日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
04.7「日々録」
04.8「日々録」
04.9「日々録」
04.10「日々録」
04.11「日々録」
【12月24日】
水曜日。どうやら復調したような気がするので、午後クラブの方に顔を出す。卒業生2人、3年生が1人、来ていた。現役と2試合、3年生・卒業生と各1回ずつ試合をする。この間、ほとんど体を動かしていなかったような状態だったから、アキレス腱を切らないように、注意しながら、試合に臨む。結構良い試合もあったのだけれど、結果は全敗。夕方、退勤。
木曜日、昨日の試合が結構体に来ていて、しんどい。朝、走るつもりであったが、中止。今日中に、年賀状を完成させなければならない。「酉年」なので、ゆりかもめの写真を使う。いつもの通り、モノクロ印刷で写真と文字という構成。写真は、アドビのフォトデラックスを使って、若干加工する。なかなかイメージ通りにならなくて、かなり苦労する(出来上がったものは、そうは見えないだろうな、と後ほど思う)。住所印刷は、随分前にフリーで手に入れたものを、使い勝手がよいのでここ数年使っている。忌中の方はチェックを外すだけで印刷されないのも便利だ。プリンターが、B4印刷が可能なキャノンのプリンターをずっと使っている。葉書印刷をすると、10枚に1枚くらいミスが出るのが、痛い。ともかくつきっきりで印刷作業。やっぱり10数枚ミスがでるが、それらだけ刷り直して、年賀状完成。「早出しは三文の得」プレゼントの用紙を添えて投函する。一仕事終了。結局、一日仕事となってしまった。夕方から用事があったのだが、どうも調子が良くないので、体温を測るとまた微熱とは言い難い状態となっていた。外出は中止。熱に翻弄されているようで、頭にきて、風呂場をぴかぴかに掃除して、すぐ寝る。寝苦しい一夜であった。
金曜日、いつものように歯を磨いて、顔を洗うためにほんの少し前屈みになった途端に、腰のあたりでピシッと音がしたような気がした。あれ?と思い、ちょっと嫌な感じがしたが、特に腰に痛みがあるわけでもないので、気にもかけないで出勤。仕事。座っていると、次第に腰の辺りが痛んでくる。ちょっと体を動かすと、ズキッと腰の一部に痛みが走る。やっぱり、やってしまっていたようだ。軽い「ぎっくり腰」。以前やったときは、出勤途上で痛みのあまり、全く歩けなくなってしまい、ちょうど通りかかった同僚の車に救われたことがあった。今回は、それほどは酷くないのが不幸中の幸いか。12月に入って、体調不良のために、碌に走ってもいなかったことが、招いた災いであったか。
なんというか、散々な歳末となってしまったようだ。
【12月21日】
金曜日。第九本番の日。前日から熱が引かず、弱気状態となる。昼過ぎで年休を取り、帰宅。集合時間に1時間ほど遅れるとミューズに電話を入れて、しばらく休む。やがて母と姪が来て、入れ替わりに会場へ。4時過ぎにコンサートホール着。本番を控えた会場のテンションの高さに付いていけない。4時45分からステージでゲネプロ。歌ってみると、意外と声が出る。合唱団全体も、良く声が出ているようだ。順調にゲネは進み、毎回のことながら気負いすぎて走ったりする場面もあったけれど、全体としては悪くない感触があった。ゲネを終え、各パートが控え室に帰り、軽食・着替えを終えると、すでに6時過ぎであった。最後の練習を済ませ、整列をして移動を開始したのが、7時過ぎ。ホール備え付けのテレビから、「第9」の1楽章が流れるのを聴きながら、移動を開始する。2楽章は、ステージ横の通路で聞く。3楽章の前に、入場。ホールはほぼ満席状態であった。3楽章の美しい旋律を聴きながら、会場を眺める余裕があった。2階後列に知り合い達の姿を見つける。しかし、母達や岩城先生ご夫妻を見つけることは出来なかった。やがて、4楽章。1〜3楽章のテーマが繰り返されつつ、曲は新しい展開を迎える。ベースとチェロによる「歓喜の歌」の演奏は、いつもぞくぞくしつつ聴く。再び1楽章のテーマに戻り、それからベースの独唱に入る。1度主題を歌い終えてから、それは合唱に引き継がれる。後は、一気にクライマックスまで進んでいくばかりだ。
