日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
04.11「日々録」
04.12「日々録」
05.1「日々録」
05.2「日々録」
05.3「日々録」
【4月30日】
金曜日。「緑の日」だからと言うわけではないが、本当に久しぶりに愛宕山へ山登りに行く。『新京都吟行案内』の「清滝」の項の取材である。水尾からは何度も登った事はあるが、正面登山道は清滝まで本数の少ないバスを使って行かなければならないので、ずっと敬遠していたのだ。京都バスの終点清滝のバス停で下車し、一度清滝川まで降りて、町並みをしばらく歩き、小さな鳥居を潜って、そこから登山開始となる。とはいっても、道のかなりの部分が良く整備された階段状になっていて、登山というより登拝という雰囲気である。7月31日の「千日詣で」の日には、さぞかし多くの人たちがこの道を歩いて行くことだろう、と思う。新緑の中を歩いていく。1丁ごとに小さな地蔵が安置され、里程標の小さな看板が山頂の愛宕神社までの距離を「40分の( )」という数字で教えてくれる。
道は、前半は結構急登、後半はなだらかという状態。愛宕山の山体そのままの道の勾配である。神社まで直登に近い状態で、道が作ってあるのかもしれない。汗をかきつつ、高度をかせぐ。途中写真を撮ったり、メモを取るために立ち止まる以外は神社まで休み無しで歩き、1時間40分ほどで到着。ゴールデンウイーク初日ということもあるのだろうが、神社は随分の人出であった。参拝をして、「火廼要慎」のお札を買って、次の目的地「月輪寺」へと向かう。神社への最後の長い石段の横から高雄方面の道をとり、すぐに脇の山道へと入る。細いが、良く踏まれた道をどんどん下って行く。薄く落ち葉の積もった北山の道は、足に優しい道である。やがて、木の間越しに青い屋根が見え、すぐに「月輪寺」に着く。まず目を引いたのが、みごとなシャクナゲの花。今、満開だそうで、豪華絢爛でありながら上品さを忘れないとでもいう、シャクナゲの巨大な花の塊に本当にびっくりしてしまう。堂守なのであろうか、温厚そうなおばあさんが「良いときに来られた」と話しかけてこられる。汗を乾かしつつ、石垣に腰を下ろしてしばらく満開のシャクナゲに見とれる。有名な「しぐれ桜」のわずかに残った花びらが、時折はらはらと頭上から降ってくる。俳句の吟行としては、このコースはかなりきついという思いを感じていたのだが、この月輪寺まで来てこのシャクナゲを見て、その思いが一変する。聞くところによると、わざわざこのシャクナゲを見るために楽とは言えない山道を登って来る人が多いらしい。花期に出会う、はずれるの運・不運にみまわれる事もあるという。
月輪寺を出発し、一気に大杉谷まで下る。最後の目的地、空也の滝を見に行くのだ。登山道が大杉谷の林道に出会うところからすぐ右手の流れの横に空也の滝へ続く道が付けられてある。渓流沿いの道を10分足らずで、空也の滝に着く。鳥居の向こうに20メートル程の立派な滝が直立している。岩に砕かれた小さな水滴が辺りの空気に充ち満ちているのを感じる。汗がすっと引いて行くのを感じる。滝のそばの冷たい流れで顔を洗い、手頃な石に腰掛けてしばらく滝を眺める。良い滝である。清滝・空也の滝・月輪寺コースの吟行の方が、愛宕山まわりより若干体力的に楽で見所十分の吟行になりそうな気もする。全行程5時間弱か。清滝のバス停に着くと、京阪三条行きのバスがちょうど出るところで、それに乗る。最初の予定に入っていた愛宕念仏寺には、今回は行けなかった。後日、行ってみようか、と思う。
【4月24日】
土曜日。クラブ当番で出勤。アップのつもりでグランドを走るが、つい10周ほど走って(5キロ弱か・・・)から、クラブへ行く。久しぶりに2年生と試合をするが、途中でふくらはぎに痛みが走る。あ、まずいかな、と思いつつも、屈伸でごまかして試合を続ける。結果は、負け。痛みが残っているので、ごく軽いねんざか、と思いつつも、もう1試合してしまう。こちらは、3年生相手で、結構善戦する(相手が手加減してくれたかも)。1時まで練習を見て、その後退勤。近くの喫茶店で昼食。その最中に、岩城先生から携帯が入り、京都吟行案内の原稿をもう1本書くことになる。
