日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.2「日々録」
05.3「日々録」
05.4「日々録」
05.5「日々録」
05.6「日々録」
【7月25日】
母校が、高校野球県大会決勝で敗退。優勝すれば、甲子園へ応援に行くつもりだったので、とても残念である。
日曜日は、一日籠もる。今年が特にということでもないのだろうが、暑さが身に応える。少々夏ばて気味なのかもしれない。あるいは、ここ数年エアコンという人工環境に馴れる中で、徐々に身体が柔弱になって来ているのかもしれない。ともかく、寒いのは何とかなるけれど、暑いのはどうにもかなわない。困ったものだ。日が沈んでから、ようやく近所を軽く走る。風が涼しくなっていて、嬉しい。
月曜日。今日から夏期補習。ちょっと気張って補助資料を作っていたら、結局1コマ90分の補習の準備に4時間ほどかかってしまった。これはいかん、と思ったけれど、今更止めるわけにもいかず、この調子で毎回補助資料を作ることにする。馴れれば、もう少し整理されたものが出来、時間の短縮も可能になるだろう、と思う。9月早々には参加募集をするため、この夏の間に、冬季学習合宿の原案を細部に渡って完成させておかなければならないので、そちらの方にも、十分時間を取りたいとも思う。
角川『俳句』の「新刊案内」に『遊歩』を紹介していただいた。掲載された1句が「片足の鳩立ちゐたり草青む」という句だった。自選の中にも含まれていなかった句なので、この欄の編集担当の方が選ばれたのかな、と思う。自選句から選んでいただいた方がよかったかな、などと勝手な事も思う。
【7月24日】
京都新聞土曜日夕刊の『ゆうかん文化 詩歌の本棚』で、竹中宏氏に句集『遊歩』を取り上げていただく。前半については、「おだやかな語調のなかに若く柔軟な感性の波動が流れ」「純朴でなつかしい匂いがただよう」と評していただき、後半は「より複雑な体験や想念が積極的に取り込まれ」「既成の調和を一歩踏み出ようとする意識をつよめ」その結果、一冊の句集としてのまとまりの悪さ・方向性の見えにくさという問題点を指摘されつつ、「この作者が、いわば、中年・壮年期の俳句を切り開こうとする意欲のあかしと解したい」と受け止めていただいている。感謝したい。早速、記事をコピーに取り、実家にFAXで送ったりする。
土曜日。一年ぶりに短詩型文学の会が開かれる。会場は、炎暑の奈良「ろくさろん」にて。俳人の津田清子氏を招き、第一部は「橋本多佳子との旅」、第二部は「『無方』の世界」としてナミブ砂漠への旅の話を聞く。自由闊達な話しぶりと自ずからなるユーモアに、感心したり笑ったりと、豊かな数時間を過ごす。津田氏の作句工房の一端も伺え、作品についての意外な裏話なども聞かせていただく。話を聞き終えて、強く感じたのは、例えば有季・無季を包括する津田氏の俳句世界を支える、豊かな「混沌」ということだった。津田氏が、『荘子』に強く惹かれていると言うことも、宜なるかなと思う。
会の席上、柳人の小池正博氏から、邑書林「セレクション柳人6 小池正博集』をいただく。お返しに『遊歩』と『鼎座』第3号をお贈りする。奈良からの帰りの車中で、早速読む。現代川柳というのは、正直言ってなかなか難しい。文学の会の中で、津田氏が樋口由紀子氏の川柳について、「川柳で詩を追究する」と評され(ついでに、私も「川柳」に入学しようかしら、と冗談めかして口にされたが)、私もそうだなと思うのだけれど、小池氏の作はもう少し生活の側に近くて、暮らしの中に見え隠れする微妙な諧謔世界を、それこそ洗練された言葉の網で掬い取ろうとされているような、そんな気がする。連作川柳という試みも、なかなか面白い。
帰宅後、寿司をつまみにビールを飲む。良い一日だったと思う。夜、花神社版『藤田湘子集』を読み始める。
【7月17日】
採点に疲れると、気分転換に校舎の奥まった場所にある桜の古木のところに行って、しばらくぼんやりする。青葉の天蓋の下にいると、ピンと張っていた神経が、少し和む。時折、頭上で蝉が短く鳴く。そばの植え込みの葉裏に、空蝉が残されている。それが、昨日より一つ増えているのに気が付いたりもする。
金曜日。夕方までにその日の試験の採点を終え、期末試験の全採点を終了する。この緊張感からの解放は、試験終了時の生徒の気持ちに近いものか、と思う。これからが、また一仕事なのだが、それは来週の仕事とする。7時から保護者対象の就職ガイダンスがあるのだが、直接の担当ではないので、ちょっと顔出しをしておいて退勤する。駅までの長い坂道をゆるゆる帰る。日が落ちて後も、路上にまだ暑さは残っている。
