日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.6「日々録」
05.7「日々録」
05.8「日々録」
05.9「日々録」
05.10「日々録」
【11月29日】
平原綾香の「ジュピター」という歌の評判を聞いたことはあったけれど、昨夜その歌を聴いて、大変感動した。「ジュピター」はホルストの『惑星』という交響曲の中の「木星(快楽の星)」の一部に歌詞をつけたもので、もともとアメリカの方でヒットしたのではなかったか、と思う(全くの思い違いかもしれない)。平原綾香の歌う曲の歌詞が、その翻訳かあるいはオリジナルかは分からないけれど、その歌詞とそれを歌う平原綾香のちょっとハスキーな低音の歌い出しが本当に胸に響いた。ホルストの『惑星』は、中学時代に初めて聞いたクラシックで、それ以来とても好きな曲だったけれど、こんな風にして歌われると、あらためて曲としての良さも感じた。
日曜日、午後、「翅の会」。会場が近くだったので、20分ほど歩いて参加。今日は、新しく提供された資料を読み込みながら、前回提起された問題点を整理・統合し、さらに新たな問題点について、意見を交わし合ったりする。全体として、「天狼」という結社の特質との絡みで話が進み、改めてテキスト中心に議論を深めるということで会を終了する。二次会は、酒蔵を改造した某居酒屋で。
古書肆N書房で見つけた『京都楽壇史点景』という本を読む。京都の音楽事情を多角的に語る一冊。京都ミューズのことなども、チラリと触れてあったりする。合唱を始めてからすでに10数年が経過している。京都の音楽事情について、ちょっと興味があったので、格好の一冊だった。
明日は、『鼎座』創刊号が出来上がってくる。とても、楽しみである。
【11月27日】
午前中は、クラブ当番。久しぶりに、生徒と勝負。2戦2勝する。まだまだ1年生には負けられない(2年生との対戦なら、果たして3点とれるかどうか、という状態ではあるが)。今日は寒くなる、という事であったが、一向にその気配はない。天気は、晴れたり曇ったり状態で、北海道の東で低気圧が猛烈に発達しているとかいうことは、全く影響ないようだ。あるいは、今日辺り北山に初雪が、などと期待していたのだが。
昨日は、「第九」の練習。これで、本番ステージに立つための練習最低8回参加をクリアしたことになる。明日も日曜レッスンが予定されているが、こちらは午後から「翅の会」の勉強会があるので、参加出来ない。来週の火曜日は、第2回目の指揮者レッスンということで、これは参加しなければならない。ちょうど、刷り上がったばかりの『鼎座』創刊号が届けられる日に当たっているので、時間的に調整が必要になるかもしれない。9時過ぎまで練習。指揮の先生は、ヨーロッパへの研修旅行で、たっぷりと充電してこられたのか、ハイリゲンシュタットのベートーベンハウスの話など交えつつ、いつも以上に元気一杯であった。ちょっと羨ましい。帰宅後、遅い夕食を終えて、「第九」演奏後、二次会に考えていたお店に予約の電話を入れる。1年ぶりである。幸い席は空いていて、とりあえず7人ということで、予約を入れておく。
しばらく間が空いてしまったが、石田波郷の最後の句集『酒中花以後』を読む。波郷の人生を象徴するような1句「今生は病む生なりき烏頭(とりかぶと)」はこの句集だったのかと思う。良い句集だった。『酒中花』の後半部分をもう一度読み直してみようと思う。
11月23日、勤労感謝の日は、恒例の「現代俳句講座・鴨川吟行会」の日。楽しい一日となる。学生諸君の句がとても面白い。近日中に吟行会の写真をアップするつもり。『俳句文学館』の方に、報告文を書くことになっていて、一応下書きを書く。字数を大分オーバーしているので、これからあちらこちらを削らねばならない。学生諸君の句は、一人1句ずつ載せる予定。
