日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【09年3月31日】
土曜日、午後。骨董市に出かける。年に何度か開催されているもの。広い会場に、小さく区割りして、恐らく百数十軒の骨董商が店を開いている。安くて面白いものがあれば買ってみようという程度の心づもりで出かける。ともかく、いかがわしい面白さに満ちた会場である。一癖も二癖も、それどころか三癖、四癖もありそうな店主と客とのやりとりを端で聞いているのも面白い(自分がそこに加わるほどの気力がなかったので)。会場をぶらぶら歩いて、ちょっと眼福ものの陶器などを眺めたりしながら、1時間ほど楽しむ。中に一軒、色紙や短冊などを商っている店があったので、そこではちょっと真剣に短冊を見る。掘り出し物が混じってないかな、と確かめるのだが、残念ながらこれと言った短冊は見あたらなかった。帰宅。少々、疲れる。
それから、二日間、日曜と、曜と、発熱と腹痛で臥せる事になる。
日曜の「醍醐会」も、結局休む。資料だけは、後ほどレポーターの清水さんの手を煩わせて手に入れたけれど。
月曜日。甥の友人達が、遊びに来る。こちらは、寝室で静かに休む。臥せっているこちらに、気を遣っているのが分かって、申し訳ないような気持ちになる。
火曜日。八分通り、回復。普段より、30分遅れで、出勤。駅から職場までは、いつも通り「歩き」。少々気分が悪くなる。年度末、最終日。提出用の統計資料のまとめを作る。午後は、教材作り。とりあえず、漢字の小テスト二学期分を作る。次年度の進路指導用の資料と、手間を省く生徒連絡用テンプレートを「桐」で作ってみる。割と思い通りのものが出来た。定時に退勤。バスの車窓から、ちらほら咲きの桜を楽しむ。
夕食は、甥が準備してくれる。ここ数日、すっかりお世話になっている。


【09年3月28日】
金曜日。定時、退勤。一度、帰宅して、食事を済ませてから、ミューズの練習に参加。都合、練習を2回飛ばしたことになるので、その間に2曲ほど練習は進んでいた。初めて、「アーメン」を歌う。これは、ジェスマイヤー版には載っていない。モーツアルトの断片を弟子が完成させた曲の一つ。なかなか綺麗な曲である。残念ながら、充分には歌えず。9時過ぎまで練習。その後、真っ直ぐ帰宅。すぐに、就寝。甥も、疲れていたのか、早めに横になっていたらしい。
土曜日。5時前に起床。そのまま、「歩き」に出かける。竹林コースを歩く。途中で道を変えると、廃墟みたいなゴルフ練習場とそれに付随していたらしいショートコースに行き会う。竹林の中を切り開いて、短いゴルフコースが幾つか造られてあった。芝生部分が雑草に覆われてはいなかったので、あるいはまだ使われているのだろうか。竹林の道に引き返す。あちこちでしきりに鶯が鳴いている。渓渡りの声が時折聞こえる。道々、桜がちらほら咲いている姿を見かける。まだ、二分咲きくらいの風情である。公園から、天守閣のある運動公園へ抜け、すでに2時間ほど歩いているので、帰ることにする。
帰ってみると、すでに甥は学校に出かけていた。今日は、ガイダンスがあるらしい。それにしても、ずいぶん早く出かけたものだ。朝食は、前のコンビニで買ってきたサンドイッチと野菜サラダ。ついでに、洗濯機のスイッチを入れておく。良い天気なので、今日はベランダに干しておけば、夕方までには充分乾くことだろう。
そういえば、冬の間水の無かった疎水に、流れが帰っているのに、今日「歩き」の途中で気がついた。これも、京都の春の風物詩の一つではないかな、と毎年のことながら思う。
中村与謝男句集『楽浪』を読み直す。明日の「醍醐会」は、句集評。予定されていたものが、延期になっての明日である。俳人協会新人賞を受賞した句集である。作者は、辻田先生の「幡」の方。