歌い終わった瞬間の充実感は、本当に何者にも代え難いものがある。拍手を全身で受け止めながら、凝縮された時間の手応えを感じているのだ。音楽それ自体は、瞬間瞬間に消え去っていくものでありながら、最後の一音が空無となった瞬間に、時が一つの塊となって身の上に落ちてくるのだ。演奏会を終え、急いで着替えて楽屋口に向かう。この後、わざわざ来てくれた人たちと、いつもの居酒屋で二次会なのだ。
土曜日。姪がオーストラリアへの短期留学に出発する。7時20分には、タクシーが迎えに来て、京都駅から「はるか」で関西空港に向かう。姪は夜中に目を覚まして、リビングのソファーで寝ていたらしい。母が気付いて布団で寝るように言ったとのこと。本人は、何故そんなところで寝ていたのか、良く憶えていないらしい。普段と変わらない様子ではありながら、やはり緊張を感じているのだろう。2時間前には、関空に到着したが、その後の荷物検査や搭乗手続きに随分時間がかかり、一緒にコーヒーの1杯でも飲んで見送ろうと思っていたのが、その余裕もなく、すぐに出国手続きの方に移ることになる。ゲートの奥に消えていく姪の後ろ姿を、母と一緒に見送っていた。姪は一度も振り返ることはなかった。それが、ちょっと感動的であった。
その後は、寝込む。日曜日も一日横になっていて、母が帰る月曜日も寝たままであった。火曜日になって、微熱状態になったので、出勤。半日、偏頭痛で、げんなりする。夕方まで仕事をして、退勤。
【12月14日】
思い出す限り、ここ十数年、したことも無かったことをしてしまった。「寝過ごし」である。目を覚ましたら、7時12分。18分間ですべての事をし終えて、ゴミ出しまでして、出勤。参った。昨夜、12時過ぎまで、双子座流星群を見ていたせいだろうか。ベランダで、体に毛布を巻き付けて1時間半くらい、夜空を見上げる。空の明るい京都の町だけれども、中天から東の空にかけて、12、3個の流れ星を見る。随分冷え込んだけれど、色々な事を考えながら、時折暗い夜空を過ぎる、細い銀箔を擦りつけたような星の軌跡に目をこらす。
宇多喜代子氏の『里山歳時記 田んぼのまわりで』を読む。宇多氏の文章には、いつも筆者自身の息づかいや体温が感じられて、良い。平易な言葉の奥に、深い問題意識の所在が感じられて、考え考えしながら読んだ。対話をしながら読む、そんな性格の文章だと思う。特に好きな章は、たまたま最後の方にかたまったのだが、「新春から早春へ」の中の、「天の時間」「鬼のこと」「早春賦のこと」「田に牛や馬がいたころ」である。「早春賦のこと」は、淡々とした語り口ながら、美しくて哀しく、そして崇高な話である。機会があれば、是非一読を。
仁平勝氏の『俳句を作ろう』を読み始める。面白い。その面白さは、小川軽舟氏の文章を読んだ時に感じたものと同質のものだ。つまり、あることがとても明快に説明され、語られてあることのもたらす面白さなのだ。その明晰さの背後に、きっと膨大な知識の集積と重奏する評価と判断があるのだろうな、と感じさせる面白さなのだ。本当は、そんな時こそ一層注意して読むことが必要とされるのかもしれないけれど。しかし、面白い。
【12月11日】
