日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.5「日々録」
05.6「日々録」
05.7「日々録」
05.8「日々録」
05.9「日々録」
【10月30日】
朝から良い天気である。休みの日の早朝ウオーキング+ジョギングは、定着したようである。歩きつつも、かなり寒い。丘の頂上辺りでは息が白くなっているのが分かる。それにしても、まだ7時にもなっていないのに、丘の一角にあるスポーツ施設では、2面の硬式テニスのコートは使用中である。森林公園風な所は、確実に紅葉が進んでいる。ほとんど汗もかかぬまま、帰宅。1時間ほどであった。洗濯、コーヒー、シャワーといつもの朝であった。
今日は、『醍醐会』。句集『遊歩』が俎上にのぼる日である。神妙にしておこう、と思う。
昨日は、「桂樟蹊子先生13回忌追善の集い」。早めに会場に行き、付属施設の食堂で昼食を食べていたら、偶然宮津高校で一緒だった先生に出会う。岩城先生も知っておられる人なので、会場から先生を呼んでくる。近況を話しあったり、昨年の台風23号の洪水による宮津市内の生々しい被害の話などを聞く。
「集い」は、1時半過ぎに始まる。参加者は、当日参加を含め60名余り。旧『霜霖』の方達を始めとして、「参の会」の方、岩城先生のカルチャーのメンバーの方達などが参加される。わざわざ丹後から来られた方もおられた。「集い」は、黙祷ではじまり、岩城先生の講演「桂樟蹊子と『学苑』の俳句史的意義」。手書き2枚を含む3枚の資料を配付され、話を進められる。敗戦後、何度目かの俳句の「青春期」に、学生達はもちろんのこと、現在の著名俳人に限らず、後の作家・研究者など各界の人々の幅広い参加を得た『学苑』という俳句文芸雑誌の、開かれたありようというものを思う。講演の後、懇親会と投稿句の入賞の発表が行われる。特選5句には、岩城先生の「月代や遠きにありがたき一人」の短冊が贈呈される。ちなみに、特選をとられた方は、神原廣子・林美智子・前林イトヱ・松田うた・水野美代子の各氏。4時過ぎには、閉会。会場の後かたづけをおえて、岩城先生と奥さんとの3人で、隣の食堂で軽く飲む。ほっとしたせいか、生ビールが大変美味しかった。気持ち良い一日であった。
【10月29日】
朝から雨である。今日は、午後から「桂樟蹊子先生13回忌追善の集い」に参加予定。司会のようなものを担当する。岩城先生が、桂樟蹊子氏の俳句史的意義について講演をされる事になっている。『鼎座』第4号の連句で岩城先生宅をお邪魔したときに、『霜霖』の前身である『学苑』の通巻を岩城先生が準備しておられるのを見た事を思い出す。記念の句会と懇親会も兼ねているので、事前に投句された作品の中から、特選句には岩城先生の色紙が贈呈されることになっている。
河野仁昭著『戦後京都の詩人たち』を読了する。随分、時間がかかったものだ。戦後から昭和末にかけて、京都の詩人達の活動について、「コルボオ詩話会」「骨」「RAVINE」「ノッポとチビ」(実は、いずれも初めて聞いた詩誌なのだが)などの同人誌を掲載作品を交えつつ紹介している。京都において、こんな活動がなされていたのか、と興味津々で読む。そう言えば、大学生の時、誌を書いていた同級生の藤本君という人に誘われて、大阪西成を拠点とする『銀河詩手帳』(確か、東淵治とかいう人が代表であったように思うが)というグループの集まりに参加したことがあった。各自が持ち寄りの詩を朗読して、その詩について討議する、というような内容だったと思う。熱っぽい雰囲気に恐れをなしたのか、グループの志向する方向にちょっと違和感を感じだのか、2回くらい参加して、その後行かずじまいになってしまったことなど、ふと思いだしたりする。繊細でちょっと都市生活者風の詩を書いていた藤本君、今も詩を書いているのだろうか、とも思う。
柳誌「MANO」のホームページの掲示板で、樋口由紀子さんが『鼎座』第4号の連句について触れておられた。発句を含め、おもしろい経験をしていただけたようである。それにしても「約束の桔梗のころとなりにけり」という発句は、上手いものだなと改めて思う。
