日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【9月27日】
土曜、日曜と勉強会が続く。土曜日午後は、「ひと・まち交流館 京都」で「克巳俳句研究会」の第5回目。今回は、『オペ記』より各自が1句鑑賞。600字程度でレポートを提出する。参考までに選ばれた句を列記すると、「女から男にうつる春の風邪」「樹も岩も地より生ひ立つ五大力」「封筒の中明るくて風花す」「どの山の影ともならず密柑山」「洗ひ葱手もとを逃げて逃げ果す」「ひらひらとひとりあるきの蛭美人」「水中花ひらく激しき死別感」「闇汁に臍の緒まじりゐたりける」「肉食の猫が寒夜に身をねぶる」「母の杖地を指せばすぐ蕨出て」「妻呼ぶに今も愛称茄子の花」。いずれも辻田俳句の一側面を伺わせる面白い句を選んでおられると思う。ちなみに、私と岩城先生は、偶然というか何というか、同じ句を選んでレポートを書いていた。その句は、「持ち重るキヤベツがいつか首となり」というもの。奇妙な句である。翌日、二人が同じ句を選んだ事を話した時、竹中宏さんは、何故か納得しておられたが・・・。
日曜日午後からは、「キャンパスプラザ京都」にて、第1回の「翅(はね)の会」が開かれる。話題は「辻田克巳研究」。今後5回に渡って、辻田先生について、俳論や論評からその句と人物について研究を深めることになっている。今回は、準備段階で提出された資料について、全体的な検討作業を行う。資料を読み込みつつ、そこに読み取れる問題点を整理していくと、@辻田俳句における「詩」の実態 A辻田俳句における「写生」とは B俳人としてその中核となるもの C「京都人」としての辻田氏 D誓子・不死男・静塔その他の俳人から受けた影響について E辻田俳句における「事実」と「真実」の関係について F辻田俳句、その滑稽と毒について 等々考えるべき問題点が浮かんで来る。次回は、改めて『幡』創設以前の資料を中心に読み直して行くことになる。さて、どのように話が展開していくことであろうか。
二次会は、京都駅前の「酔心」にて。竹中氏の学生時代の句会の思い出など聞く。「俳句は俳句に抵抗することにおいて、辛うじて俳句であり得る」という氏の言葉に、胸を撃たれた思いがする。
俳句浸りの二日間であった。

【9月22日】
今日は、体育祭。曇り時々雨、という不安定な天気のもと、無事終了。短パン・Tシャツ姿で用具担当などこなしていたが、涼しいを通り越して肌寒いほどであった。体育祭自体は、結構熱く盛り上がる。
月曜日。岩城先生宅で、歌仙を巻く。2度目の経験。表6句はアルコール無しで、ということが災いしたのか(?)、2時間以上かかる。特に、私が3句目を担当した時、1時間近くもかかってしまい、内心真っ青状態であった。初裏に入ってからは、句座は滑らかに動き始め、夕方には満尾を迎える。岩城先生の奥さんの飛び入りの「花」の句を受け、揚げ句の1句を詠い終えた時は、本当に満足を感じた。連句は、なかなか面白い。次々に出される奥さんの手作りの料理を味わい、窓の外に眺められる豊かな緑を楽しみ、終わってみると苦吟の時を完全に忘れ、手放しに「幸せな」一日であった。歌仙「水澄むやの巻」を巻き終えて、ベランダにテーブルと椅子を出し、暮れていく北山の景色を眺めながら、『鼎座』出発のお祝いのお赤飯を頂く。
句集を出したいな、と思う。PCに入力して残している句は、1996年の時期のものからが残っている。それ以前にも作っていたはずだが、一切残って(残して)いない。京都に帰り、初めて角川『俳句』の雑詠に投句して入選し、たまたま岩城先生の目に留まって連絡を頂くきっかけになった「ひとひらを風にのせたる八重桜」という句も、データには残っていない。総句数2600句余りを、選句し直し、400句余りに絞る。これからさらに絞り込みと、推敲をしなければ、と思う。
『俳家奇人談巻之中』読了。「巻之中」は芭蕉を始めとして蕉門の俳人達の逸話を紹介している巻のようである。有名・無名(というか、当時は著名な俳人であったのだろうが)の俳人たちの句と生き様が簡潔に描かれており、大変面白い。

