日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

05.4「日々録」 05.5「日々録」 05.6「日々録」 05.7「日々録」 05.8「日々録」


【9月25日】
村上春樹『東京奇譚集』読了。短編小説集。作品の方向が、少し「前向き」になっているという点を除いて、従来の「村上春樹」的世界の繰り返し、という印象が強い。羊の代わりに猿が登場したりはしているのだが。
午前中、岩城先生から電話あり。10月の「すき句会」は、いつもより参加者が増えるとのこと。その中の一人は、初赴任校の司書の方、とのこと。あの人も俳句をしておられたのか、と意外でもあり、嬉しくもあった。新たに椅子を何脚か準備しなければならない、とのこと。
午後、本の買い出しと、久しぶりの鴨川散策に出かける。行きの電車の中で、突然奇声を発したり、吊革にぶら下がって大騒ぎしている、中学生くらいの男子3人が、あまりにも態度がひどいので、つい叱り付ける。3人ともきょとんとしていたが、開き直って突っかかって来られたら、どうなっていたか、と考えたら少々暗澹たる思いとなった。
いつもの「三月書房」で、本を数冊仕入れ、そのまま御所の横を出町方面に向かい、出町輸入食品でコーヒー豆を買って、鴨川河畔を丸太町まで歩く。高曇りの日で、暑さを感じなかった。鴨川は、川幅の半ばを堆積した土砂の上に茂った茅や薄に覆われて、水流がぐっと狭められたような状態で、少々むさ苦しいような有様であった。ところどころに曼珠沙華が咲いていたりもした。丸太町から電車に乗り、帰宅する。車中で、角川『俳句』を流し読みする。

【9月24日】
23日。クラブの練習試合で前任校へ行く。大変なことも色々あった学校だけれど、やはり懐かしい。体育館に入るのは9年ぶりである。正面に舞台があって、そこで、文化祭の時、3年生は演劇をする。担任として、3度演劇を経験していずれも良い思い出として残っている。特に、アイルランドの宗教紛争を背景にした「二人の世界」という劇は、夏休みのほとんどすべてを費やして準備をした(3年生なのに、良かったのだろうか・・・)演劇で、優勝は逃したものの、文化祭を終えた夕方、まだ興奮が残る中で、裏方で劇を見逃したクラスの人達の為に、最後のシーンを校舎の中庭でもう一度演じ、建物の2階や3階の窓からその様子を眺めている他のクラスの生徒達の前で、涙涙の上演となったことを思い出す。
練習試合は、実力伯仲状態で、見ていて面白かった。特に、最後の試合は、男子シングルスであったが、一進一退の攻防で、コートの周りで応援する両校ともに大盛り上がりであった。結局、本校の勝ちだったが、試合を終えたプレイヤーは、体力・気力を出し尽くした状態で、しばらく呆然状態であった。1時過ぎに練習試合を終え、現地で解散。昼食がまだだったので、お目当ての店へ行ってみると、臨時休業。安くて美味しい定食が食べられる洋食屋さんなのだが、残念。途中で買い物をして帰宅したのが3時過ぎ。いまさら昼食を食べるわけにもいかず、閉めきった体育館に半日籠もっていて喉も渇いていたので、缶ビールを飲み(日のあるうちの缶ビールは美味)、夕方まで昼寝する。夜、今年初の秋刀魚を食べる。脂がのっていて、大変美味しかった。夜は、読書。正高信男著、『考えないヒト 携帯依存で退化した日本人』を読む。『ケータイを持ったサル』の続編。「サル学」の立場からの人間生態学。携帯の普及により、いかに日本人が「サル」的状態に退化(進化?)したかを語る。今回「出歩き人間」の話が興味深かった。
24日。朝、6時から歩く。帰りは、ジョギング。中高年のウオーキング愛好者の多さを改めて思う。


