日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
04.12「日々録」
05.1「日々録」
05.2「日々録」
05.3「日々録」
05.4「日々録」
【5月28日】
少々、バテ気味。土曜日。思い立って、山へ行く。是非気分転換が必要だ、との判断。
保津峡駅から水尾川沿いに水尾の里へ。そこから愛宕山へ登る。愛宕神社にお参りをして、月輪寺から清滝へ、というコース。ほとんど『新京都吟行案内』の「水尾」「清滝」2コースそのままである。水尾から愛宕山への登山は、十数年前に2度ほど経験があり、その時の記憶を頼りにこのコースを決めた。比較的平坦で、展望もなかなか良かった、という印象が残っていたのだが、現実は大違いであった。愛宕山東斜面のひたすら登りと展望の無さ、というダブルパンチであった。全く良い加減な記憶であった(この錯誤の背景には、当時フルマラソンを走りきるだけの体力があったのと、登山道沿いの杉の植林の丈が現在よりだいぶ低かったということもあるのか・・・)。大汗をかいて登るが、きつい分コースタイムは、保津峡駅から愛宕神社まで1時間50分と思ったよりかからなかった。
愛宕神社から月輪寺へと下り、そこで小休止。周囲の新緑の微妙な色のグラディエーションが、心に染み通るようであった。こんな瞬間に、山のもたらす浄化作用を感じる。やはり、山に来たのは正解であった。ここは、秋の紅葉もきっと素晴らしいぞ、とついでに思う。月輪寺からの下りで、寺の住職(尼さんなのだが)のお母さんとしばらく一緒に下る。病院に行くために、どうしても山を下りなければならない、とのこと。随分高齢なのだが、山道を行く足取りは本当にしっかりしている。1時間半ほどかけて林道まで降りる、と言われる。歩きながら、石楠花の花期のことや、夜石楠花の実を食べに来る鹿の話など聞く。しばらく歩いて、一休みするという事なので、挨拶をしてそのまま先に行こうとすると、そこに下から山登りらしからぬ風体の青年が一人登って来た。「あら、郵便屋さん。」という月輪寺のお婆さんの言葉で、その人が郵便配達の人であることを知った。林道に降り立つと、そこに郵便配達用の赤いカブが留めてあるのが目に入った。
登山の小さなザックの中に、宇多喜代子さんの『わたしの名句ノート』を入れてきて、車中で読む。ここしばらく、その本を少しずつ読んでいる。有名な作品群の中に、初めて目にする句が時折混じっていて、句ならびにその解説が随分面白い。こんな風にして、宇多氏は自分にとっての名句と出会っておられるのだ、と思いつつ読む。その中に、早世された猪口節子さんの句に触れたところがあって、東吉野村の天好園で一度だけお目にかかったことがあった事を思い出したりしながら、しんみりとした思いになったりもしたものだ。
【5月22日】
土曜日、夜。句集献呈のリストを作る。自分で送る分と、邑書林にお願いする分とを分ける。句集は400部をお願いしたが、少々多すぎたようにも思う。その後は、11時過ぎまでテスト作り。来週後半から中間考査が始まる。
日曜日。天気が持てば山に行こうと思っていたが、どうやら雨になるらしい。すでに夜の内に一雨来たらしくて、ベランダから見下ろす道路が黒く濡れている。山行きは中止して、今日一日は放りっぱなしにしている幾つかの事を片づける事にする。とりあえず、雨が降り出す前にということで、走る。走り出したのが6時半、走り終えて部屋に帰ったのが7時20分。昨日、おとといと朝から暑いくらいだったのに、今日はひんやりと湿った空気を吸いながら走る。こんな状態の方が、走るのに楽で嬉しい。
帰宅後、シャワーを浴び、クルミパンを囓りながらコーヒーを呑む。朝食としては、ちょっと頼りないけれど、これで済ませてしまいそうだ。一休み後は、『新京都吟行案内』の追加原稿「清滝」を推敲・完成(すでに下書きは出来ているので)して送ろうと思う。『鼎座』原稿の編集作業も今日中に出来るところまでやっておこう。すでに清水さんからは歌仙『風の香や』の巻と原稿を送って頂いている。自画自賛的になるけれど、歌仙も原稿もとても面白い。原稿を真っ先に読めるのが、編集担当の役得と改めて思う。自分の分の作品も何とかしなければ、と清水さんの作品を読みつつ思う。全部作り直しかな、とも。
