日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【10月31日】
天気は、小雨。高野山吟行会。京都駅で、偶然岩城先生と出会い、新快速でそのまま大阪へ。地下鉄に乗り換えて、南海難波駅へ。『参』の神原さんや向井さんと合流して、急行で高野山極楽橋へ。約2時間の旅程。ケーブルに乗り換え、山上駅で吟行参加者が全員集合。17名の人数で、奥の院までバスに乗る。
雨の中、三々五々墓所内を吟行。紅葉が美しい。その後、とって返してバスで大門まで移動。5分ほどであったが、高野山の入り口大門を見上げる。錆色の立派な門であった。バスで金堂前まで行き、金堂・根本大塔などを巡り、徒歩で句会場の普賢院に向かう。普賢院では、精進料理の昼食をいただき、その後句会。4句投句5句選。特選1句については、各自が選句理由を述べる。当日の最高点句は、松本さんと向井さんの9点句。岩城先生の選は、鈴木2句、ひわだ(漢字が分からないので平仮名で)さん、向井さん、あかにし(漢字が分からないので平仮名で)さんが各1句。
句会終了後、寺域内の芭蕉堂を見せていただく。堂内の句帳に、岩城先生が今日作られた1句を記帳される。深い霧の中を下山。終日雨の吟行会であった。


【10月29日】
金森敦子著『江戸の女俳諧師奥の細道を行く〜諸九尼の生涯〜』を読む。野坡門の俳諧師の亡夫の跡を継ぎ、女宗匠として活動、やがて芭蕉の跡を慕い、奥の細道を松島まで辿ることになる諸九尼と呼ばれた女性の生涯を描いたもの。『俳家奇人談・続俳家奇人談』にも描かれた淡々、暁台、涼袋、なども登場する。正徳から天明にかけての俳壇の状況が伺えて、大変面白かった。ついでに、同じく金森氏の著作で大変面白かったのが、『伊勢詣でと江戸の旅』(文春新書)。そもそもこの人の本を読む切っ掛けになった一冊。豊富な文献資料を駆使して、江戸時代人々の間に広く行われた伊勢詣でについて、特に金銭面に焦点をあてて紹介されたもの。読みながら、旅の心弾みまで感じてしまった一冊。
明日は、高野山吟行会。テストの採点も、翌週からの授業準備も済ませ、洗濯までし終えて、明日に備えようとしたのだが、天気は生憎雨になりそうだ。雨は雨でまた良しとしなければなるまいか。紅葉がどの程度進んでいるのかが気になるところだ。



【10月27日】
日曜日。BS俳句大会。3句投句して、1句が鷹羽狩行の10選に入る。「太郎次郎三郎四郎秋祭」という句。名前をただ並べただけの句のようではあるが、自分なりの思いは込めたつもりの1句。祭というものが、家族の中にまだ息づいていた頃を、思いながら作る。技巧的に見られてしまうだろうことは、やむを得ないとする。
月曜日。体調悪し。知恵熱でも出たのだろうか、発熱。試験前でもあり、授業を済ませ、大掃除と明日からの教室整備を終えて、早退帰宅。寝る。
火曜日、試験一日目。熱が下がらず、休む。売薬を飲んで、寝る。
水曜日。体調は今ひとつ。熱が残っているようだけれど、出勤。試験監督以外は、前日の試験の採点作業。ひたすら採点。一日目の分は、どうにか終了。本日分の採点にかかるが、半分ほど終了したところで中断。模擬試験の申し込み作業を本日中に済ませなければと思い、夕方までそちらの作業を。FAXで申し込みを済ませ、退勤。疲れる。

【10月24日】
新潟が大きな地震に襲われた。小千谷市を中心にして、大きな被害が出ている。昨夕、地震を報じる地元からのTVニュースの最中、そこに大きな余震が来た。揺れを伝える画面を眺めながら、大変なことになったと思っていたら、揺れが収まってからしばらくたって、居間にある二つの蛍光灯が二つとも小さく揺れていることに気づいた。先ほど新潟で鎮まった揺れが、今京都に届いたのだ。異様なものを感じて、ぞっとした。
阪神淡路大震災の、街が炎上するニュース映像は、今でも強烈に残っている。一瞬、どこかで起こった戦争の映像をTVが流しているのか、と思ったほどだった。それが、今現在燃えている神戸の街と知った時の衝撃の大きさも、鮮明に覚えている。鳥取西部地震では、実家の周辺に液状化現象が起こり、狭い庭を土砂が猛烈な勢いで流れ、家の土台が傾き、後に大きな修復工事が必要にもなった。新潟も、これから復興に向けて大変な取り組みが必要になるだろう。最初の衝撃を乗り越えて、頑張ってほしいと思う。それにしても、自然災害は突然に襲って来るものとはいえ、街が破壊され、死傷者が出ているまさにその時、のんきに映画鑑賞を続けている総理大臣というのは、一体どうなっているのだろうか。常に臨戦態勢という緊張感に欠けるのではなかろうか、とふと思う。



