日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
05.12「日々録」
06.1「日々録」
06.2「日々録」
06.3「日々録」
06.4「日々録」
【06年5月31日】
気が付けば、もう5月も終わる。早い。ワールドカップまで、あと10日足らず。格別サッカーが好きなわけではないけれど、結構わくわくして試合を見ていたのを思い出す。それから、もう4年だ。ともかく、早い。老人と若者の時間感覚の違いは、過ごしてきた時間の長さによって生まれる、という。同じ一年でも、10年生きてきた子どもの1年と、50年生きてきたおっちゃんの1年とでは、相対的に長さが違うのだ、と言う。そうかもしれない、と思う。
日曜日。「翔の会」。岩城先生の「俳句型紙論」を中心に、話が進む。前回より参加された中村文さんの、「俳句型紙方式」という呼び換えが面白かった。個性的な発想をする人だと思う。「型紙論」と言いつつも、一筋縄ではいかない要素を内包する俳句解析法だと思う。会を終え、二次会は、私、竹中氏、弥榮氏の男三人で飲む。芋焼酎が美味しくて、調子に乗って飲みつつ、少々お喋りしすぎたかも、と後々になって思う。駅前で、三次会に向かう竹中・弥榮両氏と分かれ、帰宅。眠り病にでもかかったのではないか、と思われるほど眠くて、すぐに就寝。
その後、昼も夜も忙しくて、気が付くと水曜日、もう5月も終わるのである。
明日は、更衣。すでに日中は、蒸し暑くて、しかし日が沈むと涼しくて心地良い。ベランダの手摺りに凭れて夕景の街並みを眺めると、ちょっと一段落といった風で、気分が良い。夜は、もう一仕事。
【06年5月27日】
金曜日。あまりに眠いので、帰宅後ちょっと寝てから、練習に出かける。少し遅れたけれど、15分くらい眠った効果は絶大であった。頭がすきっとして、練習に集中出来た。それにしても、作曲家がいかに一音一音に神経を使っているか、という話は面白かった。特に、音を使って、いかにドラマを紡ぎ出すか、という点に興味を引かれた。また、楽譜の書き方について、クレッシェンドの記号を何ミリ右に書くか、左にずらすかということで、曲のニュアンスが随分違ってしまう、という話も面白かった。そして、楽譜は記号の集合体であるが、それが生きた音楽になるのは歌う人間の心の問題である、ということも印象に残った話だった。そんな風に、様々な話を通じて、指導者が合唱団員を鼓舞するのだ、という事も改めて思ったりしたものだ。夜、久し振りにお酒をちょっと飲んで寝たら、4時くらいまでそのまま眠る事が出来た。珍しいことである。
土曜午後から日曜にかけて、合唱団は京北町で合宿をするが、残念ながら参加出来ない。『翔の会』が明日入っていなかったら、せめて二日目の朝から練習に参加したのだが。新緑のこの時期の、府立ゼミナールハウスは気持ちの良い練習会場である。
寝足りたので、今朝は6時から走る。いつもなら、体の負担を考えて「歩き+走り」パターンだけれど、調子良さそうなので走る。いつもとは違ったコースを選んで、1時間くらい走る。涼しくて、車通りも少なく、気持ちが良い。疎水沿いに走るが、しきりにアザミの花が目に付いた。以前この時期に走った時、こんなにアザミが咲いていただろうか、と思う。疎水に流れ込む小流れに、通し鴨の姿を見つけたりもした。生い茂った草隠れに、たった一羽でひょうひょうと泳いでいた。
いつ雨が降り出してもおかしくないような天気である。今日は、明日の会のために資料の再読み込みをしておかなければ、と思う。
【06年5月25日】
昨夜、編集作業を終え、今夕『鼎座』第6号の原稿を印刷所に渡す。出来るだけ急いで欲しい、と印刷所の人にお願いする。
実は、すでに『鼎座』第7号の原稿もほぼ出揃っているのだ。あとは、私が「発想の森」の原稿を書き上げて、編集作業を済ませれば、それも印刷所に廻す事が出来る。何というか、画期的な事だ!嬉しくなってくる。
