカツと魚のフライに野菜がしっかり付いて、なんと700円。安い上に、とても美味しいのだ。今の僕には、ちょっと「重い」食事なのだが、全部いただく(トンカツを食べたのは、2年ぶりくらいだろうか・・・)。
句会は、「U」から歩いて10分くらいの所にある鴻の巣会館で行われる。第一句会は、吟行句中心で10句。初めて吟行句のみを投句する。結果は、茨木先生に1句、数名の会員の方の選にも入る。毎回、全没に近い状態なので、ちょっと嬉しい。第二句会は、40分ほどの間に文字を詠み込む形での「題詠」10句。苦しい。辛うじて9句を投句。茨木先生に2句(気になった句で、さらに1句)、編集同人の方の特選を1句いただく。茨木先生の特選句を私も選句していたのが収穫であった。
ネットで良く見に行くあるHPで、茨木先生の句を皆で読み込んでいこうという試みを掲示板上でやっていたのを、印刷してお渡しする。特にコメントはなかったが、しっかり読んでおられ、興味を持たれたようだ。「運河」の会員の方で、インターネットをやっている人が、そのHPを見に行って掲示板のその後の経過を茨木先生に知らせることになるのでは、と思う。

【3月6日】
今日は、「辻田克巳俳句研究会」の日。先ほど、レポートをまとめ終わった。今回は、レポートというよりは、話題提供として、いくつかの項目で作品を分類して、ちょっとコメントをつけた程度の物。しかし、時間はかかった。辻田俳句の幅と奥行きの一端を味わう事が出来たと思う。全440句。都合、10回以上読み直したろうか。読むたびに、レポートの素案に手を入れ直して、一応まとめ上げたが、最後にと思ってもう一度読み直したら、また色々不十分な所が見つかって、困ってしまう。結局、時間オーバーということで切り上げる。
金曜日。府立高校の入試の日。夕方、一度自宅に帰ってからミューズのレッスンに行く。パート練習が8時過ぎまで、その後全体練習があるのだが、レポートの追い上げのため、それは休んで早めに帰る。帰宅後は、遅い夕食の後、作業。月・火と体調不良のため、準備が出来なかったのが響いている。12時前で、疲れて終了。その後、サッカーを見てしまい、寝に就いたのが1時前となる。
寝るまで読んでいたのが、小泉武夫著『くさいはうまい』。日本と世界の様々な発酵食品を、筆者の体験を交えて紹介・説明するもの。筆者のそれこそ「飽くなき好奇心」に感嘆しつつ、読む。愉快で、蘊蓄に富んだ一冊。大変面白い。返却締め切りが8日なので、読んでしまわねば、と思う。
蕪村の研究者の藤田真一氏の『蕪村』も合わせ読んでいる。ちなみに「あとがき」の一節を紹介しておく。「月例の研究会の帰途だった。上野洋三氏が、フトという感じで、『蕪村で岩波新書を書いてみる気はないか』と語りかけられた。あまりに思いがけなくて、即答できないでいると、『このあいだから書いているあれを全部そろえてくれたら、編集部に送っておくから』と、さらにつっこんだ話をされる。『参』という俳誌に、すこし前から、『夜半亭日録』という戯作まがいの短章を連載していた。それをさして言っておられるのだ。」。一書の成る契機に岩城先生の『参』が関わっていたのか、と思った次第。

【3月3日】
今日は、雛祭りの日。今日で、今年の授業が終わる。締めくくりは、放課後の補習。雛の日らしく?女生徒3人を相手に補習授業。明日からは、学年末考査が始まる。
日曜日は「醍醐会」。この日話された内容は、繰り返し繰り返し考えていくことになるだろうと思う。
月曜日、発熱のため一日休む。思い返せば、土曜日の夜からどこか調子がおかしかった。薬が良く効き、ひたすら眠る。初めて、卒業式に休むことになってしまった。
火曜日、熱が残るが出勤。授業を2時間し終えて、午後、早退する。薬を飲み、ひたすら眠る。夜、熱が下がり、草田男の句集を読む。