日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【3月31日】
出勤前に、マンション前のコンビニから、清水さんに『鼎座』を送る。ついでに、メール便の出荷シートを50枚ほど貰う。『鼎座』発送用である。
一日、教材作りと、新年度の分掌関係の準備作業を行う。転勤が決まった人たちが、荷物の整理をしている。今日中に片付けを終えなければならないのだ。隣の席で1年間一緒に仕事をしてきた人も転勤が決まり、残務処理と机周りの最後の片付けを終えて、昼前には退勤された。別れの挨拶をするとき、さすがに皆ちょっとしんみりした気分になったものだ。
日中は暖かくなる、との予報であったが、少し肌寒い。校地の奥まったところにある桜の古木の様子を見に行く。少し芽が膨らんだかな、という状態であった。桜の芽が花びら色に膨らんできている。明日は晴れ、明後日からは天気が悪くなるとのことで、開花は来週になるのではないか、と思う。
夕方、久しぶりに走る。いつの間にか、木蓮があちらでもこちらでも咲いている。ユキヤナギ、連翹も咲き始めている。小手毬の花も、沈丁花もある。ゆっくりと走りながら、贅沢な気分になってくる。

【3月30日】
『鼎座』第二号が刷り上がる。表紙の紙を前回のものと変更した(創刊号の紙は上質のもので、その分少々高くついた)ので、ほんのちょっと印象が違う。一通り読み直していくうちに、校正ミスを発見する。不注意であった。レイアウトも一カ所気になる所があって、次号の課題とする。
句集の2校が、帰省中に届いていた。初校の分と比較しつつ、見直していく。初校の時に比べて、まずは確認作業だったので、1時間ほどで終了。ただ、改めて問題か、と思われる句が数句出てきたので、それをどう処理するか、考えなければならない。現在読んでいる平畑静塔の『俳人格』の俳論の影響を、ちらちら受けているようで、気を付けなければならない、と思う。
春寒である。しかも、朝より昼近くなってからの方が冷え込んでいるような気がする。敷地内にある桜の古木の蕾は、わずかに膨らんできたか、という状態で、開花にはまだ数日かかりそうに思う。そういえば、今年も平野神社の夜桜を楽しめるのだろうか、などと変に期待したりもする。困ったものだ。
校務分掌も決まり、新年度も同じ分掌で仕事をする事になる。すでに、旧年度の仕事はすべてし終えているので、今週は新年度の授業準備を進めている。一年ぶりに国語表現を持つ。今日は、半日かけて国表の作業プリントを3種類作る。これが、1回2時間分の授業となる。

【3月28日】
木曜午後、年休を取り、帰省する。弟が指揮をし、甥・姪が出演するコンサートを聴くためだ。
金曜日。真冬並みの寒気のため、午前中は風雪状態。午後になって、天気が回復する。コンサート録画のためのビデオカメラを買いに行く母に付き合う。小型・軽量、しかも使い易い。技術は、日々進歩している!と実感する。
土曜日。快晴。車を借りて、句作りに出る。日野川河口、妻木晩田(むきばんだ)遺跡、水鳥公園と廻る。常に春の雪に覆われた大山の姿が眺められる。日曜日、午後。コンサート本番。本格的なオーケストラであった。演奏を堪能する。終演後、そのまま駅に向かい、電車に乗る。
この帰省中に、「のだめカンタービレ」という漫画を知る。現在、11巻。全巻読み終える。大変面白い。まさに「ハマル」という状態であった。

【3月24日】
昨夕、4年前の卒業生2人と会う。高校時代、国語表現の授業で教えていた生徒達だ。二人とも大学生。もうしばらく在籍する予定とのこと。桃山の「えんり庵」でお酒を飲みつつ、3時間ほど話をする。二人とも個性的でなかなか面白い青年に成長していた(というか、すでに高校時代、国語表現の授業の中で二人とも個性あふれる作品をものしていたのだが)。話の最後には、店の人に写真を撮ってもらい、気分良く別れる。
秋元不死男の句集『万座』を読む。面白い句集である。有名な「冷やされて牛の貫禄しづかなり」の句もこの句集に収められてある。発想や表現の中に辻田先生と深く繋がる部分を感じる。