【9月21日】
大阪の叔父の一周忌で、母が来京中。亡くなったのは、昨年の10月2日の土曜日。ちょうど丹後の「すき句会」から帰宅して、留守電でその事を知ったのだった。あれからもう1年がたとうとしている。時間の経過が、あまりに速いような思いにとらわれる(実際、速い)。
連休二日目。大阪へ。東京の叔父叔母と久しぶりに出会う。叔母の兄弟、亡くなった叔父の一番の親友、長女・次女の家族も集まっての法事。読経の後、和尚さんの法話まであるという丁寧な法事であった。その後、会食。部屋の壁に、叔父の撮した鶴見緑地公園の四季の写真が、綺麗に飾られてあった。四時前に叔母宅を辞去して、タクシーで新大阪駅へ。「のぞみ」の時間まで、喫茶店で話す。ちょっと贅沢だったけれど、京都まで新幹線で帰る。わずか15分であった。帰宅後、二人とも早めに就寝。
連休三日目。のんびりと過ごす。『鼎座』の短編小説を一部書き直す。変な小説である、と思う。変なので、ちょっとテーマを仄めかす部分を追加したりする。田島和生著『新興俳人の群像 「京大俳句」の光りと影』読了。新興俳句弾圧事件の全体像を、『京大俳句』弾圧事件を中心に纏め上げたもの。エピソードの積み重ねという手法で語られ、事件の全貌がわかりやすく述べられる。年表や関係俳人の略歴なども添付された著作である。
火曜日。夜、懐かしい人から電話が来る。前の学校で同僚だった人。今は横浜の方で暮らしておられる、なかなか面白い人物。久しぶりに、京都へ来られるとの事で、お会いすることになった。本当に何年ぶりだろうか。別の知り合いにも彼の来京のことを知らせる。清水さんから『鼎座』の原稿が届く。早速、編集作業。「あとがき」を書く段階まで出来上がる。それにしても、(仲間誉めという訳でなく)清水さんの俳句が面白くなっている。自在な発想が特に面白い。自分の句は、随分大人しいな、と思ってしまう。
水曜日。気疲れすることが多い。帰宅後、少々ぐったりする。岩城先生へ電話を入れる。奥様が出られる。『鼎座』の件、伝言をお願いする。左手の親指と人差し指が、時折軽く痺れる。初めてのこと。老化現象なのだろうか・・・。

【9月11日】
昨日は、丹後の「すき句会」の日。いつもの通り「はしだて1号」乗車。刈り取りの始まった亀岡盆地や、緑濃い丹波山地を眺めながら、のんびりと小旅行を楽しむ。ところが、福知山駅を経て、北近畿丹後鉄道に入ってしばらくすると、停車駅でもない駅で、電車が停まってしまった。やがて、車内放送があり、先行の電車が故障のため停止してしまった、と言う。いつ動き出せるか、今のところ不明とのこと。とりあえず、携帯で岩城先生に連絡を取る。なすすべがないので、車窓から少し離れた甘藷畑で行われている農薬散布作業を眺める。その間もプラットフォームでは駅員の動きがあり、やがて故障車を牽引するための救援列車が到着する。あと40分ほどで、出発出来るとの車掌の説明があって、なんとかぎりぎり1時に間に合いそうだ、と思っていると、さらに車内放送があって、故障車の修理が上手くいって、間もなく発車すると言う。乗務員の対応や、こまめな車内放送などあって、車内は険悪な雰囲気になる事なく、「はしだて1号」は動き出す。尼崎の電車事故以降の対応の変化の現れなのだろうか。次の駅で、故障車の乗客達を乗せて、その後は真っ直ぐ宮津駅へ。結局、50分ほど延着する。終点の橋立駅では、接続の普通電車まで30分ほど時間があるので、一度改札から外に出て、昼食に駅弁(「笹寿司」。鰯と鮭の押し寿司。丁寧に笹の葉に巻いてあるもの。眼前の阿蘇の海は、昔「きんたる鰯」の漁場であった。)を買い、プラットフォームに戻り、食べる。結構ご飯が多くて、お腹が一杯になる。やがて、やって来た1両編成の各駅停車に乗り、丹後大宮へ。駅には、水野さんが車で迎えに来て下さっていた。感謝。
「すき句会」。今日の参加者は14名。途中、次回から参加希望の方が挨拶の来られる。席題は、茗荷の花・鬱金の花、さらに「一」文字を詠み込んだ句。久しぶりということで、出句がいつもより1句増え、7句投句で7句選となる。堅実な写生句から幻想的な句まで、多彩な内容の句が出される。なかなか面白い。5時前には終了。岩城先生は奥様と引き続き丹後泊で、一人帰京。お土産にビールとバラ寿司をいただく。このバラ寿司は、岩城先生が丹後に来られる時は、必ずといって良いほどよく食べられるお寿司で、私もいただいた事があるが、本当に美味しい。ただ、お寿司が二つ入っていたので、あるいは先生と奥様の分を私が横合いからいただいてしまったのではないか、と少々気懸かりではあった。乗客の少ない丹後ディスカバリーに乗り、座席に落ち着いて、ハプニングはあったけれど愉しい一日だった、としみじみ感慨に耽り、では頂いたビールとお寿司をごちそうになろうと、缶ビールを袋から取り出し、リングプルを開け、さらにバラ寿司を出そうとして、あることに気が付いた。「箸」が、ないのだった(^_^;)。行きの車中で買っておいたピーナッツを摘みに美味しくビールを飲み、帰宅後、バラ寿司をいただく。やっぱり、本当に美味しい丹後のバラ寿司であった。
辻田先生の『幡』の会員、中村与謝男さんから第一句集『楽浪(さざなみ)』を送っていただく。読了する。略歴を読んで、私より年下と知り、びっくりする(こちらが幼稚だ、とも言えるのだが)。「大人」の風格のある人物である。高校2年から句作を始められたと言うことで、句歴は長い。そのせいか、第一句集とは言え、出来上がった一つの世界を感じる。上手い句も多い。感覚的に自分と似た所のある人だな、とも思う。「醍醐会」で一緒に活動しているけれど、句についてまとまったものは今回初めて読ませていただいた。
さて、それでは選挙に行ってこようか。・・・投票に行って来た。確かに、今までになく投票に来ている人の数が多いように思う。やはり、報道機関が伝えているように、有権者の関心が高いのだろうか。ただ、相変わらず若い人の姿はほとんど見ない。

