日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【1月31日】
土曜日。岩城先生宅で歌仙を巻く。12時前から始めて、夜の8時前に満尾となる。大石さんが加わる事で、前回とはまた違った展開となり、とても面白かった。いかに前句に付けていくのか、その付け合いがとてもスリリングで面白かったのだ。特に名残の表の大石さんの恋の句に付ける時は、とても気合いが入った。さらに、私の付けた句に、清水さんが本当に絶妙の句を付けられ、世界が次々変転していく様は、まさに連句の醍醐味のようなものを実感として感じられるものだった。最後の花の座には、前回同様岩城先生の奥様が作られ、揚げ句は大石さんで、一巻を巻き終える。
奥様の手料理と丹波産猪の猪鍋ををいただき、清水さんの持って来られた濁り酒を飲み、大石さんの差し入れの「のめ」(茨木和生さんの「のめといふ魚のぬめりも春めけり」の句を思い出すが)を岩城先生の調理でいただき(初めて飲んだ「のめ汁」でした。肉を包むゼラチン質の部分が絶妙の美味しさでした)、本当にごちそうさまでした。
日曜日。「醍醐会」の日。辻田先生の『稗史』。加田由美さんと、『幡』の白石さんがゲストとして参加された。今回の討議の中で、印象深かったのは、竹中さんの問題提起と、それを受けての辻田先生自身のお話だった。俳人としての営みの重さ、というものを感じた。
二次会は遠慮して帰宅する。夜、11時前くらいに、清水さんから電話が来る。すでに自宅に着かれたとのこと。二次会の話の中で、『鼎座』に対するかなり手厳しい批判がなされた、とのこと。電話口で話を聞きながら、さすがに胸に応える。ただ、今からが始まりなのだ、と思う。電話を切って後、おもわず清水さんにメールを送る。気が付いたら、12時前になっていた。
月曜日。てきめんに、風邪を引く。

【1月29日】
ミューズから届いた年末の「第九」のテープを聴く。気負いすぎてテンポが乱れた所もあったけれど、綺麗にハモっていて気持ちよく聞ける所も結構あって、全体としては良くやった、と評価出来る演奏になったように思う。ただ、男声の声が、かなり生な所があったのは、やはり気負い過ぎ、という事なのだろう。
日曜日の『醍醐会』のために、辻田先生の『稗史』を読み直す。会話体の句について、作品をピックアップしつつまとめる。本当に多彩な技(芸と言った方が良いか)を持っておられる、と思う。俳句と俳句作者としての自身に詠い及ばれた句もある。回想的な作もある。今回のレポーターは、上島清子さんと中村堯子さん、そして清水さんの三人である。
杉浦さんから送っていただいた4人の同人誌『quatre』の御礼のメールを、随分日にちがたって後、送る。『quatre』は、今号で20号である。作品、文章ともに充実していると思う。読んでいて、面白い。特に、杉浦氏の「風の記」は文字通り面白い。車中で読んでいて、思わずにやりとしそうになるのを堪える。創刊は1998年4月とのこと。今年で足かけ7年ということになる。4人だけの同人誌で、ここまで歩んで来られたことに、心から敬意を払いたいと思う。併せて、自分たちの『鼎座』についても、遠くまで行きたいものだと思う。とは言いつつも、やっと始まったばかり。立春の日が、第2号の原稿締め切りの日である。
明日は、岩城先生宅で歌仙を巻く日。大石さんがゲストである。どんな歌に仕上がっていくのか、大変楽しみだ。ついでに、岩城先生と清水さんには原稿の催促をしておかねば、とも思う。

