日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.9「日々録」
05.10「日々録」
05.11「日々録」
05.12「日々録」
06.1「日々録」
【06年2月28日】
『澤』俳句会から、『澤』3月号を贈っていただく。びっくりする。
実は、昨日の「翅の会」終了後、軽くお酒を飲みながらの談話の中で、『澤』俳句会のことに話が及び、ちょっと意見めいた発言をしたりしていたので、その翌日にこんな事があったものだから、「噂をすれば影」ではないけれど、驚いたわけだ。
結社誌を贈っていただいたのは、「窓俳書を読む」という企画の中で、拙句集『遊歩』を取り上げていただき、わざわざ掲載誌を贈ってくださったのだ。恐縮しつつ、早速御礼のメールを差し上げる。『澤』は、ネット上にホームページを開設しておられるのだ。
「翅の会」は、今回から岩城久治研究が始まる。資料は、私が準備したのだけれど、ちょっと多すぎて会員さんにご迷惑をかけてしまったのではないかと気懸かりである。特に、世話役の弥榮さんには、三日に渡りコンビニで数百枚のコピーをしていただいた、その労力たるやいかほどのものと申し訳なく思っている。今回から、新メンバーとして『童子』会員の中村文さんが参加される。
【06年2月25日】
久しぶりに早朝の「歩き+走り」。6時過ぎに歩き始める。すでに空は夜明け間近の淡い藍色に染まり、思いがけない場所に繊月がかかっていて、不思議な景色を展開している。いつもの丘陵地帯を歩いていると、今年初の鶯の笹鳴きを聞く。わずか数十メートルの標高差であろうが、丘陵の頂上の平ら辺りに登り来ると、畑には霜が降り、土の道に残る水溜まりには薄氷が張っている。
出かける前にコーヒーを入れ、風呂を温め直しておいたので、帰宅後は着ていたものを洗濯機に放り込み、早速朝風呂に入る。防寒着を着ていたにもかかわらず、体はひんやりとしている。足湯、腰湯、そして全身ゆっくりとお湯に浸かる。入浴後はコーヒー。ゆったりした気分で、茨木和生主宰の「NHK俳壇」を見たりする。ゲストのフルート奏者の演奏まであって、盛りだくさんな番組となっている。
金曜日。時間が出来たので、図書館で『樋口一葉小説集』を借りて読む。主だった作品は既読だったので、読み落としていた短編作品の幾つかを読む。流麗な擬古文体が心地良い。人の情というものを深く丹念に描いている。それが、時代性を越えてしみじみと胸に迫ってくる。これが二十四歳で亡くなった女性の作かと感心する。
金曜、夜。ミューズのレッスン。京都市内まで出かける。新しい曲に入る。進行がかなり早いな、と思う。
【06年2月23日】
政治的な事はあまり触れたくはないけれど、今回の「メール」事件は、全体的にあまりにお粗末なのではないか、と正直呆れかえってしまった。事の真相は、おそらく「藪の中」ということになるのだろうけれど、「なんだかなー」と思わずどこかのグルメレポータ的発言が口を衝いて出て来そうである。
通勤の往復の車中で、養老孟司著『まともな人』を読む。養老氏自身が、出来るなら政治絡みの発言はしたくないと思いつつ、否応なく政治的な話題に触れざるを得ないという苦渋の思いを、行間ではなく本文中の随所に感じつつ読み終える。
名村早智子さんから主催誌『玉梓』3・4月号を贈っていただく。樋口由紀子さんから『MANO』第十一号、『バックストローク』第13号を贈っていただく。ありがとうございました。平日はちょっと無理なので、週末にゆっくり読ませていただこうと思う。『鼎座』第5号は、二校を終え、印刷の方に回す。来週早々には出来上がるのではないか、と思う。
とてもマニアックな話題だけれど、吾妻ひでお著「失踪日記」が日本漫画家協会賞大賞を受賞したという。自身のホームレスならびにアルコール中毒の体験を漫画化したもの。以前読んで、大変面白かった。NHKの夜9時のニュースで、初めて吾妻氏の受賞の報とその素顔を見て吃驚する。