『飯田龍太全集』第1巻「俳句」編を読んでいる。「百戸の谿」を読み、「童眸」に入って、少々難渋しながら読みすすめている。用語や構造に独特のものがあって、すっと胸落ちしない句が多いのだ。仕方ないので、鉛筆を片手に、線を引いたり、矢印を書いたり、丸で囲ったりと、やたら書き込みをしつつ読んでいる。あるいは、これが俳句らしい「俳句構造」を持つ句なのかもしれない、などとも思う。ただ、それに全く慣れていない、という事なのだろうか・・・。
【10月27日】
火祭の火照りがいまだに身内に残っているのだろうか、ここ数日、「火祭」の句が幾つも出来る。すでに50句ほどになっただろうか。随分前、熊野古道を歩いた時に、一日で50句くらい出来た事があったけれど(多ければいいわけではないけれど)、それとは全く違った感触である。作っていてとても愉しい。その時の情景が、再現されるような気がする。思わず、岩城先生の所へFAXで送ったりしている。さぞ、迷惑な事であろう。
今日で2学期の中間考査終了。即日採点を実行しているので、すでに採点はすべて終了。テスト返しを待つのみである。その分、寝る時間が早まり、昨日はとうとう9時就寝。12時過ぎに一度目を覚ましたけれど、結局5時半過ぎまで寝る。シャワーを浴びてすっきりする。ベランダから見る御来光が、ひどく眩しかった。
『鼎座』第4号の発送をすべて終了。と思ったら、11月7日は、「立冬」。『鼎座』第5号の締め切りの日である。頑張らねば・・・。
【10月23日】
22日夕刻。超満員の京福電車に乗って、鞍馬へ。初めて、鞍馬の火祭を見る。岩城先生の奥さんの知り合いの家でお世話になりながら、火祭りを堪能する。本当に印象深い体験であった。思わず、100枚近く写真を撮る。12時22分鞍馬発の最終電車ぎりぎりまで、火祭りを楽しむ。群衆と大松明の焔と煙りの饗宴、家毎に焚かれる篝火がしんみりとした風情を醸し出す山峡の村の祭礼、すぐそこに深い山の闇が迫る中での鞍馬での数時間の体験は、本当に素晴らしいものだった。来年も、また行けたらと心から思う。
23日。二度寝、三度寝と続けて、ちゃんと目が覚めたのは7時過ぎであった。こんな事は、近来稀なことだった。午前中は、ぼーと過ごす。昨夜の疲労感が、火照りの感覚で残っている。本当に良かった。
午後は、第5回目の「翅の会」。今回で、辻田克巳先生の討議は終了。メンバーの小林さんのレジュメをもとに議論が進む。今まで触れ残してきたこと、今回新たに指摘されたことなどを話し合う。刺激的で面白い議論であった。来年の2月の「醍醐会」で各自がレポート発表を行う事になる。一人の作家について、こんな風に数度に渡り、集中的に話しあったのは初めての事で、とても意味の有ることであったと思う。次回から岩城先生を対象とする討議に移る。
会を終えて、真っ直ぐ帰宅する。風呂を沸かして入る。今日も、早めに休むつもり。
【10月22日】
学生数減の中で、専門・専修学校の希望者の割合は増えているように思う。とは言え、パイの大きさはあきらかに縮小しているので、専門学校間での学生獲得競争は激しさを増しているのは確かなことだ。そのせいか、時に首を傾げざるを得ないような事が行われ、それが生徒の進路実現に大きなリスクをもたらしかねない事もある。金曜日に起こった事も、そんな事例の一つであろう。もっともさらにその背景には、文部科学省の場当たり的な「指導」もあるような気がするが。進路部長を中心に夕方まで、当該校・関係校との電話による確認と折衝が続く。問題は、来週以降にまで持ち越されるだろう。