【1月23日】
寒い。京都は、今日の最高気温が5度だそうだ。ベランダから北の方を見やると、比叡山は積雪のために水墨画のように見える。その向こうに見える比良山は、真っ白である。積雪は2メートル近くあるのではなかったか。
昨日。メモリーの増設をする。きちんと認識もされて、PCの動きが目に見えて速くなった。すごいものだ、と感心する。『夜の客人』を読む。茫洋とした世界が面白い。季語の斡旋が上手いな、と感心する。夕方、走る。同じ道を走ると飽きるので、わざと込み入った道を走る。走りながら、西空の暮れなずむ景色に、昼がすこしずつ長くなってきているな、と思う。夕食は、茸と魚の鍋。美味しい。夜、辻田先生の『稗史』を読み直す。来週の日曜日は、第五日曜で『醍醐会』の日。『稗史』を取り上げることになっている。
朝。4時過ぎに目が覚め、あとは布団のなかでごろごろ状態となる。眠いような、眠くないような気分で、6時過ぎベットを出る。ベランダに出ると、比叡山が墨絵のように見える。高曇りの空。いつ雪が舞ってきてもおかしくない空模様だ。
ネットの「俳句の里掲示板(邑書林の島田牙城氏が管理する掲示板)」で、俳人協会賞の選考が終了したのを知る。俳人協会のHPに行くと、各賞が発表されてあった。俳人協会賞は鈴木鷹夫氏『千年』、俳人協会新人賞は、辻美奈子氏『真咲』・松永浮堂氏『げんげ』・山崎祐子氏『点晴』の三句集、俳人協会評論賞は、西村和子氏『虚子の京都』、俳人協会評論新人賞は、小川軽舟氏『魅了する詩型 現代俳句私論』とのことである。それにしても、俳壇の動きの一端は、この「俳句の里掲示板」で知る事が多い。昨年末の鈴木氏・桂氏・田中氏の逝去のことも、知ったのはこの掲示板であった。俳壇の今に繋がっているHPとして有り難い。そう言えば、昨日の京都新聞の夕刊の「詩歌の本棚(新刊評)」で、竹中宏さんが、『幡』の石動敬子さんの第一句集『素描(デッサン)』について書いておられた。「曲がり角に立つ今日の俳句の新しい波動」にシンクロしていると位置づけ、作品世界の伸びやかさを評価し、その上で「読者に世界を見る視線の変更をどこまで迫れるか」と今後に対する期待を語っておられる。

【1月22日】
笠置に下見に行こうと、朝、出かける。JRの木津駅で関西線に乗り換えて、と思っていたら、木津駅近くになって、車内放送が関西線の加茂以東が運行休止になっているような事を言う。木津に下車して、駅員に確認すると、保線工事のため、昼の時間帯が運休になるという。今はまだ動いているから笠置へは行けるが、帰りは5時前まで列車は止まっているとのこと。どうしようかと考えるが、結局今回も見送ることにする。来週は、土日両日とも所用のため、笠置行きは2月になる。
木津駅から、そのまま引き返し、京都へ出る。仕事用のノートパソコンの動きが、SP2導入後酷く遅くなり、この際メモリの増設で対応しようと思っていたので、京都駅前のソフマップに買いに行くことにする。沿線の火事で電車が遅れたりして、2時間近く車中で時間を送ることになる。澤口俊之著の『あぶない脳』という本を読む。「脳を知って活用すれば、人生も社会も豊かになることは間違いないのに(中略)日常や社会に生起する多くの問題を解き、それらを解決するための具体策を提示したりする際に、だ。」と冒頭で筆者が強く言い切っているけれど、読んでいけばそれが頷けるように思われる。面白い一冊だった。
メモリを購入。メーカー純正品だと256メガで5万円近くするので、そんなものはとても買えず、店の人に尋ねて大丈夫だという製品を9000円弱で買う。「純正品以外は、動作保証しかねる」みたいな事が説明書に書いてあったので、まだ増設はしていない。
せっかくなので、1階下の本屋で田中裕明氏の句集『夜の客人』を買う。もう一冊買いたい本があったけれど、それを買うと5000円ほどになるので、今回は見送る。本が高いな、とつくづく思う。茨木和生氏の『季語の現場』が平積みで置いてあった。1時過ぎに帰宅。昼食を食べつつ、録画しておいた「俳句王国」を見る。

