日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.2「日々録」
05.3「日々録」
05.4「日々録」
05.5「日々録」
05.6「日々録」
【7月31日】
4時過ぎに目を覚まして、眠れないままに、ベランダに出て、空模様など眺める。台風の影響で、風が強い。雨は降っていない。雲の重なりの向こうに、朝の気配が伺われる。停まっては走り出す新聞配達のオートバイのエンジン音が下から聞こえる。
ベットに戻り、寝ころんだまま植村直己の対談集を読む。5時前に灯りを消し、5時半過ぎに再び目を覚まして、起床。6時過ぎには走ろうかと思い、居間から外の様子を伺うが、雨が降ったり止んだりの繰り返しで、結局、走り出したのは6時半を過ぎてから。風が強く、時に小雨も混じるが、その分涼しくて、走り易い。40分ほど走り、帰宅。シャワー。走る前にいれておいたコーヒーを飲む。
昨夜作ったゴーヤチャンプルと納豆、梅干しの朝食。食後、一休みして、対談集の続きを読む。植村氏が亡くなったのは、20年前。対談集に登場する人たちの多くも、すでに物故している。ある人は天寿を全うされ、別の人は病死(その中には、遠藤周作も含まれるだろう)、またある人は自死、山での遭難死という人もいる。時間の経過、というものを思う。
昼前になって、本格的に雨が降り出したようだ。
【7月29日】
昨日で、前期の夏期講習が終了。毎日4時間ほど準備の時間をかけて、90分の補習を行う。午後からの補習なので、主に午前中に準備をして、外部会場なので、バスで近くまで移動、炎天下を15分ほど歩いて、会場へ。当番の日は、講義終了後、そのまま控え室で翌日の準備。そうでなければ、また炎天下をバス停まで戻り、学校へ。
クラブのちょっとしたごたごたの処理や、8月に入ってすぐの学習合宿の準備やらで、結構毎日がばたばたと過ぎる。定時には退勤。帰宅後は、日没を挟んでジョギングをする余裕がある。
俳人協会から、大判の封筒で会員証等一式が届く。俳句手帳なども入っている。定款を読み、同封された機関新聞の『俳句文学館』数号に目を通す。さて、これからどのように活動してゆくのか、などと思う。
冬のマッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己の対談集を読む。文藝春秋社。植村氏自身と言うより、植村氏と対談をする人たちの個性が、対談の進行の中で浮かび上がってくるようで、大変面白い。
【7月29日】
昨日で、前期の夏期講習が終了。毎日4時間ほど準備の時間をかけて、90分の補習を行う。午後からの補習なので、主に午前中に準備をして、外部会場なので、バスで近くまで移動、炎天下を15分ほど歩いて、会場へ。当番の日は、講義終了後、そのまま控え室で翌日の準備。そうでなければ、また炎天下をバス停まで戻り、学校へ。
クラブのちょっとしたごたごたの処理や、8月に入ってすぐの学習合宿の準備やらで、結構毎日がばたばたと過ぎる。定時には退勤。帰宅後は、日没を挟んでジョギングをする余裕がある。
俳人協会から、大判の封筒で会員証等一式が届く。俳句手帳なども入っている。定款を読み、同封された機関新聞の『俳句文学館』数号に目を通す。さて、これからどのように活動してゆくのか、などと思う。
冬のマッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己の対談集を読む。文藝春秋社。植村氏自身と言うより、植村氏と対談をする人たちの個性が、対談の進行の中で浮かび上がってくるようで、大変面白い。
【7月24日】