樋口由紀子さんのご紹介で、柳人の古谷恭一氏から句集を送っていただく。邑書林のセレクション柳人の一冊である。MANOの掲示板で、樋口さんが古谷氏の句集について書いておられたのを読み、すごい句を詠む人がいるらしいな、と思っていたら、当のご本人から句集をいただき吃驚している。
睡眠不足のせいか、頭の調子が良くないので、気分転換と体脂肪の燃焼を兼ねて「歩き」に出る。風が涼しいのと、人工照明で昼間とは雰囲気の違う街並みに、ちょっと調子が回復する。不審尋問を受ける程深夜でもないので、気楽な気持ちで1時間ほど歩く。
【06年5月24日】
久しぶりに、平日の夕方走る。仕事が一段落着いて、早めに帰れたのだ。最近、体脂肪計というのが手に入って、計測してはちょっと危機を感じているので、こんな風に走れるのは、肉体的にはもちろん、精神的にもなかなか好もしい。
更衣にはまだ少し早いけれど、職場のロッカーにブレザーを一着置いておき、通勤はワイシャツ姿で通す。今朝は、蒸し暑かったのに、夕方になって日が落ちたせいもあるのか、随分風が涼しい。気持ち良く走れるくらいの体感温度だ。
最近、夜コーヒーをいれて飲むようになっている。人によっては、興奮して眠れなくなるから飲まない、ということもあるようだけれど、一向にそんなことはない。昨日は、のどが乾いていたせいか、寝る前についお代わりして飲んでしまったけれど、ベットに横になったらコロリと寝てしまっていた。自分ではよく分からないけれど、結構寝付きは良いらしい。その代わり、夜中に何度も目を覚ますので、寝付きの良さが帳消しになっているような気はする。
『国文学』が映画特集を組んでいたので、買って読んでいる。話題になっている作品は、どちらかというとミニシアター系の作品が多いようで、ほとんど見たこともないものばかりだった。見たこともない映画について書かれた論評を読んでいると、映画そのものよりも、それを論評する論者の観点が変にくっきり見えてくるような気がして、それはそれで面白いと思う。それにしても、映画館で映画を見なくなって、何年たつことだろうか。
【06年5月21日】
土曜日。丹後「すき句会」。念のために、一斉発売日の翌日に買っておいた「ハリポタ」の第6巻(上下2巻)の一冊を車中で読むつもりで持参する。今回は、珍しく句の準備が出来ていたので、「はしだて1号」は読書の時間とするつもり。しかし、保津峡にさしかかった時から、窓外の新緑の美しさに目を奪われて、亀岡盆地を抜け、隆起準平原の丹波高原を綾部市に向かって突っ走っている間中、外の景色を眺め続けることとなった。しかし、綾部市が近づいた頃、せっかく持ってきたので「ハリポタ」を読むことにして、ザックから本を取り出す瞬間、何となく不吉な予感が心を斜めに過ぎったものだ。まさか、そんなことはないだろうと思いつつ、あらかじめカバーを外しておいた表紙に目をやると、「下」という文字が本の中央やや右上に○で囲われて、静かに納まっていた。どうやらやってはならないことを、やってしまったようだ。下巻の方を持って来てしまった。仕方ないので、読むことにする。上巻の内容を色々想像しながら、宮津に着くまで読み続ける。
橋立で乗り換え、丹後大宮駅で下車。いつもの通り、駅舎に隣接する喫茶店で、コーヒーと「とろとろオムライス」を食べようと店に繋がるドアを開けようとすると、開かない。外に廻って玄関の方から入ろうとすると、「休業」の札がかかっている。その後、雨の大宮町を食堂探でうろうろすることとなる。句会が始まるまでに、ちょっと疲れる。
日曜日。朝、走る。朝食に、干し鰈を焼いて食べる。昨日句会が終わってからお土産に頂いたもの。美味しい。その後は、夕方まで、試験問題の原案作り。昼過ぎに、近所の店にちょっと買い物に出るが、初夏のような暑さに驚く。野菜を買い込んで来て、野菜たっぷりカレーを作る。今日は、一日カレーの日であった。
【06年5月20日】
今日は、丹後の「すき句会」の日。都合により、1週間、日程がずれた。岩城先生は、すでに昨日丹後に行っておられる。あるいは、犬を連れての丹後行きかな、などと思う。