【9月18日】
土曜日。クラブ当番で出勤。久しぶりに2時間ほど練習に参加する。大汗をかいて、かなりバテる(立ち眩みしそうであった)。基礎練習の腹筋とか腕立てとか、あからさまに衰えていることを自覚させられて、ちょっとがっかりする。背筋とスクワットはまだ何とか・・・。「先生、ほら。」と言われて、女生徒から腕の力瘤を見せつけられたりもした。1時過ぎに練習は終了。進路室で、エアコンを入れ、扇風機を回して、汗が引くのをしばらく待たねばならなかった。帰りの電車の中では、本を読んでいるつもりで、1駅分ほど記憶が飛んでいた。
金曜日。夕方、ミューズ『第九』の申し込みに、市内まで。昨年は、申し込みをし損なって、年末の舞台に立てなかったのだ。申し込みだけ済まして帰るつもりが、発声練習から、歌唱練習までつい参加してしまう。8時過ぎに、練習を早めに切り上げて、そのまま1時間かけて自宅まで歩く。夜とは言え、やや蒸し暑い。
花神コレクション『波多野爽波』を読む。不思議な感覚によって、季語と事象が取り合わされている、という印象。「醍醐会」のメンバーの一人は、その感覚を「薄気味悪さ」と表現していたけれど、さて何と表現すればよいのか、言葉に詰まる。ただ、爽波の句を読みながら、鴇田智哉の句の与える印象を思い出したりしていた。そう言えば、今月の『俳句研究』に作品を発表しておられた。さらに言えば、鴇田氏の句を読みながら、阿部完一氏の作品の感触なども思ったりしていたのだが。
岩城先生と清水さんからメールを頂く。20日に、清水さんを捌き手として、『鼎座』に載せる歌仙1巻を岩城先生のお宅で巻くことになっている。その確認の為のメール。岩城先生も清水さんも、連句の経験は十分持っておられるということなので、お二人についていくつもりで、参加する。

【9月12日】
金曜日。体調不良のため欠勤。文化祭のメイン、3年生のパフォーマンスを見ることは出来なかった。2年前、3年生を担任した時は、生徒達が本当に頑張って優勝したこともあり、ちょっと思い入れがあったのだけれど。そう言えば、あのときもひどい体調不良で入院騒ぎまで引き起こしたのだった。「気分的に疲れて」いただけではなかったようだ。食事やジョギングなどで、体調には気をつけているつもりだけれど、身体の芯の部分が脆い、という気がする。
土曜日。「句会すき」。まだ体調不十分だったけれど、丹後まで。車中では、ずっと寝ていた。橋立駅で岩城先生と合流。丹後ディスカバリーで大宮町まで。駅には、わざわざ水野さんが出迎えに来てくださっていた。車で、岩城先生のお宅まで。丹後は、空気も風も日差しも微妙に違う。少し元気が出る。日にち変更をしたせいか、句会を始める1時近くになっても、集まりが悪く、今日は少人数になるかな、と思っていたら、どんどん来られて、いつもの(と言っても2回目なのだが)メンバーで句会が始まる。今日の句会は、面白い作品が沢山出て、とても面白かった。話も弾んで、充実した4時間となる。岩城先生は、丹後泊。気分が良かったので、駅まで歩く。帰りの車中は、ビールを飲んで、眠り続ける。帰宅後、岩城先生から気遣いのメールをいただく。
日曜日。まだ、体調は万全ではない。手や足がしびれたような感じになるのはなぜなのか、と思う。目崎徳衛著『鄙とみやび』読了。邑書林の『現代短歌百人二十首』を読みながら、高野公彦と思い違いしていたのは穂村弘であった事を知った。「三月書房」で穂村氏の歌集も手に取ったのを憶えているけれど、何となく名前として頭に残っていたのが高野氏だったのだ。高野氏と穂村氏を間違えるなんて、きっととんでもない間違いなのだろうな、と思う。現代短歌に対する僕の知識はこの程度、という貧しさなのだ。それにしても、名前を確認して、今日の新聞を読んでいたら、その穂村氏が日曜版の書評委員として書評を書いておられるのに気付いた。内容は、少々わかりにくかったけれども。
NHKの不祥事と、それに対する会長、幹部達の不誠実な態度を見ていると、受信料を払っていることが馬鹿らしくなってくる、などと思いつつ、ネットをみていると、不祥事を起こしたNHK職員を実名を上げつつ告発しているサイトに行き会った(2chではないですよ)。数十年前に、筒井康隆が某国営放送(NHKだろう)をモデルにして、揶揄嘲笑しつつ、独善的な体質をこき下ろした小説を書いていたけれど、筒井が嘲笑ったその体質は未だに変わらない、ということなのか、といささかウンザリする。自身に対する減給などというお為ごかしな対処ではなく、会長始め幹部連中はすみやかに退陣すべきだろうな、と思う。