5時過ぎには目を覚ます。このペースは、平日でも土日でも変わらないようだ。6時過ぎに洗濯機のスイッチを入れ、6時半にはジョギングに出る。なんとも変わり映えのしない休日の始まりである。ジョギングは、ややきつ目の山の手コース。林の中を走り抜けるコースで、蝉の声がうるさいほどだ。Tシャツから滴るほどの汗をかいて、帰宅。水風呂に入る。気持ちが良い。
午前中は、ぶらぶらと過ごし、午後は、途中30分くらい昼寝しながら、中村稔編『正岡子規』の短歌の部分を読み通す。子規の短歌は、大変面白い。万葉調、実朝調、蕪村の短歌版のような歌もあるけれど、全体としては子規という一つの個性が生き生きとしていて、一気に読み切ってしまう。
夕方、散歩に出る。風が涼しい。疎水の辺を歩いて、ついでに夕食の買い物も済ませてしまう。美味しそうだったので、四分割の西瓜も買う。大栄町の西瓜である。しっかり冷やしておいて、夜食べようと思う。
午前中、良く見に行く俳句関係のHPの掲示板で、茨木和生氏の「目白捕」の句の作品鑑賞をしていたが、解釈におかしな部分があったので、疑問点を書き込んでおく。その返事として掲示板管理者の懇切丁寧な書き込みがしてあって、感心する。まだちょっと不十分な所があるようにおもうけれど、そのままにしておく。
【7月23日】
読み始めたら面白くてやめられなくなった一冊。金森敦子著『伊勢詣と江戸の旅』。サブタイトルが「道中日記に見る旅の値段」。お伊勢参りの旅を軸に、江戸時代後半の旅に関わる様々な事柄を、「道中日記」を元に費用という点で調査・紹介したもの。旅の細部の紹介が面白く、どんどん読んでしまう。読みながら、そう言えばこの人は『芭蕉「奥の細道」の旅』を書いた人だったのか、と気付いたりもしたものだ。
昨日は、2年ぶりくらいに歯医者に行く。金属を被せた部分の中が悪くなっているのか、冷たいものを飲んだときなど、ちょっと沁みたりしていたので、一度行かなければ、と思いつつ、数ヶ月が経過したのだった。通勤途中にある最近出来た医院で、癒し系の内装のなかなか洒落た?歯医者であった。X線で撮った写真が、直ぐにPCの画面に映しだされ、小さなカメラで撮られた口内のカラー写真が、その場でパソコンに取り込まれ、見ることが出来るようになっている。生々しい写真を見ながら、詳しい説明を受け、麻酔をかけられてほぼ無痛状態で歯を削られる。感心しながら治療を受ける。とりあえずセメントを詰めて、本日の治療は終わり。麻酔がとれてから、痛むかもしれないと「とんぷく」を3錠貰って帰る。麻酔は4時間くらい覚めないとのことで、帰宅後、水を飲んだりすると、麻酔をかけた周辺の感覚が戻っていなくて、唇の一部分がぽこっと抉られてなくなったような奇妙な感覚がコップに残ったりして、なかなか面白かった。
本日は、午後年休をとっていつもの病院へ。なぜか、大混雑状態であった。猛暑の影響であろうか。遅い昼食をいつものラーメン屋で取り、所用をこなすため京都市内へ移動。電車の中で涼む。終日、快晴。
【7月21日】
連休最終日の事を書いておこうと思う。
19日。午前中から午後にかけて、やっと中上健次の『地の果て至上の時』を読了する。途中、中断があったりしたので、随分時間がかかったが、中断期間を経ても、読み始めるとちゃんと世界が繋がっているのが不思議なほどだった。ともかく、難渋しつつも読み終えた(どこまで内容が読み取れたかはおぼつかないけれども)満足感は大変大きい。話は、重要な登場人物二人の死(一人は殺害され、一人は自死する)で終わる。話の発端は、弟を殺害した主人公秋幸の出所から始まっている。読み終えてみて、重要なモチーフとしての死の翳の谷の物語、という印象が深い。
午後、久しぶりに短編小説を書く。『鼎座』掲載用の作品。俳句とは違ったものを載せてみよう、との考えがあったので。出来れば、俳句作品以外に、詩や短歌等他のジャンルの作品も試みてみようか、などと考えてみる。
