日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【6月27日】
暑いということで、最近は休みになっても外出することがほとんど無い。外に出るのは、早朝のジョギングと近所に買い物に行くときぐらい。後は、エアコンの効いた部屋でごろごろしている、という有様。
もったいないな、とも思うけれど、さすがに鴨川散歩はちょっと厳しい。紫外線のことも気になるし。本を読んだり、テレビを見たり、句を整理したり、昼寝をしたり、という生活。
一昨年、国語表現を教えていた子から、掲示板に書き込みがあった。現在、カナダに留学中とのこと。ワーキングホリデーで1年間。カルガリーからの書き込み。自分で考え、自分の進む道を模索するその姿勢は、共感を覚える。そう言えば、国語表現でもなかなか個性的な作品を書いていたのを思い出す。一日部屋ごろごろ人間とは、対照的な姿だ。
梅雨の中休みなのか、今日は一日良い天気だった。夕方になって、蒸し暑いなりに吹く風は少し涼しくなったような気がする。昨日は、辛くて美味しいカレー(自分で言うのもなんだが・・・)を作った。2〜3食で食べきれる分量。今日は、何を作ろうか、と思う。やっぱり魚かな、などと考えたりする。もう少ししたら、買い物に行かなければ。

【6月26日】
「俳句王国」を見たら、『醍醐会』の岩井英雅さんが出演者の一人として、参加されている。ちょっと緊張しているかな、などと思いながら見る。英雅氏らしい選評と作品である。作品は、2句ともに披講前に本人と分かってしまった。
朝、6時過ぎに走る。明るくなるのが早いせいか、だんだん走る時間も早くなってきているように思う。1時間ほど走る。小さな雨滴が、時折走る顔に当たる。7時過ぎに走り終える。マンション前の公園で、軽く調整の柔軟体操をするが、汗がぼとぼと滴り落ちる。湿度が高い。帰宅後、水のシャワーを浴びる。カーテンを開けて、風景が見えるようにして朝食を食べる。ドライをかけて、洗濯物を部屋干しにしているので、居間が窮屈になっている。やがて、雨が降り出す。
昨夜は、ミューズのレッスン。クラブを終えての参加なので、また遅刻。前半はステージの隅、アルトパートの後ろの方で、遠慮しつつ小声で歌う。本番が間近というのに、参加者がちょっと少ないような気がする。先週の指揮者レッスンの時の参加率が、ほぼ100%であったことの反動であろうか・・・・? 
ほぼ暗譜は出来ているのだが、一部曖昧な部分があるので、92年のミューズの演奏会のテープを聴く。改めて聴いて、悪くないな、と思う。井上道義指揮の演奏だった。女性の声に艶があった。今回の女声は、ちょっと可愛らしいかな、という感じ。男声の方は、今回の方が良いかもしれない、などと思う。固定メンバーではないので、その都度様々に質が変わるのだ。それが善し悪し、ということではあるが。

【6月23日】
なかなか、書き込みが出来ない。
書く事が無いわけではないのだが、つい滞りがちになってしまう。うかうかしていると、何日間も日が過ぎていたりする有様だ。
時間の進み行きが速い、と思う。それだけ、ばたばたと余裕の無い生活を送っている、ということであろうか。
読書も、今はばらばら状態。中上健次(これは、土・日に集中して読んだけれど、まだ読み終わってはいない。読みづらいと言うのではなく、読む事に力が必要、という一冊なのだ。これは、読書冥利に尽きると思う。今、小説は中上健次しか、読みたくないという気持ちである)を読み、子規の俳句と短歌をごっちゃに読み、山下一海の『見つけぬ花』をまだ読んでおり、篠田浩一郎の『修羅と鎮魂』を読み、鈴木輝二の『ユダヤ・エリート』を読み、しかもいずれもちょっとずつちょっとずつ読んでいる、というなんとも消化に悪そうな読み方になっているのだ。その間に、句を作ろうとするが、全く出来ないという状態でもある。生活が、散漫になっているのだろうか・・・。

【6月19日】
昨夜は、本番指揮者の西本氏のレッスン。素人目にも、緻密な作りをされる指揮者だな、と感じる。会場の使用制限時間ぎりぎりまでの練習。終了後、皆追い出されるようにして会場を出る。2時間あまりのレッスン。今回、初めて充実感を感じる練習となった。
チケットを1枚売っていただく。アルトパートの女性から。母と一緒に甥も合唱を聴きに来てくれることになった。
土曜日。5時過ぎに起床。昨夜入れた珈琲を飲み、新聞を読む。考えてみると、昨夜は結局夕食を食べていなかった。練習を終えて帰ったのが遅かったし、食欲があまりなかったので、牛乳を1杯飲んで、夕食代わりとしたのだった。そのせいか、お腹がすいてはいたのだが、まず走りたいと思い、我慢する。6時過ぎジョギング。7時前まで。朝から、なんとなく蒸し暑い。
岩城先生から電話あり。こちらからも、電話を入れる。清水さんに、『鼎座』の件でメールを入れる。きっとなかなか見る暇もないだろうな、とも思う。NTTがADSLの件で、改めて調査に来る。結局、配管がないため光ケーブルが通せない。通すとしたら壁に何カ所か穴を開けねばならない、という。お断りして、速やかに帰って頂く。元々いい加減な調査から始まったことで、これでこの件は完全に終了する。マンション自治会に構造上ADSL工事は無理、ときちんと伝えてくれるように依頼する。