【10月23日】
台風23号は、丹後地方に大きな被害をもたらした。私が7年間暮らしていた宮津市も、大手川の増水による周辺地域の冠水、滝馬地区の崖崩れと死者という大変な被害が出た。宮津に赴任して数年間を過ごした下宿は、2階の四畳半一間で、共同トイレ、お風呂無しというものだったが、廊下を抜け、ベランダに出ると、すぐ下に大手川が流れていた。底が砂礫で浅く水が流れ、鯉が泳いでいるのどかで明るい川であった。宮津にいた間、台風はもちろん何度も来たけれど、一度も増水の危機ということはなかったように思う。滝馬地区も、休みの日などに、その奥にある金引きの滝を見に何度も通った所だった。巨大な一枚岩を滑り落ちる立派な滝だった。今回の事態は、本当に異常な出来事だった、と思う。
大石悦子さんの『弥弥』読了。自らの老いとそして死を、どのように受け止めるのか、その決意にも似た思いを感じたりした。転生のモチーフなどもほの見えたりした。特に、とても気に入った2句があるのだけれど、紹介してよいものか、どうか、迷っているので書かない。お礼の手紙には、その2句のことは、必ず書こうと思う。
今日、なんとか竹中宏氏に句集のお礼の手紙を出す。全く、申し訳ないような内容の手紙となる。困ってしまう。
今日は、秋のBS短歌大会の日だった。数首投歌しておいて、鴨川を見に行く。台風23号の影響で、鴨川も増水をしており、その被害が及んでいないか、どうかを確かめに行く。三条京阪で電車を降り、地上に出て、鴨川の様子をざっと眺める。水量は、現在も普段に比べると多いけれども、特に増水の影響は見受けられず、一安心する。橋の下で段ボールの家を造って暮らしているホームレスの人たちも、特に被害は蒙っていないように見えた。河原に生えていた見事な薄の群生は、水流のため押し倒された状態でほぼだめになっていた。鴨たちは、ほとんど陸に上がっていた。久しぶりに古書肆N書房に立ち寄り、本を2冊購入。出町柳まで歩き、電車に乗る。
帰宅後、ビデオに撮っておいたBS短歌会を見る。投歌作品が、岡井隆氏の佳作1首、10首選に1首入っていた。短期入院している故郷の母と、岩城先生とに携帯並びにメールで伝える。明日は、BS俳句大会。こちらは、難しいだろうな、と思う。

【10月19日】
『鼎座』の準備は、着々と進んでいる。主な原稿は集まり、目次、後記なども書き終え、あとは岩城先生の題字と原稿を待つのみ。今夜、電話があり、原稿を郵送したとのことで、こちらに着き次第、作品は入力し、題字はスキャナーで取り込んでみることにする予定。印刷業者は、京都市内のD社で創刊号を出すことにし、メールでの遣り取りを行う。こんな準備は、なんとも楽しい。
大石悦子さんから、最新句集『弥弥』を送っていただく。詩情に溢れた豊かな作品世界を楽しませていただく。時に、やんちゃな世界が覗くところも、大石俳句の魅力のひとつである。それにしても、辻田先生にしても、大石悦子さんにしても、作品世界の成熟という事を思わざるをえない。立ち姿の立派さを思う。
穂村弘の歌集『ラインマーカーズ』を読む。ポップ(と言って良いのだろうか)な感覚が、楽しい。特に、手紙魔まみ、の一群の作品は良かった。アリスのオマージュ。今、という不思議の国に生きる虚体の少女。村上春樹の小説『アフターダーク』の主人公の姉などをふと思い出したりした。
耳鳴りは、相変わらずだ。これも、老化の表れの一つか、などと思う。そういえば、最近では、細かい文字を読むのが若干苦痛になり始めてもいる。困ったことだ、全く。以前は、しばらくして気にならない程度に耳鳴りは恢復したようだったけれど、今回はもうそうはいかないかもしれない。仕方ないな、と思う。それにしても、外に出るとほとんどこの耳鳴りが気にならない、と言うことは、いかに多くの様々なレベルの音に自分が包まれているのか、ということに改めて気付く。