【9月9日】
車谷長吉の長編小説『贋世捨人』読了。私小説。ちょっといかがわしい所が面白い。ただ、最後の辺りで、生活の断片報告みたいになり、少々息切れしたようになってしまった部分があったのは残念。私小説に拘るゆえに、という事であろうか。
今日は、文化祭二日目。三年生のパフォーマンス。審査員を勤める。今年の傾向として、ダンスの出し物が多かった。皆、なかなか上手い。感心しながら審査をおこなう。授業に行っているクラスも複数あって、生徒達が真剣に頑張っている姿を見て、日本もまだまだ捨てたものではない、と思う。ちなみに、「LION KING」を演じたクラスが、他を引き離して優勝した。大道具・小道具・衣装、演出もダンスもなかなか大したものであった。
明日は、丹後の「すき句会」。8月はお休みだったので、少し間が空いた。夕方、岩城先生から電話が入り、今日のうちに丹後へ行かれる、とのことだった。
今日、とても悔しかったこと。昨夜、夜濯ぎした洗濯物を、うっかりベランダに干したままで出勤したら、午後の大夕立のために、全部びしょ濡れになってしまったこと。本当に、滴がぼたぼた垂れるほどに濡れてしまった。仕方なく、洗濯をやり直す。とても悔しかった。洗濯物を干し終えて、第9の申し込みの為に京都市内へ。いつもの会場かと思っていたら、別の会場であった。事前に調べないで行った事が原因。しかし、会場で全く別の講演会の立て看板を前にして、がっかりする。ただ、地下鉄駅の掲示板に団員募集のポスターが貼ってあったことを思い出して、地下鉄駅まで行き、会場を確認して出かける。無事申し込みを終え、すぐ帰るつもりが、短時間練習に参加して、外に出たら、なんと雨が降っている。もう雨は降るまいとたかをくくって、濡れた傘を部屋に干して外出したものだから、濡れ鼠状態で地下鉄駅に走り込む。一日に二度、雨のために洗濯物を駄目にした「お間抜け」な男の気分で帰宅したのだが、幸い雨雲がこちらにまでは届いていなかったらしく、雨で濡れることはなかった。念のため、部屋干しにする。