【1月19日】
月曜日。「月曜句会」の新年句会プラス新年会に参加する。昨年後半は、全く参加出来なかったので、こんな時だけという感じで、少々後ろめたくはあったけれど、参加する。会場は、昨年と同じ「くれたけ庵」。場所はうろ覚えのまま、とことこ歩いて行くと、ラッキーなことに、ちゃんと行き着いた。前半は、8句投句の句会。互選には、数句入る。辻田先生には1句採っていただく。冗長な部分についての、注意をきっちり受けながら。後半は、宴会。もっぱら焼酎を飲むが、本当に久しぶりに日本酒をお猪口1杯ほど飲む。料理は、京風でなかなか美味しい。
火曜日。何事も無く過ぎる。クラブで、生徒に交じって練習。シャトルのヒットポイントが後ろ過ぎる、と生徒から注意を受ける。ちゃんと、後ろに下がって打てないのだ。転倒すれば、恐らく後頭部を「もろ」に床に打ち付けることになるだろう、などと思うと、大胆に下がることは難しい。夜、長い夢を見る。最後は、真夜中に出る新幹線に乗って、とりあえず名古屋までは帰っておかなければ、などといかにも夢の中らしい、訳のわからなさの中で、ひたすら焦っていたりもした。恐らく北アルプスの後ろ立山辺りが元になっている雪山の情景が、目が覚めても印象に残っている。
水曜日。日曜日に「三月書房」で買ってきた吉本ばななの最新小説集『なんくるない』を読了。沖縄を舞台にした短編小説集。吉本ばなならしいいつもの小説だな、と思いつつも、他の本は後回しにしてつい読んでしまう。一番面白かったのは、最後の作品「リッスン」。それまでの作品のアンチテーゼ(古臭い言葉だけれども)みたいなところがちょっとあって、それが面白かった。お話の終わりは、いつもの・・・風になってしまったが。一度、「喋りすぎない」吉本ばななの小説を読んでみたい、などと思う。


【1月16日】
府大会は、シングルス・ダブルスともに、残念ながら敗退。結果として、今日一日、自由な時間が出来た。今日も天気は今ひとつのようなので、笠置行きは後日に延ばす。昨夜、思い立って、しばらく中断していた句集の作品整理を行う。荒選りはすでに終わっているので、句の配列作業に入る。一々句の出来を見直していくと、句集を出す気持ちが萎えそうになるので、かなり機械的に作業をする。1ページ2句配列という体裁になるのだが、「一太郎」を使って見開き2ページに設定した所に、表現・素材・時期等を考えつつ、句を置いていく。それだけで、随分と時間がかかる。第U部まで終わり、今日は第V部について、同様の作業を行う予定。仮配列が終わったら、読み通してみて、入れ替えや差し替えの作業をすることになるだろうな、と思う。2月に入ると、『鼎座』第2号の発行準備にはいるので、それまでには目処を付けておかなければ、と思う。
『俳句研究』2月号をざっと読む。「俳人インタビュー現代俳人の顔」の大石悦子さんへのインタビューが大変面白かった。最新句集『耶耶』についても触れておられ、その中で句集に対する編集方針を変えた、ということなど特に興味深く読んだ。掲載作品は、個人的には大牧広氏の句が特に面白かった。『参』会員の川勝好女さんの句が、「読者俳句」大石悦子選の「推薦」に入っていた。川勝さん、おめでとうございます。
茨木和生氏の『季語の現場』を読み継ぐ。これは、本当に面白い一冊である。特に、登場する人々が有名無名の人をひっくるめて、皆生き生きと不思議に懐かしくこちらに迫ってくるのが、すごいと思う。茨木氏の中に、小説家としての素養というものを強く感じる。その中でも、個人的に特に好きな人は、海士の田本十鮑氏である。自らの仕事に誇りを持ち、情に厚く、無骨でやさしく繊細な心根を持った人、であったのだろうか、などと茨木氏の文章の上でしか出会うことの出来ない人ではあるけれど、色々想像しながら読んでいる。社交辞令ではもちろん無く、『季語の現場』は俳人の枠を越えて是非沢山の人に読んでもらいたい一冊だと思う。ここに語られてあることは、日本人の文化の基層の部分の一つだと思われるからだ。高度経済成長以降、拝金主義と物質第一主義が根こそぎ破壊しようとしてきたものが、ここには語られてあるように思われるからだ。「農」に拘っておられる宇多喜代子氏の近著『里山歳時記田んぼのまわりで』と併せて、折あれば一読して下さい。ただ、このような優れた著作が、主に俳人の中にしか流通していない状況というものに、歯がゆい思いを感じもする。どこかの新聞や俳句関係以外の雑誌で、両氏の著作の書評が掲載されないだろうか、とも思う。せめて、これらは高校生が読むに値するよい本だからと、図書館の司書の方に話してみよう、と思う。
明日は、夕方から『月曜句会』の新年句会。ここしばらく、参加出来ないでいるので、こんな時だけ参加するのに若干引け目を感じるけれども、新年の7句を準備して行こうと思う。29日には、『鼎座』第2号の為の歌仙を、岩城先生宅で巻く。ゲストは大石悦子さんである。そのための連絡葉書を投函して後、書き漏らしたことに気付き、追伸の葉書を書くことになる。ドジなことである。