【10月16日】
しばらくおさまっていた左耳の耳鳴りが、ここのところひどくて少々鬱陶しい。すでに医者からは、治りませんと言われていたのだが、随分長い期間気にならない程度の状態だったので、このくらいでおさまるかと思っていたのだが。季節の変わり目のせいなのか、心労的なものによるのか、ともかく耳鳴りの原因自体は不明で、根本的な治療法も見つかっていないとか言うことで、気長く付き合っていくほかない、との事なのだが。
日常生活には、何ら支障はないので、気にしなければ全く耳鳴りもなきに等しいものなのだが、周りが静まった状態の中で何かするとなると、それまでは周辺の音に紛れていた耳鳴りが復活して、少々煩わしいな、ということになる。そのせいか、辻田先生の句集『稗史』へのお礼の手紙も、延ばし延ばし状態であったが、昨日やっと書き、投函することが出来た。結局、長々とお礼状が遅れた言い訳をしている、という訳だが・・・。ちなみに、この『日々録』もテレビをつけながら書いている。
クラブ当番で出勤。朝は、膚寒いほどだ。通勤の電車の中で『俳句研究』を読む。「俳句研究賞」の発表。『運河』の浅井陽子さんが賞の最終候補に残っていた。すでに、深吉野賞の受賞作家でもあり、候補作も見事なものだと思う。純度の高い句柄と、季語の斡旋の巧みさに感心する。弥榮さんも候補者に残っていた。さすがだな、と思う。辻田先生の「『天狼』人としてA」も興味深く読む。辻田先生の評論の文体についても、一度考えてみる必要があるかもしれない、と思う。
念のために、しっかり走り込みをしてから、クラブの練習に参加する。3試合、1勝2敗であった。走り込みのし過ぎで、バテてしまった。クラブ内のごたごたは、まだ尾を引いているが、今日は熱心に練習をしていた。1時過ぎに退勤。
『鼎座』の準備は、順調に進んでいる。印刷業者についても、一応心当たりにあたってみて、見積もりなども取る段階まできている。原稿も8割方集まっている。11月中には、第1号が出せそうだ。

【10月11日】
10月2日以降、本当に色々な事があって、「日々録」が滞ってしまった。
辻田先生から、最新句集『稗史』を送って頂く。第7句集。平成8年から11年までの480句を纏められたもの。作者は、『あとがき』において、「俳句が、傲慢ではなく、いよいよ面白くなってきた」と書いておられるが、読者にとっても辻田克巳俳句が「ますます面白くなってきた」と感じさせられる句集ではないか、と思う。読み終えたなりに、まだお礼状さえ出していない有様ではあるのだが。
竹中宏氏から、第1句集『饕餐』を改めて送っていただく。「これは、あの竹中さんの、第1句集だから」という風な、変な先入観を捨てて、1句1句楽しむつもりで読んでいる・・・。それにしても、集中、吟行句(と言うか、吟行をもとにした句、というか)の多さは、竹中氏が一人吟行に行かれるという事を聞いていたにしても、意外な印象を受ける(これ自体が、例の先入観のなせるワザであるが)。岩城先生の言われた、竹中俳句の基本は「写生句」という事を繰り返し手がかりとしつつ、読み進めているところ。
京都に向かう満員の新幹線の車中で、中野孝次『ハラスのいた日々』を読む。中野孝次夫妻と1匹の紀州犬「ハラス」の物語。胸に沁みるお話である。

【10月1日】
村上春樹の『アフターダーク』を読む。テレビカメラのような視点の設定が、煩わしかった。ただ、その視点によって、現実との間の歪みが表現されたようではあるが。一気に読了したけれど、この一冊がこれで完結された物語だとすれば、何とも中途半端でもの足らないものだ。いずれ続編が書かれるのか、などと勝手に考える。
『続俳家奇人談』は「巻中」に入る。蕉門の俳人達が登場するが、いずれも初めて名を聞く人達ばかりだ。ごく短い逸話紹介だけれど、その人物の人となりが想像されて大変面白い。こんなに面白い本に出会えたのは、本当に僥倖だったと思う。
明日は、第3回目の「句会すき」だ。今回は、3人の方が飛び入り参加されることになった。こうやって、色々な方が参加して下さったら、句会自体が活気づくのではないか、と思う。今回の宿題は、「くさはつたけ」。変な句が出来た。明日の句会で、皆さんの反応を見たいと思う。