電車の中で、永六輔の『伝言』(岩波新書)を読む。メディアとか言葉とか医療とかの幾つかのテーマについて、筆者自身やそれらに関係する人や一般の人の言葉を書き留めたもの。何気ない言葉の中に、様々な知恵やユーモアがあって面白い。電車を降り、近所のスーパーに寄る。苺を買って帰る。最近、「ハマッ」ている食べ物。苺に「小岩井ヨーグルト」(400円くらいする方、結構高いけれど、クリーミィな味わいでそれ自体美味しい)をかけて、それにコンデンスミルクをちょっと垂らしたもの。これが美味しい。小岩井以外だと、変に甘かったり酸っぱかったりして合わないように思う。食事の後、デザートとして食べるのが嬉しい。
日曜日。5時過ぎに目を覚まし、今日は走るのはやめて歩こうと思い、着替えて6時に家を出る。ふくらはぎがちょっと痛かったけれど、それも歩いているうちに気にならなくなる。いつも走っているコースを早足で歩く。走っている時とは、また別の町の風景が見えてきて、これはこれで楽しいかな、と思う。1時間余り歩いて、帰宅。コーヒーを1杯飲む。
【4月23日】
長い1週間が終わる。スタートしたばかりで、余計に緊張と気合いとが入っているせいなのだろう。随分疲れる。腰も痛い。帰宅後は、ひたすら寝てエネルギーを蓄えなければならない。その結果、「日々録」も滞りがちとなってしまう。
金曜夕方、西空が錫箔を貼り付けたように硬質に見えていたのは、黄砂であったのか、と思う。ミューズのレッスンに行くが、バテ気味で、早めに引き上げる。歌うにも体力は必要である。先週申し込んでおいたチケットを受け取って帰る。封筒の中にパンフレットも一緒に折り込んである。手間暇をかけているな、と思う。販売2週目で残席は200席ほどらしい。7月9日が本番で、練習日程もほぼ半分が終了した。
今日は、クラブ当番で出勤。5時過ぎに起床、洗濯を終え、朝食を取り、出勤前にとりあえず書き込んでおく。今日は、BSの春期短歌大会だけれど、投歌出来ない。残念。
【4月17日】
土曜日。某百貨店の古本市に行く。人出はちらほら、という状態。隣の古銭・切手・古物販売の人出の方が多い。一つ一つの店をゆっくり見て歩く。購入した本。『俳諧常住』山本健吉、『破壊せよとアイラーは言った』中上健次、『詩美と魂魄』妹尾健、『風狂余韻』安東次男、『中村稔詩集』中村稔、『江戸俳諧歳時記』加藤郁乎、俳句関係の本が多いな、と思う。加藤氏の歳時記は、かなり高かったけれど、見つけた途端に即決購入。帰宅後、読んでみたが、その情報量に圧倒される。
1時間歩いて帰宅する。風はひんやりとしているけれど、歩いているうちに、汗をかく。上着をとり、腕まくりをして歩く。新緑が美しい。
草田男のメルヘンを読む。大正ヒューマニズムの影響を受けているとの事だけれど、ちょっと古風な内容。懐かしい世界に触れている、という気分で読み進む。俳句の方が面白いかな、との思いあり。
日曜日。昨夜、ひさびさに眠れなくて夜更かしをした結果、朝から眠い。お腹も、少々痛い。昨夜、南瓜の煮たのと、茄子の味噌味風炒めもの。それが悪かったとは思えないけれど。
【4月16日】
金曜日。「レクイエム」のチケット発売初日。前回の「カルミナ・ブラーナ」の時は、このチケットの事でしんどい思いをしたので、今回はチケット購入の為に並ぶ。団員の三分の一にあたる百名程の人が、集合時間は来ており、改めてそこでチケット購入の順番をクジ引きする。何枚購入するかは、その時まできちんと考えてはいなかったが、人数の多さから見て、初回でチケットのほとんどが捌けると判断して、必要枚数S席15枚を申し込む。私の前の人は、2枚のチケットを申し込むために並んでおられた。前回は、仕事で並ぶことが出来ず(今回はそのために1時間の年休を取った)、初回販売を逃した結果、その2枚すら購入出来ず、一人1枚という割り当てに、団員でありながらチケット1枚とはいくらなんでも酷いではないか、とミューズに抗議したことがあった。