【09年3月26日】
花冷え、と言うにはあまりに寒すぎる。北山の連山は、降雪のためにうっすらと白くなっている(後に、夕刊で丹後の宮津は12センチの積雪があったと知る)。通勤途上、道ばたに置かれた捨てバケツの中に溜まった水が、うっすら凍っていた。薄氷は、春の季語ではあるが、三月も下旬の今頃になって、氷が張っているのを見かけることになるとは。
今日は、朝から次年度の校務分掌が発表される職員会議である。退職者と転勤の人の紹介も、この時に行われることになっている。職員室から離れたところで仕事をしていると、校内事情にどうしても疎くなってしまうが、今日も思いがけない人の退職を知って、びっくりする。早期退職であった。
分掌は、次年度も進路部と知り、午後からは新メンバーでその分掌会議が持たれ、その後教科会議が夕方まで続く。会議に明け、会議に暮れた一日であった。疲れる。
弟夫婦は、朝のうちに帰郷。甥は、一日、買い物したり、ゲームをしたりで過ごしたらしい。夜の食事は、甥の準備。「健康食を」とメールしておくと、ずいぶん質素な晩食が用意してあった。ひじきと、ししゃも。浅蜊の味噌汁。さすがに、ちょっと寂しいので、私は朝の残りを、甥はさらに一品を作り足して、夕食。甥の春休みも、間もなく終わり、新学期が始まる。
今夜も、『高柳重信読本』を読み次ぐつもり。


【09年3月24日】
朝から、少々腹痛気味。手術の後遺症が、思いついたように時折出る。今日は、「歩き」は中止して、バスで職場まで行く。
パソコンのウイルスは、結局削除できなかったので、OSを再インストールすることにする。ここしばらく、パソコンのお世話しっぱなし状態と思う。パソコンが初期状態に戻るのは良いとして、ウインドウズのサービスパックのインストールが上手くいかないので困る。他のことをしながら、合間合間にその作業をするので、やたら時間ばかりがかかる。午後は、夕方まで校内で研修会。その後、一仕事をして、その後やっとウイルスソフトのインストールまでで本日は終了。ソフト関係を入れるのは、明日の作業となる。パソコンをちゃんと働かせるのに、こんなに時間がかかるとは、と思う。今日も、同僚の人に車で送ってもらう。車中では、WBCの話題。イチローはやっぱり「イチロー」であったなどと話し合う。
夜濯ぎが終わるのを待ちながら、『高柳重信読本』の続きを読む。句集は読了。回想記風のエッセイを数編読み、俳論の方に入る。
洗濯物を部屋干しし終えたら、もう休もうと思う。最近、少し寝るのが遅く、朝はいつも通りの5時起きなので、頭の芯の部分が眠っているような気分になる。
明日は、郷里から弟夫婦と甥が来京の予定。


【09年3月23日】
午前中は、新入生の実力テストの監督・採点・データ入力に追われる。午後、仕事用のパソコンのOSをインストールするが(これで何度目のインストールになることか)、必要なファイルのダウンロードの過程で、ウイルスに感染するはめになる。間違っても、怪しいHPに出入りしていたわけではないのだが。マイクロソフトのダウンロードページから、必要なバッチファイルを手に入れようと、あちらこちらしているうちに、感染したようなのだ。ちょっと信じられないことなのだが、一体どうしたことなのだろうか。フリーのソフトでスキャンしている時に、感染が分かる、すぐに隔離して、削除しようとするが、消えない。一連の削除操作をするのだが、そのアンチソフトでは削除できないようなのだ。7時過ぎまで居残って、なんとかしようとするが、駄目なので、ウイルス本体は隔離された状態だし、パソコンをネットからは切断された状態にしておいて、帰宅。同僚の人に近所まで送ってもらう。一日、疲れる。『高柳重信読本』を読む。作品が面白い。句集は一気に読む。山川蝉夫のずいぶん古風な作も楽しむ。エッセイ、評論なども、ずいぶん収載されてあって、読むのが楽しみである。


【09年3月18日】
花粉のせいか、黄砂のせいか、鼻と喉の調子がおかしい。同僚の先生は、ゴーグルにマスクという完全装備で、出勤してこられた。皆、程度の差こそあれ、花粉症状態のようである。明日は、終業式。今日は半日会議、午後は時間が空いたので、昨日読んだ本は言わば続編にあたるもので、その前の作にあたる評論を読み、その内容を昨日の文章に書き足す。結果として、少し長いものになってしまった。図書館報としては、不都合かもしれない。定時、退勤。京都駅まで切符を買いに行く。連休中は京都を留守にする予定。車中で、湯浅誠著『反貧困』を読む。ワーキングプアを扱ったもの。その実態に暗澹たる思いになる。日本の社会がいかに崩壊しつつあるのかを知らされる。
帰宅する。今日は、ミューズのレッスンがあったのだけれど、休む。甥たちは、帰郷。2週間あまりの入院生活を終えて、自宅でほっとしていることだろう。
明日以降の更新は、ブログ版の方にて。