【1月15日】
始業式以来、一度も授業に出て来ていない生徒と、廊下で出会ったので、どうしたのかと尋ねたら、年末以来、風邪が抜けきれなくてしんどい、と言う。病状を聞いてみたら、そっくり同じ状態であった。今日も、熱がとれないので、早退するとのこと。同情しきり、である。
こちらは、やっと完全復調。昨日は、クラブで生徒と2試合し、1勝1敗で、まだ動き足りないので、近所を一回り走ってくる。
退勤途中、本屋さんで、定期購読している『俳句研究』を受け取る。車中で読む。深吉野賞の発表があり、矢田部さんの受賞作と、顔写真が掲載されてある。小川軽舟氏の『魅了する詩型』を「中級講座12ヶ月」で扱っていた。書評というわけではないようなので、各執筆者にとっての『魅了する詩型』としての俳句の紹介(筑紫磐井氏の文章を除いて)、という風な内容になったようだ。『運河』京都句会の12月句会の様子が、紹介されてもいた。記事の3分の2近くが作品紹介であることが、いかにも『運河』の句会らしくて良かった。主宰の添削を載せていることも、今までにない内容であった。吟行の日は、京都句会にも参加されていた矢田部美幸さんの葬儀の日でもあり、哀悼の文も添えられてあった。「俳壇告知板」の「創刊誌」に『鼎座』が紹介されてあった。夜、清水さんとのメールの遣り取りの中で、喜び合う。
『京都吟行案内』の下調べで、笠置の方に行こうかと思っていたが、すでに雨が降り始めているので、中止する。笠置までは、JR乗り継ぎで1時間半ほどかかる。近鉄の急行で奈良まで40分くらいなので、京都府内とはいえ、意外に遠いのだな、と思う。史跡と自然の2本柱で、取材する予定。明日のクラブ引率がなければ(今日からの府大会敗退ということになるのだが)、行ってみようか、とも思う。

【1月10日】
やっと微熱が抜け、平生の状態に戻ったようだ。母の方は、一旦回復したようだったが、少し動いたらまた熱が出た、という。本当にしつこい今年(去年から)の風邪である。
今日は、朝からクラブ引率。現地集合で、会場が近くだったので、歩いて行く。水の涸れた琵琶湖疎水の、浅く残った水が一面凍っていた。酷く寒い朝である。試合会場の体育館も、ありふれた言い方だけれど、冷蔵庫(冷凍庫でないだけマシであるが)並みの寒さで、試合をする生徒達の半袖・短パン姿は見ていても「寒い」。試合は、ダブルス・シングルスで行われ、ブロックのベスト16が、来週行われる府大会に出場できる。結果は、2年生を中心に数名府大会に出場が決まる。1年生の中にも、公式戦での初勝利を経験した生徒もいて、良い予選会となったと思う。
3連休は、なかなか忙しくて、そのせいか、帰宅後、なんとも眠くて、居間の絨毯の上にごろりと横になったまま、いつのまにか寝込んでいた。一眠りして楽になったので、夕闇の町を走る。12月以降、ほとんど走っていないので、途中から胃が痛くなる。走っているときに感じるストレスは、日常生活で感じるストレスと同じ性質のもの、と聞いたことがあるが、この1月余りのうちに、随分「軟弱に」なったものだ、と思う。
薯焼酎をちょっと飲み、引率の帰りに買ってきた焼き芋を食べ、どうやらこれが今夜の夕食になりそうだ。焼き芋は、なかなか美味しい。