【11月22日】
邑書林から、セレクション俳人『仁平勝集』を送ってくる。句集『花盗人』『東京物語』、どちらも面白い。評論の『高柳重信論』と合わせ読むと、実践編と理論編の関係のように読めるのも、また面白い。知的に構築された作品世界は、人によって結構好き嫌い(そんなレベルで話をするのは悪いけれども)が別れる、と思われる。私は、楽しんで読めた。作品の背後に作者の知的戦略が潜んでいるのかもしれないけれど、そんな事には気を巡らさないで、かなり気楽に読み終わる。
それが、日曜日の午後のことで、午前中はクラブ当番で出勤。久しぶりに男子部員が揃って練習している姿を見る。女子は、いつもの通り。珍しく他のクラブは練習無しのようで、新体育館の方で、バスケットが練習をしているだけ。校内は、しんと静まっている。練習を見に行ったり、進路室で先週金曜日の進路ガイダンスの資料整理などを行う。1時過ぎに退勤。小春日和の暖かい日であった。
明日は勤労感謝の日。『現代俳句講座鴨川吟行会』の日である。OBの人たちは誰が参加するのだろう。楽しみである。近所のコンビニで、句会の清記用の小短冊やそれを貼り付ける台紙などのコピーをする。
以前に購入していた岩波書店の『近世芸道論』から茶書の古典といわれる『南方録』を興味本位でちょっと読んでみる。『南方録』は千利休に身近く仕えた南房宗啓という人物が利休の教えを筆録したもの、とのこと。全体が「覚書」「会」「棚」「書院」「台子」「墨引」の六巻に分かれていて、そのうちの「覚書」「会」の二巻を読んでみたが、「覚書」は「茶の湯」に対する質疑応答録、「会」はある年のほぼ一年間の茶会の記録がまとめられてあるもの。茶道の門外漢の身にも、読んでみると結構面白い部分があって、2時間ほど読み続ける。
【11月20日】
4時過ぎに目を覚まして見た時は、高曇りの空であった。6時前に再び居間のカーテンを開けて外を見たとき、一面深い霧が立ち込めていた。わずか2時間足らずの間のこの変化は、ちょっとした驚きであった。ベランダに出て、冷気を吸うと、水の匂いを感じた。洗濯物を外に干すのがためらわれたが、いずれ晴れるだろうと思い、洗濯物を吊す(あれから3時間もたっているのに、いまだに霧が晴れる気配がない・・・)。霧によって風景の変わった町中を走る。見慣れた町並みが、ちょっと異界めいて見えるのが楽しい。
40分ほど走り、帰宅。ジャボンと湯に浸かりながらしばらく本を読み、風呂から上がり、朝食。明日はクラブ当番で、出勤なので、今日鴨川を歩いておこうと思う。23日、恒例の「現代俳句講座鴨川吟行会」。今年は、『俳句文学館』に吟行の報告を書くことになっているので、下見を兼ねるつもりで。鴨川を散策というより、この時期はゆりかもめを見に行く、ということが主たる目的となる。さらに、この鴨川散策では、思いがけないものを目撃する事がある。先週は、バグパイプを練習する外国の人と、鼓を打っているお年寄りを見る。バグパイプの人は、以前に一度見たことがあったけれど、鼓は初めてだった。河畔のベンチに腰掛け、鼓の本(何と呼ぶのだろうか)を前に置いて、ひたすらポンポンと練習をしておられた。少し離れた所に立って、川面を眺めるふりをしながらしばらく様子を見ていた。開けた場所で打っているにもかかわらず、音がポンと届いて来るのが面白かったものだ。