私自身も購入枚数が少ないとはいえないけれど、中には一人で20枚、30枚と買っていく人がいる。それ自体は非難される事ではないかもしれないが、結果として欲しくてもチケットを手に入れる事の出来ない団員が出てくる事は問題であろうとして、初回の販売枚数の上限を一人5枚とか10枚にして、一わたり団員内にチケットが行き渡った時点で、追加販売をしてはどうか、と提起したけれど、あっさり却下されたようだ。早めにチケットを売り切って、経済面での心配を解消したうえで、練習の方に集中させたいという事務局の思いは十分理解出来るのだが。以前に比べると、チケットの事で心配しなくても済むという状態が生まれて来ていることも、ミューズにとっては好ましい事ではあろうけれども。
思ったより早くチケットが購入出来たので、歓送迎会までの時間を近くの百貨店で開催されている古本市を覗きに行く。京都市内の古書肆がコーナー毎に出店していて、時間がないので2・3店しか覗けなかったけれど、数冊購入する。その中に、中村草田男のメルヘン集『風船の使者』(みすず書房)があった。草田男が童話を書いていることは知っていたが、これがそうなのかと思い、即購入。詩や小説ではなく、「メルヘン」というのが面白いと思う。歓送迎会には、10分ほど遅れてしまった。
土曜日。朝から良い天気である。洗濯を済ませ、朝食を摂り、一休みしている。昨夜のビールと赤ワインがちょっと残っているようだ。
【4月11日】
花冷えの一日。入学式の受け付けに立ちながら、大袈裟ではなく寒さに震えていた。桜は散り始めで、どうにか入学式までもってくれた。
日曜日。一日籠もる。午前中は、「京都吟行案内」の原稿に手を入れる。地図の準備もしなければならなかったが、笠置の地図は手に入らず。水尾は、ちょうど清和天皇水尾山陵の部分で地図が切れていた。仕方ないので、とりあえずヤフーの地図に、必要事項を書き込んでおく。京都市内に数件地図専門店があるので、そのうちの一店に問い合わせのメールを送る。
午後は、本を読む。藤さんから送って頂いた、『運河』最新号を読む。その中で、先日送られてきた『月刊俳句界』の中で、問題になっていたことの経緯が茨木主宰の文章で分明となった。
秋元氏の『甘露集』読了。最晩年の句は、病気との闘いの中で詠われたもので、息を詰めるようにして読み終えた。最後の句は、「ねたきりのわがつかみたし銀河の尾」であった。平畑静塔の『俳人格』の中で読み残していた「不実論」の数編を読む。俳句は「実」ではなく、「不実」をこそ詠む文芸である、との主張で書かれたものである。「不実」とは何か、ちょっと分かりづらい所もあるのだが、たとえばこんな一節が理解の手助けにはなりそうだ。「実体から言葉を一度剥いだ上でないと俳句が表現詩として成り立たぬことは、言わず語らずに俳人が遂行してきた嘘の術である(中略)俳句季題という言葉そのものも、この不実の方法をうけて、実体と言葉が隔離分断されているものなのである。数字のような記号とまでゆかぬが、言葉としては事物とはなれ記号により近づいて初めて私どもはこれを俳句表現の言葉として使えるのである。」少なくとも、客観写生の句が描き出してきたとされる事物の実体と、それを表現しているはずの俳句表現の言葉との間にある乖離を、表現の側から言い止めているように思う。言葉は「もの」ではなく、「記号」であるとするところが、俳句の言葉を「もの」として捉えようとする秋元不死男との大きな違いであろうか、とも思う。
その後、復本一郎氏の『俳句とエロス』を読み始める。俳句が捉え、表現した「エロス」というものが、真正面から取り上げられていて、とても面白い内容である。
【4月9日】
7時前に走る。朝桜の見物を兼ねて。空は文字通り、雲一つ無い天気。ただ、水蒸気を含んでいて、白っぽい青空である。沿道にも小公園にも個人の庭先にも、町中のあちらこちらに桜がある。それが、いずれも文字通り満開である。走りながら何とも楽しい。琵琶湖疎水のほとりの桜も満開。あるいは花筏も、と思っていたのだが、流れているのは水の泡ばかりである。
ここ数日の桜の様子を眺めながら、あるイメージが浮かんで来ているので、『鼎座』第三号の「発想の森」の短編小説に使えそうな気がしている。創刊号が、「生と死」、第二号が「死の偏在」と、暗めの内容だったので、第三号は少し明るめのものを書きたいと思う。清水さんからのメールの中で、第二号の作品を「この世界はわかる」と言って下さった方がいると聞いて、励まされたような気持ちになる。「文章に転向か」などと、冗談を書き付けて来られたが、それは無いにしても、俳句も小説も自分を通過して出て来たものという点では、自分の中で違和感はない。恐らくそう言う点が、自分の句を「本格俳句」を志向する方向からは中途半端なものとしているのかもしれないが。しかし、まあ、良いかと思う。