【09年3月17日】
日曜日。先週に続き、竹林を歩こうと、5時半に歩きに出かける。すでに外は、ずいぶん明るい。入院していた病院を見上げながら、丘陵地帯への道へ向かう。丘とはいえ、かなり急な登りがあって、頂稜部に見事な竹林が広がっているのだ。鶯の鳴き交わす声を聞きながら、歩く。朝方の夢で、心臓が痛くて困るというものを見て、目が覚めて、実際に妙に胸が重くて困る。歩きながらも気味が良くなかったのだけれど、歩いているうちに、次第に調子が良くなる。前回と違う道をとると、やがてゴルフ場に行き当たる。こんな所に、ゴルフ場とは、と思い、引き返す。運動公園で、7時前なのに熱心に練習している野球チームの人達の姿を眺めたり、硬式テニスの試合をしばらく見物したりしながら、2時間半ほど歩く。
日曜日は、夕方まで自宅で過ごし、それから所用で外出する。帰りはタクシーを使うが、20歳から始めてもう50年も運転手を勤めているという人が、本当に博識で、京都の蘊蓄をあれこれ聞きながらの帰宅。森鴎外の『高瀬舟』や、小野小町と深草の少将の話なども出る。なかなか楽しかった。
月曜日。本を1冊読み、その紹介文を書く。図書館の館報に載せていただくためのもの。手放しに近い新自由主義礼賛には、ちょっと疑問あり、というものではあったが。
火曜日。合格発表の日。9時から。例年通り、発表風景を見る。手持ちのパソコンについて、校内LANのシステムの入れ替え作業を行う。OSの入れ替えで、バタバタして、2度も入れ直すという間抜けな事をしてしまう。今日は、異動の内示日でもあった。意外なほど、異動の人数は少なかった。定時、帰宅。甥と弟の奥さんが帰宅。長い2週間であったようだ。。夕食は、ハンバーグ。私だけ、早めに食べる。二人とも、明日は帰郷する。


【09年3月15日】
土曜日。丹後「すき句会」の日。いつものつもりで京都駅へ行くと、なんといつも利用する「はしだて1号」が運休とのこと。窓口で詳しいことを聞くと、信号故障のため、嵯峨野線はダイヤが大きく乱れ、その影響とのこと。1時間半後に「はしだて3号」があり、もしそれがダイヤ通り動いたとすると、かろうじて丹後大宮には句会直前に到着出来ると言うことで、とりあえず「3号」の方のチケットと座席指定を買って、様子を見ることにする。京都駅の地下街で時間を使う。コーヒー専門店で、ちょうど切れていたコーヒー豆を買い、書店では角川の『高柳重信読本』などを購入。20分前に改札で、「はしだて3号」の運行状況を確かめてもらい、幸い定刻着・発ということなので、急いで句会用の季節の和菓子を購って、ホームに向かう。
乗換駅の宮津には8分遅れで着。すぐに、各駅停車に乗り換えて、丹後大宮へ向かう。駅には、会員さんの一人が車で迎えに来て下さっていて、それに乗って岩城先生宅へ。会員さんは、先回から新たに参加されたお二方を含め、ほぼ全員来ておられた。岩城先生は、所用で若干遅れられるということで、先生が来られるまでにと、投句・清記・選句用紙の準備を進める。選句用紙は、各自が持ち帰れるように人数分コピーして、各自にお渡しした上で選をしてもらうことになっている。近所のコンビニまで出かけ、コピーサービスを利用して複写して、帰ってくるとちょうど岩城先生も来られて、句会が始まる。宿題は、「風光る」。題詠は、「春荒」であった。昨日の丹後は、その季語のように、大変荒れた天気であったそうだ。句会が昨日であれば、急遽中止ということになったであろう。今日も、途中からみぞれ、さらに本格的に雪が降り始め、冬に逆戻りしたような様相となる。
5時近くまでの句会。投句数も多く、30分ほど時間を超過する。色々と面白い話も聞けて、楽しい句会であった。
今日は、岩城先生も句会後は京都に帰られるということで、奥様の運転する車に私も便乗させていただく。高速自動車道を繋ぐ形で走り、京都まで2時間余りで着く。
帰京後、自宅の近くのお寿司屋さんで夕食をご馳走になる。お酒も一緒にいただいて、ずいぶん豪勢な夕食となる。10時過ぎに帰宅。少し夜更かしする。12時前、就寝。。