昨日は、2学期のかかりから準備をしてきた2年生の進路ガイダンスが終了。小さなハプニングはあったけれど、生徒には概ね好評であったようだ。実技を交えたガイダンスというのは、話一辺倒のものに比べてやはり引きつける力が違う。大学・短大の模擬講義も行われたが、そちらも評判は良かった。疲れていると、つい休もうかという誘惑に駆られるけれど、「第九」の練習に市内へ行く。今日は、指導の先生がウィーンへの修学旅行の引率と言うことでお休みで、代わりにボイストレーナーの方が、練習を担当される。歌い方という点に比重を置いた指導が面白く、早めに帰るつもりが結局9時過ぎまでレッスンに参加する。来るときは、ぐったりした状態だったのが、歌い終わってみると結構元気になっていたのも、面白い。
『醍醐会』の石動敬子さんから第一句集『素描』を送っていただく。情感豊かな句が多く、時に滑稽味のある句が交じっていて、楽しく読む。『醍醐会』の時、近作100句で一緒に洗礼を受けた相方ではある。その句の上手さに、改めて感心する。普段見る姿と、この句群のなかに浮かんでくる作者像のそのどちらもが石動さんである、ということも何故か、面白い。
【11月15日】
日曜日。岩城先生が、今月号の『俳句研究』で書いておられた浅野信氏の著作がありはしないか、ネットで検索をかけて、著作名にあたりを付けておいて、市内の古書肆に出かけてみる。結局、本は見つからなかったが、渡部兼直という人の詩集『七つの俳諧』と川名大の『新興俳句表現史論攷』を買ってくる。『七つの俳諧』は、その詩集名に興味を感じて買ったものだが、内容は今一つピンとこなかった。ただ、読んでいてわかったことだが、この詩人は私と同郷人で、詩の中に詠われた場所は、私に馴染みのある土地だったりして、読んでいて懐かしかったということはある。メシアンの『七つの俳諧』という楽曲に触発されて詠われた作品とのこと。
『新興俳句表現史論攷』は、書肆を出ようとして、たまたま出口近くに積まれた本の山の中に見つけたもの。山を崩さないようにして本を抜き取って貰い、目次で内容を確認し、読んでみたいなと思ったのだが、値段を聞くと随分高くて、買おうかどうか迷っていると、かなり安くします、と言うことで6000円ほども値引きした金額を示された。それでも、まだかなり高いので、考えてみます、と言って店を出た。そのまま、鴨川の河畔に出て、植物園の方まで歩くことにする。今日歩いていて、気が付いたのだが、すでにゆりかもめが鴨川に来ていた。確かに暦の上では、すでに冬ではあったが、ゆりかもめの瀟洒な姿を見ながら、京都に冬が来たのだな、としみじみと感じる。1時間ほど歩き、その間に購入を決めて、先の古書肆に行き、買う。2度もやって来た私の姿を見て、店の人はさらに1000円まけてくれた。感謝。
夜、やはり早めに寝る。少々疲れ気味。耳鳴りがひどいのも、気疲れに繋がっているのか。
【11月14日】
土曜日。一日、模擬試験の監督。その間に、2年生の進路ガイダンスについて、業者との打ち合わせ。夕方、ガイダンス関係の資料をPCに打ち込みながら、誰もいない進路室で、「第九」を歌う。本番は、12月17日(金)。ステージに立つには、8回以上の練習参加、という条件が付く。昨日の練習参加で、現在参加回数6回と半分。今後、練習に参加できない日は分かっているので、ぎりぎりセーフという事になりそうだ。
昨年の「第九」は不参加、今年の夏の合唱は、チケットのごたごたで聞きに来ていただけなかったので、今回はまたお願いをすることになる。すでに、岩城先生ご夫妻からはご了解を得ている。母と京都の叔母も聞きに来てくれるとのこと。さらに、短期留学の出発前日にもかかわらず姪が聞きに来てくれる、とのこと。知り合いからも、連番2枚という事で、申し込んでいただいた。引き続き、よろしくお願いします。