【3月20日】
11時前、かすかな揺れを感じた。電灯が左右に振れていた。地震だなと思って、テレビをつけ、NHKを見ると、九州で強い地震があった放送している。兄のいる地域は震度5強と知る。携帯をかけるが通じず、自宅の電話も呼び出し音のあとNTTのテープが、電話が繋がりにくくなっていると繰り返すばかりだ。実家にも電話を入れ、そちらからの電話でまず勤めに出ている兄の携帯に繋がり、その後自宅の方にも連絡が取れた、とやがて電話が来る。揺れは大きかったが、誰も怪我をした者はなく、自宅の方も大丈夫だったようだ。数年前の鳥取西部地震を思い出していた。
今日は、朝から『京都吟行案内』の分担原稿の「水尾」の下書き原稿を書いていた。昨日、取材のために水尾に出かけ、清和天皇社・清和天皇水尾山陵などをまわり、デジカメで撮った写真を見直したり、取材メモをあちこち捲り返したりしながら、原稿を書く。400字詰め原稿用紙換算で3枚弱という分量なので、ともかく内容を削り削りしながら書くことになる。それがなかなか辛い。どうにかその下書き原稿が出来上がった頃に、突然の地震である。午後になってようやく兄の自宅の方に連絡が取れ、兄嫁のほうから様子を聞く。かなり動揺しているようで、体調がおかしいと言う。気を付けて、頑張るように伝えて電話を切る。
四国の知人から電話が来る。今、京都にいる、という。今春、大学に入学する息子さんの準備で来ているという。電化製品を揃えたいのだが、どこか適当な所はないか、との問い合わせの電話。心当たりを1件伝える。住む場所は、すでに決めたと言う。私のマンションから歩いて10分ほどの所にあるアパートとのこと。奇遇である。
郵便局に小包を取りに行く。某古書肆に注文していた本が届いていたのだ。秋元不死男の句集『万座』と『甘露集』、そして、平畑静塔『俳人格』。前回の「翔の会」には間に合わなかったけれど、次回のためにともかく読んでおかねば、と思う。昨日、久しぶりに長時間歩いたので、足腰が痛い。本当ならば、JR保津峡駅と水尾の往復8キロのはずが、帰途に出会った面白いおじさんの薦めで、駅まであと1キロくらいのところで道を変更して、保津峡沿いに亀岡まで足を延ばしてしまったのだ。時間にして2時間、距離にして8キロくらいか?そのせいで、帰りに寄るつもりだった芭蕉句碑は、カット。しかし、久しぶりの山道歩きを楽しむ。そして、歩きながら、山歩きに夢中になっていた大学時代、いつか保津峡を亀岡まで歩こうと思いつつ、果たせないままでいたことを唐突に思い出したりしていた。たまたまとは言え、こんな形で思いがかなうとは、とちょっと感慨に耽ったりもしたものだ。

【3月16日】
『鼎座』第2号の原稿を印刷屋さんの方に渡す。
句集の校正原稿と自選10句を、宅急便で邑書林へと送る。
気懸かりであったこと二つが、本日終了。昼の暖かみの残る夕闇の中を帰宅する。ほっとしている。
今日は、合格発表の日であった。昨日が、故郷の甥っ子の高校入試の発表の日で、幸い合格を得て、私の後輩になった。そんな事があった後なので、合格発表を見に来た中学生達の中に交じって発表を見ながら、複雑な気持ちになる。