「日々録」を書き終え、眠ろうかと思いつつ、テレビのチャンネルをまわすと、『千と千尋の神隠し』をやっていた。まずいな、と思いながら、結局最後まで見てしまう。11時になっていた。お話そのものは他愛もないものかもしれないけれど、描かれた世界が高度経済成長で狂い始める前の日本の風景が、原風景として想定され、描かれてあるところについ深い郷愁を感じて画面に見入って仕舞うわけだ。特に、千尋達が「沼の底」駅に向かう電車の内外の風景・情景は、夕方から夜へと向かう時間の推移と相俟って、深くセンチメンタルな感情を刺激するのだ。描かれた人間関係は、「フーテンの寅」さんの世界と大差ないのだけれど。
一晩寝たら、ほぼ完全復調。試しに周辺を軽くジョギングする。霧が少しかかっているようだ。雨にはなっていない。気持ちよい寒さで、薄く汗をかいて帰宅。入浴しつつ、角川の『俳句年鑑』を少し読む。「二〇〇四年の収穫『四〇代』『三〇代』」の評が面白かった。
『鼎座』発送の準備として、A5版用の封筒の裏に住所を印刷する。プリンターの設定のせいか、位置がかなり上の方に刷れてしまうのだが、まあ良しとしたい。とりあえず50部ほど印刷する。近所のコンビニからメール便の出荷シートというのをまとめて60枚ほど貰ってくる。発送は、メール便を使おうと思っている。一部80円と安いし、いちいち郵便局に行かなくても済むのが有り難い。ネットを使えば、荷物の発着の確認がとれるのも良い。
【12月10日】
2学期の授業が予定通り終わり、期末試験のテストもすべて出来上がり、よっしゃ!と思った矢先、発熱の為、ダウンする。いつもなら、ひたすら寝て回復するのだが、今回は熱が高く、インフルエンザも心配されたので、近所の医者に行く。2年ぶりくらいだろうか。幸いインフルエンザではなくて、注射を1本打たれ、薬を貰って帰る。一晩寝たら、久々の注射の威力か、体温が1度ほど下がったが、まだ高めなので、やむなく休む。結局、先週からの不調状態を引きずった結果だろう。ちょっと気が緩んだ途端、この有様であるか。発熱のせいか、非常におかしな夢を続けざまに見る。内容は、紹介出来かねるが、ガンジーやらフセインまで出てくるという、誇大妄想じみた夢であった。あるいはまた、自分が子狐(と言っても、童姿に狐の尻尾が生えているという、ほぼマンガのキャラクターのような有様)でともかく山奥のどこかに行かなければならないということで、文字通り悪戦苦闘するというものだったりする。
額に「冷えピタクール」とかいうのを貼り付けて、一日寝て、どうにか行動できるほどの状態に復帰したので、出勤。テスト監督、返ってきたテストの採点2クラス分終了、3学期の2年生ガイダンスと一斉テストの段取りを終えて、退勤。今日は、職場の忘年会の日だったが、そちらは残念ながら欠席する。まだ微熱が残っているので、体がだるい。夕食は、魚と茸の鍋。焼酎のお湯割りを1杯飲んで、体がすっかり温まる。今日の分の「日々録」を書き終わったら、就寝予定。『鼎座』の発送リスト作りは、明日以降に延ばす。
小川軽舟の『魅了する詩型ー現代俳句私論』を読んでいる。何という明晰な文章であろうか、と感心しつつ読む。はっきりとものが見えている人の書く文章とは、このような文章なのだろうか、と思う。「俳句」は読まれることによって「俳句」となる、という提起は、本当に色々な問題を孕んでいるものだ、と思う。
『幡』会員の福井貞子さんから第二句集『一雨』を送っていただく。読者の一人として選んで頂いた事を、感謝したいと思う。これもちょっと『魅了する詩型』からの受け売りのようではあるが、句集を送られるということは、そのような意味があると言うことを、意識的に受け止めたことは、今までなかったのではないのか、とも思う。
【12月7日】