夜10時くらいになると、もう眠くて仕方がなくなる。ちょっと本を読もうとしても、いつのまにかうたた寝をしている状態なので、いっそ寝てしまおうということで、寝てしまう。朝は、5時に起きるので、睡眠時間は7時間前後と理想的なのだろうが、夜中に何度か目を覚ますので、熟睡という感じに乏しいのが残念だ。早起きをして、天気の良い日はベランダから御来光が眺められるという贅沢さも味わえるのだが、夜の時間の短さは、もろに読書の時間に響くので、それがつらい。7時35分には職場に着いているので、部屋の鍵を開け、窓を開けて空を入れ換え、三台のコンピュータを起動し、お湯を沸かして、コーヒーを入れ、そんな風にして毎朝が始まる。コーヒーは必需品で、半分中毒みたいだ。一日に一体何杯飲むんだろうか。ちょっと飲み過ぎかなと思う時は、コーヒーをお湯で薄めて飲む「おっちゃん飲み」までする。困ったことだ。
土曜日。6時過ぎから、いつものウオーキング+ジョギングに出かける。先週は、短パン・Tシャツであったが、さすがに今日は長袖・トレパン姿である。それでちょうど良いくらいの肌寒さであった。早朝だから、心肺にあまり負担をかけまい、と言うことで始めた複合技であったが、なかなか具合がよい。特に、ウオーキングでは、走っている時は目にも留めないような小さな風景に出会うことが愉しい。ただ、今日は町並みの小さな変化に気付いた。鯖寿司を売っていた寿司屋に「売り店舗」の札が掛かり、四つ角にあった魚屋がいつの間にか学習塾に変わっていた。個人営業の店の経営は本当に大変なのだろうと思う。大手スーパーの前でずっと頑張っていた小さな果物屋が、居酒屋に変わっていたのも最近の事だ。
河野仁昭著『戦後京都の詩人たち』を読む。戦後の京都詩壇を包括的に語った一書。このような集団があり、このような作品が作られていたのか、と好奇心を刺激されつつ読んでいる。著者の丹念な調査探求の姿勢と詩に対する愛着が感じられて、大変だろうけれど楽しんで仕事をされたのだろうな、と思う。初めて名前を聞く詩人達の中に、土曜の会でお見かけした事のある荒賀先生の名があって、なるほどと思ったものだった。
今日は、鞍馬の火祭の日。岩城先生ご夫妻の好意で、一緒に見学出来ることとなった。夕方から出かける。天気がもてば良いのだが。
【10月16日】
早朝のテレビ番組を見ていたら、ある教育熱心な地域で行われた子供達対象のアンケートの話があって、その中で幼稚園・小学生が親に望む事の第一番に「朝食を作って欲しい」、二番目に「家事をきちんとやって欲しい」との結果が出た、という。「全く今時の若い親は・・・」、という論調にすぐに繋がりそうな調査結果だけれど、なぜ「朝食を作らないのか」という理由を聞いて、意表を突かれたような思いになった。そもそも若い親たちに「朝食を食べる」という習慣(と言っていいのだろうか)がない、と言う事らしいのだ。自分たちが食べないから、当然子供達も食べないものとの思いが親の中にあるらしい(あるいは、その意識すらないのかもしれないが)。その上で、幼稚園から朝食を食べさせて欲しいとのお願いが出されても、それに応じない親がいるという点も驚きだが、そんな朝食無し(朝食抜きですらない)の子供達の為にバナナを用意している幼稚園まである、と言うことを聞いて、早朝から暗澹たる気持ちになってしまったものだった。
6時前にウオーキング+ジョギングに出かける。まだ、朝日は昇っていない。路面が少し濡れているのは、昨日の雨の名残であろう。今日は少しコースを変えて歩き、走る。1時間ほど身体を動かして、帰宅。シャワーを浴び、コーヒーを飲む。エメラルド・マウンテンとかいうコーヒー豆を買って来て飲んでいるのだが、焙煎が強めでちょっと苦みがきついので、別の豆を混ぜて挽く。汗をかいたあとのコーヒは美味しい。
昨日は、昼前から国会図書館へ。「翅の会」の資料集め。岩城先生が、角川『俳句』に平成5年1月号から平成8年12月号まで連載しておられた「俳句の素材」(俳句型紙論の具体的展開としての文章)をすべてコピーする。それ以外にも、同誌に掲載された岩城先生関係の評論・作品も集める。「俳句の素材」は今回でほぼ終了した。あと1〜2回図書館に通って、角川『俳句』関係の資料渉猟を終えて、次は『俳句研究』の方に移ろうか、と思う。資料集めをしながら、ついでに「平成俳壇(雑詠投句欄)」を眺めなおしている。