【9月9日】
重陽の日にして、文化祭第1日目。しかし、3回の立ち番と、進路の仕事のうちに終了。文化祭は、2年生の1クラスの劇の終盤部分と、美術部、華道部の展示を大急ぎで見たのみ。少々気分的に疲れる。せめても、と夕方走る。
狂歌「好き放題詠い続けて公彦の愚作の中に佳作光れり」。今二つ三つのできだけれど、第五歌集『水行』を読みながらの感想。青・壮年期の歌群に比べ、壮年期晩期の作品群は、有る意味で開き直った作品のように思える。あるいは、意図的な自己崩壊の作品群か、とも。「愚作」などと書いたけれども、青年期の繊細・端正な作品にくらべ、崩れた面白さに溢れる作品が楽しい。
目崎徳衛の『鄙とみやび』を読み始める。「私の古典詩歌散策」と副題があるように、西行、芭蕉(まだそこまでしか、読んでいないのだが)などについての論評。
土曜日は、第2回目の『句会すき』。選句用紙、清記用紙などの大きさを変える(B5版をA4版サイズに変更)。句作は、最近低調の一途なのだが、ともかく句会に向けて、句を作らねばと思う。

【9月7日】
日曜日。『運河城陽句会』。午前の吟行から参加する。今回は、六玉川の一つ、井手の玉川沿いに歩く。玉川は天井川で、JR奈良線を高架橋で越えるようにして流れている。両岸は、護岸工事がほどこされてあるが、河床には葦や荻が繁茂し、川自体は天然川の面影を残している。水の辺を歩くのは、本当に心落ち着く。遊歩道の尽きる所に、水車跡の碑があり、その脇の湿地の一角に猪のヌタ場の有ることを、「運河」の会員の方から教わる。曼珠沙華、キツネノカミソリ、百日草、吾亦紅、筆鶏頭、白桔梗、紫桔梗、踊り葉牡丹(俗称らしいが)などの草花を見る。あちらこちらの田で、稲の花が開き、濃密な空気が田全体を包みこんでいるように感じる。
午後は、城陽文化パルクで句会。茨木先生は、栃木の方に行っておられるとか。第一句会の吟行句中心の句会では、何句か取られる句もあったが、第二句会の題詠句はまるで駄目、という相変わらずの状態であった。
土曜日に「三月書房」で、本を数冊仕入れてくる。主に短歌関係の本。高野公彦の句集と評論。実は、別の歌人の作品を読みたかったのだが、名前を間違えていたのだった。しかし、歌集は読んでみるとなかなか面白い。特に、若い時期の作品は、知性や感性の煌めきがとても魅力的で、詩性の高さというものを感じた。邑書林の『百人二十首』も買う。これは、夜寝る前に数人ずつ読んでいる。若い人から順に作品が掲載されているようだが、いまのところ高野作品ほどに感銘を受けた作品に行き会っていないのが、ちょっと物足りない。感覚の面白さはあるにしても、何となく日常性にどこかで足を引っ張られているような印象がある。俳句関係では、『俳家奇人談・続俳家奇人談』を購入。宗祇から始めて、主な俳人のエピソードと作品、論評などがなされたもの。文化十三年と天保三年に竹内玄玄一という人が著したもの。買って帰る電車の中で、「松尾桃青(芭蕉)」「榎本其角」「服部嵐雪」など読む。これは、他日ゆっくり読もうと思う。
京都は、今台風18号の暴風圏に入っているようだが、思ったほど風は強くない。雲の動きは速く、全天が一つの方向に動いているのが、かなり不気味である。