日曜日。前日、変に気疲れして、本も読まずに就寝、9時。そのまま、夜中に一度目を覚ましただけで、寝続ける。起床、5時過ぎ。ベランダに立つと、全天をべったりと雲が覆い、かろうじて山科の背後の音羽山と空とのあわいに、黎明の気配が伺える。ずいぶんと寒い。昨日のコーヒーを温め直し、買ってあった餡パンを一囓りする。6時過ぎ、長袖・短パン姿でジョギングに出る。寒い分、走りやすい。走り終え、柔軟体操をしていると、隣のマンション前の道路に不法駐車している車の横に、警察官がオートバイで乗り付け、やにわにタイヤと路上とにチョークらしきもので印を付け始めた。人通りの無い早朝の路上で黙々と作業する姿を、興味半分で眺め続ける。
部屋に戻り、風呂に差し湯をして入る。ぬるめの湯につかりながら、30分くらい今月号の『俳句研究』を読む。岩城先生の「わたしと『俳句研究』」、竹中宏さんの「わたしの作句信条」、辻田先生の「わたしの昭和俳句」、浅井陽子さんの「わたしの推敲」など読む。そう言えば、作品よりもまず文章の方を一通り読んでいるな、と思う。石田波郷の句集は、『春嵐』を読み終え(療養俳句ではない部分で、改めてその上手さを感じた)、『酒中花』に入る。再び体調を崩し、入退院を繰り返す中で、詠われる句群に切実な中にもある広がり(ゆとりとか余裕というようなものではなく)を感じる。滑稽味の気配も感じる。ところが、「四十雀」の章を終えたところから、急に波郷らしからぬ「緩んだ」句が続き、驚く。一体どうしたのか、と思う。一時読むのを中断して、次の句集『酒中花以後』を先に読んでみようか、と思う。
【11月11日】
『鼎座』の原稿データを、印刷所に渡す。表紙の紙の色と質について、もう少し打ち合わせなければならない。最初は、銀の風合いのある白の厚手の紙が、墨書の「鼎座」という文字に合いそうだなと思い、表紙用の紙として考えていたが、実際に紙見本を見ると、思っていたようなものがなかったので、改めて考えることになった。薄く青みがかった淡い灰色風の紙、表面に繊細な感じで浅く皺がつけられている紙を、候補用紙とする。後は、費用との折り合いの問題。
岩城先生からは、数種類に渡る『鼎座』の題字をいただく。そのうちの一つを使わせて頂くことにして、残りは大事に預からせていただく。『鼎座』全体は、出来る限りシンプルにしたい、ということで、表紙は、題字と「創刊号」の文字だけとする。題字の大きさなどは、校正段階で再調整が効くらしい。11月中には出したい、と印刷所にお願いする。校正まで行けば、その後は1週間ほどで出来上がると言われる。
小雨の中を走る。今週は、これが初走り。夕闇の中を何も考えないで、ひたすら走るのが気持ち良い。Tシャツに短パン姿でも寒くはない。街灯のない坂道を走り登っていると、後ろから来た二人乗りのオートバイがやたらとクラクションを鳴らす。無視して走っていると、大きなエンジン音をたてながら、脇を走り抜けて行く。坂を登り切って、長い下り道をゆっくり走る。行く手に町の灯りが川のように広がっているのが見える。
通勤の電車の中で読み継いできた『蕉門の人々』読了。小動物にたいする興味という点から語られた史邦、嗅覚と相撲の句を中心に紹介された木導なども面白かった。自宅では、角川書店の『石田波郷読本』の全句集を順に読んでいる。現在第六句集『春嵐』に入ったところ。
【11月6日】
今日は、立冬。『運河城陽句会』の日だったけれど、所用の為、やむなく休む。耳鳴りの相談に行って、耳鼻科の医者から貰った薬を飲んで出かけるが、朝夕2回のむ薬で、ちょっときついのか、眠くて仕方がない。耳鳴りは、相変わらず。