夜、正岡子規の俳句と短歌を読む。明治27〜30年時期のもの。潮出版の『近代の詩人一』の中の中村稔編『正岡子規』。その時期の短歌と俳句の両方が眺められるのが便利である。
【7月18日】
9時過ぎに就寝。6時過ぎに起床。9時間近く寝る。こんなことは久しぶりだ。6時過ぎから洗濯。ベットに腰掛けて新聞を読む。暑くなってきているけれど、7時過ぎに軽くジョギング。すぐに大汗をかく。帰宅後、シャワー。その後、朝食。ざる蕎麦。デザートに西瓜一切れ。昨夜と同じである。蕎麦は食べやすくて良い。西瓜は、1番好きな果物。昔は、小振りのものなら、良く冷やした西瓜を一度に半分くらい食べていたこともあった。
俳句について、文芸としての普遍性と、ジャンルとしての個別性のようなものを改めて考えてみる必要を感じる。普遍性の部分には、創作動機というものが含まれているだろうし、個別性については、五七五形式や「季語」「切れ」等の問題が含まれるだろう。両者は、作家の創作動機が何故「俳句」という形式をとるのか、という形で結びつくだろうが。創作動機の部分には、各作家の存在基盤とそこからもたらされる問題意識、その問題意識に形を与え、表現形式の選択へと導く感覚・美意識などが関わることだろう。
個別性の部分について、今は措くとして、存在基盤、問題意識、感覚、美意識等について個々に思考を深めていく必要があるように思う。
それにしても、中岡毅雄氏の「句作日記」の最後の部分に「神秘体験」とでもいうような不思議な経験が語られてあるが、それは自律神経異常による病的な体験というより、ある意味で剥き出しの感覚が触れ得た自己の存在基盤の部分ではなかろうか、と思う。中岡氏の著書『高浜虚子論』の中で触れられた虚子の「旗のごとなびく冬日をふと見たり」についての虚子の特殊な体験を、「自然の『デモーニッシュな神性の顕現』に対する虚子の『リアルな現実体験』」と語る筆者中岡氏の姿を、思い出したりもしたものだ。
【7月17日】
今日は、祇園祭山鉾巡行の日。三連休の初日の上、良い天気で、きっとすごい人出であろう、と思いつつ、終日自宅に籠もって、寝たり起きたりの休養状態。ともかく慌ただしい1週間であった。
『俳句研究』8月号を読む。中岡毅雄氏の「句作日記」を読み、胸の痛む思いがする。入院をしておられた、という事は何かで読んで知っていたのだが、その後「鬱病」にともなう自律神経失調症に苦しんでおられるとは、知らなかった。日記の中に引用された穂村弘氏の短歌「サバンナの象のうんこよきいてくれだるいせつないこわいさみしい」が、現在の中岡氏の真情を語っているようで、辛い。と同時に、そのように詩歌が中岡氏を内部から支えるものとなっていることに、感動もする。
「俳誌展望」の中で、山西雅子氏が『銀化』に掲載された彌榮浩樹氏の「月評」の一節を紹介されていた。「(多読、多作)で高めた経験値を(略)自分の作品の創作源として活用させるためにも(略)理論が必要となる。そうでないと、多読も多作も、様々な作風の句を作ることができるという程度の幅の広さ、器用貧乏の源にしかなるまい」という一節は、あるいは彌榮さん自身の自戒を含む言葉であろうが、私自身の現状を鋭く衝く言葉としても、とても印象に残った。先日のある集まりの中で、彌榮さんが語っていた、メルロ=ポンティの語る内容を季語や俳句の問題として置き直してみると、良く内容が理解されるという言葉の意味の一端を知ることも出来て、大変参考になった。
夕方になって、ちょっと元気が出てきたので、軽く走る。ざる蕎麦の夕食。デザートに今年初の西瓜を食べる。水ものが美味しい。
【7月11日】