【6月17日】
我ながら呆れかえるほど、毎日良く寝ている。9時くらいにはベッドに入り、日によってはそのまますぐ寝入ってしまう。夜中に何度も目を覚ますことは相変わらずだが、結局5時過ぎくらいまでは、寝ている。時には、用事の電話で目を覚ますこともある。「句会すき」関係の連絡。電話の後は、岩城先生にメールを打っておいてから、また眠る。
おかげで、実に様々な種類の夢を見る。アクション風のものから、ホラー、SF、時には私小説風のものまで。遠藤周作が登場したときは、目を覚ましてから、ひどく感動したものだ。しばらく見なかった、海荒れのために家がきれいに流されてしまうもの(こんな夢を見るのは、少年時代の体験が、根強い恐怖感となって残っているせいなのだろう)や、ひどく寂しい夢なども見た。その夢の場面は、今でもかなりはっきりと憶えている。一匹の犬が現れる夢だった。
よく寝るせい、という訳でもあるまいが、原因不明の肩こりにも襲われている。左肩が、特に痛い。随分昔に、恐らく四十肩(実年齢は、もっと若かったのだが)といわれるものになったことがあったが、あの時はさすがに肩の痛みで目が覚め、しばらくは痛くて眠れないという状態だったが、幸い今回はそれほどの痛みでないのが、ありがたい。腕の置き方で、痛みが随分軽減されるので、寝る分には全く支障はない。それにしても、突然に痛み始めたこの肩こり、まさか五十肩ではあるまい、と思うのだが。


【6月13日】
昨日は、一日京都市体育会。男子は1回戦敗退。女子は2回戦、ベスト16位。3年生は、今回が引退試合となる。1・2年生にとっては、秋の個人戦へ向けての良い刺激になった大会ではなかったかと思う。専任の指導教員もおらず、月木は練習が出来ず、3面のコートを使い回しながらの練習で、良く頑張ってきたと思う。
帰りは、知り合いの先生に途中まで送ってもらう。女子が1回戦で勝った学校の顧問の先生である。彼は、バドミントン専任。試合は、今回はこちらが勝ったけれど、試合運びや細かいプレーの部分では、力量の差以上にこちらが苦戦した、という印象がある。
一日体育館にいて、試合を見て、何をしたというわけでもないのに、終わってみるとぐったり疲れている。ビールを飲み、9時過ぎには就寝。
時々目を覚ましながらも、6時前まで寝る。起床後、まずは洗濯。6時半過ぎにジョギングへ出る。良い天気だ。北山も愛宕山も西山も、くっきりと見える。涼しい中を40分ほど走る。

【6月12日】
現在、朝の7時前。コーヒーを飲みつつ、書き込む。
『句会すき』の案内状は、昨日のうちに発送を済ませる。7月3日が、第1回目の句会となる。当季雑詠5句投句ということで岩城先生の了解を得たが、7句投句と提案すれば良かったかな、などと思ったりする。
昨夜、ミューズの練習へ行く。8時前に会場に着くが、いつもとは違い狭い会場で、奥へ入れないので、入り口辺りで小声で合唱に合わせて歌う。周りに、同じように遅れてきた別パートの人がいて、同じように小声で歌っている。練習後、事務局の人と、チケット問題で話し合う。理事会の見解も聴く。改めて、こちらの考えも述べる。
今日は、一日クラブ引率。京都市体育館が会場になるのは、久しぶりではないか、と思う。