【09年3月12日】
相変わらず、真冬並のスタイルで朝の出勤。試験期間中と言うこともあり、ちょっと余裕があるので、少し長めの「歩き」。特に、電車を降りてしばらく歩き、新興住宅街の際に沿って続く600メートルの遊歩道が、なかなか気持ちよい。時折、植木に目白などの姿も見える。また、途中の家の飼い犬が、最近顔なじみになってきていて、ちょっと楽しい。
本日は、試験最終日。試験監督の後、成績処理作業。個人資料で、昨日どうしても出来なかった「桐」の操作が理解できて、なんとか思い通りの資料を纏めることが出来た。定時退勤。最近は、帰りに出来合いのものを買ってきて食べるだけの夕食。洗濯もついでにする。お風呂の残りの有効利用で、その後風呂を洗って、お湯を入れる。
ボクシングのダブルタイトルマッチ。どちらも見応えのある試合であった。もっとも、第二試合は1ラウンドKOということで、少々あっけなくはあったけれど。亀田の胡散臭い試合などとは雲泥の差の、迫力ある試合であった。チャンピオンであれ、挑戦者であれ、選手の人品としうものが試合にも反映しているのであろうと思う。
阿部完一『俳句集成』読み続けている。第一句集は、過去の自分の作への決別の句集という性格を持つものらしいと理解する。未刊行の作品集『証』そして、第二句集『絵本の空』と読み進む。作者の代表作のひとつ「少年来る無心に充分に刺すために」は、『絵本の空』の開巻の1句であった。読むのにかなり難渋している状態。意味で読んでしまおうとするので、つい困惑してしまうことになる。


【09年3月10日】
昨夜、本を読んで寝るつもりが、横になったらすぐ眠りこけてしまった。我ながら、見事な眠りっぷりであった。その代わり、12時過ぎに一度目を覚まし、それから2時間毎に目を覚ます有様であった。寝る前に、スカイプでジェニビの姿を見たせいか、夢に出てくる。現実以上に、毛むくじゃらな姿であった。奇態な姿であった。
5時過ぎに起床。4時に目を覚ました時に、志ん生の落語をかけ、そのまま眠ったので、目が覚めたとき、ちょうど「はんぶん垢」の落ちの部分で、何となく切りよく目を覚ます事が出来たような気分になる。
ゴミ捨てもあったので、今日も早めに出勤。外は少し風があって、寒い。
学年末試験二日目。試験監督の後は、試験返却の際の添付資料を作る。久しぶりに、「桐」を使って作ってみる。一年間の小テストや提出物やらの総まとめ資料。レポート機能で、個々人の資料を作って見る。データ作りには関数も利用するが、提出物の提出率を算出するのに適当な関数が見あたらなかったので、一人一人手作業で計算する。
やり方を忘れていたせいで、思った以上に時間がかかってしまった。
定時、退勤。今日は、良い天気だ。日没後の西の空に、きれいな夕焼けがひと刷毛、ふた刷毛という風情で残っている。
往復の車中では、『阿部完一俳句集成』を読み始める。阿部完一氏は、先日亡くなられた、現代俳句の代表的作家の一人として、独自の俳句世界を確立した俳人である。今週の「週刊俳句」でも、急遽特集が組まれ、何人かの方が、作品と作家について語っておられる。第一句集『無帽』を読み始めている。そして、ちょっと意外に思ってもいる。社会性俳句が、この人のスタート地点なのか、と思う。そして、ずいぶん下手くそで不器用な句作りでもあると思う。巧さで言えば、第一句集と第三句集の差があるといえ、断然内田美佐の方が勝っているだろう。例えば、「内灘」連作3句、「春浜まで沈黙ながし鉄板路」「春落日内灘黒く生きのこる」「アメリカの一兵のどか基地の雲雀」など、後の作品に比較すると、同じ作家の作かと疑うほどの普通の作ではないか、と思う。ただ、このへたくそで不器用な句作りということが、ちょっと気になる。


