日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.3「日々録」
05.4「日々録」
05.5「日々録」
05.6「日々録」
05.7「日々録」
【8月31日】
日曜日の『醍醐会』、「私の好きな芭蕉の1句」。思っていた以上に面白い話し合いとなる。例えば、「塚も動け」の句と謡曲の構造的類似とか、「山路来て」の句の新しさと芭蕉の句自体からも逸脱した要素を持つものではないか、との提起とか。ついでに、議論の進展の中で私も思わず、学生時代の不思議な体験を披瀝するはめになってしまったことなども。ともかく、芭蕉は繰り返し語るに足る俳人であると、実感したものだ。
二次会は、いつもの「樽」にて。その後、三次会の「米」さんに行く人達と別れて、清水さんとタクシーに相乗り。清水さんは体調が今ひとつであるとのこと。「医者の不養生」とは言い古された言葉ではあるけれど、ともかく健康には何よりも注意を払ってほしいと思う。
月曜日、帰宅後、邑書林より送って来た『正木ゆう子集』を読む。第1句集『水晶体』は、全体としては良く言えば未完成の面白さに満ちた、悪く言えばちょっとぎこちない習作めいたところのある句集という印象。『醍醐会』の余波なのか、思いつくままに印象や感想を書きとめながら読んでいく。第2句集は『悠 HARUKA』。面白い。世界が開けたという感じだ。
【8月27日】
ある掲示板を見ていたら、今年度の「角川俳句賞」の受賞者の速報が書き込まれてあった。仲寒蝉という人で、島田牙城氏の『里』俳句会のメンバーの方らしい。『俳句研究賞』の方は、どうなっているのだろうか。
金森敦子氏の『芭蕉はどんな旅をしたのか』読み続けている。二段組みの結構大部の著書で、やっと半ばあたり。芭蕉の旅で言えば、月山・湯殿山の登拝が終わった辺り。明後日は『醍醐会』で、今回は「私の好きな芭蕉の1句」というテーマでのパネルディスカッション。ちなみにパネラーの選んだ1句を紹介すると、丸山景子氏「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」、関戸靖子氏「塚も動け我が泣く声は秋の風」、角光雄氏「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉」、石動敬子氏「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」、清水貴久彦氏「山路来て何やらゆかし菫草」、南うみを氏「行く春を近江の人と惜しみける」。いずれも、話題が広がりそうな句を選んでおられるな、と思う。楽しみである。
ともかく、明日は一日芭蕉の発句を一通り読み直しておかなければ。
【8月20日】
『セレクション俳人 仙田洋子集』を読み続ける。第1句集『橋のあなたに』、とても面白い。特に「聞かれざる 1986年」の章の作品群は、ずいぶんと感心した。こういう世界で勝負しても、完全に作者に負けるであろう、と憮然たる思いにすらなったものだ。
ところが、第2句集『雲は王冠』を読み始めて、えっと思ってしまう。同じ作者の句集とは思えないほどに、作品の質が全体に落ちているのだ。第2句集に入って、「もの+季語」という構造の句がしきりに目について、ちょっと「もの」とそれに関わる情報に寄りかかり過ぎていて、その分詩的情感が薄いな、と思っていたのだが、句集半ばのある人物への追悼の句「山笑ふ灰となられてしまひけり」に行き会って、その陳腐さに耐えられず読むのを止めてしまった。その後、気を取り直して『雲は王冠以後』の作品を読んでみたが、例えば同じ「山笑ふ」の季語を含む「山笑ふ胎動ときにへその裏」の佳句と比べても、追悼の1句の(心情は措き)物足りなさは歴然としていると思う。
午前中、出勤。昼前から年休を取って、いつもの病院へ。なんやかやで、検査を受け、薬を受け取るまでに2時間ほどかかる。いつになく、通院の人が多い。特に、お年寄りの姿が目立つ。そのお年寄りに渡される一山分ほどの薬を眺めながら、大変だなと思う。異常なほどに暑い今年の夏の余波か、とも思う。
夕方、額縁屋さんに注文しておいた額縁が届くのを待つ。ちょっと気に入った絵があって、僕でも買えるほどの値段だったので、思い切って購入し、その足で額縁屋さんの所に行き、その絵に合う額を注文しておいたのだ。ついでに、寝室の絵と居間の絵を掛け替え、岩城先生の短冊も書斎(というか本置き場)から居間へ移し、空いた書斎にやって来る絵を飾ることにする。わくわくしながら準備を進める。
【8月19日】