【5月21日】
今週は、体調が今ひとつの上に忙しくて、ひたすら我慢の1週間となった。本もほぼ全く読めず(通勤時、1週間かけて『俳句研究』6月号を読んだだけ・・・)、帰宅後は早めに寝るのみという有様。いろいろな事が中途半端なまま放り出された状態となっている。何とかしなければ、と思う。
土曜日。クラブの引率が1時まで。その後、暑い中を京都市内へ。登山用の靴を見に行ったのだが、思ったより高かったので、とりあえず今日は見るのみとする。それにしても、登山用具店に行くのは何年ぶりだろうか。その後、遅い昼食。数年ぶりにトンカツ定食を食べる。ちょっとスタミナをつけねば、と考えて。トンカツの味は普通であったが、味噌汁の具がなんと蜆であった。外食の定食に蜆のみそ汁がついたなんて、覚えている限りで初めての事であった。ご飯とみそ汁・キャベツはおかわり自由だったので、早速みそ汁のみお代わりする。普通、定食に付くみそ汁が、結構食べづらい蜆というのは、考えにくくて、その分とても新鮮に感じられたのだ。
昼食を終え、折角なので「三月書房」に立ち寄り、西脇順三郎の本を2冊買う。木屋町を通り抜けて、京阪で帰る。車中で、さっき買った本を少し読む。なんとなく、こちらの日本語が混乱しそうな、難解な?内容であった。
帰宅すると、邑書林から句集の連絡が来ていた。来週には出来上がる、との事。楽しみである。装丁見本を以前に送ってもらったが、帯文を含め、素敵に出来上がっていた。
【5月15日】
金曜日。1時間ほど遅れて、ミューズの練習に参加。合宿前に気持ちを引き締めておこう、という配慮か、曲の出来についてかなり厳しい注意が繰り返される。本日のニュースで、来年度の夏の曲目を知る。合唱指導の葛西氏が、数年前に京都ミューズの為に書き下ろされた「オラトリオ 創生記」の再演という事であった。いつか、もう一度歌ってみたいと思っていたので、楽しみである。
土曜日。5時過ぎに起床。そのまま、1時間ほどウオーキング。起きている人は、新聞配達、犬を散歩させている人、朝帰りらしい会社員、ウオーキングの人。膚寒いくらいの朝の空気の中を、速歩で近所を一巡する。朝食後、「創生記」のテープを聴く。難しいけれど、劇的でちょっと宗教曲的な雰囲気を持つ作品だ。
清水さん、大石さんと、9時半京都駅改札口前待ち合わせで岩城先生宅へ。本日は『鼎座』第3号のための連句の会。ゲストに版画家の山田喜代春氏が来られる。山田氏から発句をいただき、歌仙「風の香」を巻く。7時前には一巻を巻き終わり、奥様の心尽くしの手料理をいただく。お世辞ではなく、次々に出てくる料理の美味しさに、皆感嘆しきりで、ついには今後岩城邸を料亭「花軍(はないくさ)」と呼ぼう、という提案まで出てくる有様であった。ゲストの山田氏にも喜んでいただけて、充実した一日となった。
美味しいお酒もいただき、興に乗ってさらに即興で半歌仙を巻こう、という話になり、9時過ぎに岩城邸を辞去するまでに付け合いの十数句が出来る。さらに帰りのタクシーの中、地下鉄の車中、京都駅改札口前と歌い継いで、ついに歌仙1巻として巻き終わる。周囲からは、さぞ酔っぱらった変なおじさん、おばさん集団に見えたことであろう。
【5月12日】
校門前で昼の立ち番をしていると、卒業生のM君に出会う。帽子を被っていないと、長髪で印象がちょっと違う。今から学校とのこと。二言、三言話を交わす。校門の立ち番をしていると、ごくたまに卒業生に出会ったりする。前の学校で担任をしていた女の子が、お母さんになって子連れで通りがかったこともあった。昨日は、暑いくらいの日差しの下で立ち番。今日は傘をさしながらの立ち番。新緑の樟の木の下に立つ。