【09年3月9日】
日曜日。読書の一日。宮部みゆき読了。巧みなストーリーテラーだな、と感心する。同氏の作品は、今回初めて読んだのではなかったか、と思う。昼は、ちょっと奮発して、寿司を取る。午後一杯、中井三好著『漂泊の俳人井上井月記』を読む。評伝というよりは、小説を読んでいるよう。井月は信濃の放浪俳人として、山頭火などにも大きな影響を与えた人物らしい。芥川竜之介の賞賛を得て、井月の句集には竜之介の序文が寄せられたという。本文中に、井月の句が何句も紹介してあったが、作そのものはいわゆる月並み俳句とは異なり、蕉風の流れを汲むオーソドックスな句柄であると思われた。
夜は、シーフードカレーとサラダ。美味しい。夜、9時過ぎには就寝。本を読もうと思っていて、いつの間にか寝てしまう。旅の夢を見る。
月曜日、5時過ぎ起床。少し早めに家を出るが、結局待つだけ待っていつもの電車に乗る事になる。車中で内田美紗句集『魚眼石』を読む。理知的な句柄の作。発想の面白さ、季語の斡旋の巧みさというものを思う。坪内稔典の「船団の会」の会員の方だという。
学年末考査第一日目。その1時間目に担当する科目の試験があった。答案用紙の返却を受け、早速採点開始。夕方までには、丸付けを完了する。ノート二山の点検も済ませ、成績提出の為の基本的な作業は一通り終える。集中した分、疲れる。神経のせいか、足先が冷や冷やして気持ちが悪い。向かいの席に冷え症の方がいて、その話などを聞く。靴下は重ね履きする、と言われる。十二単並みに重ね着するとも(もちろん冗談なのだろうが)。
今日も又、夕方から雨である。折りたたみ傘は常に準備しているとは言え、なんとも鬱陶しい。バスの車中、さらに電車の中で『魚眼石』を読み続け、読了する。ずいぶん面白い句集であった。
夜、スカイプで実家とやり取り。青色申告の準備を終えたとか、飼い犬のジェニビーが、まだ8時過ぎたばかりなのにもう寝ているだとか、話す。動画が見られるのが、良い。
少々疲れ気味なので、もう休もうかと思う。寝るまで、少し本を読むつもり。


【09年3月8日】
土曜日、午後。所用で京都市内まで。1時間ほどで用を終え、鴨川河畔を三条まで歩く。天気は良いのだが、肌寒い。疎水の水が鴨川本流の方に流されているので、水量が多い。すでにゆりかもめの姿はなくて、真鴨の番などが泳いでいる。一羽の鵜が、しきりに水に潜っては餌を獲っている姿が目に付く。
三条のブックオフに立ち寄る。内田美佐句集『魚眼石』、中井三好著『漂泊の俳人井上井月記』(これは、たまたま出かける前に読んでいた『俳壇』の対談中に出てきた人物で、その興味だけで購入)、『中上健次全集1』を購入。『中上健次全集1』は、初期短編・中編が収載されていて、少し高かったのだけれど買う。
車中では、弟の奥さん推薦の宮部みゆき『堪忍箱』を読む。短編時代小説だけれど、恐怖小説風、人情話風、怪談風等多彩な内容で、結構面白い。
日曜日。6時前起床。近所を1時間ほど歩く。まだ日は昇っていないけれど、すっかり明るくなっている。
帰宅後、朝食。たまには、パンではなくご飯食。食べつつ新聞を読むと、昨日市内に出かける際に、遠目に見た火事の煙がどうやら連続放火のものだと知る。全焼を含む3件の火事であったようだ。酷いことをする、と思う。
テレビのニュースは、小沢、小沢である。やったことは法律に反した犯罪行為であろうが、それをこの時期に持ち出したのは、総選挙における民主党潰しの一環であろう、と思わざるを得ないところがある。他と比較して金額が多いなどという、理由にならないものはさておき、次には「時効」の壁が理由として持ち出されたが、さらにどんな理由が次に明らかになることであろうか。バランスをとるつもりか、自民党の二階経済産業相にも献金疑惑で事情聴取をするらしいが、党としてのダメージの大きさは比較にならないだろう。自民党の幹事長か誰かの、浮かれきった「反転攻勢」の発言が、いみじも事の本質を露呈しているようにも思われる。ぞくぞく返金を申し出る自民党の議員に対しても、返せばそれでおしまいなのか、との思いが募る。すでに返還先の団体は、存在しないらしいけれども。すでに無いところに、どのように金を返すのか、不思議な話である。地検特捜部を、単純に「正義の味方」と信じ切れないところに、現在の日本社会の不幸の一端が覗き見えるようにも思う。マスコミだって、事の真実を公正に純客観的に報道している、とも限らないことだし……。これなら、亀田兄弟の胡散臭い試合でも見て、うだうだ言っているほうが「マシ」かもしれない。ボクシングだって、所詮はプロレス同様「興業」だ、と広く世に再確認させた功績ぐらいはあるのかもしれないし。
外は、良い天気である。来週は、丹後の「すき句会」。その宿題が、「風光る」である。明るい春の陽光のもと、吹き渡る風も輝いて感じられる、という開放的な感覚の生かされる季語であると思う。 。