【6月10日】
山下一海の『見付けぬ花』を読んでいる。これは、山下氏が、俳誌『蘭』に9年間に渡って連載された、本人曰く、『裏・奥の細道』だそうだ。芭蕉の『奥の細道』をたどりつつ、『奥の細道』には載せられなかった芭蕉の句について、曾良の『俳諧書留』をもとに紹介しつつ、味わい深い(ありふれた言い方だけれど、実際素敵に面白いのだ)エッセイをまとめておられる。最近、寝ることだけが楽しみみたいな生活の中で、極端に減った読書の時間を満たしているのが、この一冊なのだ。
杉浦さんから『quatre』NO19を送って頂く。巻末の一文の一節を紹介させて頂く。「新しいこと。わたしたちが『quatre』を創刊したのもちょうどこの季節でした。その時のテーマはそれにふさわしく『はじまり』。その一号を手に取ると、不安とそれに勝る期待を、昨日のことのように思い出すことができます。もう、六年も前のことです。」これは、会員の一人上森敦代さんの言葉。6年間の歩みを、賞賛したいと思う。
『句会すき』。岩城先生は、準備と、掃除のために12日に丹後へ行かれる。こちらは、急いで案内状を発送しなければならない。「少人数でもとにかくやりましょう」という、岩城先生のメールの言葉は、大きな励みだ。
「俳人協会」から、手紙が届く。協会員でもないのに、と思いつつ開封すると、『第23回関西夏季俳句指導講座』の案内だった。8月2日・3日の両日。石動さんの授業実践報告や、井上さんの講座「俳句実作指導の試み」が予定されてある。是非行きたい、と思う。仕事と重なる部分があるけれど、なんとかスケジュールを調整して参加したいものだ。


【6月6日】
今日は、『運河城陽句会』。午前中、宇治川周辺を吟行。繋留された鵜舟や小屋に飼われた海鵜などを見る。幸い雨は降らなかったが、酷く蒸し暑い日だった。午後は、文化パルク城陽で句会。第一句会は、吟行句10句。第二句会は、席題10句以内。結果は、今一つであった。現在の僕のレベルの写生句では、運河の句の中ではすっかり埋もれてしまうことになるのだろう。
それにしても、ほぼ3ヶ月ぶりの句会ではなかったか、と思う。楽しかったけれど、さすがに疲れた。1、2句気に入った句が出来たことが、収穫であったか。
昨日、午後は「克巳俳句研究会」が夕方まで。西東三鬼と辻田俳句の接点を句集『オペ記』を通じて探る、というもの。レポート担当の『幡』会員の山牛さんが、膨大な資料を準備して下さった。面白い話合いとなる。次回もう1回、『オペ記』をすることになる。全く、昨日、今日と俳句浸りという状態であった。さらに、帰宅後、竹中さんから電話があり。新たな勉強会について、来月早々にメンバーの人たちと打ち合わせることになる。
丹後の水野さんからも、「句会すき」について、電話あり。丹後の住所について、「綴喜郡」ではなく、「京丹後市」だとの指摘がある。そうであった。さらに、句会の運営について、提案がなされる。第1回の句会の席で、内容を詰めることにする。
本当に、色々な事が動き始めたように思う。

【6月4日】
7時前に仕事を終え、京都市内へ。ミューズのレッスン。会場に着くと、出席簿に「受付まで」と小さくメモが書かれてあった。受付へ回ると、事務局の一人が話があるという。「チケットを買え」というのが、話の中身だった。団員の中で、1枚もチケットを売ってない者に対して、全員で作る合唱団と言う理念に基づいて、せめて1枚はチケットを売ろうということなのだ。僕は、毎回、十数枚のチケットを売ってきたので(恐らく今までに百数十万円分のチケットを売りさばいてきたのだ)、ちょっと扱いは違うらしい。
それにしても、チケットを購入したくても、1枚しか買えないという制限を受けつつ、今度はその1枚を買えという。事務局の一人が話し合いに来る時、受付に座っていた他の事務局員が、「頑張って」と小声で励ましているのを聞いた。彼女は、私と話す事務局員に一体何を「頑張れ」と言ったのだろうか、と思う。1枚もチケットを購入しない非協力的な会員に対して、きちんと話をつけろ、ということなのか。文句言いの厄介な会員の一人と思われているのだろうか、と思う。1枚、購入する。母が聴きたいと言っていたからだ。これで、彼女は十分「頑張った」ことになるのだろう。それにしても、自分たちのやっていることが、明らかに矛盾していることに気が付いているのだろうか。
歌う事の楽しみだけを今回の目標にして、レッスンに参加もしているのに、またチケット絡みでこちらの神経を逆撫でするようなことをされると、その気力さえ萎えてしまう。せめて、今回のことについて、きちんと総括をして欲しい、と話す。向こうも、ミューズとしての見解を示す、と約束をしてくれた。最低限の信頼関係だけは、残しておきたいと思う。
少々、疲れてしまう。


【6月3日】
色々な事が、動き始めた。
『燕巣』への脱会届けを郵送した。これで、所属結社は、『参』一つとなる。原点に戻った訳だ。
句会を一つ、立ち上げる準備をしている。岩城先生を選者として、丹後に。「句会すき」と命名。「すき」は、岩城先生の丹後のお宅のある土地の名前「周枳」に因むものだ。
小さな同人誌を出すつもり。『鼎座』という誌名になる予定だ。岩城先生・清水さん・鈴木の三人だけの雑誌。
いずれも緒に就いた、という段階で、この先、どのように具体化していくかが問題である。