岩城先生と俳句を通じて再会したのが、この「平成俳壇」の場であったし、相当長い期間この欄に投句していたことがあったので、当時を振り返るつもりで見ていて、色々な事が分かってきて、これはこれで面白かった。自分の初入選が、平成5年7月黒田杏子佳作「春風に吹かれるままに百済仏」だったことなど、全く忘れていた。というのか、投句作品のほとんどをデータベースにも残していなかった。年次を追って眺めながら、こんな作品を作っていたのか、と他人事のように眺めていたものだ。知り合いの何人かも、同様に投句していることにも気づき、作品をメモしておいたりもした。当時は気付かなかったけれど、『銀化』会員で『醍醐会』の仲間でもある松本康司さんや弥榮浩樹さんも投句しておられた事も知った。亡くなられた『運河』の矢田部美幸さんが、平成10年7月号に茨木和生選「水温む湖に流れてゆく水も」で初入選していることも知った。
雨の中を帰宅。実家から送ってもらった鴨鍋を食べる。美味しくて評判の鳥取県伯耆町の「なんば商店」の鴨鍋。本当に美味しかった。「久保田」を買ってきて、冷やをちびちびやりつつ食べる。これで作ったおじやも、さぞかし美味しいだろう、と楽しみである。
【10月15日】
3週間たっても、左手の指の間歇的な痺れがとれず、やむなく大きな総合病院へ行く事にする。うんと待たされて整形外科で診察を受ける。念のためにということで、首と左腕のX線撮影を受ける。年齢相応の変化が首の骨にはあるとのことだが、特に神経に障るような所はなく、「左腕の骨に変なものが出来ていて神経を刺激していたら良くないし」、と撮影前には言われてもいたのだが、特に異常の影もなく、結局原因は良く分からぬまま、神経の痺れや痛みに効くという、ビタミンB12(だったか?)を処方してもらい、これ以上悪くなるようなら必ず来て下さいと言われ、帰宅。その後数日、特に変化のないままに過ぎる。気分的にはかなり楽になる。「ジョギングはしてもかまわない」とのことなので、普通に走ることにする。
清水貴久彦さんから新著『老いの文学』を送っていただく。俳誌『木語』に連載しておられたものをまとめられたものとか。岩城先生と電話で話しているとき、連載時から面白く読んでおられた、とのこと。老いを詠う俳句をもとに、老いについて自在に書かれたもの。随筆あり、エッセイあり、短編小説風文章ありと、ご本人同様多才な・・・多彩な内容でとても面白かった。日本随筆家協会の現代随筆選書の1冊として上梓されたもの。一般の書店にも並ぶのだろうか、と思う。
金曜日。両瞼ピクピクのバテバテ状態でミューズの練習へ行く。あまりに疲労感がきついので、前半レッスンだけで帰る。こんな我が儘な参加の仕方でよいのか、とも思うが、今日は勘弁して貰おうと思う。帰宅後、買ってきたパンを水で流し込んで(ひどい夕食だ、と我ながら思う。実は、実家から鴨肉を含む美味しい鴨鍋一式が送られて来ていて、冷蔵庫のなかにちゃんと納まっているのだが、どうにも食べる気にならない)、すぐに寝る。夜中に数度目覚めるのはいつものことだが、ともかく5時過ぎまで寝る。6時前に近所をウオーキング+ジョギング。小雨模様であった。幸い、瞼の痙攣は片眼までに回復していた。
持ち帰り仕事が気にはなるが、それは夜にまわして、午前中はボケーと過ごし、午後はいつもの通り国会図書館へ行こうと思う。『俳句研究』11月号をちょっと読む。「俳句研究賞」の発表号。予選通過作の中に、『幡』の名村早智子さんや、『銀化』の弥榮浩樹さんの名前があった。「俳句研究賞」は、対中いずみさんという方の作品「清水」。「百合鴎よりあはうみの雫せり」という作品は面白いな、と思う。全体的には、わりとオーソドックスでおとなしめの作品のような印象。同誌に鴇田智哉氏の作品が掲載されていた。この人の作品は、世界に対する独特の手触りがあって本当に面白い。「俳句研究賞」を受賞された時から、この世界は得難いものだな、と思っていた。今年の夏、第一句集『こゑふたつ』を上木しておられたことを知る。是非読んでみたいけれど、書店には出ていないだろうな、と思う。「リレーエッセイ句友・句敵」は竹中宏さん。岩城久治論を展開しておられる。次回は、岩城先生。