日曜日。比良山系の堂満岳に登る。新緑の美しさもさることながら、この時期にはシャクナゲの花が綺麗なのだ。小型の富士山の様な姿の堂満岳が真っ直ぐ東に延ばす尾根を登る。堂満東稜と呼ぶ。尾根に乗っかった辺りに、ノタノホリという小さな沼がある。その沼も見所の一つである。頂上までかなりの急登が続く。特に頂上直下の斜面は急で、お喋りなおばさん集団を黙らせてしまうくらいの登りである。頂上周辺は、まさにシャクナゲが満開状態で、紅色の艶麗な花が新緑に映えて、とても美しい。大汗をかいて、登って来た甲斐のある風景であった。金糞峠(かなくそとうげ、と読む)へと下り、そこからさらに縦走路を釈迦岳へと向かう。途中、営業不振で閉鎖になったスキー場の施設の中を通る。新緑の中に展開する廃墟は、一層凄まじい印象を与える。施設をすべて解体して、一刻も早く自然に戻すべきだ、と思う。
釈迦岳から大津ワンゲル道を下る。難路と道標に書いてあったが、確かに今この足を踏み外したらそのまま下の斜面を転げ落ちてとんでもないことになるな、と思われる場所が数カ所あった。結構、緊張しながら下る。河原に降り立った時は、さすがに嬉しかった。流れで顔や腕を洗い、そのまま湖西線比良駅まで下る。愛宕山から始まり、リトル比良、堂満岳と、随分長期間山から離れていたのに、連続して山に出かけたのは、これは全く新緑の魅力に尽きる、と思う。
山本健吉の『俳諧常住』を読む。比較的軽いエッセイ集。角川春樹氏に入れ込んでいるところなど、面白いなと思う。句集は、帯文の段階に入ったようだ。5月20日頃には出来上がるらしい。楽しみである。
【5月8日】
水曜日。一日籠もる。妹尾健氏の『詩美と魂魄』を読み続ける。CDボックスの10枚組トスカニーニを流し放し状態にして読む。俳句史に対するより総合的な視点の提起がなされる。ただ、そのことを具体的に提起することは、実はなかなか難しいことではないか、とも思うのだが、『掛葵』という結社とその結社人に焦点を当てて、論を展開しておられる。まだ、問題提起という段階のようにも思われるが、今後、どのようにより具体的に近・現代の俳句史に『掛葵』とその作家達を位置づけていかれるのか(例えば、その影響関係とか)、と思う。途中、読書を中断して『鼎座』の短編を書く。小話風の作品になってしまう。変な作品なので、反応が確かめたくて、岩城先生にFAXで送る。後ほど、「なかなか巧み、落ちも付いてるし・・・。」との評を得る。やはり、小話だな、と思う。結局、この日、外に出たのは、雑貨を買いに、近所の店に出かけた30分だけだった。
木曜日。清滝に行く。「吟行案内」の取材で残っていた部分を埋めるつもり。保津峡駅を起点として、保津川、やがて清滝川に沿って歩く。河鹿の声が快い。芭蕉句碑、晶子歌碑を確認、朱塗りの橋の名前が渡猿橋(とえんばし)と確かめる。空也の滝まで、足を延ばし、不思議な写真の正体を確認。当日は、「八大竜王」のお祭りの日で、紅白の幔幕が滝の周辺に張られ、一升瓶やお餅、その他の寄進物が滝の前に並べられてあり、場違いな所へ来てしまったと、本当に恐縮してしまった。滝から引き返し、清滝トンネルを通って、愛宕念仏寺へ行く。ここは、1200体もの羅漢像で有名なお寺。その中に、知っている人の面影を見つけると、旧版の「吟行案内」に書いてあったのだが、そんな事もあるまい、と思いつつ、亡くなった祖母にそっくりの羅漢さんを見つけてしまったりしたものだ。
金曜日。ともかく忙しかった。7時40分出勤で、ガイダンスの準備。授業は4時間、会議が1時間。残り1時間は、漢字テストの採点2クラス分と、古典の演習プリント作り。放課後は、夕方まで小論文ガイダンス。6時過ぎに病院へ。8時過ぎにミューズの練習へ。テノールが、随分上手くなっていて、びっくりする。10時前、帰宅。ともかく、予定していた事は、すべてクリア出来て一安心。
土曜日。丹後の「すき句会」。岩城先生は、前日から丹後へ。橋立1号車中では、小林計一郎著『小林一茶』を読む。時折、寝る。句会は、13名。席題は「玉葱」。面白い句が続出する。岩城先生選句に3句入る。近来ない事であった。句会後、岩城先生は丹後にもう1泊され、一人京都へ帰る。車中で、『小林一茶』読了。後は、寝る。
【5月4日】