土曜日。丹後の「句会すき」の日。3連休初日ということもあってか、「橋立1号」は満席状態。隣の席に韓国人の青年が座り、先ほどまでハングル文字の「天の橋立」パンフレットを見ていたのが、今は漫画を読んでいる。ちらちらと横目で見ると、吹き出しが日本語である。作者が弓月光という、かなり「おたく」系の漫画家で、韓国の「おたく」青年であるか、と変に感心する。車窓に映る亀岡盆地の青田を眺め、丹波山地の青葉の山々を眺め、後半は半覚半睡状態のうちに橋立着。丹後エクスプローラに乗り換え、車中で岩城先生と合流する。丹後大宮の駅舎に隣る喫茶店で昼食をたべ、岩城先生のお宅へ向かう。
今日の参加者は、14名。席題は、「茸博士」水野さんが持参された立派な「梅雨茸」であった。持ち寄り5句のうち、私は音楽でテーマを決めて作った句を4句出す。どの程度通用するものか、確かめる思いもあって出したのだが、1句は岩城先生選に入り、2句は皆さんの選に入る。ちょっと手応えを感じる。『鼎座』第4号は、音楽でまとめてみようか、と思う。句会が終わり、水野夫妻(「茸博士」ではない方の)に駅まで車で送っていただけることになり、時間に余裕が出来たので、運転手の奥さんを除き、缶ビールをいただく。戸締まりをした家の中で、汗をかきながら呑むビールは格別であった。もちろん、帰りの車中で呑んだビールも美味であったことに変わりはないが。祇園祭宵山の日で、車中にもそれらしいカップルや家族連れの姿が眺められた。
【7月10日】
「レクイエム」本番終了。今回は、テンポ感という大きな問題があって、本番の演奏は薄氷を踏む・・・的な部分もあったけれど、しかし歌い終わった充足感は、まさに癖になる(完全に癖になって10数年が経過しているのだが)という状態であった。そして、今回びっくりしたのは、指揮者の井上道義氏が、楽屋口まで出て来て、団員達を見送ってくれたことだ。「レクイエム」を演奏する前に、ロンドンのテロ事件や、3万人を越す日本の自殺者の事に触れ、鎮魂の思いを込め、演奏会の成功を期すると聴衆に話しかけられた姿といい、演奏後の賞賛の拍手の締めに、ハンカチをひらひら振って応えられた姿といい、なかなかやるな、と感心した。
雨の中を、タクシーで二次会の予約をした店に移動し、半年ぶりの人たちと酒を飲む。気の置けない人達ばかりなので、わいわい喋りながらお酒と料理を楽しむ。11時過ぎに、店を出る。都合で今日来られなかった人達とも、是非一度一緒に酒を飲みたいものだと話す。タクシー組と電車組に別れて帰宅する。
日曜日。昼前に、軽くジョギングし、昼過ぎに近所に買い物に出た以外は、自宅でのんびりと過ごす。耳鳴りの音が、昨日までと比べて幾分鎮まっている。耳鳴りは、一種の体調のバロメーターであるな、と思う。今月末の「醍醐会」で石動さんの第一句集『素描』のレポーター役を担当しているので、そのための準備を始める。とりあえず、全作品をエクセルでデーター化することにする。『幡』へ句集の感想を書くために、ある程度読み込んで来たので、気の付いた点なども併せてまとめられるようにする。
夕方、昼寝をする。ウトッとした程度だったが、気持ちが良かった。起き抜けに永田和宏歌集を少し読む。完全に目が覚める。「自己劇化」、などという事を思う。
【7月9日】
今日は、モーツアルト「レクイエム」本番の日。昼過ぎには、会場の京都コンサートホールに向かう。午前中は、ゆっくり休むつもり。仕事が重なったせいで、今週は連日残業、持ち帰りで、毎日12時くらいまで仕事をする。持病の一つの左耳の耳鳴りは、普段より盛大に鳴り続けるし、疲れのピークで、昨夜の京響との合同練習に参加する。すでに練習は始まっていて、こっそりと満員の練習場にはいるのは、少々顰蹙ものではあった。ソリストも交えた合同練習は、8時過ぎには終了。井上道義氏のエネルギーに満ちた指揮で歌っているうちに、練習場に来たときは体の中に凝り固まっていた疲労感が不思議と薄れて、元気になっていた。指揮者や合唱団のエネルギーに感応したのであろうか。レッスン後は、鞍馬口にある京響練習場から出町柳まで、鴨川沿いに歩いて帰る。鴨川と高野川が出会う、出町の三角地帯では、若者達が集まってしきりに花火を揚げていた。川風が涼しくて、すっかり良い気分となって、帰宅する。遅い夕食は、缶ビール2本とヨーグルト、という変な取り合わせとなった。今夜は、何もせず、すぐ寝る。