昨日は、午後出張。某大学の学校説明会に行く。大きな会場に、ほぼ満員の説明会。まず学長が挨拶をされるが、そのお顔を見、お名前を聞いてあれと思う。以前『醍醐会』にゲストとしてお招きし、西洋美術について講義をしていただいたS氏であった。個性的な学部を設置し、目的意識をしっかり持って進学すれば、面白い大学生活が送れるだろうと個人的にはちょっと気にいっている大学である。パンフレットや出版物なども貰って帰る。
夜、ミューズのレッスン。今回は、遅刻もせずに参加出来た。本番指揮者の藤岡幸夫氏のレッスンまであと3回。本番の7月8日まで残り1月強である。さすがに、普段は温厚な合唱指揮の先生も少しぴりぴりしておられた。出だしの部分が、全く不出来で繰り返しの練習となる。本番は暗譜なのだが、かつて一度歌ったとはいえ、まだまだ暗記が不十分で、その点が個人的に心配でもある。2時間半、みっちりと歌い込む。練習を終え、少々疲れて、近鉄のプラットフォームから京都駅ビルの巨大な壁面の一角にぽつんと灯っている「ISETAN」の電飾をぼけーっと眺めたりする。台風崩れの低気圧がもたらした強い雨は、小康状態。
1週間が本当に早い。来週後半からは中間考査。帰宅後は、テスト問題作り。職場で使っているノートパソコンのヒンジ部分(と言ったか?)が壊れて、修理に出しているのだが、本当に不便で困る。それにしても、仕事処理の中でのPCの比重の大きさを初めて知る。修理は1ヶ月ほどかかるらしい。困ったものだ。
【06年5月14日】
土曜日。岩城先生の年表作りを続ける。とりあえず、こちらで纏められるだけまとめて、その後岩城先生に追加・訂正等をしていただくつもり。資料は、手元にある3冊の句集、第1期・2期の『参』、そしてエッセイ集『さまざまな紙片』である。午前中のうちに読み残していた資料に目を通して、元年表を作り終え、FAXで岩城先生の所へお送りする。
午後、柳人の小池正博さんから送っていただいていた「『セレクション柳人』発刊記念川柳大会」の報告集を読む。これは、邑書林から発刊された『セレクション柳人』の11句集について、各句集に担当者を置いて、その句集を各自がどのように読んだかを発表しあう中で、川柳の「読み」というものについてその全体像を把握しようとする意欲的な試みの詳細な報告集である。この大会を持つにあたって、「プレ集会」と銘打って事前に予備討論を実施するという丁寧な取り組みでもあり、その折りの報告内容も集中にまとめられてある。大会自体は第一部が句集の読みについての報告、第二部が句会(兼題は「野・くぼみ・塗る・女神・台」)であった。邑書林の島田牙城氏(俳人)も参加しておられ、一味違う川柳句を投句しておられた。
報告集の最後に小池氏がまとめられた「大会以後の課題」を引用しておく。「短詩型文学においては、実作と『読み』(批評)は両輪であり、『読み』を鍛えることは必ず実作に反映してくる。作品がテクストとして語られること、川柳作品を語り合う『場』を確保することによって、川柳がますます活性化してゆくことを心から期待している。」俳句も亦、と思う。
日曜日。「歩いてこよう」と心に決め、準備をして出かける。新緑が美しい時期なので、保津峡駅から水尾あるいは亀岡方面を歩こうと思う。近鉄、そしてJR嵯峨野線に乗り換え、車中では「映画村」のエキストラさんか、と思われる和服、ちょんまげ(もちろんカツラ、浪人とかヤクザ風)、脇差し(割とちゃちな作りであった)、ぞうり履きの男性と相席になり、横目でちらちら観察しているうちに、その人は嵯峨駅で下車していった。保津川上に作られた保津峡駅で下車。プラットフォームから愛宕山方面を眺めやると、視覚を通して脳味噌の奥まで洗い流されるような鮮烈な緑である。ところどころ山藤の紫の花が色合いにアクセントをつけていたりする。気分良く歩き出す。保津川沿いに亀岡方面に向かうことにする。小さな峠を一つ越え、長い坂を下ると道は川沿いに山の斜面につけられ、昨日の雨で水量の増した笹濁りの川面と、対岸の新緑の大斜面が眺められる。時折、デジカメで写真を撮りながらゆっくり歩いていくが、思ったより早く保津峡を抜け、11時過ぎには亀岡駅に到着する。「歩き」としては、少々物足りなかったけれど、今日はこれまでとする。団体さんが乗り込んだ満員電車(団体さんは保津峡駅で下車、水尾か頑張って愛宕山、あるいは、清滝川沿いに清滝行きであろうか)で帰途につく。