【1月9日】
昨日は、「句会すき」の新年句会。冬型の気候が強まっているので、雪が心配されたけれども、丹後の水野さんに連絡をとって、大丈夫であろうという判断で、実施となる。朝の「はしだて1号」は、何故か、通常自由席の車両が1両、指定席に変更されていた。3連休で「松葉蟹」のシーズンということがあるのだろうか。岩城先生も、指定席が全く取れなくて、たまたま空いていた私の横の席に座られる。車中で、昨年末亡くなられた田中裕明氏の葬儀の事などを、少しお聞きする。さらに、1月3日付けで送られてきた田中氏の最新句集『夜の客人』を読ませていただく。実は、前の句集『先生から手紙』の方は、今ひとつその良さがわからなかったのだが、今回の句集で初めて田中裕明氏の句の面白さに触れ得たような気がした。その発想の独自性や表現の無手勝流風の巧みさは言うまでもなく、さらに俳句の面白味の諸相とでもいうものが、1句1句の中に様々に、ごく自然体という風で仕込まれているような気がしたのだ。
丹後は、わずかながら積雪があり、雪催いではあったけれど、心配するほどの状態ではなく、定刻には句会が始まる。今日は、フルメンバーの14名が参加。色々差し入れなどもあって、賑やかな句会となる。題詠は、「初薬師」。最高点は岩城先生であった。天候のことがあり、若干早めに終了。帰りは、ビールとつまみの差し入れまで頂く。時間に余裕があったので、ストーブが暖かい丹後大宮の駅舎の待合室で、早速ビールを開ける。つまみも開けて、良い気分でのんびり飲んでいると、いつの間にか発車5分前になっていた。あのまま、気が付かなければ、確実に一電車遅れていたであろうと思う。
今日は、『運河城陽句会』の日。午前中は棚倉の涌出宮周辺を吟行。午後は、いつもの城陽文化パルクで句会。かなり冷え込んでいて、田圃には霜柱が立ち、畑の貯水槽には氷が張っていて、冬を実感できる吟行であった。茨木先生は、吟行途中で、美男葛の実を髪に塗って見せられたり、奥まった畦道で蕗の薹の芽をいち早く見つけられたりと、本当に活動的であった。小さな池では、初めて寒鮒釣りを間近に見ることも出来て、大変面白い吟行であった。句会の結果は、惨憺たるものではあったけれども。
現在、邑書林のセレクション俳人『大木あまり集』を読んでいる。感覚的な句に共感を覚える。茨木先生から、『続・西の季語物語』とも言うべき著作『季語の現場』をいただく。こちらも読み始める。体験の厚みというものに、つくづく感心する。

【05年1月5日】
昨日、帰京。年末から年始にかけて帰省するも、発熱による体調不良で、文字通りの「寝正月」状態となる。母も、京都に来たときに病気をうつしてしまったらしく、発熱と筋肉痛や喉痛に苦しむ。ほとんど外に出ることもなく、過ごす。かろうじて、帰京前日の夕方、中海にある水鳥公園に白鳥を見に行く。昼間は、安来平野の方へ餌をとりに行き、夕方になって白鳥はここに帰ってくるのだ。しかし、あいにく冬型が強まり、夕方にもかかわらず、厚い雪雲が全天を覆い、日没後のような暗さの中で、帰ってくる白鳥の姿をしっかりと認めることが出来ず、寒さも酷いので、20分ほどで帰宅する。
5日は、真っ直ぐ京都に帰った訳ではなく、関空へオーストラリアへ短期留学した姪を迎えに行きがてらの帰京となる。2週間のホームステイを終えて、「楽しかった」という言葉を繰り返す姪の話を聞きながら、こちらもどこか海外にしばらく行ってみたいな、などと思う。新大阪駅で、新幹線に乗り込む姪を見送って、こちらも新幹線で京都へ。なんと15分で到着。早い。
帰宅後、郵便物や年賀状の整理。メールの確認。『鼎座』関係のものは、清水さんと岩城先生に送らなければ、と思う。『鼎座』第2号の締め切りは、立春の日なので、あと1ヶ月である。帰省中に、短編の方は書きあげたのだけれど、故郷を題材にしての作品10句という目論見は壊滅してしまった。疲れたので、久しぶりにお酒を飲んで、寝る。10時過ぎに、大学時代のクラブの先輩から電話があったようだが、それも気付かないで朝まで寝る。
6日、出勤。午前中は、授業準備。午後は、会議。夕方、退勤。Kさんから、消息を問うメールが来ていた。あまりに長期間、『日々録』を更新しなかったからである。
帰省中に俳人の田中裕明氏の逝去を知る。直接の面識はなかったけれど、東吉野村の天好園や、祇園の米さんの出版記念の宴をご一緒させていただいたことがある。飄々とした方で、自分のライフスタイルを大切にしている人だな、という印象を持っていた。最年少で角川俳句賞を受賞した人で、今後の俳壇を支える一人として将来を嘱望されている方ということは、知っていたし、体調をこわして入院されているということも仄聞していた。『鼎座』創刊号を送らせていただいた方の一人が田中氏でもあった。『鼎座』が、田中氏の目に触れる幸運を得たであろうか、という事をふと思う。ご冥福をお祈りいたします。