邑書林の『セレクション俳人 小澤實集』を読む。「俳諧師」として定評があるという小澤氏の第一句集『砧』、第二句集『立像』ならびに第三句集『瞬間』より百句が抄出されてあった。作家論の中で筑紫磐井氏が、小澤氏は「うまい作家」ではない、「きわめてうまい作家」であると書いているが、「俳諧師」としての面目を良く評し得た言葉なのだろう、と思う。特に第二句集『立像』の練れた作品世界には、とても感心した。第一句集のやや若書き風な部分を残す句世界が、第二句集に至って一気に完成された「小澤實」的世界として顕現していることに、驚きもした。第三句集は百句抄なので、さらに「うまさ」に磨きのかかった、第二句集の延長・深化的世界という印象が強いが、抄出されていない部分に、あるいはさらに展開する「小澤實」的世界の片鱗が、あるいは伺えるのかも、などと勝手に想像したりもした。たまたま今月の角川『俳句』の「結社歳時記」が、小澤氏が主宰をする結社『澤』だったので、それも読んでみた。斬新な作品も多くて楽しめたけれど、やや素材に流されたような句も散見した。『澤』会員の方達の若々しい冒険的な試みの一端か、とも思われた。
読書量がうんと減っている中で、最近読んで面白かった本。小沢昭一(偶然「おざわ」が重なったけれど)『私のための芸能野史』(筑摩書房)。「あとがき」に俳句もものする小沢氏の1句のみが掲載されていてそれも面白かった。その1句「みの虫の糸 朝よりも短かかり」。どんな句意なのか、と思っていたら、「新装版に寄せて」の中で、「前の〈あとがき〉に『みの虫の糸』なんて気どって書いてみたが、その糸が、また次の日には長くなって風に吹かれている。みの虫は、蛾に羽化して出るのはオスで、メスは一生、袋の中にこもりっきりだという。私は、どっちだろうか……。」と書いてある。本当の意味での自身の「クロウト」への羽化を目指して、雑芸と言われ軽くみられていたという「万歳」「足芸」「女相撲」等の芸能に取材しつつ書かれた『私のための芸能野史』は、芸能の原点(というか、芸人の原点と言った方が良いか)を、洒脱な語り口の中で真摯に追究した一冊として、読み応え(というのか、実に面白かった)があった。目次の一項に「俳諧師」などというものがあったら、さらに面白かったかも、とも思うが。
青木皐氏の『人体常在菌のはなし』(集英社新書)も面白かった。昨夜のビールに「ヨーグルト」という妙な組み合わせも(ビールは直接は関係しないけれど)、この本の影響であろう、と思う。
間もなく、ホームページのアクセスが「33333」になりそうだ。思えば、すごい数であると思う。更新もままならないホームページを、わざわざ見に来て下さる皆さまに御礼申し上げます。
【7月3日】
朝のウオーキングを終え、シャワーを浴びて、居間に戻った時、電話が鳴った。あるいは、と思ったけれど、やはり、ジェニビが死んだ、との甥からの電話だった。母が代わって、詳しい話を聞く。昨日、病院から引き取り、今朝まで辛い状態だったようだが、明け方やっと落ち着き、そのまま自分の寝床で、眠ついた姿のままで亡くなっていた、とのことだ。
初代のジェニビが亡くなって、二日目に我が家へやって来たシーズだった。それから、12年間、家族の一員として生きた。たくさんの愉しい思い出を残してくれたシーズだった。
【7月2日】
昨日、今日と雨が降り続いている。窓の向こうに見える稲荷山が、雲というか、雨の幕に見え隠れしている。洗濯物をベランダに干すことができないので、居間に干すことになる。エアコンをドライにして、並べ干す。エアコンの作動音に、耳鳴りの音が混じって聞こえる。奇妙な感覚である。
『鼎座』第3号の印刷が終わり、昨日届けられた。一度に持ち帰るのは不可能なので、とりあえず発送の分だけ、ザックに詰める。一度帰宅し、ザックを軽くして、ミューズのレッスンに京都市内へ行く。来週の金曜日は本番前日で、京響の練習場でオケ合わせをしていることになる。今日は、練習時間の半分近くを、第1曲の練習に費やす。パート毎に、しつこいほどに細部の微調整を行う。指導する方も、歌う方も「忍耐」の二文字状態となる。2曲目以降は、それまで溜めたエネルギーを一気に放出するように、次々と歌い流していく。時折、歌を止めて細部の確認を行うが、ほぼ一気に終曲までいく。練習予定時間ぎりぎりで終了。大急ぎで撤収、会場を明け渡す。地下道を繋いで駅に向かい、プラットホームから、雨の向こうに巨大な一枚の黒塀のような京都駅伊勢丹ビルを眺める。いつもより1本遅い電車に乗る。1本違うだけで、車内の様相が随分違うことに気が付く。微妙な時間帯なのだろう、と思う。
今日は、一日雨であろう。『鼎座』の発送作業や、こまごまとした用事を片づけて一日過ごす事になるだろう。
気が付くと、ベランダの手摺りに鳩が来て、とまっている。きょろきょろとあたりを眺める仕草が面白い。時折、室内の方にも目をやっているような気がする。ちょっと目を離した隙に、もういない。雨は小降りになったようだ。