土曜日、夜9時。ベルディー「レクイエム」終了。最近では珍しい大ミスを含めて、細かい部分では問題もあったらしいが、全体としては上出来、というのが、合唱指導の先生の講評。ゲネプロの時の出来が、こちらでも分かるほどおぼつかなかったので、本番は心配していたのだ。1時間半近い演奏の間、観客の緊張が途切れていないようだ、という感触を受けながら歌ってはいたのだけれど、歌い終えて何より、という思いだ。
西本智美氏は、華のある指揮者であると、改めて思う。指揮ぶりはどうなのか、専門的な事は全くわからないけれど、素人の歌う側として「歌いやすいか、歌いにくいか」という点で判断すれば、本番では「歌いやすい」という事になるだろう。練習とゲネの時のテンポの違いには、ちょっととまどいがあったけれども。しかし、それは歌う側が指揮者に合わせるべき、ということらしい。要は、本番においていかに有効に全体の集中力を高めるかということであり、指揮者はいかに演奏者の意識を自ずと自己に集中させるか、という事がポイントになるのでは、などと思う。その集中させる力が、西本氏には備わっているような気がする。
今、評判になっているらしい『上司は思いつきでものを言う』を読んでみる。何となく、だらだらと愚痴を聞いているような所が、面白い。皆が内心思っていることを、こんな風に文章化したのが良かったのだろうか。
先ほど、演奏を聴きに来てくれていた母と甥っ子が帰った。甥っ子は、本日午後英検の二次試験があり、駅から直で試験会場へ向かうらしい。慌ただしいことだ。
【7月6日】
所用があり、放課後、年休を取って退勤。用事を済ませて、帰宅。夕方まだ日があるうちに走る。暑い。走る距離はいつもと同じなのに、普段の1、5倍くらい、時間がかかっているような気分で走る。走り終え、調整の運動をしていると、汗が乾いたコンクリートの上にしたたり落ちる。
土曜日は、第1回目の「句会すき」。岩城先生の丹後のお宅にて。参加者は11名で、盛会。なつかしい方達と、数ヶ月ぶりにお会いする。句会が終わり、水野さんの心遣いで、新鮮なあごの刺身を肴に、缶ビールを頂く。岩城先生は、丹後泊。こちらは、夕方の丹後ディスカバリーで帰京。
日曜日は、運河「城陽句会」。吟行から参加する。白山神社から紅葉谷を下る。宇治の背山にある谷であるにも関わらず、深山幽谷の雰囲気のある良い谷である。句会は、いつもの文化パルク城陽で。第一句会、第二句会。計20句。私の句は、ほとんど選ばれなかったけれど、1句だけ茨木先生の特選に入る。
二日間の俳句三昧。さすがに、ちょっと疲れる。
【7月2日】
仕事が忙しく、やむなくミューズのレッスンは休む。日曜日の練習にも参加出来ないので、後は、来週金曜日のオケ合わせのみで、本番を迎えることになる。
仕事を終えて外に出ると、待っていたかのように雨が降り出す。しばらくは小雨だったので、傘も出さないで歩いていたが、次第に雨脚が強くなり、とうとう地面を打ち付けるくらいの降りになったので、折りたたみの傘を出し、さす。面倒だ、と思いつつ、担ぐようにさして帰る。
電車の中では、正岡子規の初期の句を読む。上手くないな、と思う。思いながら、読んでいる。京都市内に入ると、もう雨は降っていない。夕立のようなものだったのだろうか。朝出かける時、夜干しした洗濯物をそのままにして来たので、雨で濡れていることだろう、と思っていたので安心する。
明日は、第1回目の「句会すき」。9時過ぎの「橋立1号」で丹後へ。丹後大宮下車で、徒歩15分。岩城先生の丹後のお宅がある、とのことだ。今週は、特に忙しくて、明日の句会の為の句は、全く出来ていない。明日の電車の中で、句作することになるのだろう。短冊や、清記用紙・選句用紙の準備をしなければならない。