【06年5月13日】
金曜日。ミューズの練習に参加。体調不良と仕事で2週連続して休み、初めてミューズから練習参加の督励の葉書が届いて、3週間ぶりの練習。京都市の北まで行かなければならず、職場を出て、近鉄・地下鉄乗り継ぎで1時間ほどかかる。遠い。
この間に、練習は全曲が一通り終わったらしく、今日は終曲のレッスンが中心であった。前回と同じつもりで歌っていたら、バスパートに数カ所変更があった。全体としても、改作が為されていて、より繊細で複雑な曲に仕上がっていて、とても感心した。作曲家の執念を感じてしまう。レッスン参加当初は、疲れてグタグタ状態だったのが、どこからそんなエネルギーが湧き出てくるのか、すっきりよい気分で練習を終えた。歌い重ねるにつれ、本当に良い曲だとつくづく思う。
車中では、同僚から借りた『脳天パラダイス大詩集』という発刊当時若手詩人達のアンソロジー集を読む。おもちゃ箱みたいに様々な様態の詩が詰め込まれていて、なかなか面白い。今週は、疲労と睡魔で言葉の負荷に耐えがたいような通勤車中の状況であったが(碌に本も読めなかったのだが……)、これは往復の車中でつい夢中になって読んでしまった。養老孟の本もちょこちょこ鞄から取り出してはいたのだが、こちらのほうは面白くなくはないが、内容的に少々煮詰まってきたかな、という印象が強くて、睡魔を打ち破るには至らなかった。
土曜日。何度も目を覚ます。やっと土曜日という嬉しさで目を覚ましたらしい。6時過ぎになって、ちゃんと起きだして、早速洗濯をしつつ、コーヒーをいれる。天気が生憎雨もよいなので、「歩き+走り」は中止せざるを得ない。残念である。今日も、年表作りに励む予定。
【06年5月11日】
火曜日。遠足であった。バスを使って、枚方の自然運動公園へ飯盒炊さん(もちろん、実際には飯盒は使わなかったけれど)。五月とはいえ、暑いくらいの日。昼食は、生徒手作りによるトマトを隠し味に使った本格的なカレーライス。ただ、ご飯の方が火力の関係で1時間たっても炊きあがらず、ちょっと芯の残った歯応えのある出来となった。サラダにフルーツポンチ(と言ったか?)のデザート付き。なかなか豪華な飯盒炊さんであった。食事に時間がかかってしまい、リクレーションの方が出来ずじまいとなった点が残念。3時過ぎに帰校。翌日に控える進路研修のレポートの仕上げにかかる。8時過ぎに退勤する。
水曜日は、放課後の進路研修がこの日の山場。わずか10分ほどの報告のために随分時間を掛けた準備となった。そのせいか、10分の予定が、倍の20分ほど時間を使ってしまい、すっかり顰蹙ものであった。しかし、やっと重荷の一つから解放された思いで、研修会終了後はすぐに退勤。運動不足を感じていたので、二駅前で電車を降りて自宅まで歩く。夜風が涼しくて、気持ち良い。夜は、今週に入ってから取りかかった岩城先生の個人年表作りの作業を続ける。『翔の会』へ提供する資料の一つである。岩城先生の著作や文芸誌『参』を引っ張り出してきて、あちらこちら見返して纏める。細かい作業だけれど、結構面白い。しかし、睡魔には勝てず、10時過ぎには寝てしまう。
木曜日。日のある内に退勤。帰宅後、近所を40分ほど走る。少し肌寒いくらいだ。しかし、気分は良い。今日も、引き続き年表作り。
【06年5月8日】
日曜日。夕方、帰宅。立ちっぱなしの新幹線で右太股だけが妙に痛い。
海を見て、山を見て、丘で風に吹かれてくる。
さて、早速洗濯。外は再び雨が降り出したので、洗い終わったものは室内干しとする。
対中いずみ句集『冬菫』を読む。『醍醐会』二次会で評判になっていた句集。漠とした物言いだけれど、確かに「詩心」というものがここにある、という事を感じる。集中数句には、強い印象を受ける。ここ数日で読んだ本は、この一冊だけであった。
月曜日。とたんにフルスロットル状態となる。休憩無しの12時間。頭が痛くなって、退勤する。「楽あれば苦あり」とつくづく思う。