【06年2月18日】
金曜日。半日、ロードレースの路上指導。冬型気圧配置に後戻りした当日の、吹きさらしの運動公園の一角での3時間の立ち指導はかなり辛かったが、頑張って走っている生徒の姿はなかなか良かった。男子17キロ、女子13キロ、最後はバテバテ状態でゴールした子もいたけれど、全員規定時間内に完走したようでそれも目出度かった。体調を崩して以来、2週間以上走っていないので、生徒の姿を見ながら、そろそろ走りを再開しなければ、と思う。
夜、ミューズのレッスンへ。『創生記』は、第3曲の「海にはいつも」の練習に入っていた。『創生記』には、いくつも美しい曲が含まれているけれど、「海にはいつも」は終曲の「ひかり」と並ぶほどに純粋で大変美しい曲である。テノールの聞かせ処の曲で、あまりの美しさにうっとりして合唱団員もつい歌うことを忘れて聞き惚れてしまうほどの曲である(現在は、まだそこまでいっていないけれども。今は「綺麗に歌えば、とても美しい曲」というミューズ定番ギャグのレベルである。今後、どんどん曲の純度を増していくことと期待している)。あまりに美しい曲なので、作曲ソフトを使って、曲をMP3化して一人で聞いていたりする。本当は、そのMP3など紹介出来たらよいのだけれど、著作権の関係があるのでそれがかなわないのが残念である。本番を聴きに来ていただければ、一番なのだが・・・。
土曜日。5時に目を覚ますが、そのまま2度寝してしまい、結局7時前に起床。洗濯しつつ、コーヒーを湧かし、新聞をゆっくりと読む。痛ましい事件、訳の分からない出来事など、朝から少々気が重くなりそうである。トリノの冬季オリンピックも前評判とは大違いであるし。ちょっと浮かれすぎだったのではないか、などと思う。世界との実力差を、まざまざと見せつけられているという印象である。
印刷所から見積もりのFAXが、昨夜届く。早速、清水さんと岩城先生にメールを送る。清水さんからは、折り返し連絡がある。岩城先生の方は、あんまりメールは覗かれないみたいなので、数日時間がかかるかもしれない。電話で、メールしましたと伝えようか、などと思う。『鼎座』の初校も届く。とりあえず、今日中に目を通しておこうと思う。
【06年2月16日】
月曜日の夕方、印刷所に『鼎座』第5号のデーターを渡す。自分の原稿は、すべて一太郎で入力し、清水さんの原稿はメールの添付ファイルで送ってもらう。岩城先生からは、手書き原稿をFAXで送っていただき、こちらで入力する。冊子全体の基本の体裁は決まっているので、その体裁にあわせて編集作業を行い、それをCDに記録して印刷所の人に渡すのだ。データがそのまま使われてはいないと思うのだが(連続したページをこちらでは入れることが出来ないので)、かなりの省力化になっているのではないか、と思う。
足かけ3年目に入り、雑誌をどの程度お送りするのかも決まってきたので、印刷部数を少し減らそうか、という相談などもしている。400部から350部か300部ほどに。その見積もりを印刷所に取っているのだが、未だ連絡がない。どうなっているのだろうか。
『俳句研究』3月号の大石悦子さんの「句作日記」中、12月27日の版画家山田喜代春氏の詩画展の記載の中に、ちょこっと『鼎座』のことが書かれてあるのを見つけて、おやっと思う。大石さんの生活シーンの中に、ちょっと『鼎座』が存在しているのが嬉しい。若干ミーハー的気分であるな、と思う。
見本誌ということで送っていただいた、島田牙城氏の『里』3冊を読み終わる。句作品は、回文、自由律俳句から前衛的な作品までと随分幅広い。「俳」の追究を共通理念としておられるらしく、この自在さもその実践の一端であろうか、と思う。読み物も含めて、小冊子ながらなかなか面白いな、と思う。あれ、この人も『里』人だったのか、という方もおられたりして、そんな点も面白かった。しばらく購読してみようか、と思う。
【06年2月15日】