【09年3月7日】
金曜日、夜。練習を終え、帰宅したのは10時過ぎ。普段なら、もう寝につく頃なのだが、週末と言うことで、しばらく起きていて、「日々録」の更新など行う。
11時過ぎ、ベットへ。横になって、『子規の回想』を読む。子規の死の記述以降、断片的な思い出が短く書き付けられているという印象。書の話、絵の話、天井からつるした財布の話など。
夜中、二、三度目を覚ます。テレビを点けて、ちょっと見たりする。
5時起床。すぐ、「歩き」に出る。いつもの道とは別コースを辿ってみようとするうちに、つい初めての道に踏み込んでしまう。空は次第に明るくなってくるのだが、道はどんどん高い方に深く入り込んで行き、まだまだ薄暗い道を、行き止まったら引っ返そうと思いつつも、先に先にと歩いていく。やがて、見事な竹林が広がる道へと繋がる。足元も、大分明るくなり、しっかりした道が続いているので、竹の葉擦れの音を聞きながら、そのまま歩いていく。時折、鶯の鳴き交わす声が聞こえる。立ち止まって、耳を澄ます。ややたどたどしい鳴き声である。
不意に行く手に、大きな建物が現れる。老人ホームらしい。そこから道は、普通のコンクリート道路に変わり、住宅街に入り込んで行く。道なりに歩いていくと、やがて見たことのある通りに出会い、方向感覚が定まっていく中で、いつもの丘陵地コースへと出る。
2時間あまりの「歩き」の後、帰宅。部屋に帰り、ベランダから今日歩いてきたあたりを確認する。大きな竹林の所在なども確かめる。今日歩いた道は、後日もっと明るいときに改めて歩いて見たいと思う。


【09年3月6日】
木曜日。、今年度の授業は終了。明日は、入試で、来週から、学年末考査が始まる。
疲れた、というのが正直なところだ。胃の状態も今ひとつ良くない。結局、神経の問題なのだろうと思う。緊張が、ちょっと弛んでいて、一気に疲労感の浪に襲われているのであろうか。毎年の事ではあるが。
考査の打ち合わせと、問題作成を終えて、机の周りの教材類を少し片づける。
金曜日。入試。いつもの通り出勤すると、もう受験生が来ていて、驚く。集合時間までまだ1時間以上もあるのに、どうしたものか。しかも、生憎雨降りで、しかもかなり強い雨脚であるのだが。数人のグループで来ているので、待つ間のプレッシャーは少ないのだろうけれど。
色々と神経を使う一日であった。
半日降り続いた雨が、夕方になって上がる。3月に入って、やたらに雨ばかり降っているように思う。一旦帰宅して後、ミューズの練習へ行く。疲れて、げんなりした思いで出かけて行ったのに、一頻り歌い終わって、ずいぶん気力が甦る。歌の力とは大きなものだと思う。


【09年3月4日】
4時に目が覚めて、眠れそうもないので『子規の回想』を読む。大部の本だけれど、それも残りは僅かになってきている。30分ほど読むうちに、少し疲れたので、蛍光灯を消して、眠れないまでも横になっていようとするうちに、少し眠ったらしく、5時になっていたので、起床する。
朝食の準備をして、食べ終えるのが6時前くらい。それから色々あって、家を出るのが6時45分。朝の時間がずいぶんあるように見えるけれど、これがうっかり6時に目を覚ますと(目覚まし時計は6時にセットしてあるのだが)、朝の準備が慌ただしくて、それだけで疲れてしまうような状態になる。
4時に本を読んだのが祟ったのか、一日頭が重い。
所用の為、2時間の年休を取って退勤。一度、自宅に帰ってから、京都市内まで出かける。辺りが暗くなる頃に用事を終えて、そのまま帰宅する。食事の準備も出来ないので、途中の総菜屋で中華弁当を買って帰る。レンジでチンしようとするが、弁当のサイズが大きくて、温めることが出来ず、冷たいままで食べる。少々味気ない。
用事を済ますための往復の車中で、『子規の回想』を読み次ぐ。死を間近にした子規の姿は、その壮絶さに胸が詰まるようであった。夜、その続きを読むつもりである。