【9月4日】
金曜日、夕方。薄暮の中を走る。気温が高くなくて、気持ちよく走れる。残暑の時期のはずなのに、本格的な秋の夕暮れの風情である。廃園の天守閣のある丘の上まで走る。
『正木ゆう子集』を読了。作者の独特の時間と空間の感覚や対象の把握の仕方、さらには自在な表現様式などがとても面白かった。高純度・高密度の句とも思い、俳句でこのような世界が表現できるのか、と驚きもした。解説の中で蕪村の研究者の藤田真一氏が触れておられたが、「水や苔の滴りを見つめる微細な目と、地球や月を含む宇宙を言い取ろうとする広大な精神」の所産が、正木ゆう子氏の俳句であり、それを支えるものは「想像力と言葉の錬磨」という指摘はとても頷けるものであった。また、若くて亡くなった兄にたいする鎮魂の句は、ひっそりと胸を打つものだった。
土曜日。疲れていたのか、7時前まで寝てしまう。起床して、ベランダに出ると空気がひんやりとしていて気持ちが良い。寝起きに走るのは体にはよくないな、と思いつつも、水分だけ身体に入れて、40分ほど軽く走る。この時間帯であれば、道を選べば車にも人にも遭うことが少ないので、余計な神経を使わないで走れるので良い。
久しぶりに鴨川散策に行こうかとおもったが、午後からは雨が降ると言うことなので、自宅にいて、室内を整理をしたり、本を読んだりで一日過ごすことになりそうだ。

【9月1日】
家を出たときは小雨で涼しかったのに、職場に着くと空は晴れ上がって、8時前なのにもう暑い。今日から2学期。始業式、大掃除、ホームルームの時間に分掌の会議、その後、進学関係のガイダンス、そして依然として続くクラブ内のごたごたに関わる呼び出し、それで半日が終わる。遅い昼食の後、夏の学習合宿の会計関係の整理。その間に、11月の2年生進路ガイダンスに向けての業者との打ち合わせが入る。夕方になって普段よりは早めに退勤。初日は、やはり疲れる。
途中の書店で、『ハリーポッター不死鳥の騎士団』が平積みでおかれてあるのを見つける。上下二巻本とはいえ、4200円はすいぶん高いな、と思いつつ購入。読むのは、しばらく後になると思う。電車の車中で、『正木ゆう子集』掲載のエッセイを読む。存在と時間と俳句との関連の考察が面白い。
故郷から梨を送ってもらう。冷蔵庫で冷やしておいて、食べる。芯の酸っぱい所が好きで、皮を剥いて、四つ切りにして、種のところだけ小さく取って食べる。美味しい。昨年は、冷夏のせいで、出来は今ひとつであったが、今年はやや小粒ながら甘みも十分で汁気も多くて美味。