【3月14日】
日曜日。『鼎座』の編集作業を終える。最後に「後記」を書く。清水さんと岩城先生に確認のメールとFAXを送る。
句集の校正作業を続ける。読み直せば読み直すほど、問題点が見つかり、困惑状態となる。その時の姿を出来る限り生かしたいので、あまり大きく句に手を入れることは避けたいと思っているのだが。外を見ると、盛大に雪が降っていた。ベランダに出て、冷気に体を晒す。稲荷山は全く見えない状態だ。そう言えば、昨年も3月に雪が降った。たまたま出掛けた京都御所から眺めた大文字や東山連邦の雪景色が、今でも鮮明に頭に残っている。今回、校正作業をしている中で、「雪持(ゆきもち)」という言葉を知った。木や草に積もった雪の事をそのように表現するらしい。地面に雪は積もっていなくても、木や草の上にはうっすらと雪が残っている。そんな状態を表現する言葉のように思われる。あのときの大文字や東山の状態は、まさに「雪持」状態ではなかったのか、などと思う。
月曜日。校正作業にそろそろ決着をつけるべきか、と思う。何度目かの読み直し作業を終えて、これで作業を終了しようか、と思う。帯文の為の自選10句の選句を行う。校正した部分のデーターの入力をする。この入力作業が終わったところで、第一次の校正作業を終了しようかと思う。
『俳句研究』4月号の「中級講座・同人誌の現在」に岩城先生の文章が載る。『鼎座』についても触れておられる。

【3月12日】
防寒をフード付きオーバーに変えたと思ったら、最後の寒波がやって来てしまった。再びダウンジャケットを着て、出勤。今日は、クラブ当番の日。卒業生の参加などもあって、賑やかな練習となる。午前中の練習が、結局2時前まで延びて、腹ぺこ状態で近所の喫茶店で遅い昼食。やたらと大きいエビが3本付いたエビフライ定食を食べる。堪能する。
通勤の電車の中で読み継いできた松井利彦著『新編昭和俳句史』もまもなく読了。昭和半ばに至る時期の代表的俳人達のエピソードに、歴史の流れを絡ませて、さらに他の文学の影響関係なども併せて紹介するという重層的な語り口が面白い。10年の歳月をかけて、松井氏が書き上げた一冊と言うことだ。
『鼎座』に掲載された清水さんの短歌の俳句化「付かず離れず」が、俳句と連句研究誌の『獅子吼』3月号で大野鵠士氏に取り上げられました。こうやって反応が返って来ると言うことは、心強い事です。大野氏の論評中「どうやら、素材と表現内容の上で、短歌と俳句には、それぞれに得意とする分野、守備範囲があるようだ。『異種格闘技』の結果、ジャンルとしての優劣などではなく、それぞれの特性こそがいよいよ鮮明になるだろう。」という一節は、清水さんの試みの一端を的確に語っておられるものと思います。大野氏の評論を受け、「2月号の原稿は既にお送りした通りですから、3号からはもう一工夫してみます」という清水さんの言葉に、力強さを感じました。ちなみに、『鼎座』2号の「付かず離れず」は永田和宏氏。これも面白い句に仕上がっています。

【3月9日】
通勤時の防寒をダウンジャケットから、フード付きのオーバーに変える。朝の気温は8度、寒いと感じない。学年末考査は3日目。夕方まで採点作業。昼が長くなったな、と思いながら退勤。いかにも春らしい柔らかな夕景を眺めながら、帰る。久しぶりにカレーを作ろうと思い、ホテル仕様のカレールーと鶏肉、タマネギ、ニンジンを買って帰る。帰宅後、早速料理。タマネギをしっかり炒め、そこにニンジン、鶏肉を入れて、さらに炒める。鍋に移して、水を入れ、煮立てる。火を弱め、アクをとりつつ、おとした火でことこと煮詰める。この間を利用して、軽く近所を一回りしてくる。スウェット・スーツを着て走ると、少々暑い。40分ほど走る。
走り終え、部屋に入ると、野菜の美味しそうな匂いがしている。早々に着替え、カレールーを入れてさらに煮詰めつつ、風呂に入る。カレーの美味しそうな匂いが、浴室の方までかすかに匂ってくる。
出来上がったカレーを食べる。文句なく美味しい。普段は、ご飯は軽く一膳なのだけれど、今日はついお代わりをしてしまう。
昨日は、出張のあと、何故か疲れて9時には寝てしまったので、今夜は句集の校正の続きをしなければ、と思う。