【09年3月3日】
春寒料峭と言う言葉があるけれど、とにかく寒い。昨日は、雨風の中を横手に火事の猛煙を近く眺めながらの出勤だったのだが、今日はその火元を確かめようと、下らない好奇心から一駅前で下車して、歩く。真冬そのもののスタイルで、昨日煙が巨大な柱になって立ち上がっていたと思われる辺りを、路地通しに眺めつつあるくのだけれど、結局分からなかった(その後、線路沿いに広大な敷地を広げる自衛隊の駐屯地内の倉庫から出火したものだと聞いた。2時間近く燃え続けたという)。
朝はどうにか保った天気も、昼前から崩れ、どんよりと重たい雲が全天を覆い、やがて雨が降り出した。と思いきや、降り出したのは雪であった。春の雪である。関東方面は、今日は雪が降るとの天気予報で、春先には良くあることとは思っていたのだが、京都までそのお裾分けを頂くことになるとは、ちょっと有り難いことであった。ただ、雪が舞ったのはごく短時間で、すぐに雨に変わった。その後は、ばらばらと小止みなく降り続いている。雪は、ある種の暖かみをもたらしてくれるけれど、雨はひたすら寒々とした感じを深めるばかりである。来週から学年末試験が始まり、授業も残り数時間を残すだけでとなっている。内容も、一年間の締めくくりとして、ポイント的な部分の総復習的なものになってきている。
分掌の仕事も、1年間の取り組みのまとめの作業に入っている。職場復帰してから1年余り、二度目の年度末を迎えようとしている。早いものだと思う。
定刻に退勤。雨の中をバス停まで。帰宅する生徒達と、同じバスに乗り合わせる。車中では、『子規の回想』の続きを読む。明治32、3年頃。子規の病勢がつのる頃の思い出が語られる。強い崇敬の思いや、それ故に子規の存在自体を大きな圧力とも感じる碧梧桐の複雑な心境が、時に吐き出すように、時にしんみりと語られる。それが読む側の心にも、激しく、あるいはしみじみと伝わってくる。面白い。
すでに、甲鳥書林の高濱虚子著『正岡子規』という大部の本も後に控えている。内容は、すでに読んだこともある小説「柿二つ」や、子規関係の文章をまとめた1冊のようである。これも、続いて読んでみようかと思っている。ただ、すぐ眠くなって夜の時間が取れないのが、ちょっと困る。


【09年3月1日】
土曜日、午後。外出。京都市内へ。所用を終え、相国寺から出町商店街の辺りを歩く。学生時代をちょっと思い出したりする。それにしても、この商店街は活気がある。日本中のあちらこちらで、商店街が空洞化しているというけれど(故郷の有名な商店街も、かって土曜夜市などでたくさんの人を集めた時もあったけれど、現在では本当に寂れきってしまっている)、ここは本当に元気だ。鴨川河畔、「タネ源」さんの前の小公園で、夕景の大文字を正面に見ながらしばらくほっこりする。
日曜日。三月に入る。春眠何とかというけれど、ひどく眠い。胃の状態も今ひとつで、少々鬱陶しくもある。朝、5時半起床。「歩き」に出かける。1時間ほどの「歩き」。朝が本当に早くなっている。昨日その下を歩いた昭和の天守閣を遠く眺めながら歩く。
一日在宅。碧梧桐『子規の回想』の続編を読む。復刻版という体裁なので、活字が掠れ、最初は読みにくかったけれど、読み始めると気にならなくなる。回想録ではあるけれど、普通の文体あり、会話体あり、さらには子規自身になりかわったような内容有りと、筆者自身の深い思いを込めて、多面的に子規の姿を描き出し、書き記そうとする姿が印象的である。夕方まで、読み続ける。
本日、甥が帰京する。