土曜日。丹後の「句会すき」。「橋立1号」自由席は、結構満員状態。蟹の季節である。指定席から、岩城先生が移動して来られる。喫煙席ということで、緊急避難。『鼎座』と「第九」のチケットと句集の原案をお渡しする。丹後の宮津は「うらにし」の空模様。車窓に、細かい雨が打ち付ける。橋立で沢山の人が降車する。私たちは、丹後ディスカバリーに乗り換えて、丹後大宮まで。駅舎と一体になった喫茶店で、昼食。カレーが美味しい。12時半には、句会場の岩城先生のお宅に。やがて、三々五々句会のメンバーが来られる。本日の席題は、居間から眺められる「枯れ野」。岩城先生の句が最高点句。続いて岩城先生も選ばれた水野紀子さんの3点句。席題句以外では、岩城先生の9点句が最高得点句で、紀子さんの5点句、鈴木・水野美代子さんの4点句と続く。
披講を終えて、各句の選評。活発な話し合いが展開する。話題が、色々と広がるのが、楽しみでもある。季語としての「うらにし」の話も出る。恐らく、アーノルド・シュワルツネガーを句に詠ったのは、冨貴高司さんが日本中で初めてではあるまいか、などとも思う。5時前には、句会終了。外は、すでに夕景である。電車の時間まで、冷蔵庫に残っていたというビールを頂く。美味。その後の、電車の中でも飲み続ける訳であるが・・・。京都は、豪雨。岩城先生は、この後もお仕事とのこと。
丹後に向かう車中で、『運河』の矢田部美幸さんが亡くなられた事を、岩城先生からお聞きする。今年度の「深吉野賞」受賞作家である。体調を崩されて入院しておられるという事は聞いていた。大阪の叔父が入院していた病院に入っておられるということで、一度お見舞いに行かなければと思っていた、そんな時の訃報だったので、大変驚いた。ちょっとシニカルで元気一杯のおばちゃんで、気さくに冗談が言い合える方で、私にはとても良かった。東吉野村の「夢の淵」に落ちかかる滝のところで、即興で「滝の上に美幸現れ落ちにけり」などと歌われた時は、大笑いをしてしまった。楽しい人だったな、と思う。句は、『運河』らしい格の整った、風姿であった。
月・火と試験を目前に控えて、追い込みの授業。夜は、『鼎座』の発送リストを考える。少々、寝不足気味。
【12月3日】
火曜日、クラブを終えて、汗もひかぬままに退勤。そのまま市内に出て、「第九」の指揮者レッスンに参加し、やや遅れて会場の大谷会館に着き、そのまま舞台に上がって、歌い始めたとたん、立ち眩み状態となる。本当に、カメラの絞りがきゅっと絞られるように、視界が周囲からブラックアウトしそうになるので、これはまずいと思って、後ろの壁で身を支えて、何とか踏ん張る。すぐに普通の状態に戻ったので、そのまま最後まで練習に参加したのはよかったけれど、これがケチの付け始め。
結局、水・木と授業を終えると、年休をとってすぐ退勤。帰宅後は早めに寝る、という繰り返し。風邪なのだろう。今日も、体調は今ひとつで、6時前には退勤。昼ご飯が、半分しかお腹に収まらない、というのが辛い。「第九」の練習も休む。そんな、最悪のコンディションの中で、11月30日に、『鼎座』が刷り上がる。わずか14ページほどの、本当に薄い(これほど薄いのか、と出来上がったものを手にして、感慨しきり)1冊ではあるが、出来はなかなかのものではないかと、密かにニコニコする。
体調不良と言いつつ、水曜日には清水さんに50冊を送り、本日は岩城先生に100冊を宅急便で送る。『醍醐会』の方達に送らねば、などと考える。なかなか楽しい。
俳句は四季を尊ぶから、雑誌も年4回発行しよう、と清水さんからメールが来る。立春・立夏・立秋・立冬の日を原稿締め切り日にしたらどうだろうか、などと考える。ともかく、新しい一歩が踏み出された、との思いがある。