【10月10日】
土曜日。練習場を移動しての、体育館での練習は、床面もきれいで、コート間もゆったり余裕があってよいのだが、致命的な欠陥として、ポールの高さが規格より2〜3センチほど低いのだ。立て口の部分の基本的な設計ミスということなども聞いた事があるけれど、実際ポールを立ててみると、確かに低いな、と思う。午後からではあったが、外部コーチの人にもわざわざ来ていただき、今週初めての練習を行う。月曜日も使用可能なので、その日の練習も確保できたのだが、来週以降の練習計画はまだ立たない。
日曜日。午前中は買い物、午後は鴨川を歩く。買い物は、市内へ出て、ソフマップでプリンターのインク、ラベル用紙(『鼎座』の発送用)、光学式マウスなど購入。後ほどマウスを使ってみたが、大変具合が良い。階下の大型書店で、『飯田龍太全集』第一巻「俳句T」を買う。
午後、鴨川を散策。日が差すとまだ少し暑さを感じるけれど、風は涼しい。三条から歩き始めて、北大路橋まで行き、そこから丸太町まで引き返すコース。京都在住なのか、観光なのか、散策をする人たちの中に欧米系外国人の姿を見る。顔立ちや会話から、東洋系の人たちも混じっているようだ。河川敷の一角で、バーベキューをしているグループにも出会う。焼き肉の美味しそうな匂いが風に乗って流れてくる。沖縄出身の人たちの集まりなのだろうか、島唄を流し、蛇皮線を弾いている一団もいる。お酒が入って、愉しそうである。自転車の曲乗りを練習する人、スケートボードを楽しむ若い子、京大オケのメンバーなのか、トランペットやホルンを吹いている人、太極拳のグループ、ミニテニスをするお年寄り達、フライフィッシングをする少年、キャッチボールをする父と子、橋の下の日影になったところで買ってきたお弁当を食べているカップル、上半身裸で日光浴をする人、芝生に座って読書する人、ベンチで居眠る中年のおじさん、小さな椅子を持ち出して話し込んでいる風のホームレスの人たち、見たものを書き上げていけばきりがないほど、色々な人たちの休日の午後の姿に出会う。鴨川に残る豊かな自然だけではなく、そんな人達の姿に触れる思いで、この鴨川散歩を続けているのかもしれない、と思う。
10日。京都の骨董市にも、谷元さんから案内をいただいていた「第29回洋画展・しろうるり展」にも行きそびれていたことに気付く。全く迂闊なことであった。今日の空は、一面雲に覆われていて、ちょっと陰気な風である。昨日の鴨川散策の終わりに、空の一角を占める鰯雲に隣るようにして、小さな彩雲が輝いていたことを思い出す。
【10月8日】
最近、訳の分からない勧誘メールの数が異様に増えて、愉快ではない。2,3日放っておいたら、軽く100通を越える数になるのではないか、と思う。速やかに削除しているけれど、その中に知り合いのメールが混じっていて、それも一緒に消してしまっていたことが、後になって分かったりもした。何とかならないのだろうか、と思う。ゴミ箱直通の設定にしても、ウイルスソフトのメール設定をしても、イタチごっこのようである。メールのアドレスを変えるほかないか。でも、結局同じことかもしれない。
清水さんから、岩城先生が『木語』に連載しておられた「復刻版『京大俳句』を読む」のコピーを送って頂く。厚さ1センチになんなんとするコピーであった。清水さん、ありがとうございます。早速、「翅の会」の討議資料に加えさせていただく。
関川夏央の『二葉亭四迷の明治四十一年』を読む。文芸評論というより、明治の文学青年グラフィティーみたいで、読みやすく、面白い。ところで、木曜日の国語表現「模擬句会」は、結構、好評であった(中には、私、短歌の方が好き! とか、小論文はどうした! との声も耳に入ってはきたが・・・)。授業終了後、後に残っていて「是非、またやってほしい」と直訴にきた生徒もいたほどであった。高校生にとっても、「句会」は面白いものだ、との感触を得る。今度は、「歌会」にしてもよいけれども。