水曜日。どうやら、やっとたちの悪い風邪からほぼ回復したようだ。のどの痛みはまだ残っているけれど、微熱が取れて、鬱陶しい倦怠感から解放された。
来週末の「翅の会」のための岩城先生関係の資料を何とか準備完了。かなり分厚いものになったけれど、お世話役の弥榮さんに送れる状態になる。先週1週間が、風邪のために全くにっちもさっちも行かない状態で、なんとか間に合いひと安心である。
『俳句研究』3月号を読む。最近、誌面が充実しているな、と思う。特に今号の圧巻は、島原「角屋」での「平成・島原大句会」の記事であった。凄い、面白い、という何とも率直で単純な感想であるが、まさにそのような内容の句会であったと思う。
【06年2月10日】
月曜日、朝。微妙に体調がおかしいので、体温を測ると、微熱がある。特に気にせず、出勤。勤務中、何となく熱っぽいなと思い、保健室で体温を測ると、すでに微熱とは言えないくらいに体温が上がっている。授業だけは終えて、早退。風邪薬を購入し、帰宅。すぐに休む。夜、何やら寝苦しい。
火曜日、朝。倦怠感がひどい。検温すると、38度近い。平熱が35.9度の我が身には少々辛い。欠勤の連絡をして、近所の病院へ。診療の前に熱を測ると。38,2度。風邪にしては、咳も出ず、喉の痛みもほとんどない。とうとうやられたか、と思う。インフルエンザである。学校は、現在インフルエンザが大流行中。昨日も、同僚が一人休んだばかりだ。診察を受ける。病状を聞いて、医者もそう考えたのか、インフルエンザの検査の準備にかかる。鼻の奥の粘膜を採取し、試薬を使って検査。しかし、インフルエンザの兆候すら見られない。注射を1本打たれ、薬を受け取って帰宅。熱を測ると、38度6分ほどになっている。ともかく寝る。手足の倦怠感がひどい。夜、体温は38度8分ほどになる。
火曜、夜中。38,6度辺りで体温は安定状態に達し、両手両足の倦怠感がひどくて、寝ることが出来ない。なんとも気持ちの悪い感覚。総計2時間くらいの睡眠の後、水曜日となる。一日、38,6度の世界。食欲はゼロ。それどころか、お腹の具合がおかしくなってくる。せめて水分は補給せねばと思い、水だけはともかくこまめにとる。
水曜、夜。再び長い夜が始まる。ともかく、ひたすら時間の経過に耐える。音を消したテレビが一晩点けっぱなし状態となる。動く画面だけを目で追って、気を紛らわすのだ。
木曜日。昨夜がしんどさのピークだったのだろう。大分楽になる。体温も37度台に下降。睡眠が全く足りないのに眠くない、と言う不自然な状態ではある。ともかく、今できることはひたすら安静状態を保つことだ、と覚悟を決め、横たわり続ける。腰が痛い。夜には、36度台に体温は更に低下。4時間ほど眠れ、金曜日、朝5時過ぎには起床。
金曜日。ともかく出勤する。幾つか、やらねばならない仕事が残っているので。授業をこなし、進路の仕事を済ませ、2時間年休を取って帰宅。進路室では、周りに気を遣ってマスク姿であったが、正直窒息しそうな気分であった。マスクをしたのは、本当に数十年ぶり。マスクは、大嫌いである。微熱が残ってはいるが、明日は丹後の句会が控えている。もう、寝よう。病気の一週間であった。
【06年2月4日】
立春寒波の一日。模擬試験の監督で、出勤。車中で、同じく模試監督に向かう元同僚と会う。寒いね、と挨拶。
結局、夕方まで勤務。寒いながらに輝きわたる雲の夕景を眺めつつ、退勤。車中の往復は、『山本健吉対談集 自然と芸術』を読む。昼食は、時間がなかったため、5分でカレーライスを掻き込んで終わりだったので、改めてカレーを作ってゆっくりと食べる。やはり、自分が作った方が美味しい。
昨日は、節分。ミューズの練習を終えてから、帰宅途中のコンビニで小分けされた袋に入った福豆を買う。「おまけにお面が付きますが。」と言われるが、丁寧にお断りする。帰宅後、各部屋万遍なく、豆を撒く。最後に、ベランダに撒いて早々に退散。外はひどく寒い。