【9月7日】
車谷長吉の短編小説集『金輪際』を読む。私小説と聞いていたのだが、まるで違った作品であった。中に1編だけ「変」というそれ風な作があったけれど、それも虚実取り混ぜたものという印象。面白かったのは「児玉まで」という作品。丹念に男の心情を辿りつつ、一方では相手の女をあくまでも男の側から眺められた女として描く中で、女の中に動く情念の影や二人の関係の危うさなどを描いていた。それにしても、見ようによっては荒んでふしだらな関係でありながら、その関係に対して、時に投げやりになりつつも、ある真摯さ、生真面目さのようなものが男の中に保たれて続けていたのはなぜだろうか。女に対する愛着というだけではあるまい。男の自身に対する強い拘りや、相手の女の有り様に対する執拗なまでの追究の姿勢などに、ふと私小説のにおいを感じたりもしたものだ。
日曜日、岩城先生宅で『鼎座』第4号のための連句の会を持つ。柳人の樋口由紀子さんが今回のゲスト。歌仙のタイトルは、樋口さんに作っていただいた発句から「桔梗の巻」となる予定。素敵な句であった。歌仙は、私が揚げ句で1時間近くも苦吟しなければ(本当に冷や汗ものであった)、もっと早く巻き上がったことであろうと、猛省する。岩城先生の奥さんの料理は、相変わらずとても美味しい。歌仙を巻く楽しさと、料理をいただく喜びを比べたら、料理の方がちょっと上かも、などと不謹慎な事を思ったりもする。まだ明るいうちに歌仙を巻き終えて、夕景の北山を眺めながらベランダで夕食をいただく。風が涼しくて気持ちがよい。上賀茂神社の方から、松虫の澄んだ声が立ち昇ってくる。身も心も満腹の一日でした(樋口さんもご自身の掲示板の中で、同じような事を書いておられたが)。
台風の影響で、水曜日から始まるはずの文化祭が順延で明日からとなる。今日は一日、平常授業。生徒は、少し気抜けしたような雰囲気であったが。授業が終わり、放課後は文化祭の準備。華道部のセッティングの手伝いに行く(なんと、華道部の第三顧問なのである)。共同作製の巨大生け花に参加したりもする。吾亦紅がなかなか可憐であった。夕方になっても、校内のあちらこちらで文化祭の準備や練習が進んでいる。特に三年生のパフォーマンスはなかなか見応えがあって楽しみである(実は、三年生の出し物の審査員にあたっているのだが)。台風一過後の、ちょっと不安定な空が、それゆえに随分変化に富んだ美しい雲の姿を見せている。いつまでも明るい空の一角に、夕月と宵の明星がくっきりと浮かび上がっていた。


【9月3日】
5時前には起床。5時半過ぎに歩きに出る。早朝とは言え、変になま暖かい。湿度が高いせいだろうか。今日は、いつもと方向を変え、桃山御陵の方に行くことにする。御陵周辺の森の中を歩くと、気持ちがほっとする。神域ということもあるのか、冷涼たる雰囲気が心地良い。ちょうど、高野山の広い墓域を歩いている時に感じる清涼感と同質のものだ。清められた地域というのは、まさに「すがすがし」という感じである。別に信仰心があるわけでもないのだけれど。
時間が早いのに、思ったより沢山の人が歩いている。お年寄りが多い。中には、ジョギングしている人もいる。こんなに早くから、よく身体が動くものだ、と感心する。柏原陵から伏見桃山陵まで行く。桃山陵から南に開けた展望を眺める。向島のアパート群が遠くに見はるかせる。気持ちが良い。身体が動くようになったので、帰りは下り一方のコースをジョギングでゆるゆる走って帰宅する。7時前帰宅。洗濯機のスイッチをいれ、コーヒを湧かし、シャワーを浴びる。さて、一日が始まるな、と思う。
岩城先生は、今日は「木語の会」で岐阜の方に行かれるはずだ。明日が、「鼎座」の連句の会なので、岩城先生と清水さんは土日の両日が埋まることになる。明日の会、ゲストは樋口由紀子さん。発句をお願いしておいたのだが、樋口さんのHPに行ってみたら、掲示板に明日の事や発句の事が書いてあった。まだ、出来ていないとのこと。明日は、どんな発句に出会えるか、楽しみである。脇句は岩城先生、第三は清水さんか? 大石さんは都合により、今回はお休みとのこと。残念。大石さんとは、ここ2回「恋」の場での「応酬?」が続いていて、あるいは今回も、と楽しみにしていたのだが。ちなみに、第2号では「花札に醤油染みある裏表」久治「いもうとの名を誌すひそかに」悦子「泉へと沈めて切りし指と指」みのる「警察手帳見せて一礼」貴久彦、という付け合いとなった。近親相姦的なちょっと危険な恋の香りに対して、近松心中的な句を返したつもり。どうつけようか、とかなり悩みました。それに続く清水さんの付け合いは、絶妙でした。第3号では、今度は逆に「北欧の古城の壁に押しつけて」喜代春「拘束の具に水を含ます」みのる「銀盆に男の首を載せて舞ひ」悦子、となった。北欧の句の雰囲気を受けて、サド的な危ない愛の歌に対し、サロメのひたむきで邪悪な恋で受けるという、かなり危険な内容となった。あのときは、大石さんはかなり考え込んでおられた様子。連句本来のやりとりからは外れるような、作法外のやりとりかもしれないけれど、1句をどう受け止め、どう新たに展開させていくのか、そこにはスリリングな面白さがあると思う。振り返ってみると、歌仙には2カ所の恋の場があるようだけれど、第2回・第3回ともに、1カ所は比較的おとなしい純愛的な内容の応酬、もう1カ所はちょっと危ない恋の歌という風になっていた。偶然だろうか。
今日は、午前中は自宅で、午後は国会図書館に出かけようか、と思う。