火曜日。数十年ぶりにリトル比良を歩く。リトル比良は、琵琶湖西岸1000メートル級の嶺が並ぶ比良山系の北に延びる標高500〜600メートル級の山塊を、比良に引っかけてそのように呼ぶ。9時14分発の新快速に乗り、近江高島駅に49分着。駅を出て、音羽の村まで歩き、春祭の幟が何本もたなびく大炊神社の裏手から山道に入る。新緑の山道をゆるゆると登って行く。
標高563メートルの岳山を越え、展望絶佳のオウム岩で一休みする。奥美濃の山から三国・赤坂などの湖北の山々、そしてゆったりと両翼を広げる蛇谷ヶ峰から比良の盟主武奈ヶ岳へと延々と延びる北方稜線まで、すべて見渡せる。リトル比良北面の新緑の斜面が眩しい。5分ほど休憩し、リトル比良の最高峰(というには大袈裟だが)686メートルの岩阿沙利山へと向かう。ゆるやかな斜面をゆっくりと登って行く。頂上は木々に覆われていて展望は効かないが、今回唯一ちゃんと三角点のあるピークである。山頂手前で若者が一人、木にもたれてぐったりという風で休んでいた。かなりバテている風に見えたが、その理由はすぐに判明。岩阿沙利山から湖西線北小松駅へと降りるつもりで寒風峠へ向かうが、すぐに急傾斜の下りにかかる。先ほどまでのゆるゆるとした登りと対照的に、落ちるように下って行く。この坂を登ってくれば、先ほどの青年のようにバテバテになるだろうと、納得する。鵜川越えで立派な林道を横切り、寒風峠へ向かう。小さな上り下りが繰り返され、さすがに疲れてくる。木々の向こうに比良山系のヤケオ山とそれに続く稜線が覗く。
一下りして、寒風峠に到着。ここから涼峠までは、平坦な道を歩く。森の中を散策している風の道。道に沿って流水が現れ、せせらぎの音を聞きながら歩く。涼峠からは本格的な下りの道。行く手前方に湖岸と琵琶湖の大景が広がっている。大気はやや水蒸気を含んでいるようだ。やがて、楊梅の滝へと降り着く。雌滝を眼前にしながらゆっくりと休む。雌滝の上には落差が50メートルはある立派な雄滝があるが、下り道の途中で遠望したので、今回は割愛する。北小松駅まで、勾配の急な道路を歩く。3時過ぎに駅へと着く。
京都駅着後、近鉄プラッツの生花店で、母の日用のカーネーションの配達を依頼。山登りの格好(というのか、短パン・半袖・ザック姿)は、さすがに花屋さんには似つかわしくないようであった。
【5月3日】
土曜日。柿本多映氏の最新句集『粛祭』について話し合う「柿本多映さんを囲む会」に参加。会場は、新緑豊かな三井寺観音堂。大阪にある「空の会」が主催し、そこに参加を許されたのだ。前半は、柿本多映氏のお話を聞き、後半は句集について島一木氏の問題提起を受けて自由に討論。批評の方法から始まり、柿本氏の俳句の本質論まで、話題は多岐に及んだ。なかなか刺激的な集まりであった。5時過ぎに散会、引き続き会場を京都駅前のアバンティ内の居酒屋に移し、二次会。ここで「伝説の人」妹尾健氏と席を隣にして、その謦咳に接する。ちょっと中上健次氏的風貌の人物であった。
日曜日。午前中は、クラブ当番で出勤。土曜日の愛宕登山の後遺症で両足の筋肉痛が残り、練習には参加出来ず。見るだけであった。残念。1時過ぎに退勤。帰宅後、良い機会なので、妹尾健氏の『詩美と魂魄』を読み始める。夜、『新京都吟行案内』の「清滝」を少し書いてみる。近日中に、もう一度清滝には行ってみなければならない、と思う。ちなみに、愛宕登山の折の写真を整理していたら、ちょっと不思議な写真を見つけた。空也の滝を撮ったもので、恐らくフラッシュと滝の細かい飛沫のせいだと思うのだが、奇妙な写真ではある、と思う。
月曜日。連休の谷間である。連休明けの仕事の準備をすべてこなしておく。放課後、華道部の様子を見に行く。未生流なのだそうだ。「天地人」とか添え花(だったか?)とかの説明を聞く。昨日は参加出来なかったので、少々筋肉痛は残るものの練習に参加する。4試合こなし、全敗であった。7時前に練習を終える。3年生が練習に参加するのも今月いっぱいである。
火曜日。良い天気である。足の痛みもほとんどなくなったので、どこか山を歩いてこようか、と思う。