今日は、午後からクラブ当番。ちょっと早めに出て、来週の進学補講の準備もしておかねば、と思う。さる事情で、それまでの練習場所が使えなくなったため、一つになった体育館を6つほどのクラブで使いまわす事になった。土曜日と来週の月曜日は使えるが、その後はどうなるのか、今のところわからない。使えなくなった理由が理由だけに、本当に腹立たしい。
【10月5日】
日曜日。丹後「すき句会」。前日の土曜日は、国会図書館で、岩城先生関係の資料収集を夕方までしていたので、結局、吟行は出来ず。当日詠にすべてを託す。ザイラー夫妻の連弾の会の日に当たっていたらしく、結構車内は混む。車中の属目吟と、昨日の国会図書館を思い出しつつ、苦吟する。1時からの句会。新メンバーの方と、見学を兼ねて岩城先生と宮津高校時代共通の同僚のEさんが来られる。懐かしい。昔とまるで変わっておられないのが、一層懐かしい。新メンバーの方は、吉田啓郷さん。亡くなられた桂信子さんの『草苑』に所属しておられた方。ごく最近上梓された第一句集『春蝉抄』を句会のメンバー全員に下さる。(帰京後、早速読む。独特の視点の持ち主の方で、思いがけない地点から1句がものされる。それが愉しい。岩城先生も感心しておられた1句。「飯蛸のあたまの中も花盛り」とても、面白い。)。席題は、「石」。
私の句は、Eさんと吉田さんに選んでいただく。期せずして私も、Eさんの句を選する。素朴で、情感の漂う良い句であった。持ち寄り句は、5句。久しぶりに岩城先生から3句選んでいただく。参加者が15名にもなり、席はすし詰め状態。5時前に句会は終了する。帰りの電車の中で、いつものごとくビールを飲みつつ、岩城先生が竹中宏氏の『翔臨』最新号に発表される予定の小説を読ませていただく。
月曜日。職場は、一波乱ある。夕方、ここ数回、行くことが出来なかった、辻田先生の「月曜句会」に久々に参加する。席題は、「落花生」と「秋」。「落花生」は、我ながら面白い1句が出来たように思う。辻田先生の懇切丁寧な作品評を聞く。「翅の会」は、今月23日第5回目の集まりを持ち、辻田先生についての総括的な討論を終了する。ご本人の謦咳に接しつつ、一方ではご本人を対象とする突っ込んだ議論の場を持てるのは、本当に恵まれた事だと思う。
火曜日、水曜日と、忙しい。明日の国語表現の、「模擬句会」の教材を作り終えて、本日の仕事を終了とする。帰宅後、郷里の母から電話。米子市の俳句大会で配布していただいた句集に対して御礼の書信があったとのこと。『遊歩』を20冊追加して送ることにする。帰省した折、参加できるような句会が郷里にも出来れば良いな、などと思う。
【10月1日】
忙しい1週間が終了。金曜日、2週間ぶりに第9の練習に行く。1週間、募集期間を延ばして、230人くらいの団員数になったらしかったけれど、参加者は若干少なめ、という印象(人の事は言えないけれど)。9時まで1時間ほど参加。ちょっと元気を回復して帰宅する。
6時前にマンションを出て、歩く。まだ、日は昇っていない。ひんやりした空気が心地良い。丘陵地帯を歩き、南が開けたところから宇治方面を眺める。うっすらと霧がかかっているようだ。左指の痺れが取れていないので、医者からしばらく走ることを控えるように言われていたけれど、つい走って帰る。てきめんに、痺れ。しかし、走るのは爽快である。
印刷所から『鼎座』第4号の初校が届く。速い。手直しは、1カ所。消し残しの部分に気が付く。月曜日には、印刷所に渡せると思う。
いつもは、土曜日が「すき句会」の日だけれど、岩城先生の丹後でのお仕事の関係で、10月は日曜日に変更となる。昨日まで、その事を忘れていて、土曜日に行くつもりであった。偶然、手帳を見て気が付いた。幸運であった。本当に1句の手持ちもないので、なんとか今日中に準備をしなければ、と思う。とは言いつつも、午後は国会図書館に行くつもりなので、自宅での句作になりそうだ。あるいは、明日の京都駅〜橋立1号車中吟、ということになるか。
母から電話あり。とりあえず『遊歩』30冊を宅急便で自宅に送る。