昨日、帰宅。JRを使えば、3時間余りで帰京できる。車中で井上トシユキ著の『2ちゃんねる宣言』をほぼ読了。興味本位で読んでみたけれど、割と面白かった。「2ちゃんねる」に立ち寄るつもりはないけれど、社会現象としての「2ちゃんねる」にはちょっと関心があったので。ひろゆき氏のメルマガも一応読んでいることもあり。
帰省するとき、気に掛かっていたのは、大阪の叔父から3年ほど前に貰った鉢植え(観葉植物なのだけれど、名前を忘れてしまった)。貰って来てからすでに2回の夏を経てきたとは言え、帰省の間は水をやることが出来ないので、特に今年のこの異常な猛暑の中、枯れる事が気懸かりだったのだ。鉢の土の中に保水剤を入れ水を吸わせ、夕立等があれば、雨がかかるようにベランダの隅に置いておいた。実は、1年目の夏に、同じようにしておいて帰省し、帰宅した時、その植物が葉っぱをすべて落として幹だけで生き延びているのを見てびっくりしたことがあったのだ。
今回は1年目の時よりは条件が厳しくて、あるいは駄目かもしれないと危惧していたのだが、帰宅してみると、一枚の葉っぱも落とさずに青々としているのだ。3年たって、植物自体が逞しくなったのだろう、と改めて感心したものだ。
午前中は、引き続いてのクラブのごたごたで、顧問団一同さすがにうんざりする。午後は、夕方まで学習合宿のアンケートの記述部分を入力。目がひどく疲れるが、一応入力終了。退勤。
邑書林『セレクション俳人 仙田洋子集』を読み始める。若々しい詩的感性が心地良い。
【8月6日】
「夏季俳句指導講座」の午前中の講義、井上弘美さんの「俳句実作指導講座」を受講し終えて、そのまま3日・4日の学習合宿後半に参加。進路部の担当者の一人としては、緊張の一日半であった。
4日、まもなく学習合宿も無事終わるかと一息ついた頃、学校から電話があり、応対。クラブ関係で、また一悶着起こる。一難去って・・・という心境になる。この件は、翌日に回す。合宿終了。生徒も教員も合宿所を引き上げた後、一人石清水八幡宮にお参りをして山を下りる。途中、展望台から夕景の三川合流地点を眺め、ぼんやりする。疲れた。帰宅後は、9時前に就寝。朝まで眠り続ける。
5日、学習合宿のアンケート集計にかかる。昼前から、クラブ関係のごたごたの解決の為、もう一人の顧問の先生と出かける。2時間の話し合いの末、私に一任するとの返事を得て帰校する。疲れる。夕方、歯医者。帰宅後は、ストレス発散でやけ酒気味に、ビールを飲み、寝る。
6日、午前中、昨日のアンケート集計の続き。昼前から、クラブ引率。K高校との練習試合。35度の体育館での対抗戦。ハンカチを何度も冷水器に濡らしに行きつつ、観戦。男子は、個人の力量はとんとんだが、総合力では相手校の方がやや強い。女子は、本校の方が断然強い。ただ、勝ち方については、女子は自分達の本来の力が発揮できなかったと大いに不満だったようだ。
夕方、帰宅。慌ただしい数日だったが、やるべきことはやった、との思いはある。なお、「日々録」は、しばらく「掲示板」の方へ移動します。
【8月3日】
8月に入った。1日、日曜日。『運河城陽句会』。京田辺市にある一休寺の裏手にある甘奈備山までの吟行。台風の余波の風の強い一日。天井川を見、青田風に吹かれ、夏燕や向日葵を眺め、まさに季語の現場に立った思いであった。甘奈備山までは行けず、手前の能楽発祥の碑のある公園までで引っ返す。午後、文化パルク城陽での句会。第一句会は、吟行句中心の句会。いつになく沢山の句が選句される。しかし、第二句会はいつも通りの結果となる。一日良い天気だったけれど、屋外にいてもさほど暑さを感じなかった。台風の余得であろうか。
2日、「関西夏季俳句指導講座」。京都は、4年に1度オリンピックの年に開催される、との司会の田中春星氏の挨拶で始まる。本日は、第一講義「一茶の生き方」足立幸信氏、第二講義「生活を見つめよう」藤本恵美子氏が午前中。午後は、第三講義「連歌を読む」長谷川千尋氏、第四講義「季語という切り口」石動敬子氏。豊かな教養と楽しい脱線話の足立し、エネルギッシュな藤本氏の報告、長谷川氏の緻密な講義、石動氏の現場からの切実な報告等、いずれも聞き応えのある講義であった。岡村さんと久しぶりに会い、昼食を一緒に取る。午後から、岩城先生も来られる。
第1日目が終わり、帰るついでにひさしぶりにN書房に行ってみる。俳句関係の本がまとめておいてある古書肆。そこで、最近持ち込まれたというムンクのリトグラフと小品を見る。ちょっと興奮して、欲しいなと思うが、リトグラフは結構な値段だったことと、小品が値段はすぐにでも購入可能な金額だったけれど、コピー(機械による複写ということなのだろうか、そこが良くわからないけれど)ということで、諦める。
今日は、午前中は「俳句指導講座」。午後は、学習合宿へ。