午後、帰宅。酷く眠くて、居間の絨毯の上にごろんと横になる。目を瞑ると、耳の奥で鳴るはずのない音が響いている。
昨日は、丹後の『句会すき』。いつもは電車で行くところが、今日は岩城先生の奥様の運転の車で、丹後へ。高速を乗り継いで、2時間少しで宮津へ。途中、由良川沿いに走るところがあったけれど、台風23号の災禍の跡がいまだに見られた。宮津市内も、洪水の残した泥の跡や、増水を食い止めるために使われたのだろう土嚢が、歩道のあちらこちらに残されてあった。時間に余裕があったので、昼食は小町の里まで足を延ばして手打ち蕎麦を食べる。蕎麦粉10割の細身の蕎麦が、大変美味しかった。
句会は、参加者11名。新たに2人の方が加わられる。今回初めて席題が出される。ちょうど、座敷の障子を貼り替えられたとのことで、「障子貼る」が題(席題が好評で、次回もすることになったが)。6句投句の8句選。最高点句は、新たに参加された吉田さんの8点句。「蓑虫」の大変面白い句であった。岩城先生の選は、水野さん3句、吉田さん・鈴木2句、富貴さん1句。俳諧味のある句が結構投句されていて、おおいに座が賑わう。楽しい句会であった。5時前に句会終了。岩城先生と奥様は丹後泊まり、私は帰京。車中で、ビールを飲みつつ柴田宵曲著『蕉門の人々』を読む。丈艸に改めて興味を惹かれる。
【11月3日】
文化の日。今日は、東吉野村主催の「深吉野賞」の日。岩城先生は、当日選者として東吉野村へ行っておられるはず。私は、所用のため今年は行けない。「深吉野賞」は、『運河』の矢田部美幸さんが受賞された、と聞いた。選者特選なども軒並み受賞された、とも。『運河城陽句会』に、しばらく来ておられなかったようなので、どうされたのかと思っていたが、体調を崩して入院しておられるとのことだった。今日も、病院から受賞会場の方へ行かれる、と聞いた。元気一杯で、ちょっとシニカルな美幸さんの回復を祈ります。
日曜日。『醍醐会』で、京大教授の篠原資明氏から「短詩と風雅モノダニズム」と題されたお話を聞く。多岐にわたる話の内容をまとめる事は困難だが、例えば「モダニズム(過去の否定・未来派やダダの運動)」-ポストモダニズム(過去との親和・引用という手法の重視とその限界)-「風雅モダニズム(自然との親和)」という美術史の流れや、その体現者としての西脇順三郎の話とか、室町以降を近代と規定することで、ヨーロッパのルネサンス以降の近代との特徴点の一致の問題とか、「二重生成(心が言葉を変え、その言葉がさらに状況を変えていく)」の話など、知的刺激に満ちた大変面白いお話であった。それにしても、篠原氏の該博な知識には、ほとんど唖然・呆然状態となってしまった。また、詩人としての実作を紹介もしていただいた。作者の祈りの思いの籠もる五・五・五のリズムの「まぶさび(まぶしくて、さびしい)詩」、知的ゲームにちょっと似ている「超絶短詩」など、面白い試みであった。
『鼎座』は、ほぼ原稿は集まり、今週末、岩城先生から題字をいただいて、印刷の方に回すという段取りになった。『醍醐会』の二次会でも、ちょっとだけお酒の肴として話に出たのだが、さてこの小さな雑誌にどのような反響があるのか(ないのか・・・)、怖いような楽しみのような気持ちになる。編集人が私で、清水さんが発行人となる。
句集をだしてみようか、と思っている。印刷等については、Y社の方に問い合わせをして、見積もりなども取り、原稿の送付方法はメールで、などと打ち合わせを始めている。原稿の方は、13年分の2700余句を、250句くらいに絞っていこうかと思う。本当は、200句くらいでいいように思うのだが。表紙には、岩城先生が所持しておられる是非使いたい絵があったので、今原画を探していただいているところ。