そう言えば、突然「株式会社文学の森」という所から『月刊俳句界』の見本誌やら句集出版の勧めやらが送られて来た。営業活動なんだろうけれど、どこから住所が知れたのだろう。考えられるのは、「俳人協会会員名簿」ぐらいだが。見本誌をぱらぱら読んでいたら、「俳句ボクシング」という企画で亡くなられた田中裕明氏が選をしておられた。その後、選者が岩城先生に替わられたので、これも田中氏の最後の仕事の一つかと思いつつ読む。
一日天気が良さそうなので、シーツ類など大物を洗濯する。朝から暖かい。ベランダから眺める町並みのあちこちにも、満開の桜が見える。良い季節である。
【4月6日】
暖かい、を通り越して、暑いくらいの一日となった。これで桜も一気に満開モードに突入することになるのだろう。天気予報を見ると、京都の最高気温は25度であったそうだ。一昨日は、朝夕寒いくらいで、花冷えにしては、少々寒すぎるなどと思っていたのだが。
『鼎座』第二号の発送作業が終わる。近所のコンビニからメール便で送るので、一度にあまりにたくさん持って行ったら店の方でも迷惑だろうと思い、四日間に分けて小出しで送る。メール便の扱いの不慣れな店員さんには、こちらからちょっとやり方を教えたりして、ともかくも発送終了となる。次の締め切りは立夏なので、五月五日となる。もう一ヶ月もない勘定だ。年4回発行だから、余裕である、と思っていたのだが、そうでもないようだ・・・。
秋元不死男の『甘露集』を読んでいる。ある句の詞書に、「甘露」について説明があった。引用する。「『甘露』のことを印度では『アムリタ(不死)』といふ由、即ち借用してわが別号となす」とある。なるほど、と思う。そういえば、吉本ばななの小説にも『アムリタ』というのがあったな、などと関係ないことを思い出したりもした。句は「蟹ねぶり甘露山人名乗りけり」。面白いな、上手いな、と思いつつ読んでいく。辻田先生も登場する。詞書き「同日、宇治に新居を構へし辻田克巳宅に泊る」とあり、句は「ふくふくと畳匂へる初音かな」である。その時の事は、2004年『俳句研究』10月号「わたしの昭和俳句4」の「『氷海』人としてA」の中で、辻田先生自身書いておられた事を思い出したりもした。
【4月3日】
7時前まで寝る。昨夜、丹後からの帰りの車中で飲んだ缶ビールが効いたのだろうか。おまけに、その夜見た夢が、巨大な電車で旅をしているというものだった。長い旅をして、まもなく終着駅に着く、という時に目が覚めた。なんとなく上手く出来すぎという気もするが。
昨日は、丹後「句会すき」の日。行きの車中では、ほとんど寝て過ごす。斜め向いの席に座っている家族連れの中の小さな女の子がちょっと興奮気味で、終着の「天の橋立駅」に着くまでひっきりなしに笑ったり喋ったりしていて、疲れる。その子を素材に1句作り、句会の互選で選ばれる。不幸中の幸いというべきか・・・。頭ごなしに「躾」などと言う気はないし、お出かけではしゃぐ子供達の気持ちも分かるけれど、でも車中でのマナーについて、もうちょっと何とかならないのだろうか、とは思う。「なんでもあり!」、の世の中ではあるけれど。
句会の席題は「柳挿す」。あまり例句のない季題とのこと。句会参加者13名、面白い句が13句並んだ。最高点は岩城先生の4点句。私は1点。披講前に私の句と分かっていた、と岩城先生。実は、私もこれは岩城先生の句だなとおおよそ分かっていたのだ。結果としては、お互い選はせず(私はどちらを選ぼうかと迷っていたが、結局水野さんの句を選ぶ)。今日の句会で岩城先生の出された持ち込みの5句は、行きの車中でお渡しした『鼎座』第2号の私の短編の中から材を取られた、と帰りの車中で知らされた。句会中、いつもと違う色合いの句を投句されていたので、『おや?』と思っていたのだが。そんな仕組みがあったとは、実は全く気が付いていなかった。岩城先生の挨拶とねぎらいの句と受け止める。