【3月7日】
土曜日。「句会すき」の日。先月が大雪のため中止になり、今年に入って2度目の句会である。3月であるにもかかわらず、雪もよいの天気のもと、丹後へ。ちょっとしたハプニングがあって、急遽会場が大宮から峰山に変更になり、電車を乗り越す事になる。久しぶりの峰山だ。駅前の公民館をお借りしての句会。わざわざ会場に雛人形が飾られ、雛の額が吊られる。新しい会員さんを迎え、句会が始まる。席題は『雛荒らし』。珍しい季語である。5時前に句会は終了。峰山駅の待合室で、ビールやつまみを買い込み、電車が来るまでしばらく備え付けのテレビを見たり、峰山に通っていた頃に親しくなった売店の人と話をしたりして過ごす。待合室から東の方を眺めやると、春雪に輝く大江連山が優雅な姿を見せている。
車中では、ビールを飲みつつ、四方山話。岩城先生の体調は良さそうだ。
日曜日。所用で出かける。夜は、時間をかけて句集の校正原稿を読む。何カ所も手を入れる。ワープロソフトで作った原稿がもとになっているので、目障りな送り仮名がそのまま残っているのだ。作品自体の入れ替え、一部の再推敲等の作業を行う。今日手を入れられなかった部分には付箋を貼り付けておく。かなり疲れる。
月曜日。夕方、月曜句会へ参加する。昨年後半は、ほとんど参加出来なかったので、今年は、出来るだけ参加をしなければ、と思う。辻田先生は、大変お元気だった。力の籠もった、そしてユーモアを交えたお話はとても面白い。

【3月3日】
日曜日。「翔の会」。京都駅前のコンソーシアム京都にて。弥榮さんが準備してくれた資料をもとにして話を進める。資料は、秋元不死男『俳句入門』、山口誓子『写生論の変遷』、並びに平畑静塔『不実物語』から主に「写生」に関わる部分の引用の三種類。さらに、参加者の小林さんの提起した『天狼』俳句における「典型像」の創造という問題を搦めて、議論が進む。
『ホトトギス』の写生は、素十から爽波へと受け継がれる中で、その「写生」の特質は、対象を無心に凝視する事で、結果として対象の「それらしさ」を否定するものとなり、それに対して、『天狼』の「写生」はその対極にあり、対象に対して「単純化」・「明晰化」を志向する中で、予定調和的な対象の「それらしさ」(=「典型像」)に収束する方向性を持つのではないか。そして、辻田俳句は、『天狼』俳句のそんな「典型像」に対する、「ひねり」「ずらし」「ねじれ」の方向でもたらされたものではあるまいか。「格に入りつつ、格を出でよ」とする辻田氏の『天狼』俳句に対する基本姿勢は、『天狼』俳句を我がものとしつつ、そこに「ひねり・ずらし・ねじれ」という俳句的方法を持ち込むことで、『天狼』俳句との間に緊張関係を保ちつつも、自己の俳的世界を構築してきたのではないか、と議論を進める。次回は、中村堯子さんをゲストとして招き、さらに論議を深める予定だ。
火曜日、夜。邑書林から句集の初校が届く。自分のものではありながら、何となくどきどきしつつ、読み直していく。当初は、考えていなかった帯文も付けることになる。
水曜日、帯文を竹中宏さんにお願いする。新たに書いていただくのは申し訳なく、以前に頂いた私信の一節を使わしていただくことになる。さらに、自選句10句を選ばなければならなくなる。ちょっと困っている。